ガレットがそう提案してきたのは、幾日かの航海が続いた頃であった。
トヘロスを使った航海は随分安全なものになったが、それでも海の魔物は昼夜を問わず現れ、安息の時間というものはなかった。
落ち着いて休息も取れない、という事で町への停泊を提案してくれたのだ。
「そう……ね」
ペルポイでハーゴンの情報に触れることができて、少し焦る気持ちもあったが、旅はまだまだ長い。こんなところで疲労で倒れては元も子もないと私はその意見に賛同した。
近くの町はどこかと世界地図を眺めながら進んでいると、クッキーが遠目に「綺麗な水路と灯の見える町があるよ」と教えてくれた。
「地図によると……ベラヌール……という町のようね。」
「よし、じゃあそこへ向かうぞ。」
ガレットが短くそう言うと、迷いなく舵を切った。
たどり着いた町は、クッキーが言うように、水路がきらめく美しい町並みが広がっていた。
いくつもの小さな橋が架けられたその水路は驚くほど澄んでいて、両岸に並ぶ白い壁の家々を、そのまま鏡のように映し込んでいる。
太陽の日差しを受けて水面が揺れると、建物の輪郭も優しく歪んだ。
まるで町そのものが水の上に浮かんでいるようだった。
海の上で長い時間を過ごしていた私には、水面が静かに揺れるその光景が、ひどく穏やかなものに感じられた。
「……綺麗ね」
思わず、そんな言葉が口からこぼれた。
クッキーが嬉しそうに頷いた。
「うんうん! 本当に、素敵な町だね!
ねえ、見て回ってきてもいい?」
クッキーは見知らぬ町並みに興味津々のようできょろきょろとあたりを見渡している。
その無邪気さに私は思わずくすっと笑ってしまった。ガレットがやれやれといった風に承諾すると、クッキーは大喜びで駆け去ってしまった。
「早……。あいつは本当に子どもみたいなところがあるな。」
「でも、クッキーのいう事も分かるわ。
本当に綺麗な町並みだもの。少しおのおので散策をしてみましょう。」
私も柄にもなく、新しい町に少し心が高鳴っているのを感じていた。
「分かった。何かあったら大声を出せ。」
「ええ、ありがとう。」
いつも冷静なガレットに一礼をして、私も町を散策してみることにした。
桟橋から見える水面もキラキラときらめいていて、歩いているだけでも晴れやかな気持ちになった。
なにか旅の情報がないかと町の人に話しかけてみると、その人はわざわざ綺麗な町並みに魅せられて他国から移住してきたのだという。
きっとそんな人もいるのだろうなと思わせてくれる魅力的な町並みだった。
またベラヌールの町では見慣れない国章を鎧に刻んだ兵たちが警備していた。
これも気になって町の人に尋ねてみると、デルコンダルという国から来た兵たちで、この町とは交流が深いのだという。
デルコンダル……、どんな国だろうか? ラダトームやロト三国とは違う国だ。
博識なお父さまなら詳しかっただろうな。
父のことを思い出しても、もういつかのような痛みはなく、穏やかな父の表情が思い浮かんだ。
「あ、プリンちゃん!いいところに…!」
「っ……!」
少し物思いにふけっていると、突然、目の前にクッキーの顔が現れた。
あまりに近かったため、私は思わず息を呑んだ。
「……クッキー? ど、どうしたの?」
「探したんだよ。どこにいるのかなって」
そう言いながら、クッキーはにこにこと笑っている。
「私を?」
「うん。ちょっと見せたいものがあってさ」
そう言うと、クッキーは私の手を取った。
「ちょ、ちょっと……」
何の心構えもないまま握られた手に、身体がぴくりと強張る。
別に嫌なわけではない。振りほどくようなことでもない。
けれど、どうしていいのか分からない。
クッキーはそんな私の様子にも気づかないまま、楽しそうに歩き始めた。
「こっちこっち」
そうして固まったままの私をクッキーは手を引いてどこかへ連れて行こうとした。
町の中を歩いている間も、クッキーは見つけた店や水路の話を楽しそうにしていた。
さっきから私の思考と動きは硬直気味で、クッキーの話にもまともに返答もできずに顔を赤くしていた。
「ど、どこへ行くの?」
「いいのがあったんだよ。それで、きっと君に似合うと思って探してたんだよ。」
「な、なにを……?」
クッキーが連れてきたのは町の商業施設だった。
ベラヌールには複合商業施設が建設されていて、それがとても賑わっていた。
こんなに大きなお店は、ムーンブルクにも今までの町にもなく私は初めて見た。
「わあ……、すごい賑わいね。」
中には道具屋や武器屋が併設されている。
見ると、ガレットが夢中で武器を物色していた。
彼は本当に武器が好きなようで、ベラヌールの見慣れない武器に珍しく目を輝かせていた。
私たちが近くにいることに気づいていないようだ。
クッキーも私をこの武器屋に連れてきてくれたのかと思ったのだが、そうではないようだった。
「そっちじゃないよ。こっちだよ。」
連れてきてくれたのは、小物屋さんのような装飾屋さんのような小さなお店だった。
「良かったあ~。まだ残っていた。最後の一個だ。売り切れたら嫌だと思って、急いでプリンちゃん探しにいっちゃったよ。」
「何を?」
「これプリンちゃんに似合うと思うんだ。」
クッキーが差し出してくれたのは、小さな月があしらわれたネックレスだった。
「え……、こ、これは何……かしら。」
「何って、知ってるでしょう? 月だよ。月のペンダントだよ。」
それは見ればわかる。
何故それをクッキーが私に差し出してくるかが分からない。
「気に入らなかった? プリンちゃんへのプレゼントだよ。」
私が黙っているから、クッキーが少し不安そうな顔になった。
「い、いいえ。そんなことはないわ。でも、どうして私に?」
「プリンちゃんに似合うなあって思ったから。」
「……そ、そう……? 私に似合うかしら…。」
「うん。ガレットには似合わないと思うんだけど、どう思う?」
ネックレスを身に着けてポーズを決めているガレットを思い浮かべて、思わずふふっと笑ってしまった。
クッキーはペンダントをつまみあげると、私の顔の前にかざして見せた。
きらりと煌めくそのペンダントは決して華美なものではないが、丁寧に作られているのが分かるあしらえで、キラキラと輝いて見えた。
「月はプリンちゃんに似合うと思うんだよね。」
そう言いながら私の手にペンダントを差し出した。
クッキーに他意はないかもしれないが、私は月の名を持つムーンブルクの国を思い出した。
失ったはずの月がこんな形で私の元に帰ってきてくれたような気がした。
「……ありがとう。」
胸がいっぱいになって、声が思っていたより小さくなった。
クッキーはそんな私の様子を気づいているのかいないのか、無邪気につけてみてよとせがんでくる。
私は言われるままに、震える指で留め具を外そうとするがうまくいかない。
「貸して。」
クッキーは自然な仕草でペンダントを受け取ると、私の首の後ろにその手を回した。
「……っ」
クッキーはこういう女性へのプレゼントに慣れているのだろうか。
私は慣れていない。私のうなじに触れる彼の指先の感触に、思わず緊張して息を止めてしまった。彼はそんな私の様子など気にすることもなく、嬉しそうに留め具を留めてくれた。
「うん、思った通り。すごく似合うよ。とってもかわいい。」
満足そうなクッキーの顔を、私はまともに見ることができなかった。
「……そう?」
短く返すのが精いっぱいだった。
平静を装いながら、私は胸元のペンダントに触れた。
嬉しい。
すごく、嬉しかった。
自分のその感情を素直に認めると、私はカッと耳の先まで顔を真っ赤にして、なおクッキーの方を見れなくなった。
「……プリンちゃんは、さっき町で何を見てたの?」
「あ、桟橋からの景色が綺麗で……。」
「そうなんだ、じゃあぼくも見て来ようかな。じゃあまたあとでね。」
あっけなくクッキーはその場を去ってしまった。
少し寂しく思ったが、そりゃあこんなに黙り込んでいる私のそばにいても退屈だろう。
きっとクッキーにとってはこれは特別な意味なんてないだろう。
目に入ったものが仲間に似合いそうだったから買った。彼はそういう事も慣れているのかもしれない。それだけのことだ。
ほんの小さな贈り物。
けれど、この旅の中で、誰かが自分のためだけに選んでくれたものを受け取るのは、これが初めてだった。胸があたたかくなるのを感じた。
私はもうたくさんのものを失っているのに。
それでも旅に出てから、こうして胸があたたかくなる瞬間がいくつも増えている。
そのたびに、いつもクッキーがそばにいてくれた。
胸元の小さな月を握りしめた。
「ありがとう……」
そう口に出して、私はクッキー本人にお礼を言っていないじゃないかと気づいた。
いけない。
ちゃんと伝えないと。
私は急いでクッキーの後を追おうとした。
その時だった。
「きゃあっ――!」
突然、町中に悲鳴が響き渡った。
心臓が跳ねるような感覚があった。何かが起きたようだ。
悲鳴は町の中央の教会の方角から聞こえた。
町の人々が悲鳴をあげながら逃げ惑っている。
「お嬢さん、あんたも逃げた方が良い! 魔物が出たよ!」
逃げようとする男性が私を心配して声を掛けてくれた。
やはり、魔物が出たのだという。こんな町中に……!
一瞬で平和な時間が暗転する。
私はその男性に会釈をすると町中へと走った。
やはり、ガレットとクッキーはすでにやってきていた。
彼らが対峙していたのはファットバットという見知らぬ魔物であった。ガレットは見知らぬ武器を装備していた。先ほどの武器屋で購入したのだろう。
「気をつけて、あいつマホトーンしてくるから。」
クッキーの耳打ちに私は頷いた。
マホトーンは厄介だな、魔法を封じられたら私はできることがほとんどなくなる。
「危ない!」
ガレットの声に思わず私は後ろに飛びのく。
避けきれず、鋭い爪の先が胸元をかすめた。チリンと小さな金属音がしたような気がしたが、怪我はそれほど深くない。
その一撃と同時に、ファットバットの甘い息が鼻先をかすめる。甘い息は少し浴びただけでも、頭の芯がぼうっとする気がした。
……これをまともに浴びたら、危ない。
私は杖を握り直した。
魔法を封じられるうえに、眠らされる可能性まである。
この魔物は、見た目以上に厄介だ。
「油断ならないやつだ。」
ガレットも同じことを思ったようだ。
力をためた勢いでガレットは地面を蹴り、魔物との距離を詰める。
振り下ろされた剣がファットバットの翼をかすめ、魔物は怒りのあまりに鋭い爪でガレットに反撃した。
「ガレット……!」
「これくらい、なんてことない。」
ガレットはそういうが、腕に流れる血が傷が浅くはないと物語っている。
「ベホイミ!」
即座に私は回復魔法を唱えた。
私たちが一度動くうちに、ファットバットは素早い動きで、何度も攻撃をしかけてくる。
「くっ、スクルト……!」
素早い動きのファットバットに対して、クッキーはスクルトを唱えた。
全ての攻撃をかわすことは難しいと悟って、ダメージを少しでも軽減させる作戦だ。私もマジックバリアで、ダメージ軽減を図った。
こちらの態勢を整えなおしてから、私たちは一斉攻撃を仕掛けた。
「行くぞ!一気に仕掛ける!」
「ええ、行くわよ。バギマ!」
風の刃が渦を巻いて魔物に叩きつけられる。ぐらりと体勢を崩したところへ、クッキーの魔法が追い打ちをかける。
「ライデイン!」
クッキーが覚えた新しい電撃魔法だ。
鋭い雷光が魔物の体を貫く。
三人の呼吸が、いつのまにか自然と噛み合っていた。誰が指示するでもなく、次に何をすべきか分かる。船での戦い、ペルポイでの戦い。数えきれないほど繰り返してきた連携が、今この瞬間にも生きている。
魔物の動きが目に見えて鈍っていく。翼は裂け、体のあちこちから黒い血のようなものが滴っていた。
「――くらえ!」
ガレットの一撃でファットバットの体が大きく揺らいだ。
「ぐ……おお………!」
巨体がふらつき、やがてその場に膝をついた。
「……終わったわね。」
私はそう言って荒い息を整えながらも、杖をまだ構えたままであった。
ガレットも剣を構えたまま、いまだ警戒を解かない。
だが、しばらく待ってみてもファットバットが再び立ち上がる様子はない。どうやら本当に倒せたようだ。
「やったね! ぼくたち、こんな強そうなやつにも勝てちゃったよ!」
クッキーが声をあげた。
その顔には、戦いを終えた喜びが素直に浮かんでいた。
「ぼくたち、旅をしている間に強くなってるのかな?」
「そうかもしれないわね。」
私はそう答えた。
実際今の戦いでも、私たちは旅に出たころとは比べ物にならないくらいチームワークも良くなっていたと思うし、以前なら苦戦していた魔物にもこの三人なら落ち着いて対処できるようになっていると思っていた。
だから私は、クッキーの言葉を素直に肯定した。
けれど――。
「うーん……」
しかしクッキーはなぜか自分の剣を眺めている。
何かを考えているようだ。
そして、納得できないように隣にいるガレットと私に交互に視線を走らせた。
そして倒れているファットバットの前に歩を進ませた。
「それとも、思ったより、こいつが大したことなかったのかな?」
「クッキー」
ガレットが低い声で名前を呼んだ。ガレットの表情にはあからさまに制止の色が浮かんでいた。
私も嫌な予感がした。崩れ落ちてうつむいたままのファットバットから怪しい邪気が満ちてくるのを感じたのだ。
「口だけのやつっていっぱいいるもんね。」
「クッキー、それは……」
私は思わず口を挟んだ。
しかし、そんな問答がこれ以上続けられることはなかった。
「こんなガキに……バズズさま配下のこの俺が……」
ファットバットの怒りの邪気が膨れ上がってきたのだ。
しかし、与えた傷は致命傷だった。
身を起こすことすらままならず、身体はところどころ崩れ始めている。
これ以上、戦う力など残っているはずがない。
なのに。
ファットバットの身体から、黒い霧のような邪気がゆっくりと溢れ始めた。
「ハーゴン様に賜ったこの力で、お前らを道連れに……」
「なん、ですって……?」
ハーゴンの力?なんのことだ。道連れとは一体……
こんな今際の際の魔物にできることなどないと侮ったのが間違いだった。
「さが…っ……て!」
「はぁぁー!!!」
最後の力を振り絞って目を見開いたファットバットはその口から黒い光のような霧が発せられた。
何の魔法か確認する余裕すらなく、
至近距離にいたクッキーはその黒い霧をまともに浴びてしまったのだ。
「え……?」
私は目の前の光景が信じられずに驚きの声をあげるしかできなかった。
「クッキー!!」
私よりも早くガレットがクッキーに駆け寄った。
あの黒い霧はマホトーンやマヌーサと言った魔法とは全然違うものだった。
その証拠にファットバットは今度こそ力尽きて、光となって空に消えていった。
術者が死んだはずなのに、クッキーの体をまとっている黒い光は消えなかった。
「な……に…これ?」
最初は霧を振り払おうとしたクッキーだが、徐々に動きが緩慢になっていって、膝をついた。
「ぐっ……。」
そしてうめきような声をあげて、その場に倒れて落ちそうになったところをガレットが支えた。
「クッキー!! どうした!?」
「か、体が動かない……。」
「しっかりしろ!」
何が起きたのか私にはまだ理解ができなかった。
町を襲う魔物を倒したのに。いつものように倒したのに。
「プリンちゃん、回復魔法を……!」
「あっ、ええ……! 任せて!」
ガレットの鋭い声に私は急いで駆け寄ってベホイミを唱えた。
「ううっ……」
未だガレットに抱かれたままのクッキーは顔をしかめたままで、ベホイミを唱えても苦痛の表情のままだった。
どうして?
私は自分の手が震えているのを感じていた。
こんなに動揺しているから、回復魔法が効かないんだ。そうに違いない。
落ち着け、冷静に深呼吸をして、ちゃんとやればきっと大丈夫だ。
もう一度……。
「ベホイミ!」
再度唱えた回復魔法であったが、クッキーの苦痛には届かない。
「ダメだな、回復魔法が効いていないな。」
ガレットの冷静な言葉が返って胸に突き刺さる。
背中から嫌な汗が流れているのを感じた。
どうして? 何が起こったの???
魔法が効かないことも初めてだった。
「呪い……そうか、これは呪いだ。」
ガレットの呟きに、私ははっとした。
「呪い……?」
「回復魔法が効かないなら傷でもないだろう。これ以外に考えられない。ハーゴンの力で…とか言っていた。ハーゴンの呪いだ。」
そうか、呪い。
ムーンブルクにいた頃、古い書物で読んだことがある。呪いは回復魔法では解けないのだと。
しかも憎きハーゴンの呪いだなんて許せない。
「では、教会に……!」
そう言いかけて、ぬっと人影が私たちのそばへやってくるのを感じた。
白髪交じりの髪を後ろで束ねて、私たちを心配している顔立ちでやってきたその人は、今まさに探そうとしていた教会の神父であった。
そうだ、私たちは教会の前で戦っていたのだった。
すぐに神父様に出会えたのは不幸中の幸いだ。
「呪いなら役に立てることがあるやもしれない。早く手当てをせねば。
少し、診せてもらえるだろうか。」
「お、お願いします…!」
戦いの一部始終を見守っていた老神父は話が早かった。
私は縋るような思いで、老神父の解呪の成功を祈った。
老神父はクッキーの傍らに膝をつくと、彼の胸に手をかざした。
呪文とも祈りともつかない、聞き慣れない言葉を静かに唱え始める。
私は祈るような気持ちで、その様子を見守った。
お願い、届いて。
しかし、老神父の眉間の皺は、だんだんと深くなっていくばかりだった。
「……これは、私の力が及ばぬ呪いのようじゃ。」
その一言に、目の前が真っ暗になる。
「そんな……! 他に方法は……!? もう、打てる手は、何もないのですか?」
「落ち着け、プリンちゃん。神父様をそんな風に責めても仕方ないだろう。」
私はガレットの言葉にハッとした。
自分が冷静さを欠いているのを自覚した。
「はぁ……はあ…、ご、めん。皆。」
クッキーが小さく呻いた。額には脂汗が滲み、呼吸も浅く速い。
こんな苦しそうなクッキーを見るのは初めてだった。
「一度、こいつを休ませよう。神父様、宿屋はどこにありますか?」
「宿屋なら、すぐそこに。私が案内しよう。」
「ありがとうございます。助かります。」
見知らぬ町で地理もまだ不案内だ。
老神父の申し出はありがたかった。
「プリンちゃん、こいつを起き上がらせる。ちょっと武器を持ってくれないか。」
「え、ええっ。もちろん!」
私は言われるまま、駆け寄って、二人分の武器を預かった。
ガレットはクッキーの片腕を自分の肩に回した。
ガレットは腕力があるから何ともないような顔をしているが、クッキーは本当に力が入れられないようで、全体重をガレットに預けているのが分かる。
「よし、行くぞ。ちょっと我慢しろよ。」
「うん……」
ぐったりとしたクッキーを、ガレットは力強く支えた。
「クッキー、頑張って。もう少しだから。」
「うん……ありがとう、プリンちゃん。」
私の声に、クッキーは顔をあげることもできず、ただ申し訳なさそうに言った。
その弱々しい声が、かえって私の胸を締め付けた。
私たちはクッキーの体を支えながら、ゆっくりと宿屋への道を歩き始めた。
私は、それでもきっとこの呪いは一過性のものだと思っていた。
ベッドでしばらく、そう、一晩休めばよくなるだろう。
最初は、そう思っていた。
だが、それが間違いだと気づいた。
なぜなら時間を経るごとにクッキーの顔色は土気色になって、顔色だけでなく皮膚の色までもが青黒く変色していったからだ。
通常の状態ではなかった。回復の兆しは全く見えなかった。
神父様の繰り返しの解呪も効かず、医師に診てもらってもこんな症状は初めてだと匙を投げられた。
「クッキー……、クッキーしっかりして……っ」
回復魔法も解毒の魔法も私の覚えている限りの魔法を唱えても効果がなかった。
私はベッドに縋りつくように目をつぶっているクッキーに声を掛けた。
「ごめんね……。か、からだが動かない。」
ずっと、治療中押し黙ったままのクッキーが口を開いた。
クッキーは自分の指先をわずかに動かそうとした。
けれど、指はほんの少し震えただけで、それ以上は動かなかった。
言葉通り、身体にほとんど力が入らなくなっているのだ。
それでも私はクッキーが目を開けて、その声が聞けたことが嬉しくすら思えた。
しかし、次に言った言葉は私を激高させた。
「でも、やられたのがぼくひとりで良かった。
きみたち、が無事なら……きっと……だい、じょうぶ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
その言葉の意味を理解した途端、胸の奥が強く締めつけられた。
「何を言っているの! 全然良くないわ。必ず治るから!」
クッキーがまるでもう諦めてしまっているかのように思えたのだ。
彼がいない旅なんて考えたくなかった。
しかし治るから、というもののその手段が思いつかない。
老神父様は色んな薬草を試してくれたがそれも効かなかった。
皮膚の色はどんどん悪化していく一方で、回復の兆しは見えなかった。
「ぼくが余計なことをいってあいつを怒らせたから。
自業自得、だよ。」
だからもういいんだと、仕方ないと受け入れてしまっているようで。
「ぼくにかまわず、先に行ってくれて大丈夫だよ。」
そんなことができるはずがない。
それなのに、クッキーはもうその生を諦めたかのように、目をつぶってしまった。
いやだ、いやだ。目を開けて欲しい。
私はまるで、癇癪を起した娘のように大声で叫んだ。
「馬鹿なことを言わないで! 絶対にどうにかするから!」
大声にびっくりしたのか、クッキーはもう一度驚いた風に目を開けた。
多分問答を繰り返すのも辛いのだろう。
「どうにかするから。だから今は休んでいて。」
その間に、博識な知識を持つ人々に知恵を借りて強力な呪いの解呪方法を探そう。
急がなければ。
そう思って杖を握りしめ、私はガレットと部屋を出ようとした。
すると私たちの背中に向かって、クッキーが切実そうな言葉を発した。
「もし、できればでいいんだけど……、
父さんと、母さんに、ぼくは幸せでしたと伝えてくれる……?」
思わず足を止めて愕然とした。一瞬どういうことかと思った。
クッキーのお父さまとお母さまに、私たちが遺言を伝えるという事?
クッキーはもう死んでしまうという事?
いなくなってしまうという事?
ずっとずっと続くと思っていた3人の旅がこんなにあっけなく終わってしまうの?
ガレットなら、きっとクッキーを励ましてくれると思ってガレットの顔を見ると、いつも冷静な彼が真っ青な顔をしていた。
私は彼のその表情を意外に思った。まるでもう何もできないと諦めてしまっているかのようで。
「ふ、ふたりして何弱気になってるの!」
私は一人で頭を振った。
「あなたのお父さまとお母さまにお別れを告げに行くなんて……」
心の奥底で、最後に別れの言葉も告げることなく永遠の別れになってしまった父のことを思い出していた。
あのとき私は、父に何も伝えることができなかった。
何の言葉も交わすことなく家族と別れてしまうことが、どれほど残酷なことなのか、私は知っている。
本当は、それが共に旅をした私たちにできる最後のこと、なのかもしれない……けれども
やっぱり認めたくなかったし、どうしてもできなかった。
いや、待て。私は先ほど博識な人たちの知恵を借りて、解呪の方法を調べたいと考えたではないか。
きっとロト三国のひとつであるサマルトリアの王様は、私の父と同じように博識で
私の知らない知恵を授けてもらえるのではないか?
「そう、そうよ……!」
わずかな光を見いだせたような気にすらなった。
「分かったわ。
ご両親に相談しましょう! あなたの危機を知ったらきっと知恵を貸してくれるはず。」
そういうとクッキーは心なしかぎょっとしたような表情になった。
「だ、だめだよぉ。やめてよぉ。
お、怒られちゃうよぉ……。」
あれ、本気で嫌がってるようだ。
なによ、さっきは父さんと母さんに遺言を伝えてなんて言ったくせに、
今度はご両親に怒られるのを怖がるなんて。
「んもう、伝えてって言ったりダメって言ったり!
いいからあなたは安静にしていなさい!」
死んでしまうかもしれないなんて思っているのに、ご両親に怒られることを本気で怖がっている。そんなところは、いつものクッキーと何も変わらない。
こんなに苦しんでいるのに、こんなことで少しだけ可笑しく思ってしまう自分がいた。
私は誰にもバレないように下を向いて、涙を拭いた。
「もちろんです。」
そして、老神父様に彼のことを託し、私はガレットとともにサマルトリアへ向かうことにした。
「ガレット、事は急を要するわ。
ルーラでサマルトリアに向かいましょう。」
私が、そう言ってガレットに手を差し伸ばすと、驚くべきことに彼は先ほどよりも真っ青になって、額には冷や汗が流れていた。
「ど、どうしたの?」
ガレットもどこか具合を悪くしてしまったのかと思うほどだった。
いつも私たち3人の中で一番冷静沈着で岩のように動じない彼が、今は明らかに様子がおかしい。
「……分からない。」
ガレットの手のひらは震えていた。
「俺は、これが何なのか、分からない。」
いつも平坦な調子とは違って、声まで震えていた。
「クッキーは……もしかして……っ、いや……」
何かを言おうとして口を噤んだ。
その先の言葉を、彼は口にすることができなかった。
「俺が、町で休もうなんて言ったからだ。こんな町に来なければ。」
ガレットはクッキーがこんなことになった原因が自分にあると悔いているようだ。
「いいえ、違う、違うわ。」
私は彼をフォローしようとしたが、彼は首を振らなかった。
「俺が言い出したことだ。船で遠くの国まで行ってしまえば良かった。」
ガレットは、俯いたまま拳を握りしめていた。
いつも強くて私たちを支えてくれるガレット。
彼は恐怖の感情すら感じたことがないと言っていた。
けれど今、彼の手は震えている。
もしかして、……恐怖を感じているのだろうか。
仲間を失うかもしれないという、恐怖を、初めて。
私は首を振って彼に声をかけた。
「この町に来なければ良かった、なんて話ではないはずよ」
だって、私はこの町でクッキーに贈り物をもらった。
嬉しい思い出だった。
嬉しかった感情すらもなければ良かった、なんて思わない。
あれをなかった事になんてしたくはなかった。
しかし、ふと、ペンダントを触ろうとして、私は気づいた。
胸もとにあるはずのペンダントがなかったのだ。
えっ……?
気づいていなかったが、ファットバットの爪が胸元をかすめたときに、ペンダントを落としてしまったのかもしれない。
どうしよう……!
胸元を何度も探る。けれど、指先に触れるものは何もない。
あれほど嬉しかった月が、なくなっていた。
「…………っ」
「どうした、プリンちゃん。」
いけない、ここで私が動揺した様子を見せたら、ガレットまで不安にさせてしまう。
私は不安な思いを振り切って、ガレットの手を取った。
汗ばんだ冷たい手だった。きっと、私も同じようなものだろう。
今はこの手だけが頼りだった。
私は強くガレットの手を握りしめた。
「行くのよ。行って、クッキーを助けるの。
絶対に助けて、そして、また一緒に旅を……しましょう。」
こぼれる涙をぬぐう事も出来ずに私はそうガレットに告げた。
ガレットは強く私の手を握り返して、そして頷いた。
「ああ……」
+++
視界が白く塗りつぶされ、次に開けた時には、立派な城の前に立っていた。
ここが、サマルトリア城。
石造りの城門をくぐると、和やかに行き交う人々たちの姿があった。ローレシアやムーンブルクとはまた違う空気の漂う城だった。
「サマルトリアの王子の連れの者です。至急、王に取り次いでいただきたく……!」
ガレットが門番にそう告げた、その時だった。
「あれ?」
場違いなほど、明るい声が降ってきた。
見ると、城門の柵に頬杖をついて、外を眺めていたらしい少女がこちらを見下ろしていた。私よりも少し年下だろうか。サマルトリアの紋章をあしらった、上質だが飾り気のないドレスを纏っている。
彼女は……?
「わあ、ガレットだ!
来てくれたの? 久しぶりね、旅はどう、順調!?」
「マカロン、実は大事な話があってきたんだ。
王に取次ぎをしてもらえないか。」
「お父さまに? 一体どうしたの?」
ガレットとは顔見知りのようだ。
マカロンという名前は知っている。
そうだ、彼女はサマルトリアの王女で、クッキーの……妹だ。
彼女は私たちの後ろに視線を彷徨わせた。
後ろには誰もいないことに気づいて、不思議そうにした。
「……お兄ちゃんは?」