72.恐怖


この手が覚えている感触は、
はるか昔の、記憶の片隅にある両親と手を繋いだ時のぬくもりと、
そして、現実離れした燃え上がるような手の熱さと、その自分の罪の深さ。

もう忘れたいのに、忘れられない。

忘れたくても忘れられないのは、
その記憶よりはるか遠くにあった思い、
温かい家族が、かつていた事を忘れたくないからだ。




マリアはゆっくり目を開けた。

まだ夜が深い刻限だったようだ。
あたりは闇に包まれている。

最近マリアは夜が嫌いになった。
明るかった昼の喧騒が、嘘のように静まり返ってしまうからだ。
あれもこれも全部嘘だったんじゃないかと、思ってしまうのだ。

少しずつ薄れていく長かった旅の記憶。

魔物と戦い、慣れない旅に悪戦苦闘して、
そして、またムーンブルク復興に全てを賭けて・・・、
ずっと、一日一日が必死だった。
夜は疲れて眠るだけのこと、そして必ず朝がやってきていた。

だから、もしかしたら、自分でも考えないようにしていたのかもしれない。

最近穏やかな日々を送れるようになって、
逆にふと、我に返ると感じてしまう。

もう、朝は来ないのではないか?と。
すべては嘘で、
闇は闇のまま、
罪は罪のまま、

そして、孤独は、孤独のまま。

旅の間、感じることの無かった恐怖の感情を、
何故今になって感じるのだろうか。

暗闇の中で、灯りもない中で、
こぼれる涙を、そっと誰かが拭ってくれた。

「どうしたの?」

カインがこちらを心配そうに見ていた。
物音を立ててしまっただろうか?
いつもは眠りが深いのに、こういうときは
何故か起きてくれる。

そのカインの手のぬくもりを感じることが出来る。
だから、それでマリアは少し勇気が持てた。
嘘じゃない。全部嘘じゃない、現実はここにある。

私は、全てを乗り越えて、今ここにいるのだ。

自分は独りじゃない。




***

今日は朝から予定が詰まっている。
日中の忙しい時間帯は、かえって自分を奮い立たせてくれる。

新しいムーンブルクと言う国も少しずつ形になってきている。
世界の人々もムーンブルクの再興に喜んでくれて、
多くの人がこの国を訪れてくれる。

それだけの世界の平和をもたらしたのも、自分たちだ。

人々の新しい国への要望は沢山あるが、一つずつ着実に、その要望にこたえていく。
中には難しい難題もあるが、あわてる事はない。
少しずつ改善していけば良い。

その力が自分にも、この国にもあるのだと思った。

そう。多くの人が自分を必要としてくれている。
それに応えるために頑張らねばと思うのだ。

充実した時間だった。



「おーーーい!!」

マリアが城の通路を歩いていると、
元気な声が聞こえてきた。

下を覗くと、カインが笑顔で手を振っていた。
見ると泥だらけだ。
思わず笑ってしまった。

「どうしたの?その格好。」

「え?あ・・・。ちょっと植樹の手伝いをしていたら、
 真っ黒に・・・。あはは。」

慌てて自分の格好を見返して恥ずかしそうにしているが、
なんでも体当たりで手助けしてくれるカインは
親しみ深い人だと、既にムーンブルクでもなじんでいるようだ。
あれこれと頼まれるらしい。

「あれ?今日はクナたちと剣の鍛錬をするんだとか
 言ってなかった?」

「うん。これから行くところだよ。
 今度はね、アレン達に一泡吹かせようって皆で稽古してるんだよ!」

「アレンに?ふふ、負けてられないわね。」

「うん!」

カインが手を挙げてそれに応えた。

最近クナたちムーンブルクの兵たちは、
どうやら、対アレンと言うよりは、
アレンが育てているローレシアの兵たちを意識しているらしい。

世界一の剣豪として、世界にも名高いアレンだが、
その指導力、統率力もさすがのもので、
ローレシア兵は兵力をここの所十分に高めているらしい。

まぁ・・・アレンの指導力やら統率力が高いのは
十分想像できる事で、当然の結果なのだが、
周りの国々もそれに負けないようにと引っ張られるように、
鍛錬を深めているのだ。

これは対外的に考えても、良い事だと思う。

カインもこの勢いのさなか、
中に混じって一緒に剣を振るっているらしい。

先ほどは泥まみれになりながら、土作業をしていたのに、
今度は剣の鍛錬とは、カインも中々忙しくしているようだ。

「マリア、夕方には終わるから、一緒に夜ご飯食べようね!」

「まぁ、気の早い話ね。ええ。分かったわ。」

思わず笑ってしまいそうになるが、
マリアはその言葉に頷いた。

マリアが頷いたのを見てから、
カインは背中を向けて走り去ろうとした。

「・・・・・・。」

その背中を見ながら、何故かマリアの心がざわついた。
自分でも、その急な心情の変化が理解できなかった。

何も別にカインがいなくなる訳ではない。
兵たちの修練場に向かったのだ。
今しがた、それを聞いたばかりではないか。
終わったら一緒に食事をしようと約束したではないか。

そこまで、今話をしたのに、居場所だって分かっているのに、
急に不安になったのだ。

昨夜感じた孤独と恐怖の感情が、急に襲い掛かってきたのだ。

もし、だ。
もし、カインが帰ってこなかったら、どうなるのだ?

また、独りになるのだろうか?

いやいや、馬鹿馬鹿しい、何を考えているのだ。
カインは間違いなく帰ってくるし、多くの人が自分の周りにはいる。
だから、独りな訳がない。
それどころか、沢山の人が自分を必要としてくれている。

マリアはふいに自分の両手を見つめた。
この手には、多くのものが乗っているのだ。

分かっている、やらなければならない事はいっぱいある。
皆と成し遂げるのだ。

だが、ふいに頭をよぎるのは、その懸念事項ではない。

この手に残る罪と恐怖。
あの日の事はおぼろげにしか残っていないのに、
それなのに、真っ赤に燃え上がる炎の色だけは忌々しく自分の脳裏に残っている。

いつかまた失うかもしれないという恐怖。
独りになってしまったのは、自分のせいなのだ。

だから、心の奥底で、実はマリアは思っている。
家族なんて、本当は、望んではいけない事なのだと。

また失うかもしれないのなら、
最初から望んではいけないのだ。

「・・・っ・・・!」

マリアはその手で顔を覆った。
燃やすなら、自分が燃えてしまえば良かった・・!

耳鳴りがする。誰かの声が聞こえるが、
耳鳴りがひどくて、何を言ってるのか分からなかった。

激しい耳鳴りとともに世界が暗転していく。

平和になった現実に喜びを感じる自分と、
今の現実を嘘だと思いたがる矛盾する自分がいる。

世界はこんなに平和になったのに、
私はどうしてこんな事を思ってしまうのだろうか。




****


カーテンの隙間から、夕焼けのオレンジの光が差し込んでくる。
どうやら刻限は、夕方になっているらしい。

「おはよう。もうすぐ夜だけどね。
 マリア、大丈夫?」

薄暗い中で本を読んでいたらしいカインが
マリアに気づいて声を掛けてくれた。

「あ・・・カイン?
 ここは・・・寝室?私どうしたのかしら?」

「君は・・・さっき僕と別れた時に・・
 えっと・・・倒れちゃったんだよ。」

「たお・・れた?本当に?
 大変だわ。お昼から大事な会議があったのに!」

慌てて起き上がると、
少し頭痛がした。

「それなら大丈夫だよ。
 とりあえず、ここに全部まとめておいたから。」

といって、手元のいくつかの文書を取り出した。
どうやら会議の内容をマリアに分かるようにまとめておいたらしい。

「あなたが・・・代わりにやってくれたの?」

「うん、まぁマリアのように皆をまとめるのは無理だけどね。
 一応今日の話はちゃんと終わったよ。」

「クナたちの修練の方はどうしたの?」

「それはまた次の機会に行くよ。
 何もあわてるような事じゃないし。」

「そう・・・・。」

どうやら、自分がいなくても何とか事なきを得たらしい。
少し安堵したが、それでも気が晴れなかった。

カインは掛けていた眼鏡を外して、ペンを置くと、
マリアの休むベッドの端に腰掛けた。

「ねえ、マリア最近ちょっと疲れているんじゃない?
 夜によく目が覚めてるようだけど、
 眠れていないんじゃない?」

「そんな事は・・ないわ。」

「本当?
 夜遅くまでずっと仕事をしていて、
 お昼は更に、働きづめですごく目まぐるしくしてるし、
 さっきも言ったけど、何もあわてる事はないと思うんだけど、
 どうしたの?何かあせっている?」

カインはよく自分の事を見ていたらしい。
実は最近昼は予定を切り詰めている。
忙しくして、何も考える暇もないくらいに・・・。
そうしたら夜も疲れて、眠ってしまえるからだ。

「焦っているんじゃないんだとすると・・・
 何か不安に思っている事がある?」

「不安・・・。」

その言葉にマリアはぎくりとした。

「最近、マリアがすごく・・心細そうな顔をしているから、
 僕も出来るだけ傍にいたいとは思ってるんだ。 
 だから、どこかに用事で離れる時は、
 出来るだけマリアに予定を告げるようにしてるし・・・。」

「ああ・・・。」

確かにカインは、さっきも次にどこに向かうの予定と、
夜までに再会して次はご飯を一緒に食べようという予定を
ちゃんと話してくれていた。
本当にマリアの孤独感と不安を感じ取ってくれていたらしい。

「ごめんなさい・・・あの・・・違うのよ。」

カインの気遣いは伝わってくる。だけど、マリアの不安はまだ晴れない。

「あ・・・もしかして、逆に鬱陶しかった?」

「あ・・・あの・・・・・そうじゃなくて。」

「僕はマリアに要らないって言われたら、
 多分寂しくて死んじゃうけどね。」

マリアはその言葉に心臓が跳ね上がるような感覚を覚えた。

「いや・・・・!嫌!そんな事言わないで!
 死ぬとか言わないで!」

ぼろぼろと涙が流れてくる。
カインが少し驚いたような顔でこちらを見ている。
そりゃそうだ。
きっと何をさっきから一人大騒ぎをしているのだろうって思っているだろう。

今の言葉なんて冗談だ。分かっている。
だけど、『死ぬ』と言うのは一番聞きたくない言葉だった。

「ごめんね。ひどい冗談を言った。謝るよ。
 マリア、どうか落ち着いて。
 そして、教えて。今何を思っているの?」

カインはマリアを落ち着けるように、
その背をさすった。

「うまく・・・話せるか分からないわ。」

「そんなの気にしないで。理論立てて話そうとか、
 そんな事思わなくて良いから。」

カインの言葉は優しかった。
こんなに優しい人が傍にいるのに、
こんな事を思ってしまうのがおかしいのだ。

だけど、今心の奥底にある、自分の本音は・・・

「寂しい・・・。」

「寂しい?
 ずっと・・・マリアはそう思っていたの?」

その言葉は、マリアから初めて聞く言葉だった。

「今、初めて思ったわ・・。気づいたの。
 本当はそれより先に思っていた事があって・・・。」

「うん。それは、どんな気持ち?」

その言葉に、マリアは自分の感情を少しずつ紡いで言った。

「忘れて、しまいたかった感情を、恐怖を、
 完全に忘れ去る事ができなかったのは・・・
 その奥に、かつてあった・・・あたたかい思い出があるから。
 それを忘れたくなかったから。」

かつて父を殺してしまったという・・この手が背負った大きな罪を、
マリアは払拭したくて、憎憎しげに両手を見つめて、
切り刻んでしまいたいとすら思った。
だけど、もっともっと昔、この右手と左手をひいてくれた父と母と
三人で歩いた記憶。

その記憶は、今もかすかにこの手に残る。
その暖かさを捨てたくなかった。

「旅をしていた時は、思いもしなかった事なの。
 忙しく走り回ってる時は、そこまで気が回らないの。
 今、今平穏な時間を過ごしているのに・・、
 平和なのに、思い出してしまう・・!
 私の罪と、それと同時に失ってしまった過去を。」

その悲痛な告白から、カインはマリアの気持ちを少し理解出来た。
マリアは決して寂しいとか弱音を吐く事は無かった。
だけど、それはそう思う余裕すらなかったからだった。

今平和な時を迎えたことで、逆に
平和だった昔を思い、寂しい感情とともに恐怖の感情まで
思い出してしまうのだろう。

「ごめんなさい、あなたがいてくれるのに、寂しいなんて変よね。
 私少し変なのよ・・・。」

まだ少しマリアの気持ちは落ち着かないようだ。
これがマリアの背負っているものの大きさなんだろう。
まだ涙がぽろぽろと出てくる。

「変だとは、思わないよ。
 僕は・・・マリアのお父様とお母様の代わりにはなれないから。
 だから、寂しいって思うのは普通の事だよ。」

小さいうちに亡くなったマリアの母はとても優しい人だったらしい。
そしてマリアの父も、マリアの事をいつも深く思ってくれる人だったらしい。

「お2人ともすごく素晴らしいお人柄だったんだろうね。
 僕は、マリアのお父様とお母様の事は直接はあんまり知らないけど、
 色んな人から聞いてそう思うよ。」

「あ、ありがとう・・・ごめんなさい。
 あなたもお母様を亡くしているのに・・・。」

「そうだね、僕も母様がいない事は寂しく思うし、
 それは何かで埋められる事じゃないと思うけど・・・。」

少し考えてカインは言った。

「子供を欲しいと思えないのは、恐怖から?」

その言葉にマリアは、ハッと顔を上げた。

マリアは決して子供嫌いではない。
小さな子供を見ると可愛いと思うし、
アレンが自分の子供を愛し抱きかかえてる姿を見ると、
新たな家族を持つのは素晴らしい事だとは思う。

寂しいと思う自分の心をも癒してくれるかもしれない。
だけど、実際に自分に子供が欲しいとは、
どうしても思えなかった。

そしてカインはそれを察しているのか、
決して無理強いする事はしなかった。

「いつだったか、あなたと未来図を描いた時に
 子どもが2人いて・・・すくすくと成長していく姿が思うと
 とても素晴らしい事だと思えたわ。」

「うん。」

「だけ・・どね・・。守るべきはずの、大事な我が子を、
 もし・・・また・・・私が・・・・・。」

あのムーンブルク最後の日だって、父は最期まで自分を信じていただろう。
マリアの手から放たれる炎を見て、父がどんな表情をして、何を思ったのか、
それはもう決して分からない。

だけど、もしまた無垢な瞳で自分を見つめる愛すべき存在を
この手で喪う事があったりしたら・・・・・。

「マリア、あのね・・・、あの事故の事はマリアのせいじゃないよ。
 ハーゴンの呪いのせいだ。そうだろう?」

「それはそうだけど・・・・。」

「ハーゴンはもういないよ。もう倒れたんだよ。」

そう、もうハーゴンはいない。
それを実感できるのは、理由がある。
それは、ほかならぬ自分がハーゴンの喉を付き刺したからだ。
いつも魔物をその手で倒してきたのは、剣を使うアレンとカインだった。
だけど、ハーゴンだけはこの手で自分で討ち果たした。

だから、ハーゴンはいない。
そうは思うのだが・・・。

「だけど、もし、何かあったら・・・。」

「マリア、大丈夫だよ。もう『何か』はないから。」

「え?」

「僕がここにいるんだから。」

カインは真剣な顔をしてマリアの瞳を見つめた。
マリアはそこで初めてカインが少し火傷しているのに気づいた。
薄暗がりだから気づかなかったのだ。

「カイン、どうした・・の?その傷・・・。
 も、もしかして・・・私、私が・・・・。」

「大丈夫だよ。何とも無いから。」

先ほど倒れる直前にマリアが思ったこと、
『燃やすなら、自分を燃やしてしまえば良かった』と言う思い。
もしかして・・・そのせいで・・・?

「だから、大丈夫だって。
 前にも言ったでしょ?マリアの魔法は僕が抑えるからって。」

カインはそう言って笑った。
かつてムーンペタで暴走してしまった自分にカインが言ってくれた言葉だ。

「ご、ごめんなさい・・・!ごめんなさい!!」

慌ててマリアはホイミを唱えた。
大した火傷ではなかったので、傷はすぐに癒された。

「魔物は・・・誰の心の中にもいるんだよ。きっと。
 あのね、僕の中にもそれはいるよ。
 だけど、きっとその時は、マリアや・・・アレンが止めてくれるんだ。
 そう信じているんだ。」

「カイン・・・・?」

「だから、マリアは・・・僕の事を・・うーん、頼りないから、
 信用できないかもしれないけど、少しは心強く思ってくれたら嬉しいな。」

頼りない?
そんな事はない。
いつも、自分が不安に思うときは一緒にいてくれる。
今もさっきも、自分を支え、助けてくれた。

信じる気持ちの強さ、それを教えてくれるのは
いつもカインだ。

カインが大丈夫だといえば、きっと本当に・・・大丈夫なのだ。

「ありがとう・・・。
 私には、あなたがいる。
 ・・・ああ・・・私もあなたと同じくらい強くなりたいわ。」

「え?いや、僕は弱いけどね。」

その言葉にマリアは笑った。ようやく笑顔になれた。

過去は取り戻す事はできない。
でも・・・未来は誰にも等しくやってくる。

「カイン、ありがとう。好きよ。」

「僕も、マリアの事が大好きだよ。」

過去への恐怖を忘れられるくらい、
未来への幸福で染められれば良い。
今ある幸せを感じながら、今を生きていければ良い。

そろそろ夜が深くなる刻限に、その静けさの中で・・・

カインは静かに手を伸ばして、マリアの手を取り、
そっと唇を重ねた。このまま一つに溶けあいたかった。

「ねえマリア。もっと、幸せになろうか。」

その言葉にマリアは小さく頷いた。




- 終-

2014/03/01

▲



 ラスト暗転は続きませんよ(笑)
 えーっと時系列ですね。「52.花束」 の続きあたりでしょうかね。
 電光石火のアレンたちと違って、中々子どもが出来なかったマリアさんの心情的な感じで。
 (何度マリアを苦しめる気やねん私)

 ⇒続き「78.医者」 あたり

 ★1P漫画化しました
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