第三章の3

水のようにあったもの 3

城門では詳しい事情は話せなかったが、王子の姿がないこと。
そして、私たちの必死の形相を見れば、ただ事ではないことくらいは伝わったのだろう。

マカロンは私たちをすぐにサマルトリア陛下、王妃のもとへと案内してくれた。

「うむ、一体どうしたのだ。」

陛下もそれを感じ取ってくれたようで、挨拶もそこそこに、ガレットはすぐに本題に入った。

「ご無沙汰しております。唐突に申し訳ありません。大事なことをご相談したくやって来ました……」

心苦しく感じたが、私たちはあの時起きた出来事を、できる限り詳しく打ち明けた。

ファットバットという魔物を倒したこと。
その最期に、怒りや恨みが渦巻く呪いをクッキーが受けたこと。
呪いを受けたクッキーの皮膚が変色していき、体も動かなくなったこと。
そして――

おそらく、このままでは、命に関わるかもしれないこと。

私がそこまで話し終えると、それまで穏やかだった陛下の表情が険しくなった。

「なんということだ。それは普通の攻撃魔法ではないな…」

陛下は険しい表情で身を乗り出した。

「ええ。執着や恨み、強い負の力。
 命をむしばむ呪いの力と言えましょう……。
 それを打ち破るには…。」

王妃は心配そうに眉を顰めている。
しかし、王妃はすぐに一つの考えを提示してくれた。

「伝説に聞く、世界樹の葉であれば……ひょっとしたら……!」

それは初めて聞く名前だった。きっと王妃は聡明なお方なのだろう。
藁にもすがる思いだった私たちは、王妃の話に耳を傾けた。

「世界樹の葉……?」
「ええ。命の芽吹きをつかさどる世界樹。
 その葉には、あらゆる病や傷を癒やす力があると伝えられています」

あらゆる病や傷を。
それが本当なら、今のクッキーを救えるかもしれない。
なんて、奇跡のような伝承なのだろう。

私たちが探しているのは、その世界樹の葉という奇跡そのものだ。胸の奥に小さな光が灯った気がした。

「それは、いったいどこにあるのですか!?」

私たちには船がある。どれだけ遠い場所だって構わない。クッキーを助けるためなら、どこへだって行く覚悟はできていた。

しかし、王妃は陛下と顔を見合わせた。二人の表情が曇っていく。陛下は、ゆっくりと首を横に振った。

「世界樹はロンダルキア王国にだけ伝わる伝承だ。私たちもその場所は知らないのだ……。」
「ロンダル……キア……」

その言葉を聞いた瞬間、胸に灯りかけた小さな光が、すうっと消えていった。

ロンダルキア王家、もう何十年も前にハーゴンに滅ぼされてしまった国だ。王家が滅びると同時に世界樹も消滅してしまったのだろうか。

ロンダルキア王国の生き残りの人はいないのだろうか?
誰かロンダルキアについて知っている人はいないだろうか。

それは、まるで砂漠の真ん中で水を探すような話だった。
一体どこを探せばいいのか…。

「しかし、他にあてもない。
 情報を集めてみよう。」

陛下が言った言葉に私たちは頷いた。

探すしかない。
クッキーの命がかかっているのだから。

今までの旅で私たちはいくつもの町や国を訪れてきた。
そこで多くの人々と出会ってきた。
もしかしたら、その中にロンダルキア王国について知っている人がいるかもしれない。

たった一人でもいい。
何かを知っている人がいるのなら。
ルーラを使ってでも、船を使ってでも、あちこちを回って情報を集めよう。

「まずは、詳しい容態を診るために、使いを送りましょう。」

王妃が言った。

「息子はベラヌールでしたね?」
「はい。」

私は王妃の言葉に頷いた。

「回復魔法が効かないのであれば、どうにかできるとは思わないがな。
 まずは診てもらおう」

そういって陛下も同意した。
その表情には、王としての威厳よりも、一人の父親としての心配が浮かんでいた。

陛下も王妃も自分の息子を心配する優しいご両親のようだ。
遠く離れた場所で、自分の息子が死ぬかもしれない呪いに苦しんでいる。そんなことを聞かされたら、それは心配でたまらないだろう。

「ええ、お願いいたします。
 私たちは船でベラヌールへ戻ります。よろしければ、ご一緒に。」
「ありがとう。すぐに支度をさせます。」

そういうと、王妃はすぐに近衛の兵に使いを出した。
使者を立てるために、兵たちが慌ただしく動き始める。

用意をしている間に、マカロンとも話をしようと思った。この城に到着したときに、親切に陛下に取り次いでくれたのだ。そのお礼を伝えなければ。

「ああ、マカロンの部屋ならこっちだ。」

ガレットはこの城の勝手をある程度知っているらしく、私を案内してマカロンの部屋へ向かった。しかし護衛の兵に聞くと、中は不在なのだそうだ。

「マカロンさん、どこへ行ったのかしら?」
「さっきまで話を聞いていたようなんだがな……。途中で出て行ってしまったようだ。」

ガレットはぽつりと言った。
先ほどの王室でのマカロンの動向も追っていたようだ。

私たちの話を聞いてショックを受けてしまったのかもしれない。
お兄さんの命の危機だなんて聞いて、怖くなってしまったのだろう。無理からぬことだ。

マカロンに直接お礼を言えなかったことが少し心残りだったが、兵に伝言を頼むことにした。

「マカロンさんに、ありがとうと伝えてください。
 それから……私たちはベラヌールへ戻ると」
「承知しました」

兵が頭を下げる。
私たちもそれに応えると、サマルトリア城を後にすることにした。

陛下と王妃は最後に私たちを見送りにきてくれた。
陛下は最後にガレットと私の肩に手を乗せて言った。

「なぁに、きっと大丈夫だ。
 あいつはいつも散々心配をかけてけろっと元気になるんだ。」
「そう……ですね。俺もそう思います。」

ガレットは頷いた。

「あいつはいつも腹が痛いと散々泣きわめいてもう死ぬだのなんだの騒いで、翌日にはけろっとして城を走り回ったりするようなやつだ。」

小さい頃の話だろう。
しかし、陛下の目はどこか潤んでいた。

「息子のためにありがとう……。
 これほど心配してくれる仲間がいて、あの子は幸せものです」

王妃の目も赤く染まっていた。
もしかして、泣いていらっしゃったのかもしれない。

「オロオロしていてはだめですね。
 こんな時が来るかもしれないと覚悟をしていたつもりでしたが…。」

覚悟とは、このまま別れになるかもしれないというものだろうか。
何と声を掛ければいいのだろう。
私が迷っていると、ガレットがぶんぶんと首を横に振った。

「必ず世界樹の葉を見つけて、クッキーを元気にします。
 そしたら、ここに連れてきます。安心して待っていてください。」

ガレットはすっかり冷静さを取り戻しているようだ。
頼もしい言葉に私も覚悟を決めた。

「私たちが世界樹の葉を見つけてまいります。」

「息子のためにありがとう。
 私も昔な、魔物の毒を受けて、ローレシア王とムーンブルク王に助けてもらったことがあるのだ。その時を思い出す。きっと息子も大丈夫だ。」

ご自分を納得させるように言葉を振り絞っている様子だった。
私もガレットもその言葉に同意するように頷いた。



+++




ベラヌールへ着くと、私たちはサマルトリアから来た使者たちをクッキーが休んでいる宿へと案内した。

「神父様、その後クッキーはどうですか?
 サマルトリアから医師の方が来てくれました。」
「そうでしたか……。遠いところからご苦労様です。しかし……」

老神父は私たちを迎えると、その後のクッキーは一度も目覚めていないと教えてくれた。

その言葉に、胸が締めつけられる。
ベッドに横たわるクッキーの顔を覗き込む。
ベラヌールを出る前よりも、肌の色が明らかに悪くなっていた。

青黒い色が顔だけではなく、首元や腕にまで広がっている。

「クッキー様……!」

サマルトリアから遣わされた医師も、クッキーの姿を見て、想像以上の状況に絶句してしまったようだ。

「クッキー……」

私が名前を呼んでも、まぶたは動かない。
肩にそっと触れてみても、反応はなかった。

医師は何とか処置を施そうとするが、効果があるようにも思えなかった。
顔色を見て、脈を取り、呼吸を確かめる。

呼吸はしている。
けれど、それもどこか弱々しい。

医師は、呪いの痕を調べるために腕や首元にも触れていく。
持ってきた薬や道具を使い、できる限りの処置をしていく。
しかし薬を使っても、治療を施しても、症状が弱まる気配はまったくなかった。

「……これは」

医師の表情が曇った。

「どうですか…?」
「この呪いを癒すことは、私には難しいことのようです。」
「そう……ですか…。」

私は唇を噛んだ。
やはり、簡単な事ではなかった。

それでも、私たちにはまだ道が残されている。

「ガレット時間がないわ。
 クッキーのことは使者の方々にお任せして、私たちは情報を集めましょう。」
「ああ、そうだな。ロンダルキア王国のことを調べに行こう!」

ロンダルキア王国の世界樹の情報を集めなければならないのだ。

「えっ……?」

すぐにまた旅立とうとする私たちに驚いたように、老神父は立ち上がった。

「神父様、またしばらくの間、クッキーをお願いします!」
「あ、ええ……それは、ええ……」

なぜか少しだけ歯切れ悪く聞こえた。
けれど、その時の私は、それを気に留める余裕などなかった。

私たちは宿を後にした。

すると、ベラヌールの町の入口の方で思いがけず賑やかな声が聞こえてきた。

「ねえ、あなた!ご両親の生まれは?
 ロンダルキアじゃない?」

「あ、あなたは?
 せかいじゅの伝説って知らない?」

誰彼構わず、行きかう人々に次々に声を掛けているのだ。
声の主はまさかのマカロンだった。

「な! マカロン、お前何をしてるんだ……!」

ガレットが驚いたように駆け寄り、その腕を掴んだ。

「あっ、ええっと……散歩?」
「ほう、こんな遠い所まで来てか?
 よっぽど散歩が好きなようだな……。」
「えへへ。そうなんだー……」

胸倉を掴みかねない勢いのガレットからマカロンは目をそらした。
その目は真っ赤に染まっていた。

「ごめんなさい! 
 だって、お兄ちゃんが心配でいてもたってもいられなくて!」

マカロンは半泣きの様子で事情を話し始めた。
どうやら、彼女はサマルトリア城の王室の話を全部聞いていたようだった。
なんと大胆にも、私たちがベラヌールへ戻る船に、密航していたという。

「使者の人たちにも見つからないように、ずっと隠れてたの」

マカロンは涙を拭いながら続けた。

「さっき宿の窓からお兄ちゃんの顔見たよ。
 苦しそうだった……。」

そういうといよいよ涙腺が崩壊してしまったようだ。
どうやら、私たちが宿で医師の診察を受けている間も、隠れて様子を見ていたらしい。

「勝手なことしてごめんなさい。
 でも、兄妹がいないから、どれくらい心配か、ガレットには分かんないんだよ!」

泣きながらそう訴えるマカロンにガレットは手を離した。その顔には、まだ厳しい表情が残っている。けれど、言い返すことはしなかった。
家族を心配する気持ちは私にも理解できる。

「頭ごなしにごめんなさい。
 私たち、気持ちは一緒よね……。」

私はマカロンの方へ歩み寄った。
マカロンはうんと頷いた。

「今は、ロンダルキア王国の人を探すのが大事でしょ!?
 ロンダルキアの人ならもしかしたらせかいじゅの伝説を知ってるかもしれない!」

何も説明しなくても、事情を全て理解していたようだ。

「ええ、そうよ。
 それで私たちは今からルーラでロンダルキアのことを知る人を探しに行こうと思って……。」
「分かった! 私も連れて行って! きっと役に立つから!」

世界中のどこまでめぐることになるか分からない旅だ。
きっと危険が付きまとう。
サマルトリアの王女でもあるマカロンを連れまわすなんて、許されないことだと思った。

「お前は城へ帰っていろ。
 世界樹の葉は俺たちが見つけて、必ずクッキーを元気にする。
 そしたらちゃんとサマルトリアにも連れて行くから。」

そう言って、キメラの翼を手渡そうとした。
が、マカロンは受け取らない。

「帰らないよ!
 お兄ちゃんが死にそうになってるのに、帰れないよ!」
「お前、ちゃんと王の許可をもらってきているのか?」

ガレットがそう聞くとぐっとマカロンは言葉を詰まらせた。

「……パパがいいっていうわけないよ!」
「なら、ダメだ。」

ガレットはきっぱりと言った。

「お前分かっているのか、クッキーが倒れたんだぞ。
 お前まで何かがあったら、サマルトリアはどうするんだ。
 俺たちに、なんて報告をさせるつもりだ。」

ガレットの言う事はあまりにも厳しい現実だった。
だが、王族である私たちには逃れられない運命でもあった。

「大丈夫、報告なんてしなくていいよ。
 私、ちゃんと手紙を書き残してきた。
 サマルトリアに帰れなかったときの手紙。」

「マカロン……、お前!!」

「実際お兄ちゃん死にかけてるし。
 この旅が楽しい旅じゃないって分かってるつもり。」

マカロンの覚悟は本気のようだった。

「二人もお兄ちゃんも命を懸けて戦っている。
 それなのに私だけお城で安全に守られているの?」

「お前はまだ十三歳だろう。危険が過ぎる。」

ガレットはマカロンの年齢も良く知っているようだ。
私より二つ年下だ。
私が十三のときは、それこそ城でぬくぬく守られていた。

「何?私だけ後から生まれたからって理由で、戦えないっていうの?
 そんなのおかしいよね?」

マカロンはわなわなと震えて拳を握りしめた。その拳には、爪が食い込んでいた。

「私が戦わないといけないのは今なの!
 お兄ちゃんを助けないといけないの!
 ガレットが認めてくれないなら、もういいよ!
 私は一人でだってお兄ちゃんを助けるんだから!」

その言葉に、私は息を呑んだ。
マカロンの握りしめた拳からは、赤い雫がぽたりと落ちた。
彼女の覚悟は本物だ。
これだけの強い気持ちを持っている彼女を、私たちが無理やり止めることはできないと思った。

「マカロンさん、待って。一人でなんて、それこそ危険だわ。
 それにガレットも……。」
「プリンちゃん……?」
「彼女の人生だもの、そこまでの覚悟があるなら、
 私たちにマカロンさんを止める権利はないわ。」

そういって、私はマカロンの手を取った。小さな手であったが、剣術の稽古でできたのであろう豆がいくつも残っていた。きっと本当の旅の準備を重ねてきたのだろう。

マカロンはようやく顔をあげた。
驚いたように目を見開いたあと、その瞳にみるみる光が宿っていく。
泣き濡れた顔には、嬉しさと決意が入り混じっていた。

一方、ガレットは驚いたような顔をしていた。
おそらくまだ納得しかねているのだろう。けれど、彼の説得はあとでいい。

今は一刻を争う。

「今は時間がないわ。マカロンさん、一緒に世界樹の葉を探しましょう。」
「ほんとう…!? いいの? やったー!
 私絶対役に立つからね……!」

マカロンの顔がぱっと明るくなった。嬉しそうに飛び上がっている。さっきまで泣いていたとは思えないほどの笑顔だった。

「じゃあ、行こう。一緒に探そう!」

マカロンは大きな声ではしゃいだ。

「ロンダルキア王国と、せかいじゅの葉の伝説、探しにいこうー!!」

その声が宿まで響いたのか。
しばらくすると、老神父が慌てた様子で宿から出てきた。

「お静かに……!
 そんな大声で世界樹の話をしないでください!」
「え……?」

私たちは一斉に神父の方を振り向いた。
その慌てぶりに、私は思わず目を瞬いた。

「私からお話しできることがありますから。」

老神父が世界樹のことを知っているなんて。
なんて盲点だったのだろう。ルーラで世界中を飛び回る必要などなかったのだ。

老神父は私たちを再度宿に連れ戻して、秘密の話をするかのように世界樹の話をしてくれた。

訪れたこともあるペルポイの町から、さらに東に行ったところにある小島に世界樹の森と呼ばれる森があるそうだ。そこの奥地にはたった1枚だけ世界樹の葉と呼ばれる特別な葉があるという。

今まで世界のどこを探せばいいのか分からなかったのに、具体的な場所まで教えてもらえた。ペルポイならルーラで行ける!

世界樹の葉の効能はサマルトリアの王妃が言っていたように、万病を治しあらゆる癒しを得られるものだという。

老神父が世界樹のことを秘密にしていたのは、こんな奇跡のような存在が世間に知れわたってしまうと、混乱を招くに違いないからだそうだ。それはその通りだろう。

それにしても、ロンダルキア王家に伝わるという世界樹の伝説をこんなに詳しく知っているなんて、この人は一体……

と考えていると、マカロンが私の手を引いた。

「ありがとう、神父様! 皆、行こうよ!
 早く、世界樹の葉を探しに……!早くお兄ちゃんを助けてあげなきゃ!」
「え、ええ……。そうね」

そうだ、今は詮索よりも、世界樹の葉探索が何より肝要。
私たちは老神父に一礼をすると、さっそく世界樹の森へ向かった。


+++



ペルポイへ一度ルーラをすると、世界樹の森へは近かった。
世界中をかけずりまわる覚悟をしていたのに、老神父の一言のおかげで道が開けた。感謝しなければならないと思った。

島はさほど広く感じなかった。

「これくらいなら、それほど散策にも時間はかからないだろう。
 ただ、魔物はいるようだから、クッキーもいないし、二人とも気を付けてくれ。」
「ええ。」
「任せて!」

魔物がいると聞いていても、マカロンはひるむ様子もない。さすがクッキーの妹である。
道々に話を聞いてみると、クッキーを仲間にする前に、ガレットはマカロンと一緒に旅をしたことがあったんだそうだ。魔物との戦闘も経験済という事だ。

マカロンが稽古をしていたというのも本当だろう。
特に、私たちが使えないヒャダインの魔法を使ったときは驚いた。

「俺と別れてからも修行を続けていたようだな。
 すごい魔法だ。」
「えへへ。ガレットも私のこと認めてくれる気になった?
 私だって勇者の血を引いてるんだもん。これくらい訳ないよ!」

マカロンは自慢げだった。
クッキー不在でどうなることかと思ったが、マカロンのおかげもあって、戦闘も何とか切り抜けていた。

あとは世界樹の葉を探すだけだ。

「私こう見えて鼻が利くのよ。この島には九個のアイテムが眠っていることが感じられるわ。」
「ええ!? なにそれ、プリンさん、どういう特技?」

不思議がられてしまった。

「プリンちゃんは犬だったから鼻が利くんだ。」
「そう、だけど……。あなたねー、もう少し言い方というものがあるでしょう?」

ガレットにあけすけに言われたが、実際そうなのだ。
自分でも不思議だが、犬だったときの名残なのか、重要なアイテムがいくつあるのかがわかるようになったのだ。これがダンジョン探索では案外役に立っていた。
犬時代の名残だなんて、少し抵抗はある。けれど、旅に役立つのなら、使えるものは何でも使っていくつもりだった。

しかし、私のその特技をもってしても、世界樹の葉を見つけるのは至難の業だった。

森の隅から隅へと歩き、薬草や種などを見つけた。
中には貴重な武器も眠っていたが、今私たちが探しているのはそれではない。

既に、探索を始めて半日ほど経過した。
日も傾き始めてしまった。

いつもなら、一度町へ戻って態勢を整えなおすのがセオリーだ。
ガレットもどうしようかと悩んでいるようだ。
しかし、そんな時間の猶予などないだろう。クッキーは今も苦しんでいるのだ。

「そろそろお腹が空いてきたね。」

突然突拍子もない言葉が聞こえてきた。
マカロンが背負っていた荷物から何やら取り出した。

取り出したのは小さな鍋と干し肉と乾燥した野菜だ。

「……お前、いつの間にこんなものを。」
「へへ、旅の準備はしていたって言ったでしょう?
 こういうこともあるかなって思って。」

得意げに胸を張る彼女の手つきは驚くほど慣れていた。
野営なんてどこで経験したのかと思うが、手早く野菜と干し肉を鍋に入れ煮込むと、やがて鍋から湯気と一緒に香草のやわらかい匂いが立ち込めてきた。

「はい、どうぞ。熱いから気を付けてね。」

差し出された器はじんわりと温かい。
ひとくち含むと、野菜の甘味が体の芯まで染み入るようで、疲れも肩の力も解けるようだった。

こういう優しさがクッキーに似ているなと思った。
きっと彼女の資質もあるが、いつでも旅に合流できるように準備を重ねていたのだろう。

「うまい……。」
「でしょでしょ! おかわりもあるからね!」

マカロンは嬉しそうに笑った。
役に立てるのが嬉しいという様子だ。

「しかし、世界樹の葉はどこにあるんだ。
 これだけ探し回っても見つからないとは。」
「思えば、森の中から、特別な葉を一枚見つけろって。あまりにも難題ね…。」
「プリンちゃんの鼻も効かないのか。」
「ええ、もうアイテムは全部探し尽くしたようよ。」

このダンジョンにはアイテムの数はもうゼロのはずだ。
それなのに、世界樹の葉が見つからない。世界樹の葉はアイテムの類とは違うのか。

頭上を見上げると、空を覆いつくすほど木々が生い茂っている。
ここからたった一枚の葉を探すなんてどうすればいいのか。

「一枚ずつ調べてたら、何日かかるか分からんな。」
「でもやるしかないわ。」

ここまで来て諦めて帰るなんてできない事だった。
こうしている間にもクッキーは……。

「ねえ…、ねえねえ。」

マカロンがガレットの手を引いている。

「なんだ、おかわりなら要らんぞ。」
「それじゃなくて、あそこ見て。ガレット、あそこに木があるでしょ。」
「あそこも何も、そこかしこが木だらけじゃないか。」

マカロンがぶーっと唇を尖らせる。

「ちゃんと見て、あそこの木の葉っぱだけ光って見えない?」
「ひか…っ?」

マカロンの指差した先へ、私たちは一斉に目を向けた。
木陰で休んでいた私たちのすぐそばに、それはあった。
光っている葉というのは言い過ぎな気がするが、本当に、一枚だけ朝露を含むかのように淡く輝いている葉があったのだ。

「……本当だわ。」

他の葉と同じ緑のはずなのに、その葉の輝きは明らかに他とは違った。

「ね、ね!? これじゃない!? これだよね!!
 やっぱ私、探し物を見つける才能があるんだよ~。
 だって、いつもお兄ちゃんとかくれんぼしたら、絶対私が勝ってたもの。」

かくれんぼの話は微笑ましい話のはずだが、今は世界樹の葉を見つけられた高揚感でいっぱいだった。

「マカロン、お前すごいな。
 本当に探し物を見つける天才だ。」
「え? えへへー。私の特技かな、これって!」
「そうだな。」

ガレットが珍しく口元をほころばせている。

「どうした、プリンちゃん。顔が緩んでるぞ。」

どうやら私も似たようなものだったらしい。
だって、あれだけ探し求めた世界樹の葉を見つけられたのだから。

きっとこれでクッキーを助けられる!

もう一度、あの声が聞けるんだ。
胸の奥からこみ上げてくるものを抑えられなかった。

「……よかった」

気がつけば、そんな言葉が口からこぼれていた。

世界樹の葉の淡い光は、まるで私たちの前にようやく差し込んだ希望そのものに見えた。


+++


早急に私たちはルーラでベラヌールへと戻った。宿へと駆けこむと、ベッドを見守っていた老神父が立ちあがった。

「……戻ったか。」

老神父は私たちの姿を見やると、ほっと息をついた。

「神父様、無事に世界樹の葉を持ってくることができました。」
「良かった。さあ、お仲間の元へ。」
「ええ!」

クッキーの瞳は相変わらず固く閉ざされていた。

「クッキー!」
「お兄ちゃん! 世界樹の葉を持ってきたよ!」

声を掛けても、やはり目を開けることはなかった。一瞬、もう手遅れなのかと思ったが、小さな声をこぼした。

「う……」

生きている!
まだ間に合う。

「待ってて。お兄ちゃん。
 これが世界樹の葉だよ。」

そういってマカロンが強引に葉を口につっこみそうになっていたので、少し止めた。

「すりつぶしてお茶にしましょう。
 その方が飲みやすいはず。」
「分かったよ。」

世界樹の葉をすりつぶしたものを、水に溶いて少しずつ口に含ませる。
飲み込む力もほとんどないようだったが、数滴をごくりと飲み込んでくれた。

「やったー! 今、お兄ちゃん飲んだよね!」

マカロンは声をあげたが、私は息をするのさえ、忘れていたと思う。
やがて青黒く染まっていた彼の肌の色が、徐々に光を取り戻していく。
顔の色や、首、そして腕へと、まるで水がしみ込んでいくようにゆっくりと。

「ど、どう……?」

そう恐る恐る声を掛けると、ずっと固く目を閉ざしていたはずのクッキーが浅く目を見開いたのだ。あまりに驚いて私は声もあげられなかった。

「…………」

ぼんやりと天井を見つめて、それから視線がこちらに向いた。

「……あれ、プリンちゃん……?」

その声を聞いて、私は今までこらえていた感情が溢れてしまったかのように涙が溢れてきた。
いつもの声だった。
少しだけ眠たそうな、私の知っているクッキーの声だった。

「なんで、皆そんな顔、してるの? ぼく、どれくらい寝て……」

クッキーが言い終わらないうちに、小さな影が彼の胸に飛び込んだ。

「お兄ちゃああああん!!!」
「うわっ、え!? マカロン!? なんでここにい……って、痛いってーーー!」

マカロンが力任せにクッキーを抱きしめているようだ。

「生きてる! 良かったー! お兄ちゃんの馬鹿ーー!!」

マカロンは彼の服をつかんで、子どものように声をあげている。
面食らっていたクッキーの手が、やがてその背を優しくなでた。

「……心配かけたね。こんなところまで来てくれたんだ。ありがとう。ごめんね。」

その時だった。
ずっと後ろに立っていたガレットが、無言のまま大股でやってきた。

「ガ、ガレット……?」

そして、なんとマカロンごとクッキーを抱きしめたのだ。

「い、痛い、痛いって、君の力すごいんだから!」
「うええっ?」

これも相当の力のようで、二人が悲鳴を上げた。

クッキーの目が驚きで丸くなっている。
あの寡黙な彼が人前でこんな風に感情をあらわにするのが信じられない。そうだ、ガレットもクッキーを本気で心配していたのだ。
ガレットの肩が少し震えていた。

「……良かった。」

絞り出すような声だけが一言漏れた。
それだけで、彼がどれだけのものを抱えていたのかが伝わる。

「うん。……ごめんね。ガレット。心配かけた。」

そういうと、クッキーは先ほどと同じようにガレットの背中もぽんぽんと軽くたたいた。

「君たちのおかげだ。ありがとう、見て、動く。動くよ!
 もう大丈夫みたい!
 ずっとしんどいままだったらどうしようかとドキドキしたよ。」
「ドキドキどころじゃないです!
 みんながどれだけ心配したと思っているの!」

クッキーがあまりにいつも通りな様子に安堵して、私は思わず大きな声で怒鳴ってしまった。

「ごめんね。本当にごめん。ありがとう。」

さっきからクッキーは謝ってばかりだ。
違う、別に謝らせたい訳じゃないのに。

「ふふっ。お兄ちゃんも元気になったことだし、打倒ハーゴンの旅、再開だね!
 次はどこへ行くんだっけ?」
「えっ、なんで一緒に行くみたいになっているの?
 ダメだよね。サマルトリアに帰さないと。」

ああ、そうだ。
やっぱりお兄ちゃんとしてはそれを心配するのだろう。

マカロンが何か反論しようとするのを、ガレットが止めた。

「良いんだよ。」
「え?」

私もガレットも、もう彼女を認めているのだ。

「そう、もう良いのよ」
「良いって? 何が? どうして?」
「私たちが自分で決めて旅に出たように、彼女にも自分で決める権利があるの。
 彼女の人生だもの。」

私は自分が旅に出たときのことを思い出していた。
ローレシアかサマルトリアで守ると言ってくれた彼らの言葉に逆らって、私は旅に出ることを決めたのだ。

クッキーは少し何か言いたそうに口をパクパクさせていたが、やがて静かに頷いた。

「分かった。みんながそういうんなら。
 それに命を助けてもらったんだから、ぼくは逆らえないよ。」

諦めたような、それでも心配そうな、そしてどこか嬉しそうにもみえる表情だった。

「よし、じゃあマカロン、装備を整えに行くぞ。」

ガレットがポンと手を叩いて唐突に言った。

「え? なに、今? お兄ちゃんが目を覚ましたばかりなんだよ。」
「旅に出たいんだろ。お前はまだ武器も防具も足りてない。
 幸いここの武器屋は中々品ぞろえが良い。」
「ガレットは武器が好きだもんね。じゃなくて、私はお兄ちゃんのそばに……。」

渋るマカロンに、ガレットは短く返した。

「旅に出るんだろ。」

マカロンは、ぐっと唇を結んだ。それから、ちらりとクッキーを振り返りながら渋々頷いた。

「……分かった。すぐ戻ってくるからね、お兄ちゃん。」
「ガレット、妹の装備見繕ってくれるんだ。ありがとう。よろしくね。」
「ああ。」

クッキーはガレットに手を振った。

老神父とサマルトリアの医師たちも、「経過をまとめて王様に至急お伝えしましょう」と部屋を出て行った。

ガレットは、部屋を出る直前最後に扉の前で足を止めた。

「プリンちゃん。」
「……え、なに?」

背中を向けたまま、彼は言った。

「クッキーに言いたいことがあるんだろ。それは、全部言え。」

私は息を呑んだ。
何をとは、彼は言わない。
ただ、それだけ言い残して、マカロンの背を押して部屋を出て行った。

扉が閉まって、皆の足音が遠ざかる。

部屋に、静けさが戻った。

さっきまであんなに賑やかだったのに、今は窓の外の水路の波の音が聞こえるほどだ。

「……、プリンちゃん?」

呼ばれて、ハッと顔をあげた。
クッキーと二人きりだ!ガレットは何を思って私たちを二人にしたのか。

「みんな行っちゃったね。……ぼくたち。置いてかれちゃった」
「……ええ。」

クッキーは少し困ったように、でも穏やかそうに笑っていた。
顔色も良くなっているようだし、良かった。

「どうしたの? 疲れたんじゃない? 遠い所まで行って世界樹の葉探してくれたんでしょう。ここに座ったら?」

ベッドの脇の椅子を指さされたが、私はううんと首を横に振った。
疲れた訳じゃない。
クッキーに伝えなきゃいけないことがあった。

「あちこち駆け回ってくれて、ありがとう。ちゃんと謝って、皆にお礼をちゃんと伝えなきゃ。」
「……いいえ、私は何も。」

世界樹の葉を見つけたのはマカロンだったし、ガレットが色々助けてくれたおかげだ。
それより、私の方こそ謝らなきゃいけないことがある。お礼も言えていないことが。

「プリンちゃん。」

声が少しだけ真面目になった。

「なんだか、さっきからずっと変だよ。」

心臓が大きく跳ねた。

見抜かれていた、皆クッキーに飛びつくほど大喜びしていたのに、私だけ笑えていなかったと。

「怒ってるんでしょう? ぼくのこと。これでも反省してるんだよ。ぼくのこと殴っても良いから。」
「え、ええ……?」

怒っているのだと思われていた。

「ガレットからも言われてるんじゃない。あんな馬鹿、ぶん殴ってやれって。」
「ええ? どうして。」
「魔物をあんなに怒らせちゃってさ。大馬鹿野郎でしょう。」
「ああ、あれは……確かに。なぜあんなことをしたの?」

そう、クッキーは倒したファットバットを死に際に怒らせてしまって、死の呪いを受ける羽目になったのだ。確かにそこは気になるところであった。

「あれは……」

クッキーはばつが悪そうに頭をかいた。

「相手を煽ろうって思ってた訳じゃなくて。」
「なくて?」
「ほら、ぼく、ああいう時いつも足がすくむんだ。皆の前だから、平気なふりして戦ってさ。勝てたと思ったとたん、急に気が抜けちゃって。」

視線が掛布団に落ちる。

「『強くなったのかな』って言ったのも、『変わってない』って言ったのも、あれ、ぼく自身のことなんだ。強そうな顔をしてるだけで、中身は全然変わってない。口だけのやつって、あれはぼくのことだよ」

あの時のやり取りを思い出す。
クッキーは、こんなやつに勝てるなんて自分達は強くなったのかなと言っていた。そして次に、ファットバットを見て、大したことなかったんじゃないか。口だけのやつっていっぱいいると言っていた。

その言葉でファットバットの怒りを買ったのだ。

自分たちが強くなったから勝てた訳じゃない、自分のような口だけのやつはいっぱいいる、という意味だったのだそうだ。

「口だけのやつって何?」
「きみたちみたいに勇敢に戦って、どんどん新しい技を身に着けていく勇者とは違って、ぼくはいつまでも魔物と対峙すると足がすくむ。情けないでしょう。」
「違う、何を自分を棚に上げて言ってるの?
 クッキーだって、ライデインなんて勇者の魔法を覚えて強くなったじゃない!」
「ああ、あれはたまたまで……。」

たまたまってなんだ。
たまたまで、あんな強力な勇者だけの魔法を覚えられる人なんて、彼以外にいるだろうか。

「……独り言、だったって言うの?」
「うん。」

独り言のようにつぶやいた言葉が、まさか死ぬ間際の魔物をあそこまで怒らせるなんて、クッキー自身も思っていなかったのだ。

「ほんとに、ただの独り言。みんなを危険な目に遭わせておいて、許されないけど。でもぼく一人が呪われて済むなら、まあいいかって……」

良くない。
全然良くない。どんなうっかりだ。
クッキーは確かに思ったことをすぐに口にしてしまう性格ではあるが。
彼はガレットを震えるほど不安にさせたことを、どれだけ自覚しているのだろうか。

そして、……私がどれだけ怖かったのかも。

「馬鹿よ。」
「……ごめん。ぼくが馬鹿だった。だから、殴っていいよ。」

私はぶんぶんと首を横に振った。
違う。
私にクッキーを怒る資格なんてない。

「わ、私……あなたに、謝らなければいけないことがあるの。」
「え?」

クッキーは驚いた顔をした。

「プリンちゃんが何を謝るっていうの?」
「わ、たし……あなたにもらったペンダントを失くしてしまったの……」

言葉にしたとたん、胸の奥が熱くなる気がした。

「ペンダント?」
「月の形の、あのペンダント……。ファットバットと戦ったとき、胸をかすっていて、多分……それで。気が付いたら、もう。」

クッキーは何も言わなかった。
目を丸くして、私を見ていた。

「せっかくあなたがくれたものなのに、あんなに、嬉しかったのに。」

大切にしたかったのに。
握りしめた指先が冷たくて、私は顔をあげられなかった。

「……本当に、ごめんなさい。」

沈黙が続いた。
窓の外で、水路の水がちゃぷんと鳴った。

「……なんだ。」

小さな声だった。
それから、ふぅと息を吐く音がした。

「ずっと、ぼくのことを怒ってるんだと思ってた。ペンダントのことだったの?」

クッキーは少し首を傾げていた。

「そんなこと……って言ったら駄目だね。……ごめん、言い方が悪かった。
 プリンちゃんが、こんなに気にしてくれてるんだから。」

うーんと考えながら、彼はゆっくり私のほうへ体を向けた。

「あのね、あれは、ぼくが勝手にあげたものだよ。プリンちゃんに似合うかなって、勝手に選んで勝手に渡した。だから、失くしたからって、プリンちゃんが罪悪感持つ必要なんてない。」
「でも……。」
「うん、でも気にしてくれてるんだよね。気にするなって言われて気にしないなら苦労しないよね。」

彼は少しだけ笑った。
そして、クッキーは掛布団をめくった。

「一緒に探しに行こう。」
「え? ええ?」
「見つかるかどうかは、ぼくには分からないけど。ファットバットと戦った場所だよね。もう時間も経ってるから無くなってるかもしれない。だから、絶対見つかるなんて言えないけど…。」

今から探しに行く気だ。

「違う、違うわ。何を言ってるの。あなた、さっきまで寝込んでいて。」
「体は……うん、まだ少しふらつくけど、歩けないほどじゃないよ。」
「いいわよ! 休んでいて! 私が探してくるから!」
「ここで寝てても、ぼくの方が気になって休めないもの。それに、これから旅に戻るんだから、少し動いとかないと駄目だし。」

ベッドの縁に足を下ろす彼の動きはゆっくりだった。
立ち上がる前に、一度だけ深く息を吸う。ちゃんと体が動くのか確認しているかのようだった。

そして私の方を見て、ふわっと笑って見せた。

「プリンちゃんがそんな顔でいる方が、ぼくは嫌だよ。」

そういうとよいしょっと言いながらクッキーは立ちあがった。
少し体の様子を確かめてから、

「うん」

と頷いた。

「大丈夫そう。いこっか」

私はクッキーの言葉に頷いた。




+++++


宿の主人に「すぐ戻ります」と言づけて、私たちは外に出た。

外で待機していたサマルトリアの使者の人は、突然クッキーが現れたので驚いていたが、

「元気になったんですね!」

と嬉しそうに声を上げた。

「心配をかけてごめんなさい」

ここでもクッキーは使者の人に謝った。

「どこへ向かうのですか?」
「すぐそこだよ。すぐに戻るから心配しないで。」

クッキーは旅装束ではなく、療養していた時の軽装だった。
いつもの旅姿とは違うせいか、なんだか不思議な感じがした。

「どこだっけ?」
「ええっと確か桟橋を越えた教会の手前よ。」
「分かった。いこっか。」

すぐ近い距離のはずだが、クッキーの歩みは普段より少しゆっくりだった。

「無理しないで。休みたくなったら、すぐに言って。」
「え? 大丈夫だよ、そこでしょ。ほら、見えてきたよ。」

そう言いながら、彼の額にはうっすら汗がにじんでいた。
私は何も言わず、歩幅を少しだけ狭めた。

桟橋からの光景は、夕暮れの光を水路に映してオレンジに揺れていた。

教会前に着いてみると、あの日の戦いのあとはほとんど残っていなかった。
あえていうと、石畳が少し焦げて、ところどころ欠けてしまったのが戦いの名残だろう。

「このあたりだったよね。」
「ええ、あの魔物が倒れたのはちょうどここで……。」

私は胸元に手を当てた。
確かこの辺で、ファットバットの攻撃を受けたのだ。
でもあんな小さいものがどこに飛ばされてしまったのかは分からない。

二人で周辺を探した。
石畳のすき間、教会の扉の影、水際の草むら。
私は何度もあちこちを覗き込んだ。
見落としているだけかもしれない。そう思って、何度も確かめた。

クッキーもその場に腰をかがめて、あちこち探してくれている。

けれど、月の形をした銀色はどこにも見えなかった。

「クッキーもういいわ。無理せず、帰りましょう。」
「大丈夫だよ。探し物は、ほんとは妹の方が得意なんだけど、もうちょっとだけ…。」

彼は明るい声で言った。
けれど、指先がときどきかすかにふるえているのが分かった。

もう日も傾いてきた。
十分だ、もう帰ろう。

誰かが持って行ったのかもしれないし、水路に落ちて流されてしまったのかもしれない。
そしたらもう見つけられない。
しょうがないことだ、そう思おうとした。

その時、「あ…!」クッキーが小さな声をあげた。

「プリンちゃん、これじゃない!?」

彼が指さしたのは水路の桟橋の柱の根元だった。
桟橋に引っかかって、流されずにすんでいた。

「届くかな、ちょっと待ってねー……。」

クッキーは桟橋から身を乗り出し、手を伸ばした。
左半身が水路に落ちてしまいそうになるほど、身体を傾けた。それでも、波に揺れるペンダントは、まるでクッキーの手から逃げるように揺れ続けている。
何度か手を伸ばしては届かず、クッキーは苦戦しながらも、ようやくその手にペンダントを収めた。

「……取れた、よ!」

手のひらに広げて見せてくれた。
鎖は少し曲がってしまって、表面は泥と血のような黒ずみで汚れていた。
それでもその形はあの日彼が私にくれた月の形をしたペンダントそのものだった。

「……あった……」

それ以上声が出なかった。

クッキーは自分の服の袖で、ペンダントの汚れを拭っている。
汚れが取れると、元の淡い銀色が少しずつ顔を出して。

「見て! ちょっと曲がっちゃってるけど、これくらいなら直せると思うよ。ほら、月の形はちゃんと残ってる。」

差し出した手のひらの上で、小さな月が、夕日を受けて光っていた。

見つかった…。
もう、二度と帰ってこないと思っていたのに。

自分でも、こんなことでどうしてここまで、と思うのだけれど、安堵で膝から力が抜けそうになった。視界が滲んで、月の形もぼやけていく。

「……良かった。」

声が震えた。
堪えていた涙が、頬を伝って落ちた。

「プリンちゃん、泣かないで。見つかったじゃない。」
「違う、違うわ……。」

クッキーは少し困ったように笑って、それから静かに言った。

「心配しないで。無くなっても、何度だって見つけるよ。」

その言葉が、胸の一番深いところに届いた。
ペンダントのことを言っているのだと思う。
きっと、クッキーにそんな深い意味はない。

だけど、それでも、その言葉は私の胸の奥に、別の意味を持って落ちてきた。

あのときの、青黒く苦しそうだったクッキーの顔。
呼んでも応えなかった、閉じたままの瞼。

あの時、私は本当は、もう終わったのだと思っていた。
三人の旅も。
私たちの日々も。

いつも私のそばにいてくれたクッキーはもういないと思って。
それを認めたくないから、私はガレットとあちこち奔走はしたけれど。

でも――本当は怖かった。
もう二度と、クッキーの声を聞けないかもしれないと思っていた。

「何度も……? 本当に?」
「うん。そうだよ。」
「クッキー……。」
「なに?」

終わりじゃなかった。

涙が止まらなかった。
止めようとするほど、溢れて頬を伝ってくる。

「帰ってきて、くれて……ありがとう。」

クッキーが少し戸惑った様子で私を見ている。
私のために、泥だらけの月を拾い上げてくれた人。

もう、駄目だった。

私は、もう、この人を失いたくない。
そばにいてほしい。
これからもずっと、一緒にいたい。

それが何という気持ちなのか、もう分かっていた。

私はこれ以上、この気持ちを胸にしまっておくことができなかった。

気が付けば一歩クッキーの方へ近づいていた。

「プリンちゃん……?」

クッキーの不思議そうな声がする。
私はクッキーの胸に、そっと体を預けるように抱きついた。

「わ……」

クッキーが驚いている。
私だって、驚いている。こんなことをするつもりはなかった。

でも、いいよね。
マカロンも、ガレットも、クッキーに抱きついていたから、私も……これくらいは。

手のひらに、彼の服の湿った感触が伝わった。桟橋から身を乗り出したときに濡れてしまったのだと思う。病み上がりなのに、どうしてこんな無茶をするのか。

そして、その下で心臓の音がしていた。少し速くて、それは確かにクッキーが生きている音だった。

「好き」

声が勝手にこぼれた。

「クッキーのことが好きなの」

言ってしまった。
もう、取り消せない。なんてことを私は言ってしまったのだろう。

私は彼の顔を見ることもできず、彼の胸に顔を押し付けたまま目を閉じた。

静かな時間だった。
水路の水音と、鳥の声だけが聞こえる。
だが、彼の心臓の音が、さっきより速くなっているのが分かった。

「…………え」


【挿絵を見る】




頭の上から、間の抜けた声が聞こえた。

「え、あ、あの……」

そっと顔をあげると、クッキーは今まで見たことないような顔をしていた。
目をまん丸にして、口を半分開けたまま固まっている。ペンダントを握った手が、宙で行き場を失っていた。

「ぼ、ぼく……あ、いや……え」

彼はきょろきょろと視線をあちこちに泳がせた。
私の方を見ることができないようだ。

その内、耳の先が赤くなっていくのが見えた。夕日のせいではないと思う。

「あ、ええっと……
 ありがとう、ございます……」

言ってからすぐに、彼自身が「違う」と言った。

「あの、そうじゃなくて、ええっと」

頭をかこうとした手が、ペンダントを持っていることに気づいて、また止まる。
いつもの調子ではなかった。
こんな彼は初めて見た。

困っているのだと思った。
困らせてしまって申し訳ないことをしている。

でもよく見ると口元はわずかにゆるんでいる。
胸元にいる私を突き飛ばすこともなく……。

拒まれている、訳ではないと思った。

「……嬉しい、よ。」

やっと絞り出すように言った。

「すごく、びっくりした。そう言われるなんて思ってなかったから。」

やっぱり正直な人だなと思った。
びっくりしたと正直に口にしていた。
だから、これはきっと彼の本心だ。

「でも、ぼく、どうしたらいいのか……分からなくて。」

耳を真っ赤にしながら言った。

「プリンちゃんのこと、大事だよ。本当に……。でも、それが、その、プリンちゃんが言ってくれているものと同じものなのか分からない。嬉しいけど、どう返したらいいのか、全然分からない。」

ごめんと、小さくこぼした。

全部が彼の本心だ。
私の気持ちと彼の気持ちは同じものではないかもしれない。

でも、不思議と悲しくならなかった。

だって、彼は逃げもせずはぐらかしもしなかった。
嬉しいと言ってくれて、まだ分からないとそのまま言ってくれた。
それが、クッキーの嘘偽りのない答えなのだ。

「……ごめんなさい、今すぐ返事をしなくてもいいの。」

自分でも驚くほど落ち着いた声が出せた。

「ただ、言いたかっただけ。あなたが生きていてくれて、嬉しくて、どうしても伝えたくて。」

クッキーはうんと頷いた。

「聞いたよ。
 ぼくも、ちゃんと考えるよ。……どう考えたらいいのか、まだ分からないんだけど。でも、ちゃんと考える。」

どれほどの難問を与えてしまったのだろう。
真面目なクッキーの表情を見ていると、なんだか申し訳なくなって、それでも思わず口元がほころんだ。

彼は、握っていたペンダントをそっと差し出した。

「これ、プリンちゃんのだよ。」
「ええ、ありがとう。」

受け取ると、その小さな月は、ほんのりとぬくもりを残していた。

宿へ戻る道は、来た時よりもずっと短く感じられた。
本当はいつまでも二人でいたかったが、そうも言ってはいられない。

隣を歩くクッキーを見る。
きっと、これからもクッキーは私のそばにいてくれる。

まるで、この町を流れる水路の水のように。
水は、いつもそこにある。流れていることを、普段はわざわざ考えたりもしない。
いつも流れていて、喉が渇けば飲むことができて、疲れたときにはその音を聞くことができる。

もう、私には欠かすことのできない存在なのだ。
そんな毎日が、これからも続いていけばいい。

私はそう願いながら、クッキーの隣を歩いた。

宿の前まで来ると、見慣れた二つの影があった。

「お兄ちゃん!! 寝てなきゃダメでしょ!」

マカロンがこちらを見つけて、ものすごい勢いで駆けてきた。

「ちょっと散歩に。もう平気だよ。」
「平気じゃないでしょ、すごい汗かいてるじゃない!」
「ああ、これは汗じゃなくて、水路で濡れたときのやつで……。」
「はあー!? 水遊びしてる場合じゃないでしょ!」

まさかの水遊びをしてきたと思われている。
何をやってるんだと、ガレットも呆れた顔をしている。これはいけない。

「ごめんなさい。クッキーに私の探し物を手伝ってもらっていたの。」
「探し物? プリンちゃんそれは見つかったのか?」
「ええ、心配をかけてごめんなさい。」

ガレットに軽く頭を下げた。部屋からいなくなって、心配をかけたかもしれない。
マカロンは無事に新しい装備を調達できたようで、腰には銀色に輝くレイピアと、銀の髪飾りを身につけていた。

「新しい装備をガレットに買ってもらったの?」
「うん、どう? 似合ってるでしょう?」
「俺が動きやすさで選んだ。」

ガレットが短く言い添えた。
クッキーは妹の姿を上から下まで眺めて目を細めた。

「似合ってるよ、マカロン。ちゃんと旅人の顔してる」
「でしょ!?」

マカロンが得意げに胸を張る。

兄妹の掛け合いを見ていると、隣に誰かが立った。
ガレットだった。視線はクッキーたちに向いたまま、低い声で言った。

「ちゃんと、伝えられたのか」

主語はなかった。
けれど、何のことかはわかった。

私は少しだけ迷って、それから頷いた。

「ええ、ガレットありがとう。伝えられたわ。」
「なら良かった。」

それだけだった。彼はそれ以上何も聞かなかった。

「さて、マカロンの準備もできたし、行こうか。
 …ってぼく、びしょ濡れだし着替えなきゃだね。ねえ、ぼくの荷物ってどこだっけ?」
「んもう~、今更何言ってるの!? 
 結局お兄ちゃんが準備一番遅いじゃない。置いていくよー。」
「えー!? 待ってってばー!」

兄妹を見てふふっと私は笑った。

「荷物は部屋に置いてあるわよ。」
「プリンちゃん!ありがとう~」

これからの旅は、ずいぶん賑やかになりそうだった。

あとがき

ベラヌール編、サマルトリア城訪問から、世界樹の森探索と、解呪とサマムンです。
原作の流れに沿いつつ、違和感のあった部分を手を加えつつ(マカロンの移動手段と仲間入りのタイミング)、オリジナルの展開もりもりでサマムンに着地できました~!
書きたかったこと書けたかなあ。
プリンちゃんの特技「いぬのはな」にも触れてみました。あと、マカロンは今後レミラーマ覚えるので、探し物得意属性をつけてみました。

サマムン告白シーン頑張って書きましたが、どうだったでしょうか…?
この時期に告ちゃったよ、プリンちゃん。

2026.09.29

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