はじまりと終わりの、終わらない話


ムーンブルクには魔法王国としての長い長い歴史がある。
ロト三国の同盟国に名を連ねているが、ローレシア、サマルトリアの二国とは違って、勇者アレフ、さらには勇者ロトの時代よりも古い歴史を持つ国だと言われている。

その長い歴史の蓄積も、大神官ハーゴンによるムーンブルク襲撃によって、一度はすべてが失われてしまった。

しかしハーゴン討伐後、マリアは少しずつムーンブルクを復興させていった。
その復興作業の中で、
思いがけず過去の遺構を見つけることもあった。




その日、マリアは書庫の奥、まだ整理の終わっていない一角にいた。

崩れた石壁の隙間から発掘された古い巻物や書物を、少しずつ読み解いていく作業を続けていた。
ほとんどは損傷が激しく、文字が読み取れないものも多かったが、たまに、奇跡のように状態の良いものが見つかることがあった。

こんなことがなければ、いつの時代のものかも分からないものをわざわざ読み解こうなど思わなかったかもしれない。
実際、もう何十年、下手をすれば何百年も前に残された遺構などは、今まで特に見向きもされなかったものだ。
だが、この機会を逃したら廃棄されていただろうそれらは、紛れもなくムーンブルクの歴史そのものである。マリアは捨てるのを忍びなく 感じて、できるかぎりの調査を試みていた。

その日手にした調査書も、そんな遺構のひとつについて記されたものだった。
ぼろぼろになった古い記録を、調査員がなんとか読み取り、転記したものだ。

前後の記録は崩れ落ちていて読めなかったらしい。
けれど、そこだけはまるで誰かが特別な加護をかけたかのように残っていたのだと、報告を受けていた。

何気なくマリアはその調査書に目を通した。
だが、表題を見たときマリアの手が止まった。

——時をかける勇者たちの話。

そう書き出されていた。
最初は意味が分からず、古い伝承か、吟遊詩人が作った物語だろうと思っていた。

けれど、読めば読むほど、既視感があった。

二人の若者が、はるか未来からこの世界へやってくる。
ロトの剣を求めて、名も知らぬ勇者の一行に接触する。二組の勇者たちが繰り広げる、夢のような大冒険。
しかし、そこにはただ見守ることしかできない日々があった。

そして、一人が眠ったまま目を覚まさなくなる場面。

マリアの息が止まった。

これは、知っている話だ。

アレンとカインから、何度も聞かされた話だった。
アレンが慌てふためいて、医者を呼び手を尽くしても、それでもカインは目を覚まさなかったという。

その先を読み進める手が、震えた。

「これって……」

思わず、声が漏れた。

そして、ようやく気づいた。

この記録を書いたのは――当時のムーンブルクの王女。

確か、リンダという名前だった。
アレンがそう言っていたのを、マリアは思い出した。

カインとアレンが出会った、その魔法国の王女は、マリアの遠い先祖にあたる。

自分たちの旅の記録を、リンダは書き残していたのだ。何百年も前に、この世界の片隅で。

そして、最後の一文。

——風のように消えてしまった友人たちに、いつかまた会えたら。

その、短い一文。
マリアは、しばらくその文字から目を離せなかった。



友人。


リンダが、そう書いていたその言葉。


カインとアレンの話の中では、いつも「あのムーンブルクの王女様」として語られていた人だった。
魔法に長け、気位が高く、けれど時々子供っぽい一面もある、とそんな風に語っていた。

友人と呼べるほどの間柄になっていたとは、初めて知った。


——風のように消えてしまった友人たち。


その言葉の奥に、どんな気持ちが隠されていたのだろう。
何故リンダはこのことを書き残していたのだろうか?


マリアは調査書を静かに閉じた。指先が、まだ少し震えている。
その調査書を大切に抱えて、書庫を後にした。

このことを、まずはカインに話してみようと思った。


+++


執務室に戻ると、カインは書類に目を通していたがマリアの足音に気づいて、顔を上げた。

「マリア。どうしたの、そんなに急いで」
「カイン、これを、見てほしいの」

マリアは調査書を差し出した。
カインは怪訝そうな顔をしながらも、それを受け取った。

「調査書? 
 ああ、何かあったの、遺跡で」
「読んで」

説明するより、見た方が早い。
急かすように言われて、カインは表紙をめくった。

——時をかける勇者たちの話。

その表題を見た瞬間、カインの手が止まった。

「……何これ。」

ページをめくる指の動きが、少しずつ速くなっていった。目が文字を追うにつれ、その表情が変わっていくのが分かった。

「……ええ? これって、もしかして」

小さく呟いた。

「王者の剣を、借りようとして」
「ええ」
「でも、借りられなくて」
「ええ」

「で、五日間、眠ったまま……って」

カインの声が、かすかに揺れた。

「これ、もしかして、僕とアレンのことかな」
「もしかしなくてもそうだと思う!」

マリアは大きく頷いた。
これで、彼らの話じゃなかったら、逆に何の偶然だ。

カインは最後のページまで目を通すと、しばらく黙ったまま、その文字を見つめていた。

「そしたら、リンダ様が、書いたんだ。
 僕たちのこと、こんな風に、書き残してくれてたんだ。」

その声には、驚きと、どこか懐かしむような響きが混じっていた。

「カイン」
「なに?」

「リンダ様って、どんな人だったの」

もうあの時の旅の話をすることもなくなって久しい。
これが最後の機会かもしれない、とマリアは尋ねた。

カインは少し考えるように視線を上げた。

「そうだね……。誇り高くて、負けず嫌いで、やっぱり魔法の天才で。
 でも、本当は寂しがりやだったと思う」
「寂しがりや…?」

「うん。天才だったから、周りに話が合う人があんまりいなかったみたいで」

カインはそう言いながら、調査書の最後の一文に、もう一度目を落とした。

「いつかまた会えたらって書いてある……。
 そっか。」

その呟きに、マリアの胸の奥が、また静かに疼いた。

「私も」

思わず、口からこぼれた。

「私も、会ってみたい。リンダ様に」

言ってから、マリアは少し驚いたように自分の口元に手を当てた。それでも、その言葉を取り消す気にはなれなかった。
カインは、そんなマリアを見て、優しく微笑んだ。

「会えたら、いいね」

その言葉はどこか少し遠く聞こえた。
いくら熱望したところで、自分たちにはリンダの世界に行く術などないのだから。

その日の夜、マリアは調査書を枕元に置いたまま、眠りについた。


+++

夢というものは、いつもふわふわと曖昧なものなのだが、その日の夢は、夢にしては妙に冴えたものだった。

「やっと呼んでくれたわね!」

寝台で眠っていたマリアの前に、一人の少女が立っている。
見知らぬ少女だ。
金色の長髪が美しくなびいている。年のころはマリアよりずっと若いだろう。
けれど、その立ち姿には年齢に似合わない威厳があった。

「え…、あなたは……?」
「あなたが私を呼んだんでしょう? 知らないなんて言わせないけど?」
「ここ、夢ですよね?」
「ええ、それはそう。」

本当に、夢にリンダが出てきたのだ…。

ドキドキした。
眠る前にカインと話をしていた、まさにその人が目の前にいる。

「リンダ…さま?」
「あ、名前も知ってるのね。カインから聞いた?」

こくりとマリアは頷いた。
そして、この機会を逃すまいと、なぜか必死になって今日見たことを話そうとした。

「ちょ、調査書を見たのです。」
「調査書?なんの?」

あ、違う。
調査書は、リンダ様が遺した記録を、遺跡から写し取ったものだ。

「あなたが書き残してくれた記録を、今日、私も見たのです。
 カインと、アレンの旅の記録を。」
「えっ?」

リンダは少し驚いたように目を見開いた。それから、どこか気恥ずかしそうに視線をそらした。

「あんな巻物に書き残したのが残ってたの?」
「読みました。全部」
「……そう」

リンダは何も言わず、ただマリアを見つめていた。値踏みするような、それでいてどこか懐かしむような視線だった。

「あなた、名前はなんだっけ?」
「マリアです」
「マリア。ふうん」

繰り返すように、リンダはその名を呟いた。

「幸せそうな顔、してるわね」
「え……」

「カインの傍にいて、幸せなんでしょう」

言い当てられて、マリアは思わず頷いた。

「はい。とても」
「そう。良かったわね…」

リンダの表情が、ふっと緩んだ。

「あの子たち、ちゃんと帰れたのね。元気にしてる?
 ずっと、気になってた」

まるでほんの二、三日前のことだったかのように言った。
その声には、何百年という時を挟んでもなお消えない、確かな想いがあった。

友人だと書いてあった。
リンダは、カインのことを友人だと思っているのだ。
それだけの仲になれたのなら、きっと自分以上に、カインやアレンに会いたかったのだろう。

でも、

「私も、会ってみたかったんです。あなたに」

マリアの言葉にリンダは驚いた表情をした。

「分かった。会いましょう。」
「本当ですか?」

その問いにリンダは頷いた。

「久しぶりに、カインの顔も見たいもの。」



+++


目が覚めると、朝の光が差し込んでいた。

いつもの光景が目の前に広がっている。

まるでさっきまで本当にリンダと会って話しているかのような感じがしたけれど、ああ、やっぱりあれは夢だった、とマリアは思った。

けれど、その声も、表情も、あまりにも鮮明に残っていた。
あれが本当にただの夢だったとは、とても思えなかった。

朝の身支度を整えながら、マリアは少し落ち着かなかった。


——分かった。会いましょう。


そう言ってくれたあの言葉は、本当だったのだろうか。
それとも、自分にとっての都合の良い夢を見ただけだったのだろうか。


答えが出ないまま、マリアは庭に出た。
花壇の花々の様子を見るのが、朝の日課になっていた。葉に触れ、水の具合を確かめる。いつもと変わらない、静かな時間だった。

はずだった。

不意に、空気が変わった。


肌がぴりっとするような、覚えのある気配。マリアは反射的に顔を上げた。
途方もない魔力を感じた。

方角はあの毒の沼地のあたりだ。

ひょっとして、リンダ様があの旅の扉を通って……?

などと考えるよりも早く、
次の瞬間には目の前に、光が集まり始めていた。

光が収まると、そこに一人の少女が立っていた。

夢で見たままの姿だった。金色の長髪、値踏みするような鋭い目。けれど、その顔立ちには、確かにマリア自身と重なるものがあった。

「あ……」

言葉にならなかった。



「誰だ!」


庭の警備をしていた兵士が、槍を構えて叫んだ。突然現れた見知らぬ人物に、警戒するのは当然だった。
リンダは慌てる様子もなく、兵士を一瞥した。

「何? 突然失礼ね。私は賊なんかじゃないわよ」

その物言いに、兵士がますます身構える。

「女王様お下がりください!怪しいものはすぐに捕らえます…!」

兵は当然の仕事をしているだけであろうが、マリアは急いで声を上げた。

「待って、大丈夫、私の……」

言いかけて、続きが出てこなかった。何と言えばいいのか、自分でもわからなかった。

「私の、知り合いなの」

そう絞り出すのが精一杯だった。

「お知り合い……ですか…?」

兵士は戸惑いながらも、マリアの言葉に槍を下げた。


「マリア」


リンダはそう言って、値踏みするようにマリアを見た。
当然だが、夢の中で交わした言葉よりも、ずっと生々しい実在感があった。

「リンダ様……本当に、来てくださったのですか。」

声が震えた。
話で聞いただけ、夢で会っただけの相手が、今、目の前で息をして、こちらを見ている。

「言ったでしょう。会いましょうって」

リンダは、少し得意げに笑った。


兵を下がらせて、カインを呼んできてもらうように頼んだ。
庭の異変を聞きつけて、カインがあわてたように駆けつけてきた。

「マリア、何かあっ……」

言いかけて、その場に立ち尽くした。

「え……?」

目の前の人物が信じられないというように唖然としている。

「久しぶりね、カイン。
 どうしたの?その鳩が豆鉄砲食らったような顔。私のこと忘れちゃった?」

リンダはにっと笑った。

「リ、リンダ様……ですか?」
「そう!突然やってきて迷惑だった?」

リンダがそう問いかけると、カインは首を横に振った。

「そんなことない。会えて嬉しいです。」

カインはそう言って、まっすぐに笑った。
二人の関係はまだマリアにはよく分からないけど、それでも二人は本当に顔見知りなのだなと思い知らされた。

それにカインの表情を見ると、会いに来てくれたことが本当に嬉しいのだろうと分かる。
最初は驚いていたが、今は手なんか取ったりして。

カインと会えてリンダの表情がわずかに緩んだ。けれど、彼女はすぐに取り繕うように顔をそむける。

「べ、別に。ちょっと、様子を見に来ただけよ。暇だったし。
 それより、元気そうね。別れた時しんどそうだったから、どうしてるのか心配してたのよ。」
「あ、ありがとうございます。
 もうすっかり元気ですよ。」

カインがそう言って笑ってみせた。リンダの視線はまだカインの顔から離れなかった。


マリアはその二人のやり取りを、少し離れた場所から見ていた。
会えて嬉しいはずだった。
夢で語り合ったことが本物だったと、証明されたのだから。
相手はムーンブルクのかつての王族だ。
聞いてみたい話もいっぱいあったはずだ。


なのに、胸の奥に、小さな棘が刺さったような感覚があった。

「それにしても随分城門の雰囲気が違うわね。」

何百年も経てばそれは雰囲気くらい変わるだろうと思われたが、リンダにはそれ以上に思うところがあるようだ。

「ムーンブルクが一度滅んだっていうの、本当なのね?」

「は、はい」

正直に答えるべきだと思った。誤魔化しても、リンダはきっと見抜いてしまう。

「大神官ハーゴンによって、一度、ムーンブルクは滅ぼされました」

リンダの顔が強張ったように思える。

カインはリンダが未来を予知できると知っていた。
以前出会ったときも、ムーンブルクが滅びる未来をリンダがあれほど恐れていたのを知っている。

大丈夫だと分かってもらいたい。

「ですが、大丈夫です。
 ムーンブルクは復興して、立ち上がりましたから。」

マリアの言葉は力強いものだった。

「なら、見せて」
「え?」

「今の、ムーンブルクを。この目で、確かめたいの」

有無を言わさない口調だった。けれど、その奥に、確かな緊張が滲んでいるのが分かった。
予知した未来が、本当にどうなったのか、滅んでしまったムーンブルクはどうなったのか
——それを確かめるのは、リンダにとって、決して軽いことではないはずだった。

「案内、してくれる?」
「もちろんです」

マリアが頷くと、リンダは少しほっとしたような、それでいてまだ硬さの残る表情で歩き出した。

城門から続く城の廊下を歩きながら、リンダはあちこちに視線を巡らせていた。
最初こそゆっくりとした足取りだったが、進むにつれて、その表情が少しずつ強張っていくのが分かった。

「全然違うわね。」
「え……」
「私が知ってる城と、造りも配置も、何もかも違うわ。」

リンダの声が、わずかに低くなった。

「……本当に、何もかも。一度滅んだのね」

その呟きには、覚悟していたはずの現実を、改めて突きつけられたような重さがあった。
マリアにとっても、守るべきムーンブルクを守れなかった重みを思い出させるものだった。

「リンダ様……」

カインが気遣うように声をかけた。リンダは首を振って、それを遮った。

「大丈夫。あなたから聞いて、分かってたことだもの」

そう言いながらも、視線はまだ落ち着かなく壁や柱を辿っていた。
自分の知っているはずの場所に、全く知らない城が建っている。そんな感覚だ。

玄関ホールに差し掛かったところで、リンダの足がふと止まった。花壇に咲いた花に、目を留めていた。

「でも、あなたが綺麗にしているのは伝わってくるわ。それに、このルーンヴィオラは、今も変わらないのね。」
「この花、そんな昔から咲いてたのですか?」

ルーンヴィオラは、一時マリアが失われた花があると寂しそうにしていた花だ。
カインがクナとなんとか一輪見つけて、今は少しその数も増えてきた貴重な花だった。

マリアが尋ねると、リンダは少し驚いたように瞬きをした。

「ええ。ムーンブルクの王家に伝わる花よ。
 なかなかうまく育てられないと言われていたけど、ちゃんと残ってるじゃない。」

そう言ってから、リンダは花壇の前に座って花を愛でている。

「はい、大切に、育てています」

マリアがそう答えると、リンダの表情が、ふっと和らいだ。

「そう。良かった」

リンダはそう呟くと、それ以上何も言わずに、また歩き出した。
短い言葉だったが、そこには、造りの違う城を見た時とはまた違う、静かな安堵を感じていたようだ。

廊下を歩いていると、リンダはふと足を止めた。

「そういえば」
「なんですか?」
「あの、戦士さんは? ほら、どこの出身って言ってたっけ?
 少し騒々しくてお節介な」

急にリンダは周りをきょろきょろして誰かを探し始めた。

「アレンのことですか?」

カインがすぐに察して答えた。
ああ、どこの誰の話かと思ったが、騒々しくてお節介な戦士と言えば確かにアレンのことだろう。

「今はローレシアにいます。会いますか?」
「別に、会いたいってわけじゃないけど」

そう言いながらも、視線は落ち着かなく揺れていた。
せっかく時をかけて会いに来てくれたのだ。
こんな機会、滅多にない。

「アレンも忙しくしてるかもしれないけど、
 呼べば、来ると思います。呼びましょうか。」

カインがそう言うと、マリアが少し驚いたようにカインを見た。

「呼ぶって……アレンを?」
「うん。多分、僕が呼んだら来てくれると思う。伝書鳩飛ばしてさ。」

その言葉に、マリアの胸の奥で、また小さな棘がちくりと疼いた。

カインはそう言って、伝令の兵士を呼び寄せた。
手短に事情を手紙にしたためると、兵士は頷いて城の伝書鳩舎へと向かっていった。

「本当に、あの人来るの? この国にいないんでしょ?」
「うん、アレンはローレシアの王様だよ。」
「それが、信じらんない。」
「アレンはああ見えて立派な……ローレシアの英雄王と言われてるんだよ。」
「ええー。何それ。」

リンダが少し驚いた様子だ。

「でもアレン忙しいし、気まぐれだから、来なかったらごめんなさい。」

そう言ってカインは少し笑った。
でも、きっと来るだろうなとマリアは思った。
カインが呼んで、アレンが来ないなんてことは今まで一度もなかったからだ。


+++



半日とか言っていたが、アレンが到着したのは、それより早かった。
廊下を歩ききってムーンブルク城巡りもそろそろ終わりかという頃だった。

キメラの翼の光と共に中庭に降り立ったアレンは、カインを見つけると開口一番に言った。

「カインじゃねえか!ちょうどいいところに。
 お前急用とか言って手紙寄こしたりして、どうした、何があった?」
「ああ、ごめん、アレン急に。
 来てくれてありがとう。実は……」

説明しかけたカインの後ろから、リンダが顔を覗かせた。

「あら、久しぶりね」

アレンはその姿を見て、一瞬固まった。
なんでこんなところにいるのかと。

「……は? え、リンダ!?」
「そんなに驚く? 私が来ちゃいけない理由でもあるのかしら」
「いや、理由とかじゃなくてよ。
 こんなところに来るとか思わないじゃないか。」

アレンは頭をかきながら、リンダとカインとマリアの顔を順に見た。
まだ状況を飲み込めていないようだったが、目の前の光景が普通ではないことだけは理解しているらしい。

「戦士さんも、元気そうじゃない?」
「戦士さんて。俺のことそんな風に呼ぶのはあんたくらいだ。
 俺には名前があんだ、アレンだ」
「知ってるわよ。呼んでみただけ」

そう言って、リンダはくすりと笑った。
英雄王だと聞いても、アレンが何者であってもその態度は変わらないようだ。
以前出会ったときと同じ笑い方だった。

「それで、何をしにきたんだ? 目的は?」
「目的? そうね、ムーンブルクの視察と……、私に会いたがってた子孫に会ってみることと、
 それから……」

リンダはふいに視線をカインに向けた。

「ねえ、カイン」
「なんでしょう?」

「もし今、私があなたを連れて帰るって言ったら、どうする?」

唐突な問いに、その場の空気が止まった。

「え……」
「は?」

カインが戸惑ったように答えに詰まる。アレンも唖然としている。
マリアの方が慌てて、急きこむように問いかけた。

「リンダ様、何を仰ってるんですか!?」
「冗談よ。冗談だけど」

リンダは肩をすくめながらも、視線はまだカインから離れなかった。

「でも半分は、本気。
 だって、待ってたって、全然会えないんだもの。私」
「リンダ様」

マリアは、カインがリンダのことを寂しがりやだと言っていたことを思い出す。
あちらの世界にリンダの理解者はいないのだろうか?

「だって、私が起こしてあげなかったら、あなた、あのままだったかもしれないでしょう。
 この世界にカインは帰ってこれなかったかもしれないわ。」
「それは……」

それは確かに事実だった。

カインが帰ってこられたのは、おそらく本当にリンダのおかげだ。

けれど――

その言葉だけは、聞き流せなかった。
そんな風に言われたらカインは何も言い返せないだろう。

「あん時は、俺もマジで焦ったな…」

アレンが当時の事を思い出しているようだ。

あの時、勇者アレル一行との対峙のあとカインは実際五日間眠ったまま目を覚まさなかったという。
アレンが手を尽くしても目を覚まさず、あのままだと体力だけが削られてどうなっていたか分からない……のは確かだ。
それを終わらせてくれたのが、リンダの目覚めの魔法だった。

それは、確かにそうなのだが。
胸の奥にあった小さな棘が、今度ははっきりとした形を持って疼いた。

「リンダ様」

静かに、マリアが口を開いた。

「なあに」
「あなたが、カインの恩人だということは、分かっています。感謝もしています」
「ええ。それで? 
 何か言いたいことがありそうね。」

リンダが先を促すように片眉を上げた。

「でも、カインは今、私の傍にいます。これからも、そうです」

その声は、いつものマリアの穏やかな話し方とは、少し違っていた。
リンダはその変化を面白がるように、目を細めた。

「ふうん。じゃあ、聞くけど」
「なに?」
「あなたに、それだけの力がある?  私の大事なムーンブルクを、この人を、本当に守れるだけの力が」

言葉の端に、挑発の色が滲んでいた。
だがその奥に、マリアはふと気づいた。それは単なる挑発ではなく、あの城を歩きながら見せていた不安の続きだった。

「リンダ様やめてください。
 マリアも、そんなこと、本気にしないでよ。」
「私は本気なんだけどな。」

リンダは一歩も引こうとしない。

「お、なんだ? お前ら喧嘩でもしてんのか?」

アレンは突然の展開で事の次第を把握できてないようだ。

「カインが言ってたわよ。あなたも魔法の天才なんですって?
 やってみましょうよ。」

そう言って、リンダは魔力を解放した。

空気が、一瞬震えた。
本人は、まるで何でもないことのように魔力を解放している。
けれど、その場にいる三人には分かった。

――桁外れだ。

周囲の空気が、魔力の圧に押されて揺れている。

「待って! マリアと戦うって言うなら、僕が相手になる。」

カインが二人の間に割って入ろうとした。

「うーん、せっかくだけど。あなたじゃ意味がないのよ」

リンダはにべもなく言った。

「私が確かめたいのは、あなたの強さじゃないもの。あなたの強さは大体知ってるわよ、見てたから。」

リンダは有無を言わさない口調だった。

「でも、マリアに手を出すなんて……」

カインはなおも何か言おうとしたが、マリアがその腕にそっと手を添えた。

「大丈夫よ、カイン。下がってて」
「マリア……でも」

心配そうな顔のカインを、マリアは軽く目で制した。
カインは渋々といった様子で、一歩下がった。


「見てなさいよ、アレン」

リンダがそう声をかけると、アレンは半分呆れたような、半分面白がるような顔で頷いた。

「おう。見てるよ。
 魔法使い同士で何を始めるんだか知らねえけど」

最初の一撃は、軽いものだった。
リンダが指先を軽く振ると、小さな光の塊がマリアに向かって飛んだ。試すような、様子見の一手。

「小さなイオの塊ね。」

マリアはそれを、最小限の動きで弾いた。

「ふうん」

リンダの目が細くなった。

「じゃあ、これは?」

リンダの作り上げた炎の塊がマリアを襲う。

「炎……これくらい、なんてことはないわっ!」

リンダの作り上げた炎と同じ威力の炎をマリアも作り上げた。
あれはきっとベギラマ級だろう。

マリアが本気で対峙しているのが分かる。
リンダのベギラマを、マリアも同じ威力で相殺した。

横で見守るカインは、心配そうに息をのんだ。
炎を前にしたときは、いつもならわずかに表情が強張るのだ。
それなのに、マリアが自ら望んでベギラマを唱えるなんて。

「マリア……!」

その声を聞いた瞬間、リンダの手が、ふいにカインの方へ向いた。
リンダの視線が、マリアではなくカインへ移っていた。

「……なるほど」

何かを確かめるように、リンダが呟く。

「じゃあ、これならどう?」
「え……」

カインが反応するより早く、次なる光の一撃がまっすぐ飛んできた。
加減のない、明らかなリンダの本気の一撃がカインを襲ったのだ。

「カイン!」

マリアは叫ぶのと同時に、体が動いていた。必死に腕を伸ばした。
考える間もなかった。

カインの前に、光の壁が立ち上がった。
マリアが作った今まで見せたことのない密度の結界だった。

リンダの放った一撃は、まっすぐにその壁へぶつかった。
轟音と共に光が弾け、壁の表面で四方に散っていく。

結界はその衝撃を受け止めきり、カインには指一本触れさせなかった。

土煙が収まると、カインは無傷のまま、呆然とその場に立っていた。

「マリア……。 ごめん、ありがとう……」

マリアは自分が作った結界を見つめ、その向こうに立つカインの姿を見た。
良かった。無事だ。
静寂の中、マリアの目つきが変わっていた。

「……今、本気で撃ちましたね」

声が低かった。今まで聞いたことのない響きだった。

「あら、気づいた?」

リンダは動じる様子もなく、口の端を上げた。

「本気じゃないと、あなたの本気も見えないでしょう?」
「そんなことは、カインに攻撃を向けていい理由には、なりません」

マリアの周りに、光の粒子が集まり始めていた。今までとは、明らかに違う密度の魔力だった。
カインはマリアが本気で怒っているのを感じた。

「マリア、僕ならなんともないから、やめて!」

今度はカインが声を上げて、マリアの前に出ようとした。
こんなの二人とも無事じゃすまないと思ったのだ。

だが、リンダの視線がそれを許さなかった。

「あなたは下がってなさいって、言ったでしょう」

言葉と共に、風圧のようなものがカインの足を止めた。
カインは奥歯を噛んで、その場に踏みとどまるしかなかった。

「マリア、落ち着いてよ!」
「私は落ち着いてます。」

短く、はっきりとそう言ったが、明らかにマリアの様子が普通じゃない。
止めないとと思ったが、アレンがカインの肩に手を置いた。

「無理だって、お前が入ったら余計ややこしくなる。」
「アレン、でも……。」

実際、最強の魔法使い二人を前にしたら、
アレンでさえできることがないようだ。

次の瞬間、マリアの放ったイオナズンがリンダの防御結界に直撃した。
轟音と共に、リンダの体が数歩後ろへよろめいたが、結界を破るには至らない。

「この程度じゃ、私に傷をつけるのは無理よ。」
「そうですか。では、これは?」

直後、マリアはさらに極大魔法を叩き込んだ。

「バギクロス!」

いまだリンダの結界の前でくすぶっていたイオナズンの魔力が、追撃してきたバギクロスの竜巻に乗って四方八方に暴発した。

「……やっ、……なにこれっ!?」

リンダが目を見開いた。防いだはずの一撃が、もはや完全には防ぎきれない威力に化けた。

「キャアア!!」

結界はついに破れて、リンダは爆風にその身を吹き飛ばされた。

「まだよ。」

マリアの声は、まだ静かなままだった。だが、その静けさは、先ほどまでとは質の違うものだった。

「マリア、それくらいで十分だろ。もう勝負はついた。頭冷やせ。
 リンダももうわかったろ。マリアが何を守ろうとしてるか、あんたなら分かるだろ。」

アレンがリンダの前に立ち、カインがリンダを案じて駆け寄っている。
その光景を見て、ようやくマリアの頭も少しずつ冷えていった。

「あ、リンダ様申し訳ありません……」

リンダはよろけた体勢を立て直しながら、しばらくマリアを見つめていた。
それから、ふっと笑った。

「……分かったわ。もう十分よ」

構えを解いて、両手を軽く上げた。

「降参。あなたの勝ち。
 なに今の、すごい迫力だったわ。」

マリアの周りの光が、ゆっくりと収まっていった。緊張が解けた瞬間、体から力が抜けそうになるのを、マリアは何とかこらえた。
あれだけの気合で魔法を連発するのはいつぶりだろうかと思った。

すぐにリンダの元へ駆け寄る。
カインがホイミをしているが、大きな怪我はないようで、ホッと安堵した。

「マリアこそ……大丈夫?」

カインが心配そうに顔を上げた。
ホイミを終えたばかりで、まだリンダの様子を気にしながらも、マリアの方へ視線を向けていた。

「私は、平気よ」

そう言いながらも、指先の震えはまだ収まっていなかった。
あれほどの魔法を、感情のままに連発したのは初めてだった。

「……本気で怒らせたら、あなたの魔法ってあんな威力になるのね。
 すごい魔力だったわ。」

リンダが、呟いた。傷はもう塞がっているようだったが、驚きの余韻はまだ顔に残っていた。

「申し訳ありませんでした、本気で撃って。」
「お互い様よ。」

アレンが呆れたように口を挟んだ。

「リンダも相当やばいことしてたろ。
 カイン攻撃したりさー」
「当たらないと思ったから、やったのよ」

リンダは平然と答えた。

「マリア、あなた言ってたでしょ。カインを守るって。
 だから、とっさにこの人を守ると、信じてたわ。」

その言葉に、カインとマリアは顔を見合わせた。

「ええっと、……試されてたのは、僕たち二人とも、ってことですか」

カインが呟いた。

「そういうこと」

リンダは体を起こしながら、マリアに向き直った。
まだどこか痛むのか、少し顔をしかめていたが、その目にはさっきまでの挑発の色はもうなかった。

「あなたなら大切なものを守れそう。本当に強かったわ。
 私が魔法勝負で負けるなんて初めてだもの。」
「……ありがとう、ございます……。」

マリアはまだ息を整えながら、そう答えた。
リンダの一言に、張り詰めていた空気が、ようやくほどけていった。


その張り詰めていた空気がほどけていくのを見て、
アレンは急に目を輝かせた。

「はー、すげえもん見た。なあ、こういうの見ると、俺も血が騒ぐなあ。」
「アレン?」

「よし、リンダ、次は俺とやろうぜ!」

唐突な申し出に、リンダは片眉を上げた。

「は? 私が?  あなたと?」
「おう。腕には自信あんだ。剣でも拳でも、何でも来い」
「戦士と殴り合う趣味はないわ」

リンダはにべもなく言い放った。

「あなたは魔法も使わない、私は剣を使わない。
 あなたと戦って、何が確かめられるって言うの」
「うっ……」

あっさりと切り捨てられて、アレンは分かりやすくしゅんとなった。
それでも諦めきれないのか、すぐに矛先を変えた。

「じゃあ、カイン。俺と!」
「え、僕?」

急な矛先にカインが一歩引いた。

「今の見て、俺も体動かしたくなったんだよ。
 な、久しぶりに」
「え、いやあ……。」

と言いながら、カインはアレンの背後へちらりと視線を向けた。

「アレン……あなたね」

振り返るまでもない、マリアのオーラを感じた。
マリアの声が、いつもより一段低い気がする。

「な、なんだよっ」
「カインと戦いたいなら、私を倒してからにして。
 いつもいつも、勝手にカインを連れて行かないで!」
「そ、そうだったな……」

アレンの勢いは急速にしぼんでいった。
先ほどのマリアの怒りを帯びた本気の魔法を、まだ目に焼き付けたばかりだった。

「今のお前には勝てる気がしねえなあ。」

すっかり大人しくなったアレンに、リンダが堪えきれずに噴き出した。

「あらあ、意外とアレンは素直ね」
「うるせえ!」
「まあまあ。」

カインが苦笑しながら間に入った。

「アレン。また、いつか機が熟したら、きっと」
「……おう。楽しみにしてる」

しょげていたアレンも、その一言で少し機嫌を直したようだった。





一通り話が済んだところで、リンダが軽く伸びをした。

「さて、そろそろ帰ろうかしら」
「え、もうですか?」

マリアが思わず声を上げた。
まだ聞きたいことも、話したいことも、たくさん残っている。
せっかく会えたのに、まだ何も話せていないような気がした。

「せっかくですし、お夕食でも、ご一緒しませんか?」
「夕食?」
「はい。せっかくアレンも来てくれましたし。」

マリアがそう言うと、リンダは少し意外そうな顔をした。

「あなたたちの世界の食事、興味はあるけど……いいの?急に押しかけて」
「もちろんですよ。皆、きっと喜びます。」

カインも横から頷いた。

「飯かあ……。
 って、そういえば、俺何しに呼ばれたんだっけ。リンダが来たとか呼び出されたけど。」
「あ……。」

アレンは今更のように首をひねった。
多忙な英雄王を呼びつけておいて、魔法勝負の観戦をさせただけだった。

しばらく考えていたが、ふと何かを思い出したように顔を上げた。

「じゃあ、俺はカインの飯が食いたい。」
「え」

唐突な結論に、カインが目を丸くした。

「いや、なんで。それ本来の用件じゃないでしょ」
「本来の用件って、だからなんだよ。もう忘れた。今は飯が一番大事だ」

「アレン、おもしろいこと言うわね」

リンダが笑いながら茶々を入れた。
アレンらしいというか、なんというか。

マリアは頭を抱えた。

「じゃあ決まりね。私も、あなたの作った料理、興味あるわ」
「え、ほんとに僕が作るの?」
「そう」
「僕が?」
「しつこいな、お前って言ってんだろ」

アレンがあっさりと言い切った。

「今日はカインの料理の気分だ」

そこまで言われてカインが苦笑した。

「分かったよ。じゃあ、少し待っててね。」
「未来の料理ってどんなものかしら?」

リンダが楽しそうに頷いた。

「期待しないでください。そんなに凝ったものは作れないです。」
「謙遜すんな。お前の飯、めちゃくちゃ美味いんだから。」

アレンが横から力強く言うと、カインは少し照れたように笑った。

賑やかな話し声が、庭から城の中へと移っていく。

+++

テーブルに並んだ料理を見て、リンダは目を丸くした。

「わあ、いい香り……」

中央に置かれたのは、彩りの良い野菜と薄切りにした肉を重ねた一皿だった。
その上から艶やかなソースがかけられていて、赤や緑の野菜が添えられている。
肉の焼き色が、食欲をそそる香ばしい匂いを漂わせていた。

その周りに、きのこと香草を練り込んだパンが、まだほんのりと湯気を立てている。
もう一品、根菜をじっくり煮込んだスープも添えられていた。

派手さはないが、丁寧に手をかけたことが一目でわかる盛り付けだった。

「これ、全部あなたが?」
「はい。急なことだったので、少し手伝ってもらいましたけど」

カインがそう答えた。
普段は料理をすることもなくなっていたので、厨房で料理長に食材を用意してもらったようだ。

「いただきます。」

リンダはスープを一口、口に運んだ。
次の瞬間、リンダの目が丸くなった。
やわらかい根菜の甘みと、じっくり煮込んだ出汁の香りが口の中に広がった。

「……美味しい〜」
「本当ですか?お口にあえばいいですが。」
「こんな味、はじめてだけど……美味しいわよ。」

そう言うと、次々と皿に手を伸ばした。
焼きたてのパンを口に運ぶと、また目を細めた。
肉料理に添えられたソースは、甘みと酸味が絶妙に絡み合い、初めての味わいだった。

ムーンブルクの王女にふさわしい行儀の良い所作の合間に、
時折こぼれる素直な感想が、年相応の顔を見せていた。

「な、言った通りだろ。カインの飯は最高なんだ」

アレンが自分のことのように得意げに言った。
妙に静かだと思ったら、既に肉を平らげて、スープを一気に半分ほど飲み干していた。

「あなたが自慢することじゃないでしょう?」

リンダが呆れたように返しながらも、また一口、スープを飲んだ。

「昔のムーンブルクにはこんな料理、なかったもの」
「そんなに違いますか」
「違うわよ。もっとなんて言うか……全然違って。」

うまく言葉にできないのか、リンダは首をひねりながら、また一口食べた。

「カインは、サマルトリアの王子だったもんなあ。
 そりゃあムーンブルクにはない味なんじゃね?」
「ああ、そんなことも言ってたわね。
 まあ、なんでもいいわ。美味しいものは、美味しいのよ」

その一言に、皆が笑った。

マリアは、リンダが心底楽しそうに食事をしている様子を横目に見て微笑んでいた。

アレンは何かといつもカインの料理をねだっているが、
カインが自分から料理をすることは、そう多くない。だからこそ、この味は特別だった。

いつもとは違う顔ぶれで、いつもとは違う料理を囲んでいる。
リンダの弾んだ声、アレンの遠慮のない食べっぷり、カインの少し照れたような横顔。

こんな夜が来るなんて、少し前までは想像もしていなかった。

マリアは、込み上げてくる温かいものを噛みしめながら、もう一口、料理を味わった。





食事が終わる頃には、外はすっかり夕闇に包まれていた。

「ごちそうさま。
 本当に美味しかったし、楽しかった。」

リンダは満足そうに手を合わせた。
一緒に食卓を囲んでいるうちに、マリアが抱いていた「気難しい王女」という印象も、いつの間にか薄れていた。
食事中は楽しそうにいろんな話をしてくれた。

「本当に、そろそろ帰らないと」

リンダが名残惜しそうに言った。

「リンダ様」

マリアは、椅子から立ち上がって、まっすぐにリンダを見た。

「今度は、私が……そちらの世界を、見てみたいです。
 リンダ様が守っているムーンブルクを。」

勇者ロトが守ったという世界を、マリアも一度で良いから見てみたいと思っていた。

「あら」
「勉強のためです。ムーンブルクの、本当の歴史を、この目で確かめておきたくて。
 私はまだまだ知らないことが多くって。」

そう言いながらも、目の輝きは隠しきれていなかった。

「勉強、ね」
「本当ですよ? おかしいですか?」
「別に、疑ってないわよ」

リンダはくすりと笑うと、少し考えるような顔をした。

「気軽に来てくれたらいいのよ。いつだって。」

ぼそっと呟くような言葉は、もしかしたらマリアにしか届かなかったかもしれない。

「いいわよ。今度は、私があなたを呼ぶわ。」
「本当ですか」
「ええ」

リンダは席を立って、マリアの前に立った。
夕暮れの光の中、数百年の時を隔てて、二人が静かに向かい合った。

「あなたが、ちゃんと願えばいいのよ」
「願えば?」

「そう。強く、心から。あなたが望むなら、道は、ちゃんとできる。
 今回だってそうだったでしょ?」

夢の中で交わした約束と、同じ形だった。今度はマリアが、その扉を望む番だった。

「なんでそれで行けるんだ? さっぱり分かんねえ。」
「それは私たちが天才だからじゃないかしら?」

魔法使い同士の話はさっぱり分からん、とアレンは匙を投げた。

「俺も行きてえ。」

アレンが横から口を挟むと、マリアが即座に切り捨てた。

「あなたは何しに行くのよ。ローレシアがあるでしょう。」
「えー」

「また急にいなくなったらクレハさんに心配かけちゃうよ? あそこ魔物すごい強いしさ。」

カインまでもがそう窘めると、アレンは分かりやすく肩を落とした。

「わーってるよ……」

その様子に、その場にいた皆が、思わず笑った。



+++



「じゃあ、また。」

リンダが去り際、もう一度カインとマリアの顔を見つめた。

「はい。リンダ様お気をつけて。」
「今度こそ、本当に、あなたの世界を見せてくださいね」

マリアがそう言うと、リンダは満足げに頷いた。

「ええ。あなたが願えば、きっとまた会えるわ。
 カインも一緒に来てね。約束よ。
 戦士さんも、来ても良いからね。」
「いい加減、そろそろ名前覚えてくれよ!」

アレンの嘆きを、リンダはくすくすと面白そうに笑った。
そのまま、リンダの身体に魔力が満ちていった。
一瞬の光と共に、その姿が消えた。静かになった庭に、夜風だけが残った。

「もういない……嵐みたいに、やんちゃな王女だったな。
 いつになったら俺の名前と国を覚えるんだ。」

アレンがぽつりと呟いた。

「そうだねえ。多分ローレシアにも行ってもらわないと覚えてもらえないんだよ。」

カインがくすくす笑って言った。

「先はなげえなあ。」
「でも、きっとまた会えるわ」

マリアは小さく笑った。
その声には、次の約束を待つ、静かな喜びだけが残っていた。





- 完 -


2026/08/16

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【後書き】
なんとなんと6年前に完結済みの「はじまりと終わりの話」 の番外編のリクエストを頂いた(!)ので、せっせと書いてみました。
書くのであれば、今度こそマリアとリンダを会わせてみたいと思ったのでやってみたのですが、何やらカインをめぐってドンパチ始 まって、相変わらずのうちの小説だなあって思いました(^^;
出番少な目でしたが、アレンは相変わらずアレンらしさ全開だし、久々のアレカイマリ、とっても楽しかったです。

リクエストありがとうございました〜!

ルーンヴィオラの話は、うちのオリジナルのお花の話です。こちらで書いてます〜。→「消えた記憶の花」




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