私たちの船旅は、順調だったかのように見えた。
けれど、海は陸の上にいるときよりもずっと気まぐれだった。
さっきまで穏やかだった空が急に曇り、雨が降る。風が強まれば、船は大きく揺れた。
そして何より厄介だったのは――海にも魔物がいるということだった。
よくよく考えれば当たり前だが、魔物は海にも生息しているわけで。
しかも、魔物は船に興味を持つと甲板に上ってくることもあった。
「バ……っギ……きゃあ!!」
揺れる船上で呪文に集中するのは、想像以上に難しかった。私は体勢を崩し、甲板に膝をついてしまう。
「深追いするな。しびれくらげは俺がやる!」
「数が多いから、こっちがいいよベギラマ!」
しびれくらげの群れは炎に包まれた。何匹かの魔物が炎を逃れたようだ。
「詰めが甘いぞ、クッキー」
「あれ? ごめん!」
残った魔物をガレットが仕留めていく。
海の魔物は数が多く、私たちの戦いにも連携が求められた。
そうして、魔物の襲撃に気を張って何とか前進を続けていた私たちだが、慣れない航海に疲れもあったのかもしれない。
その後、さらに私たちは暴風雨に襲われたのだ。
先ほどまで凪いでいたと思った青い海には激しい波頭が立ち始めていた。
風が急に強くなってきて、長い髪が頬や目に掛かってきた。
「プリンちゃん!つかまってて!」
クッキーの声が飛んできて、私は反射的に手すりにつかまった。
そうでもしないと立っていられないほど甲板は容赦なく傾いた。
雨も強くて視界が滲んだ。
「くっ‥‥…このままだと、舵持って行かれるぞ……!」
ガレットの短い声が聞こえた。そうだ、船を操縦しなければ、このままだと船が転覆してしまうかもしれない。
舵を取るガレットを見ると、何やらクッキーがガレットの体にロープを巻き付けている。最初は二人が何をしているのか分からなかったが、揺れる甲板でふらついて海に投げ出されないようにしているのだと気づいて、彼らの迷いのない動きにハッとした。
私も何かしなければ。
波の間から何かが顔を出したのはその時だった。
「……?」
紫色をした見慣れない魔物だった。動かなければ、水たまりと見間違えてしまいそうな姿をしている。しかもその魔物は群れとなってどんどん船に乗り込んでくる。
船を操縦しているガレットたちに手を出させてはいけない。
私は目の前に迫るものへ得意の呪文を叩きつける。
「バギマ……!」
かまいたちのような風の刃が、魔物の群れに襲い掛かる。
しかし直後悲鳴じみた魔物の咆哮が返ってきて、私は思わず怯みそうになった。
「プリンちゃん、いけるよ! そのまま押し切れーー!!」
クッキーの声だ。
いつものような軽さがなかった。
それが逆に私の中で恐怖を吹き飛ばした。
「消し飛びなさい……!」
雨と波しぶきで私の声なんてかき消えたような気がするが、再度唱えたバギマで魔物たちの咆哮は聞こえなくなった。どうなったのかと思ったら、クッキーが駆け寄ってきてくれた。
「やったぁぁ!
あいつら全部消し飛んだよ。」
消し飛んだ?
バギマの連発で魔物の群れを倒せたようだ。
「良かったわ……。」
力技で嵐の中で船の舵を取ってくれていた二人を守れたとホッとした。
息を整える間もなく、私はあることを思い出した。
「そうだクッキー、私忘れてたんだけど、今こそ、この魔法が有効だと思うの。」
「え?」
濡れた前髪を掻き上げながら、精神を集中して詠唱する。
「トヘロス」
淡い光が船ごと包み込んでいった。
「どうかしら。」
「わあ、すごい! 魔物除けの魔法だね。船ごと光を包んでくれたから、きっとこれで安全に航海できるよ!」
クッキーが船の周りを観察しながらパッと表情を明るくした。
「安全というのはいい過ぎよ。油断はできないわ。」
「でもこれで少しは休めるでしょう?
プリンちゃんがいてくれてよかった~。」
「……当然のことをしただけよ。」
そう答えながらも、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
役に立てた。良かった。
「よし、風向きが変わった。
舵取りなおすぞ。」
ガレットの声に、クッキーが了解!と駆けていく。
私はと言えば、手すりにつかまってそのままその場にへたり込みそうになっていた。極限の緊張の中、呪文を連発した疲労が一気に押し寄せてきたのだ。暴風雨の中での戦いで、全身はびしょ濡れになっている。
髪も服も肌に張り付いている。
緊張感が抜けたら、今度は指先が寒さでかじかんできた。
「プリンちゃん、大丈夫?」
ガレットの方に行ったはずのクッキーがすぐ背後から声を掛けてきた。
あわててその声に振り返った。
「ど、どうかしたの?」
「どうかしたじゃないよ。顔、真っ青だよ。おいでよ。」
寒さにかじかんで震えていたのがバレていたようだ。
クッキーが突然私の手を握った。思いがけないことに、ドクンと胸が跳ねる。
彼の手は思いのほか熱くて……私より随分大きいんだなと思った。
いや、何を考えてるのだ私は。
クッキーは何も言わずそのまま私の手を引いてどこかへと向かった。
「どこへ行くの?」
「震えてるよ。寒いんでしょう?」
そういうと、肩に何かを掛けてくれた。
「それで体を拭いちゃってね。びしょ濡れのままだと風邪ひくよ。
それに、服が濡れて透けちゃってるから。着替えた方がいい。」
「えっ……?」
聞き返すこともできないままに、クッキーは私を船室に押し込むようにして、そのまま出て行ってしまった。
なんだって? 服が透けている?
そういえばさっき雨で服が肌に張り付いていたなとは思ったが……。
改めて見ると服は透け、、裾からは水滴が垂れている。こんな格好でとても人前に出られるはずもない。
「……!」
旅を共にする仲間とは言え、男性の前で私はなんてはしたない姿をしているのかと信じられない気持ちで顔が熱くなった。
さっき肩にかけてもらったタオルで慌てて体を拭いた。
だが、ふと気づく。
ちょっと待って、これはタオルじゃない。
「……これって……」
クッキーのマントだった。
クッキーのぬくもりを感じて、私は一瞬マントをまとったまま固まってしまった。さっきまでの寒気が少し飛んでいくような気がした。
ああ、でもこれはきっと彼が大事にしている装備なのに、こんな事で使ってしまってはいけない。
クッキーに返しにいかないと。
でも、この恰好では彼らの前にはいけない。
とりあえず他のタオルで体を拭いて、着替えをしてから船室を出た。
船室を出ると嵐はやんでいて、青空が戻ってきていた。
本当に、海の天気は気まぐれなんだなと、実感した。
彼らはどこへ行っただろう?
船を見渡すと、二人は順番に舵を取っているようだった。今はクッキーが操縦し、ガレットはその脇に座り込んでいる。
「ああ、プリンちゃん着替えすんだの?
大丈夫だった?」
「え? ええ……」
クッキーがこちらを見ずに私の気配を感じて声を掛けてきた。
大丈夫だった?と言われて、あの私の大丈夫じゃない格好を思い出した。クッキーはどこまで見たのだろうか?と顔が真っ赤になった。
私の百面相を見て、ガレットが怪訝な顔をした。
「どうしたんだ? 真っ赤になって。
雨のせいで風邪でも引いたんじゃないか?」
「あ、いいえ! 何でもないわ、大丈夫よ。」
ガレットにまで余計な心配をかけてしまった。
「ねえ、ガレット舵少し変わってよ。」
「なんだお前、さっき変わったばかりだろう?」
船の舵取りを変わってくれというクッキーにガレットがやれやれと立ち上がった。
「あ、ごめんなさい。二人ともずっと休憩取れてないでしょう。
次は私が舵取りするから、二人は休んできて頂戴。」
そういうとクッキーとガレットは少し顔を見合わせた。
そしてクッキーはガレットと場所を交換してこちらにやってきた。
どうしよう、クッキーと顔をあわせるのが少し気まずい。
あ、そうだ。これを返さなければ。
折り畳んだマントを返そうとすると、クッキーはそれをぱんぱんと伸ばして、また私に差し出してきた。
「え?」
「いいって、寒いんだったら、まだこれかぶってたら良いよ。」
「いいえいいえ、もう大丈夫です。ありがとう。
……助かりました。」
「そう?」
無理やりむぎゅっとマントを押し返すと、やっとクッキーはそれを受け取って、次は道具袋から何か小さな包みを差し出してきた。
「じゃあ、これ。甘いものを食べると、ちょっと落ち着くから。」
クッキーが差し出したものは干し果物だった。
ルプガナでもらったものをまだ加工して持っていたようだ。
「今度は遠慮しないで。ガレットもさっきがつがつ食べてたんだから。
味は確かだよ。」
「お前、俺を毒見に使ったな?」
二人のそんなやり取りを聞いて、私は力が抜けてふふっと笑った。
すると、クッキーも嬉しそうに目を細めた。
「ああ、やっとプリンちゃん笑ってくれたね。
さっきからずっと青くなったり赤くなったり、心配してたんだよ。
やっぱり、プリンちゃんは笑顔が一番だよ。」
「え……、あ……。」
いつかもクッキーに言われたのを思い出した。
クッキーはいつも、私の笑顔が見たいと言ってくれる。
「プリンちゃんさっきめちゃくちゃ頑張ってたよね。
ぼくはガレットが海に吹き飛ばされそうになってるし、右往左往してて、ろくに役に立ってなかったけど。」
「そんなこと……。」
クッキーの言葉のおかげで、私は恐れを振り払って戦えたのだ。
「今もそうだ。
なんだったか……、プリンちゃんは何か魔法を使ってくれたんだろ?
おかげで、さっきから全然魔物が出てこない。」
ガレットが海を指さしながら、そういってくれた。
トヘロスの効果が出ているようだ。
魔物が減るだけでも、随分船旅が快適になる。
「トヘロスだっけ!? 咄嗟によくプリンちゃん思いついたよね。
本当助かったよ~。」
「そんな、当然の事よ。」
「またそれを言う。」
クッキーが笑った。屈託もない、いつもの笑い方だ。さっきの真剣な声とは違う、やわらかい聞きなれた響きだ。
嵐と魔物の襲来に緊張していた肩からふっと力が抜けていく気がした。
「……よく頑張ったねえ。」
そういって、クッキーは私の髪を撫でた。
「……!」
またクッキーの体温を感じるような距離で一瞬驚いて、私は後ずさった。
「あ、ごめん。」
「お前、また距離感間違えてんぞ。」
ガレットにいさめられて、クッキーは一瞬しゅんとした。
「いいえいいえ、何も。
クッキー、これ美味しかったわ。」
「そう?なら良かったけど……。」
私は二人に会釈をして、その場を離れた。
なぜだか、少しだけ顔を上げにくかった。
++++
その後、魔物もほとんど出なくなり、航海自体は平穏無事だったのだが、どうやら私たちは見知らぬ土地へとたどり着いてしまったようだ。
「クッキー、お前どこに向かってんだよ。」
「いやあ、あそこに大陸が見えるなあって思ってまっすぐ操縦してたんだけど、ここはどこだろう?」
迷子になってしまったらしく、二人が広げた世界地図を覗き込んでいる。どうやら当初目指していた大陸とは全然違う場所のようだ。
「ここ……よね? ペルポイ、と読むのかしら。」
「随分、遠いところに来ちゃったねえ~。」
「え? ええ……。そうね……」
聞いたこともない町だが、航海続きの体を休められるならどこでもありがたい。
それより、私はまだクッキーの顔をまともに見れないでいた。
私たちは下船の用意をし始めた。
久々の陸地だ。
濡れて乾かしていた道具や衣服を荷物にまとめる。
作業しながら、私はまださっきのことを思い出していた。
『プリンちゃんは笑顔が一番だよ』
何でもないように言われたその一言が、いまだに残っていた。
「プリンちゃん、これも持って行くか?」
「え……?あ、ええ。お願い」
ガレットが差し出してきた荷物を受け取り損ねて私は床に落としてしまった。慌てて拾い上げると、ガレットが横目に呆れたような顔をしている。
「あいつの言ってることなら、気にしててもしょうがないぞ。」
藪から棒の一言だった。
「な……、なんのこと?」
「なんかクッキーに言われて意識してんのかもしれんが、あれは癖みたいなもんだぞ?」
「癖?」
ガレットは手元のロープを束ねながら続けた。
「俺だって、あいつに言われたことがある。
俺がしかめっつらばかりだから、笑った顔が見たいって。」
「……!」
ガレットはしっかり聞いていたようだった。
「あんなの、あいつサマルトリアの新入り兵にだって言ってるぜ。
びびってる兵に怖がるな、それより笑顔が見たい、とか何とかいって。」
「………… 」
返す言葉もなかった。
けれど、心の中では思わず、
クッキーなら言ってそうだ……!
と思ってしまった。
緊張で顔をこわばらせている新入団兵に、いつもの調子で笑いかけながら、そんなことを言っているクッキーの姿が、ありありと目に浮かんだ。
ガレットに言っているのも本当なのだろう。
あのクッキーなら、きっと誰に対しても同じように声を掛ける。
そうか、そうだな……。
クッキーは優しい。
けれど、その優しさは私だけに向けられたものではない。
当たり前のことだった。
旅を始めてから、クッキーはいつも私を気にかけてくれた。
笑ってほしいと言ってくれた。
さっきだって、寒さに震えていた私に気づいて、何も言わずに自分のマントを貸してくれた。
あんなふうに寄り添ってくれた人は初めてだったから、それが嬉しかった。
……嬉しかったからこそ、私はいつの間にか、その優しさを少しだけ特別なものだと思っていたのかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥がほんの少しだけ、ひやりとした。
拾い上げた荷物を、私は無言で抱え直した。
急に、荷袋の重さが手のひらに残った。
「何の話をしているのか、分からないわ。」
そういって作業に戻った。
砂を払う手の動きが、さっきより少し雑になっていることに、私は気づかないふりをした。
++++
ペルポイの町に着いた、はずだった。
けれど、そこには何もなかった。廃墟のような建物がぽつぽつと並ぶばかりで、人の気配はどこにもない。
「ここは、町の跡地……かしら。人が住まなくなって、だいぶ経つようだけど。」
ここもムーンブルクのように魔物に滅ぼされた町なのかもしれない。
そう思うと、少しまた体に緊張感が戻ってきたような気がした。
「少し疲れましたし、
ここでひとやすみさせてもらいますか?」
そういうとガレットも頷いた。
足元がゆらゆら揺れないだけでも、随分心強く感じるものなのだと、船を降りてから初めて実感した。
崩れた瓦礫の影に腰を下ろそうとすると、物陰から人が現れた。
「おいっ、こんなところでひとやすみするんじゃないよ。
やつらに見つかったら大変だ!こっちに来てくれ!」
そういうと、その人物は私たちをどこか別の場所へ案内しようとした。
何事か分からなかったが、彼の様子はひっ迫していたし、私たちは彼の案内に付き従ってしばらく歩き、隠し階段を案内された。
「うわあ、地下にこんな町が!?」
クッキーが目を丸くする。
階段を降りると、松明の灯りに照らされた町並みが広がっていた。地上とは打って変わって、人の声や生活の音がある。
人々が生きている。滅んだ町ではなかったのだ。私はそのことにホッとした。
「おいおい、よそものか?
誰にも見られていないか?」
町案内をしてくれた男性よりさらに恰幅のいい武装した男が、いぶかしむように声を掛けてきた。
その人はこの町の大将と呼ばれているそうだ。
大将は色々と教えてくれた。
このペルポイの町はハーゴンの本拠地から近いため、逃れ住むために地下に町を作ったのだそうだ。魔物にばれないように息をひそめるように、そうして人々は隠れ暮らしているのだという。
驚くことばかりであった。
魔物の難から逃れるため、こんな苦難を乗り越えて暮らしている人々がいること。そして、ここがあのハーゴンの本拠地に近いのだという事。
私はごくりと息を呑んだ。
憎きハーゴンがこの町の近くにいる……!
気づけば私はぎゅっと拳を握りしめていた。
私は大将を信頼できる人と感じて、自分たちが勇者の血をひく者だと明かした。ここではもっと決定的な情報が手に入るかもしれないと思ったのだ。
「勇者の血を引いているだと……!?」
「その神殿にはどうやったらいけますか?」
「いや……人間にはとても無理だろう、周囲は巨大な山脈に覆われているんだ……。」
そういわれて、下船したときのことを思い出した。
ペルポイの町の背後には天にも届くような巨大な岩山が連なっていた。あの奥にハーゴンがいるのだと言われても、確かに人間にはあれを超えることは不可能だろう。
それに町の周りにはハーゴンの手下の魔物たちがうようよしているらしい。町の人々はその魔物の襲来に何度も悩まされてきたようだ。
「勇者さまが来たのは良い機会です!こちらから打って出ましょう!!」
横から入ってきた男が大将の手を引いて何か詰め寄っている。
話を聞いていると、彼は自警団の副団長なのだそうだ。大将よりはいくらか若く、腰の剣に手をかけたまま殺気立った様子だった。
だが大将はそれに応じず渋っている。
どうやら彼らは意見が違っているようだ。
副団長は魔物に怯えながら生活する今の暮らしに嫌気がさして、危険な魔物を討って倒したいと思っている。
大将はそんなことをしたら、下手をしたら自警団や町にも被害が出ると否定的だった。
どちらの話も一理ある。
けれど、私は魔物から逃げ続ける暮らしには限界があると思っていた。いつか魔物たちが本気になったら、やつらには説得など通じない。
私たちがここへ流れ着いたのも、何か意味があるのかもしれない。
「私は副団長さんの意見に賛成です。
魔物から隠れるのではなく倒すべきです。」
私の仲間たちもそれに賛同してくれると当然のように思っていたのに、クッキーは一瞬ぎょっとしたようにして首を振った。
「で、でも! 戦ったらみんな怪我とか、もっとひどいことになっちゃうかもしれません。」
そういって大将寄りの意見を言ってきた。
正直、信じられなかった。
「だからだまって怯え続け隠れ続け、
いつか運悪く見つかった日にみんな殺されても良いと?」
私はクッキーと真っ向から意見を戦わせた。
だって、私は知っている。
魔物たちは残虐で残忍。命乞いなんて聞きやしない。隠れたってなんの意味もない。
あっという間に愛するムーンブルクを滅ぼしていったあの日の事を、私は今でも昨日のことのように思い出せる。
クッキーには、私が味わったような大事な何かを失うという経験がない。だから、分からないのかもしれない。
「クッキーには、分からないのよ……。」
言葉が喉の途中で詰まったような気がした。
言ってはいけない言葉だったかもしれない。クッキーは黙ってこちらを見ていた。責めるような目ではない。
今、何を考えているのだろうか。
「ガレットは、どう思う?」
もう一人の仲間の意見も聞いてみたい。ガレットなら分かってくれるだろう。
そう思った時だった。
「大将! 大変です、魔物が上をうろついています! それも二体!」
一人の自警団兵が、息を切らせて飛び込んできた。
ここでまた、魔物に怯えて何もしないというのか。
すぐそばに凶悪な魔物がいるというのに、息を潜めて隠れているなんて、私にはできなかった。
「行きましょう!私たちの手で魔物を倒しましょう!」
その言葉に副団長も色めき立った。
「ええ! ぜひお願いします!」
大将は何か言いたそうにしているが、今は一刻を争うとき。
魔物が町の人々を襲う前に、こちらから動かなければならない。
私は杖を握りしめた。
その隣で、ガレットが何も言わずに駆け出した。
やはり――ガレットも戦うつもりなのだ。
それはとても心強かった。
私の考えを、分かってくれている。
そう思った。
そして、少し遅れてクッキーも後を追ってきた。
きっと、私たちが行くなら自分も行くしかないと思ったのだろう。
先ほどまで意見が食い違っていたことなど忘れたように、いつものように私たちの後を追ってくる。
その姿を見て、私はほっとした。
やっぱり、クッキーも一緒に戦ってくれる。
それが当たり前のことのように思っていた。
地上に出ると、報告通り二体の魔物がいた。蝙蝠のような姿をした魔物ノスフェイラと、黒い姿のモーモンだった。
両方とも空を飛ぶ魔物ですばしっこそうだった。その内一体、ノスフェイラが非常に素早い動きをして飛び出した副団長に襲い掛かった。
「下がって!!」
だが、ノスフェイラの動きは想像以上に速かった。
剣を振り上げた瞬間には、その脇をすり抜け、鋭い爪が副団長の肩をかすめていく。
「ぐっ……!」
「危ない!」
危険な魔物と自警団たちを戦わせるつもりはない。
そのために私たちは来たのだ。
二体の魔物は団結して襲い掛かってくるかと思ったのだが、何やら言い争いをしている。黒いモーモンはどうやら怖気づいたようで、ノスフェイラの影に隠れて戦う気がないようだった。
だが、それも魔物の戦略かもしれない。
油断するつもりはなかった。
ノスフェイラは細身な体に似合わぬ力で私たち全員に素早い攻撃をしてくる厄介な魔物だった。
しかももう一体が控えていて、どんな連携を見せてくるか分からない。
「イオラ!!」
私は一定の距離を置いて魔法で攻撃をしかけた。
黒いモーモンはおびえたように背中を見せて逃げ惑っている。何の真似だろうか? 黒いモーモンに警戒していると、ノスフェイラが私たちに突進してらせん打ちを仕掛けてきた。
「……速い!」
クッキーが割って入り、盾で私をかばうように腕を広げた。
「危ないよ!」
鋭い爪が盾に叩きつけられ、クッキーの身体が大きくよろめく。
「クッキー!?」
「大丈夫、平気……!!デイン!!」
雷がノスフェイラを直撃する。
「ギィィッ!」
魔物は大きく体勢を崩したが、それでも倒れない。
「まだ来るよ!」
ふらつきながらも、ノスフェイラは再び私たちに襲い掛かってきた。
私はもう一度イオラを放つ。
「イオラ……!!」
爆風に巻き込まれたノスフェイラが、今度こそ大きくよろめいた。
「ガレット、今だよ!」
ガレットがふうっと息を吐く。
今までずっと精神を集中し、力を貯めていたのだ。
「ここだ……! はああ!!」
渾身の一撃がノスフェイラを捉えた。
魔物は地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「……倒した……」
思わず息を吐く。
何とか倒すことができた。
けれど、思った以上に手強い魔物だった。
続いてあの黒いモーモンだ。
私が魔物をにらみつけると、モーモンはびくっとしたように身を震わせていた。
そして信じられないことを言った。
「どっ、どうか助けてください……! お願いします!」
魔物が命乞いをしてきたのだ。
「そう言って、油断させる作戦?」
姑息な作戦だと思った。
魔物はさらに畳みかけるように「ボクはニンゲンと戦ったりしない」と訴えてきた。自分は何もできない役立たずなんだと言っている。
会話ができる魔物は、時折人間の油断を誘ってくることはある。
そして、それは大体はろくでもない誘いなのだ。
今回もそうだと思った。憐れみを乞うて、私たちの隙を狙っているのだ。
私は魔物を睨み据えた。
命乞いをする魔物を目の前にした瞬間、胸の奥から押さえていたものが一気に込み上げてきた。
「じゃああなたはムーンブルクを襲ったハーゴンを止めてくれたの!?」
声が震えた。
きっとあの夜、ムーンブルクの民も魔物に命乞いをしたのだろう。
助けてくれと、殺さないでくれと、必死に訴えたはずだ。
だが、誰一人救われなかったではないか。魔物は誰もその必死の命乞いに耳を貸さなかったのだ。誰一人として。
許せなかった。
それなのに、私にこの黒いモーモンを許せというのか?
できない。
私を逃がすために命を落としたお父さま。
最後まで戦い続けた兵士たち。
そして、何の前触れもなく、何の罪もないまま命を奪われたムーンブルクの人々。
彼らの無念を思えば、魔物の命乞いを聞くことは私にはできなかった。
私たちが引かないのを悟ったのか、黒いモーモンは観念したように、ぽつりと言った。
「やっつけられちゃうって……こんなに怖い事なんだね。
今までニンゲンたちは、こんなにこわい思いをしてたんだね……。」
どこか諦めたように、悲しそうに。
私は杖を握ったまま、動けなかった。今まで魔物がこんな顔をするところを、見たことがなかった。
怯えている。
私たち人間が、魔物を恐れているように。
魔物だって怖いのだ。
そんな当たり前のことに、今さら気づいた。
今この魔物を討つことは、正義だと思っていた。
だけど――本当にそうだろうか。
少し心が揺れた。
だけど、私は自分を奮い立たせた。
助けられなかったムーンブルクの人たちの無念に報いるためには、私は魔物を見逃してはならないのだ。
魔物を倒すことをやめてしまったら、あの日の決意までなかったことにしてしまうような気がした。
私だけが生き残った。
だから、せめて私が戦わなければならない。
一匹でも多く魔物を倒すことが、残された私にできることなのだと思っていた。
私は手に持っていた杖に魔法力を込めた。
先ほどみたいに強力な得意魔法を唱えればいい……そのはずなのに、一瞬体が動かなかった。
すると、信じられないことが起きた。
「待って!!」
クッキーが黒いモーモンの前に立ちはだかったのだ。
まるで、モーモンをかばうように両手を広げている。
何? 何をしているの?
そこにいたら、危ないじゃない。
私はその行動の意味が分からなかった。
「こいつは魔物だし、敵だし、ハーゴンの手下だよ。
……でも、反省して助けて欲しいって言っている相手をやっつけることって、本当に勇者のやることなの……!?」
クッキーは黒いモーモンをかばっていた。
先ほど私をかばってくれたのと同じように、今度は魔物をかばっている。
「クッキー……?」
どうして魔物を助けるの?
どうして私に反対するの?
信じられない思いがした。
でも、クッキーが魔物側に着いたわけではない。その証拠に彼は武器には一切触れていない。
ただ、私を止めようとしている。
どうして?
クッキーは何と言った?
助けて欲しいと言っている相手をやっつけることは勇者のやることではないと。
勇者とは何なのだ?
「そんなの、分からない……!」
ムーンブルクの皆の無念を背負って私は戦っていると思っている。それが私の大事な使命だ。魔物を倒さなければ、ハーゴンを討つことはできない。
なのに、それは勇者のやることではないと言うのか?
私を見つめながら、クッキーが静かに口を開いた。
「それにキミ、とっても辛そうだよ。
本当はこんなことしたくないのに、こいつを見逃したらムーンブルクへの裏切りになるって思いこんでるみたいに見える!」
私には分からなくなっていた。
ただ、ムーンブルクのみんなのため。皆の無念に応えたい、そう思っていたのだが、それは間違っていたのだろうか。
「この子の命を助けたら私ムーンブルクの人たちに恨まれないかしら……?」
ぽつりとこぼれた言葉は、自分でも驚くほど弱々しかった。
クッキーはすぐには答えなかった。
私を見つめて、それから、静かに尋ねた。
「……キミのお父さんなら何て言うと思う?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が強く揺れた。
私が分からなくなっていた答えをクッキーが教えてくれた。
私はぽろぽろと涙が出てきた。
お父さまはいつも私に何て言っていたか。
「私が……すべきと思う事をしなさいって……言うわ。」
魔物を討たねばならない。
一人残らず討たねばならない。
そうすることがムーンブルクの民の無念に答えることだと思っていた。
けれど――。
本当に、皆はそれを願っているのだろうか。
お父さまは、そんなことを言うのだろうか。
違う。
きっと違う。
お父さまは、いつだって私に言っていた。
自分が思う道を進みなさい、と。
私は自分の本心に気づいた。
この魔物はちゃんと私たちと対話ができている。
怯えて、命乞いをして、自分の気持ちを言葉にしている。
本当のところ、この魔物に人間への敵意があるかないかなんて、私には分からない。
それでも……。
この魔物は、怯えている。
助けてほしいと訴えている。
自分が怖いという気持ちを、私たちに伝えようとしている。
私たちは、その声を聞くことができる。
ならば。
その声を聞いて、それでもなおどうするかを選ぶことこそが、人間にできることなのではないだろうか。
魔物が人間の命を奪ったからといって、私たちまで同じように命を奪う必要はない。
それができるからこそ、私たちは魔物とは違うのではないだろうか。
私は、手に持っていた杖から力を抜いた。
からん、と乾いた音がして、杖が地面に落ちた。
もう、握りしめている必要はなかった。
力が抜けたように、その場に座り込んでしまう。
涙がぽろぽろとこぼれてくる。
情けないと思った。
けれど、それでも涙は止まらなかった。
【挿絵を見る】
+++
あれから、黒いモーモンは戦意を見せることもなく、自ら牢屋に入ることを選んだ。
牢屋にいる黒いモーモンは人間に対する誤解も解けて、何のわだかまりもなさそうだった。
それだけでなく、魔物の動きを町の人に教えてくれると約束をしてくれた。きっと彼は今後町の人の助けになってくれるだろう。
クッキーは笑顔で「また会いにくるからね」と伝えている。
町の皆も魔物を撃退出来たことに安堵していた。
私も無事に危機を乗り越えられたことは嬉しかった。
けれど、胸の奥にはまだ、あの時の感触が残っていた。
魔物を倒そうとして杖を握った自分の手。
その前に立ちはだかったクッキー。
そして、怯えていた黒いモーモン。
私はまだ、あの出来事を自分の中で消化しきれていなかった。
その後、私たちは自警団の人が用意してくれた宿で休むことにした。
世界の人々は、こうやって私たちに色々親切にしてくれる。国を失った私は、人々のあたたかい感情に触れる度に、世界を守りたいという気持ちがよりいっそう強くなった。
だけども、今日の私は間違っていただろう。
憎しみに囚われ、「人間の前に立つ魔物は全て滅ぼすべきだ」と決めつけていたのだ。
クッキーが止めてくれていなければ、私は恐怖に震えて命乞いをするモーモンを、一閃のもとに打倒していただろう。それでは魔物の残虐さと何も変わらない。
「ねえ、皆起きてる?」
深夜のクッキーの声に私はドキッとした。
体は酷く疲れているはずなのに、眠れなかったのだ。
「なんだ?」
ガレットの低い声が響く。
「ああ、ガレット。少し、話を良いかな?」
「分かった。」
二人はのそっと起き上がって、どこかへ立ち去ろうとした。
「ま、待って……! 私も起きてるわ。」
私は慌てて起き上がった。
もしかして彼らも眠れなかったのだろうか。
「なんだ、皆起きてたんだ……」
部屋から出て行こうとしていたクッキーはおもむろに私の方へとやってきて、そして頭を下げた。
「え?」
「今回ケンカみたいになっちゃって……ごめんね。
キミの気持ち、わかってたのに。」
クッキーが謝る必要なんて、どこにもないのに。
それにあれはケンカと呼ぶものでもないと思った。
「いいえ、私こそ……」
大将さんと副団長さんの意見は正反対だったし、
私とクッキーの意見も正反対だった。
旅を始めて、クッキーはいつも寄り添ってくれていた。そのクッキーとこれほど意見を対立させたのは初めてのことだった。
戸惑いながらもクッキーは自分の意見を曲げはしなかった。
「あなたは…意外と頑固だったわね。」
「え、プリンちゃんに言われたくはないけどね。」
お互い顔を見合わせて少し笑った。
「ガレットもごめんなさい。
色々と、間に入って戸惑ったでしょう?」
仲間が仲たがいをしていると、どちらに着けば良いのかガレットも困ったであろうと思った。
「まあ…大将さんが言っていたことは夢物語のような絵空事だったし、副団長さんが言っていたことも現実を知らない絵空事だったな。」
「ガレットきっついね、それ。」
でも、きっとそれが現実だ。
二人の意見がどちらも正解ではなかったのと同じく、私たちの意見だってどちらも正解ではなかった。
「でも、ガレットの言う通りだわ。」
「結局、この世界に平和を取り戻すためには、ハーゴンを倒すしかないんだろう。」
その言葉に私もクッキーも頷いた。
魔物を一匹倒しても、一匹救っても、結局世界は平和にはならない。
全てを終わらせるために、私たちはハーゴンを倒さなければならないのだ。
「ありがとう、ガレット。その通りだわ。」
「うん。ぼくたち責任重大だ。」
ガレットの言葉に頷いて言った。
「……一緒にがんばろうね。」
「ええ。」
クッキーの言葉に、心のわだかまりが少しずつ晴れていくのを感じていた。
未熟な私は、また仲間に助けられた。
ムーンブルクを失った悲しみも、魔物への憎しみも、なくなったわけではない。
それでも、自分一人では、きっと気づけなかったことがたくさんある。
怒りにまかせて前へ進んでしまいそうになった私を、クッキーが止めてくれた。
そして、ガレットは少し離れたところから、私たちを冷静に支えてくれていた。
私一人だったら、きっとこんな気持ちで旅を続けることはできなかっただろう。
でも、この二人の仲間と一緒なら……私は心を失わず、戦い続けられる。
そう、思っていたのだ。
あとがき
ペルポイ編です!
(なんとなく原作に沿いますが、どんどんショートカットしていきますので、よろしくお願いします。)
ペルポイ編はとても印象深いエピソードだったなあと思います。サマルとムーンが意見を対立させてるとか、初見見たときびっくりしました。
どうしてあんな風になったのか考えると難しかったですが、印象的な話になったかな…と思います。
2026.08.26
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