背面は猛々しい岸壁に囲まれ、前面はなだらかでどこまでも広大海が開けている。
それはまるで、このローレシアという国の気質を表すかのような光景である。
そんなことを、ぼんやりと思いながら、ようやく訪れた静かな時間に
身を任せていた。
「アレフ・・・?」
そんな彼に、慈しみに満ちた声で、話しかける声があった。
アレフは、その声に振り返ると優しく微笑んだ。
他の誰にも見せない優しい笑顔。
アレフには沢山の顔がある。
ただの一冒険者だった頃の顔、
竜王と戦った勇者として、英雄としての顔、
そして新しいローレシアという土地の開拓者、今はその王としての顔・・・
どの瞬間もアレフは自他共に厳しい態度で挑み、
多くの偉業を為しえてきた。
だが、今はそんなことを忘れて笑っていた。
目の前にいるのが、アレフが唯一愛するローラ姫、その人だからだ。
ラダトーム城を2人で飛び出してから、
早もう幾十年もの年月が流れた。
アレフ自身は若い頃の激しい日々の反動か、
少し疲れた様子で、髪には白いものもまじっていた。
それなのにローラ姫の美しさは少しも変わらない。
3人もの子供を産み、育ててきて苦労もしただろうに
昔よりも美しいとすら思うのだ。
・・・少なくともアレフはそう思った。
「やあ、ローラ。珍しいですね。っと・・。
あ、いや。こんな所までやってくるなんて。」
アレフは少し口を噤んだ。
長年の癖で、アレフはローラ姫に対して敬語で喋ってしまう癖がある。
ローラはそれを嫌がるのだ。
いつまでもそんなだと他人行儀でしょう?と機嫌を悪くする。
ローレシア城の屋上からは、
前後に広がる壮大なパノラマを見渡すことが出来るが、
ローラがここまでやってくるのは珍しい。
「あら、そんな事ありませんわ。
私あなたがいないときには、いつもここに来ていたもの。」
そう言って、
少しローラは嫉ましそうにアレフの方を見つめた。
「俺がいないときに?どうして?」
「言いませんよ。
私はずっと、それを秘密にしているんだもの。」
ローラは少しいたずらっぽく、そう言った。
ここまで言っておいて秘密だなんて、
気になるではないか。
「ローラ・・・・それはないのでは?
そうだ、良い知らせがあるんだ。きっと君も喜ぶ。」
「良い・・知らせ?なんでしょう?」
「それはあなたがその秘密を話してからじゃないと
言えないな。」
「まぁ、いじわるなのね。」
少しローラは肩をすくめた。
だが本当は、秘密にするつもりなんてなかった。
それどころかアレフに聞いてもらうつもりで、ここに来たのだ。
子供たちもすっかり大きくなってしまった今だからこそ、
あの頃の・・・この場所に『ローレシア』という名すら無かった頃の事を・・・。
「アレフ、あなたはやっぱり英雄だわ。
立派な人だわ。誰よりも。
私はそれを誇りに思っている。」
ローラは急にアレフを褒め称え始めた。
その褒められっぷりに、少しアレフはこそばゆかった。
「ど、どうしたんだ?急に。」
だが、ローラの表情は必ずしも明るい顔ではない。
それが気にかかった。
「伝説の勇者の血を引くなんていう事、
最初は誰も信じなかったけれど、
今では誰も疑う事は無いわね。」
「・・・・・・・・。」
アレフがロトの血を引く勇者だという事。
今となっては誰もが知る事だ。
そのアレフが新たな国をいくつも建国した事で
人々のアレフを見る目は、もう揺るぐ事はないだろう。
だが、最初は「馬の骨が」といった視線を浴びせられる事も多かった。
きっと生粋の姫であったローラ姫には耐え難い事もあっただろう。
「ああ、ローラ・・・君には迷惑をかけた・・・。」
だがローラはふるふると首を横に振った。
「あなたと共に過ごすのであれば、
私にはどんな苦難も、泥水を漱ぐような生活も
苦ではないの。だって私が選んだ道だもの。」
それが嫌なら、ラダトームに残っていれば良かっただけの事。
そうすれば、平穏安泰な日々だっただろう。
だけど、その道を放棄したのはローラ自身だ。
アレフと共に歩む道を選んだ。
それに後悔等していない・・・が。
「だけど、まるで生き急ぐようなあなたは、
このローレシアと言う国が形になる前から、
次々に・・・次のことを考えて、落ち着くことが無かったわ。」
「・・・・・・・。」
「今なら分かるわよ。
新しくサマルトリアも建国するつもりだったって。
あそこも良い場所だものね。草花が美しくて、
またローレシアとは違う良い国よ。」
「まぁ、サマルトリアは俺よりは
アーサー王子が作ったようなものだがな。」
アーサーとは、アレフとローラの第二王子の名前だ。
有能なアーサーは、第一王子の即位よりも早く
新鋭国サマルトリアの王となった。
「いいえ、あなたがいなければ、為し得なかったことよ。」
ぴしゃりとローラは言い放った。
今度はアレフもそれが褒められてるとは感じなかった。
ローラが少し泣きそうな顔をしていたからだ。
「どうしたんだ・・・?ローラ・・・。」
「わ・・私・・・・私分かっているのよ。
あなたの偉業が素晴らしい事だって、
後世にまで語り継がれる事なんだって、分かっているわ。」
なのに、なのに・・・・と、とうとうローラは泣き出してしまった。
アレフは驚いて立ち上がった。
「ローラ・・!?」
「ずっと、あなたの後姿を見送る事しか出来なかったわ。
世界にはきっとどんな恐ろしい魔物がいるか分からない。
私は・・・あなたの無事をここから・・・・祈るしか出来なかった・・・。」
そして、顔を覆って泣き出してしまった。
この場所からは、はるか遠くまで見渡すことが出来る。
きっと、アレフがいつ帰ってくるのか、怪我などしていないか、
ここから心配しながらずっと祈るように待っていたのだろう。
「小さな心のローラを許して下さい。
私は・・・あなたに行って欲しくなかった。ずっと傍にいて欲しかった。
ラダトームを出た私には、あなたしか・・あなた一人しか頼る人がいない。
あなたに行って欲しくなかった。」
「・・・・!」
アレフは驚いていた。
長い間、彼女と過ごしてきたが、
いつもローラは笑顔で見送ってくれていたのだ。
その笑顔の奥でこんなに不安に思っていたのだ。
その思いを、もう何年も何年も言えなかったのだろう。
アレフは咽び泣くローラの肩を抱いた。
この華奢な彼女に、こんな不安な思いをさせて申し訳なかったと思う。
「そんなに不安にさせていたなんて思わなかった。本当にすまない。
だが・・・聞いてくれ、ローラ。」
アレフはそのままローラに語りかけた。
「俺は何も英雄になりたいわけじゃない。
後世に残る偉業を残したいわけじゃない。」
「なら、どうして・・・?」
「俺には、身寄りがいない。
親も・・・親戚も・・・同郷の仲間も・・・いない。」
それは・・・今更言われないでもローラも知っている。
「もし・・・だ、こんな事はまだまだ何十年も先の事だろうが・・・
万一、俺に何かあったとき、残された君を守れるだけの
家族や国を作りたかった。
君に寂しい思いをさせたくなかった。
ローラの名前を冠したこの国が未来永劫君を守っていく。」
「そ、そんな先のことを考えて・・?」
アレフは一つ頷いてから、
今度は少しだけ首を傾げた。
「あとはこれは俺の・・わがままかもしれないが・・・
ロトの血を引く勇者が一人と言う事、
頼れる仲間がいない事は、少し不安があったんだよ。」
アレフが少し寂しそうに笑った。
こんな消えそうな表情のアレフは初めて見た。
「アレフ・・・?」
「何年か・・何百年か先、また悪しき影が世界を覆うかもしれない。
その時、たった一人で戦うのは・・・あまりにも辛いからな。」
だが、その「あまりにも辛い事」を成し遂げたのはアレフその人だ。
その彼が、はるか将来の子孫たちの事を見通しての行動だったのだと思うと
ローラは自分の心の狭さが恥ずかしい思いだった。
「そうそう、だからロトの装備も俺は分散させたほうが良いと思ってな。
一国に集中していると危険も大きい。
また各国をめぐる事も新しい勇者には必要な事だろう。
盾をサマルトリアに、鎧をムーンブルクに、そして剣は・・・。」
聞けば聞くほど、アレフが色々な事を考えてたのだと気づく。
「剣は・・・?」
「ああ、剣は竜王の城に。」
「え・・・ええっ・・・!?アレフ何を言っているの!?
あんな危険なところに・・・!!」
竜王と聞くと、ローラは卒倒しそうになった。
竜王とは、血を血で洗うような決戦を繰り広げた宿敵ではないか。
「ああ、大丈夫。もうあそこに『危険な存在』はいなかったから。
きっと未来の勇者たちも、訪れるだろう。」
少し含みを持たせたような言い方だな・・・と
ローラは不思議に思った。
が、それが具体的に何なのか指摘もできないままに
次の話題に驚いた。
「そして兜がラダトームだ。」
「ラダトーム・・・!?」
ローラはラダトームを飛び出してから、そこへは一度も戻っていない。
「ああ、なにやらロトの装備を祭るなら、
城より、聖なる祠がどうのこうのと王が仰っていたが、
まぁそこは任せてきた。」
今さらりと話題に出たが、
王とは、ローラの父、ラダトーム王ラルス16世のことだろう。
ローラがラダトームの事を忘れた事など、勿論ない。
が、国を捨てた身である自分に、再びあの国を訪れる事は無いのだと思っていた。
アレフが訪国したのであれば、
どんな様子だったのか、聞きたい。
「ラダトームの皆は元気だった・・・?」
「ああ・・・いや・・・・ラルス16世も年を召されて
今では寝たり起きたりと言ったご様子だった。」
「そ・・・そんな・・・。」
だが、それも残酷な時の流れと言うものだろう。
あれから何十年も経っているのだ。
「でもローラ、ラダトームの皆君の事を心配していたよ。
出来る事なら顔を見たいと言っていた。」
そう言ってもらえるのはありがたい。
だが、国を捨てて何十年・・・どんな顔して今更故郷へ出向けると言うのだろうか。
「そこで、良い知らせなんだ。」
「えっ・・?」
唐突なアレフの言葉にローラが驚いた。
そう言えばさっき、良い知らせがどうのこうのと言っていた。
すっかり話が逸れていたが。
「ロトの3国、そして君の故郷であるラダトーム・・・。
この4国の未来永劫の絆を誓うために、
何年かに一度、皆でラダトームに集まろうという計画があるんだ。」
「集まる・・?」
「名づけて、『ロト祭』と言うのはどうだろうか?ローラ。」
子供のような笑顔でアレフがそう言った。
「ローラ、素直になれよ。
本当はラダトームの事、気になっているんだろう?
父王にも会いたいだろう?」
「でも・・でも・・・。」
「でも・・じゃないな。
ローラは、ローレシア国王妃なんだから、行ってもらう。
俺と共に。これは王である俺の命令だ。」
今度はローラの心の奥底を見透かすような笑顔で言った。
「一緒に・・・?私も?」
長旅にアレフがローラを連れて行くことはなかった。
いつもローラは、ローレシアで留守番していたのだ。
「ああ。そうだ。ローラも一緒だ。
もう・・もう、全て終わった。
俺一人であちこち飛び回る必要もなくなった。
長い間、不安にさせて悪かったな。
これからは、ずっと一緒だよ。ローラ。」
だが、アレフは、これからはいつも一緒だと言う。
偉大な英雄の胸に抱かれて、
ローラはようやく安堵の涙を浮かべた。
- 終 -
2013/08/06
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