第四章の1

太陽が眩しかった日々 1

私たちの新たな旅は、今のところ順調に進んでいた。

マカロンという新たな戦力が加わったことで、これまで手を出せなかったダンジョンにも挑戦できるようになった。いくつかの難所を越え、私たちは今、世界樹の森からほど近い港町、ザハンへとやってきていた。

「わあ、ここ磯の香りがするねえ。
 見てみて、お兄ちゃん! あんな所に魚が干してあるよ! あの魚美味しそう!」
「マカロン勝手に走り回らないで! ここに魚を食べに来たわけじゃないんだよ。」

マカロンは世界を旅できることが楽しくてしょうがないらしい。
どこに行っても目を輝かせて、あちこちに興味を示している。
また妹があまりにも勢いよく駆け出したものだから、クッキーが慌ててその手を引き、こちらへ連れ戻してきた。

「でも、今までの町とは違う雰囲気だね。ぼくは初めて来たよ。ガレットは知ってる町だった?」
「……そういえば、ここは知っている村だ」
「え、そうなの? 来たことあった?」
「あそこに旅の扉があるだろう。あそこがローレシアに通じている。
 だから、昔からこの光景をよく見ていた。」
「へえ~~。そうなんだ。」

ガレットとクッキーも遠くに見える旅の扉に目を向けた。
意外にも、ローレシアとゆかりのある村なのだそうだ。

……それにしても。

マカロンが仲間になってから、クッキーはずっと妹の世話ばかりを焼いている。

マカロンは、お兄さんが元気になり、世界を救う旅にも参加できるようになったことが嬉しくて、張り切っているのだろう。浮き足立ってしまうのも無理はない。

それに、実際この旅は楽しんでばかりもいられない危険なものだ。兄としては、心配することも多いのだろう。

それは分かっている。
分かっているのだけれど……。

三人で旅をしていた頃と比べて、クッキーが私のことをあまり見てくれなくなった気がする。

気のせいだろうか、私の自意識過剰だろうか。
でも、今だって、マカロンともガレットとも親しげに喋っているのに、私には話も振ってくれない。

……いけない。

これでは、クッキーを取られて拗ねている子どもみたいだ。
しかも、相手は私より年下の女の子なのに。

ばかばかしいと首をぷるぷる横に振った。
するとマカロンがどこからか見慣れぬ杖を持ってきた。

「ねえ、見て。プリンちゃん!
 うみなりの杖だって! プリンちゃんに似合いそうな杖があったよ!」
「え……ありがとう。そ、そうね。強そうな武器ね」

……マカロンはいい子なのだ。

私のことも、他の二人と同じように「プリンちゃん」と呼ぶようになった。
それは、いいことだと思う。距離が近いほうが、旅をするうえでも何かと都合がいいだろう。

それに、ちょっとばかり好奇心が強いマカロンには、あちこちから隠れた武器や道具を見つける才能がある。それが実際に、旅の役に立っているのだ。

「おい、油を売ってないで行くぞ。
 村の人に話を聞きに行くんだろう。」
「え、ええ。今行くわ。」

今だって、私に声を掛けてきたのはガレットだ。
クッキーでは、なかった。


++



短い間ではあるけれど、このザハンの村を見て回るうちに、私はあることに気づいた。

この村には女性しかいない。いや、厳密には老人や子どもはいるが、働き盛りの成人男性が見当たらないのだ。

何かこの町に良くないことが起きているのではないかという予感があった。

とある茅葺屋根の家で村の人に話を聞いたときに、その予感は決定的なものとなった。

漁に出た船の一行が、もう何日も帰ってきてないのだそうだ。
話をしてくれた女性は、漁に出ている人の妻らしかった。夫の帰りをずっと待ち続けているのだろう。心配でたまらないという様子が、その表情からも伝わってきた。足元では、小さな子どもが不安そうに母親の裾を握りしめている。

「……航海から何日も戻らないのであれば……それは…」

と言いかけて、私は口を噤んだ。
女性の目が潤み、今にも涙をこぼしそうになっていた。

「うん……私もわかってるんだよ。頭では、ね。」

不安でたまらないのだろう。
ご主人の名前はサザナと言うらしい。

海の航海がどれだけ危険なものかは、私たちが身に染みて知っている。
帰るべきところに幾日も帰れないというのは、一行にきっと何かが起きているのだろう。

待つ側の気持ちを思うと、胸が痛んだ。
帰ってくると信じたい。けれど、もしも帰ってこなかったら。

あの日、帰る場所を失った私には、その痛みが分かるような気がした。

すると、クッキーが女性の前に一歩進み出た。

「旦那さんはどのあたりに漁に行く予定だったんですか?
 ぼくたち船あるんで見てきてあげますよ!」

まるで、いい方法を思いついたとでもいうような調子だった。

「何か分かれば、少しはもやもやも晴れるかもしれません。」

にこやかにそう告げるクッキーを、私は横目で見つめた。

……彼は、何も変わっていない。

困っている人がいれば、迷わず手を差し伸べる。相手が少しでも安心できるようにと、まず自分にできることを考える。

やっぱり、優しい人のままだ。

私たちに一言の相談もないのは、思ったことをそのまま口にするクッキーらしいなと思いつつ、けれど、反対する気にはならなかった。
ガレットも静かに頷いているし、マカロンは船旅に慣れていると自信満々だ。

女性は、船旅は危険だからと私たちの身を案じてくれた。それでも、私たちの心はもう決まっていた。

「危ないことは、よく心得ています。
 だからこそ危険を避けられるのです。」

そう私は言った。

今までだって船旅はしてきていたのだ。
その経験を生かして、この村の人々の不安を少しでも取り除けるのなら、力を貸すべきだと思った。

女性は感謝を述べ、詳しい場所については、航海仲間の一人が村に残っているので、その人に聞いてほしいと言った。

まだ、村の中をすべて見て回ったわけではない。

私たちはほかの場所も探索しながら、その航海仲間の男性を探すことにした。




ザハンの村はあまり広くない。武器屋も見当たらないとガレットは残念そうだったが、道具屋を覗いてみると、そこに少し武器も置かれていた。

まじないしの服など、見たこともない防具が売っていて、ガレットは興味深そうにひとつひとつの品物を眺めていた。

他にも、村の奥地には大きな神殿があった。
シスターたちがこの神殿で何かを守っているようだった。
奥へ進むと、戦いに関する秘伝の書が隠されていた。

「戦いの秘伝の書って!?なになに、えーっとおなご編。
 敵にとびきりの笑顔を振りまいて? 油断させたところで投げキッスと愛のムチをおみまいしてやるのじゃ? 寝ぼけたり大混乱でアワワワな味方にはするどいザメハとツッコミで敵も味方もビシバシやってしまうがよい! 
 ……って、どーいうことー?」

マカロンが身を乗り出して秘伝の書を読み上げたが、どうにも意味が分からず首を傾げている。

「あ、男子編もあるよ、お兄ちゃん見ようよ。
 えーっと……、テキトーに戦えばよろし。
 え、これだけ!?」
「ぶはっ、なにこれ!」

一緒に本を覗き込んでいたクッキーが吹き出していた。
男子編は女子編に輪をかけて大雑把な秘伝の書だった。

「男子編雑すぎるねー、でもさ、これも一理あるかなあ。
 だってさ、ガレットはそのパワーで相手を殴ってたら倒せちゃうし、
 プリンちゃんはそのかわいい笑顔できっと魔物の方が混乱……っ、ごめん。」

そこまで言って急にクッキーは両手を合わせた。

「お兄ちゃん、魔物がなんだって? まーたデリカシーに欠けること言おうとしたんでしょう。」
「あはは、ごめん。」
「でも、これプリンちゃん向けのアドバイスじゃない?
 いつも冷静だから、ザメハとツッコミなんてプリンちゃんの役割だもんね!」
「そ、そう? かなあ……」

クッキーはまだ申し訳なさそうにしている。
けれど、私はやっとクッキーが私のことを話してくれたのが嬉しかった。何を言おうとしていたのか、気になっていた。
魔物を混乱させるだなんて、ずいぶんな言いようだけれど。それでも、かわいい笑顔だと言ってくれた。そのほんの一言が、こんなにも嬉しくて。

……私は、さっきから何を気にしているのだろう。

「おい、ふざけてないでもう行くぞ。
 ここはまだ俺たちには早かったようだ。」

ガレットが指さした先には宝箱があったが、残念ながらそこは鍵がかかっていて入れないようだった。
私たちは神殿を後にし、村の探索を続けた。




村の南東に向かうと、珍しい成人男性を見つけた。彼がその航海仲間なのだと分かった。

話を聞くと、彼は航海の当日体調を壊して、船に乗ることができなかったのだという。
そのおかげで、今も無事に村にいるわけだが……自分だけが航海に出られなかったことを悔やんでいるようだった。仲間たちの安否が分からないまま、ただ帰りを待つしかないのは、彼にとってもつらいことなのだろう。

「サザナを探しに行ってくれるって?
 そいつはおすすめできないな。お前らまで人魚のえじきになる。」
「人魚!?」

突然、現実離れした言葉が出てきて驚いたが、男性はいたって真面目に話してくれた。
人魚は男を誘惑し、海へと引きずり込む危険な存在なのだという。
実際に、そうして遭難した事件が過去にもあったのだというのだ。

その、人魚に惚れてしまった男は遭難して帰らぬものとなってしまった。のちに浜へ打ち上げられた彼の手には、人魚にもらったという耳飾りが握られていたという。

「人魚が船ごと、その男の人を海に引きずり込んだって事ですか?」

そう聞くと男性は頷いた。

「こわー……ほんとうなんだ……。」

マカロンが小さく身を縮めた。仲間たちも顔を見合わせた。
現実とは思えないが、実際、その耳飾りは今も西の小島のほこらに祭られているらしいので、おとぎ話や作り話ではない。

それにしても、人魚に漁師が魅入られるだなんて、俄かに信じられないが……、
けれど、今回も同じように事件が起きたという事なのだろうか?

「人魚かあ……」

何とも言えない表情でクッキーはガレットと顔を見合わせている。
彼らも、人魚に魅入られてしまうのだろうか……。

そんな様子を想像して私は少し嫌な気分になった。
彼らが……クッキーが、そんな風になってしまうのは嫌だった。

いや。
そんなことは起きない、……起こさせない。

「でしたら、私たちは大丈夫ですね。
 人魚は男性をねらうのでしょう?
 あなたたちが誘惑されたら私たちの平手打ちで正気にもどしてあげましょう?
 ね、マカロン。」

そう言って二人を見やると、ガレットもクッキーも、ぎょっとした顔をしていた。
一方、マカロンは嬉しそうに頷いた。

「任せてよっ!
 お兄ちゃんをドツけるなんて最高!」

マカロンはえへんと胸を張った。どうやら、兄を堂々と叩ける機会が巡ってきたことが、妙に嬉しいらしい。
聞けば昔、お誕生日のケーキのろうそくを消されてしまって、それをずっと怒っていたのだそうだ。って、何年前の話だろうか。

「ええ!? マカロン、いつの話してるの。それもう謝ったでしょう?」

 クッキーは困り果てた顔で妹に抗議していた。

兄妹の昔の話が聞けたことが、なんだか面白かった。
きっと昔から今のように仲良しだったのだろう。

私たちは男性に詳しい場所を聞いて、地図にしるしをつけてもらった。
これから、人魚探しの旅が始まるのだ。思ってもいないことだった。



+++



船はザハンの島を離れ、地図に示された東の方角へと進んだ。

風は穏やかで、海も今のところ平穏だ。
トヘロスのおかげで、魔物もあまり寄ってこない。舵はガレットが取り、私は甲板の日陰で航路を確認していた。

「暑いなあ。のど渇いちゃった! お兄ちゃん、お水ちょうだい。」
「ちょっと待って。」

マカロンの声が聞こえて、私は航路の地図からそっと視線をあげた。
クッキーが腰の水筒を外して、ごく自然に妹に手渡していた。

「一気に飲まないでよ。ぼくの分も残しといてね。」
「えー? どうしよっかなあー。」

マカロンはいたずらっぽく笑って、ごくごくと喉を鳴らした。

私は何気なくその光景を見ていた。
そして、ふいに思い出した。
ムーンペタを出たあとの砂漠で、私が熱中症で倒れかけたときのことを。

あの時も、クッキーは今みたいに私に水筒を差し出してくれた。
断ろうとした私に「いいから」と言って、水を分け与えてくれた。

それで私は一人で慌てて、これは人命救助だなんて自分に言い聞かせていた。

けれど……。

今、クッキーは何でもない顔で、同じことを妹にしている。
きっと、あのときもそうだったのだろう。

クッキーは私より年上だし、年下の妹にするのと同じように、私は世話を焼かれていただけなんだろう。クッキーにとっては、私も妹と同じ。
今更そんなことに気づかされた。


そう考えると、胸の奥が少しだけ沈んだ。
私は小さく息を吐いた。

「プリンちゃんものどが渇いた?」

クッキーが私の視線に気づいたようで、水筒を差し出してくれた。さっきと同じような笑顔で腕をこちらにのばして。

「いいえ、今は大丈夫。ありがとう。」
「そう?」

クッキーが私を見ていないと思ったのは私の勘違いだったようだ。
彼は私がベラヌールで告白してからも、何も変わっていない。相変わらず周りをよく見ているし、いつもの笑顔を見られるのが嬉しかった。
きっと気にしているのは、私だけだろう。

水筒を戻す彼の横顔を、私は地図のすき間から少しだけ眺めていた。
それきり、彼は何事もなかったようにマカロンと話し始める。

私は再び地図に目を落とした。
地図には、これから進むべき航路がきちんと記されている。進む先に迷うことはないはずだが、どうしてか、心が晴れなかった。


+++


「みんな、そろそろこの辺が目的地になる。準備をしてくれ。」

舵を取るガレットから声が届いた。

「岩が多いですね。これなら人魚に関係なく、船がぶつかっちゃいそう……」

クッキーが辺りを見渡しながらそう言った。
確かに、海面から大小さまざまな岩が突き出している。少しでも操船を誤れば、船底をぶつけて座礁しかねない場所だった。

サザナさんたちの船も、もしかしたらこのあたりで……。
そんなことを考えていたとき、船の最前部にいたマカロンが声を上げた。

「魔物よ!」

顔をあげると、岩の影から赤い影が一斉に飛び出してきた。
一瞬、人魚かと思ったが、魚と人を混ぜたような赤いうろこの魔物だった。数えると七体もいて、私たちに敵意をむき出しにして襲い掛かってきた。

「魔物の数が多い! クッキー、スクルトを!」
「分かった。」

クッキーのスクルトが私たちを包み込んで、魔物の先制攻撃を受け止めて、素早く体勢を立て直す。動きの速いマカロンがヒャダインを唱えた。魔物が一気に氷漬けになる。

「今ならあいつら動けないよ!」
「ええ、まとめて行くわ。イオラ!」

私の放った爆発呪文が、身動きの取れない魔物たちをまとめて吹き飛ばした。

「いいね、じゃあぼくも! ベギラマ!」

三人がかりの一斉攻撃で魔物は一気に数が減った。
最後に残った魔物たちを、ガレットが確実に仕留める。

ほどなくして、岩場には再び波の音だけが響くようになった。

「海での遭難事故って、今みたいな魔物の仕業って事はないかな?」

クッキーのつぶやきに、私たちも頷いた。
あんな数の魔物の群れに襲われたら、訓練を重ねた船乗りたちもひとたまりもないかもしれない。
私たちはこの岩場の周辺を詳しく調べることにした。

サザナさんたちの行方を知る手がかりが、どこかに残っているかもしれない。



そう思いながら岩場を歩いていった。
岩場の道は、波に削られて足場が悪くなっていた。
ガレットは足場の悪さなど気にも留めずに、ずんずんと進んでいく。身の軽いマカロンもそれに続いてひょいひょいと進んでいった。

私は苔の生えた岩に足を取られて、ぐらりと傾いた。

「おっと。」

転びそうになった私を、クッキーがとっさに支えてくれた。
驚いて彼の顔を見上げようとしたその瞬間、クッキーはぱっと私から手を離し、何故かガレットの方へ向かっていった。

「ちょっと、ガレットどんどん先に進まないでよ。
 こんな岩場で転んだら海に落ちて大変なことになる。」

ガレットに文句を言いながら、彼に何かを囁いている。
するとガレットが私の方に手を差し伸ばした。

「プリンちゃん、俺に掴まれ。」
「え? あ、ありがとう。」

ガレットが私を支えてくれた。

……ありがたいのだが、クッキーはどうして私を避けるように慌てて行ってしまったのだろうか。
ガレットの方が力があるから、だろうか。

そう納得しようとしたが、すこし腑に落ちない気持ちもあった。

「どうかしたか?」
「いいえ、ガレットありがとう。助かるわ。」

私はガレットの手を取って、岩場を進んでいった。
しばらく進むと、どこからか声が聞こえてきた。

「魔物退治してもらえて良かったじゃん!」
「ニンゲンだよ。うろこ剥がされて売られちゃうかもよ?」
「いいニンゲンもいるって、知ったばっかじゃん。」

魔物の仲間の声かと警戒したが、どこか様子が違う。
明るくて若い女の子のような声がする。

岩場を降りていくと、マカロンが真っ先に何かを見つけた。

「あーー!人魚、本当に人魚!!」

マカロンの指さす先には、水面から二人の女性が顔を出していた。
長い髪をなびかせていて、美しい人間の女性のように見えるけれど、水面下にはきらきら光る魚のひれが覗いていた。

人魚だ。
本当に、いたのだ。

「わあ、人魚さんだあ……。」

クッキーも目を丸くして、水面を覗き込むように身を乗り出した。
彼女たちはこちらに気づくと、両手をひらひらさせて手を振ってくれている。
つられてクッキーもひらひらと手を振り返した。

「お兄ちゃん?」

マカロンが、にっこり笑った。

「ビンタの準備はいい?」
「え、今のがダメなの!?」

ガレットは、何も言わずに一歩後ろに下がった。
ザハンでの「ビンタ」の話を思い出して、巻き込まれまいとしたのだろう。
二人のやり取りは少し面白かったが、今はそれどころじゃない。

私は人魚の話に耳を傾けた。


「ニンゲンさんこんにちは!
 あたし、人魚のミリアっていいます!こっちはまぶだちのエレポン!あ、エレインだよ。」

気さくな自己紹介に私たちも戸惑いながら会釈をした。
どうやら彼女たちは、私たちが魔物を退治したことで、この辺りが平和になったと喜んでいるようだった。

「お二人は、先ほどの魔物に困ってたのですか?」

会話ができそうなので、私は人魚に話しかけてみることにした。

「ミリミリとマジでこわいって逃げ回ってたから超助かりました!」
「いつもは魔物に気を付けてるんだけど。
 最近ね、妖精のお友達から全然連絡が来なくって。昔はしょっちゅう遊んでたのに、最近はぱったりで。だから、一人でぼんやり陸の近くへ遊びに行ってたの。そしたら、船の残骸と一緒に、サザナ……あ、人間たちが流れてきて!」

「え!? おふたりはサザナさんを知っているのですか!?」

色々気になることを言っている気がするが、行方不明のザハンのサザナさんの手がかりが早くも見つかりそうで、私は身を乗り出した。

「うん。船が沈んじゃっておぼれてるのを助けたの。
 人間の町に送ってきたよ。」

なんと、サザナさんはこの人魚の方々に命を救われていたのだという。
良かった!

それに親切にザハンまで送ってくださったそうだ。
入れ違いになってしまったようだが、無事に町まで戻れたのなら、きっと家族も安心したに違いない。こうして直接話を聞くことができて良かった。


「元気になるまで、介抱してあげたんだよね~。そりゃもう愛情いっぱいに!」
「何言ってんの! そんなことないし…!」
「そのかいあって、みんな元気になったもんね!」
「みんな?」

私は思わず聞き返した。

どうやらサザナさん以外の漁師の方々も皆命を救われたらしい。
なんていい人、いや人魚だろうか。

「ありがとう! 本当によかった! もう駄目だと思ってたからさ……」

マカロンも感激した様子でお礼を言っている。

「それで、サザナさんの怪我の具合はどのような…。」

詳しい話を聞こうとしたが、どこか様子がおかしい。

「あれはね、ヤケド! 恋のヤケドよ! 見てるこっちもアツくなっちゃう!」

エレインが、ミリアの肩をつつきながら楽しそうに言った。

「うるさいよ!」

とミリアも嫌がりながら、サザナの介抱中のエピソードをうっとりと語っている。

どうやら、話は思わぬ方向へ進み始めたらしい。

ミリアは寂しくしていたときに流れてきたあの人を見て、運命の人だと思ったのだという。
彼は目を覚ました時に、ミリアの顔を見て「ありがとう」と言ってくれた。
人間の男性が、あんなに優しい顔で笑うなんて、初めて知った。

そんなことを、うっとりとした表情で語り始めた。

二人は恋の話で盛り上がってしまって、こちらの話を聞いてもらえない。

「人魚さんって思ってたのと違うね。」
「あたし、恋のヤケドの話、もっと聞きたい。参加してきていい?」
「ダメだよお前は。もっと話がややこしくなるでしょう?」

今度は妹が兄にいさめられている。
でも、あの二人にマカロンが参加したら、きっと話は収集つかなくなるから、私もクッキーの意見に賛成だ。

「えー、でも人間と人魚の恋の話ってことだよ!?
 ドキドキしちゃう!」
「今はそれより聞いておかないといけない事があるでしょう?」

人魚が人間を引きずり込むなんて、きっと誤解だったのだろう。
それどころか、人間を助けてくれるいい人魚だった。

楽しそうに恋の話に盛り上がっているところ申し訳ないが、私は再度人魚に声を掛けた。

「楽しくお話されているところ申し訳ないのですが、少しよろしいですか?」

二人は素直にこちらを向いてくれた。
漁師の方々を救ってくださったのなら、お礼をしなければならないと思ったのだ。

するとミリアはサザナがお礼を持って来てくれることになっていると教えてくれた。
また次に会う約束もしていたのだそうだ。

彼女は顔を少し赤らめていて、恋する彼とまた会える、そんな期待に満ち溢れているように見えた。

その話を横で聞いていたクッキーが口をはさんできた。

「そうなんだ!
 じゃあもしかして奥さんとお子さんも来てくれるかもね。
 奥さんね、とっても心配してたんだよ。
 きっとよろこんでお礼してくれるよ。」

マカロンがぎょっとした様子で兄の方を振り返っている。

……ええ、分かる。
彼に悪意など一つもないのは分かっている。
そして言ってることも、間違ってはいない。

だが、その言葉、今この場面で必要だっただろうか?

「えっ、奥さん……?」

ミリアの顔がみるみる青ざめていく。

「お兄ちゃん! 今のはビンタ案件だよ!!」
「え、ぼくまずい事言った? ダメだった?」
「んもーー!」

マカロンがクッキーをぐいぐい手で押し、無理やりその場から遠ざけようとしていた。

恋のヤケドに夢中になっていたミリアは意気消沈したように「奥さん、いたんだ…」とだけ呟いて顔を伏せた。

エレインが慌ててミリアを励まそうとしているが、ミリアは首を横に振った。

「別に関係ないよ。
 あのさ、人間さん……、サザナに伝えてくれる?
 私気が変わっちゃったから、もう来なくていいよって。
 お礼もいらない!」
「で、でも……。」

あんなに嬉しそうに、また会える日を楽しみにしていたのに。
本当に、それでいいのだろうか。

「せっかく家族が待ってる家に帰れたのに、
 また魔物に襲われたら、しょーもないじゃん!? だから……。」
「ですが…!」

思わず声を重ねてしまった。
ミリアの声が震えているのが分かったからだ。

ミリアは赤い目をして、ふっと笑った。

「私たちに救えた命があった。
 それだけで、じゅーぶん!」

その言葉に、私は胸がいっぱいになった。

ああ、本当にいい子だ。
きっと、もう一度サザナさんに会いたかっただろうに。

叶わない恋の切なさを知って、私の方が泣きそうになる。

それでもミリアは笑っていた。
私たちの前では、明るく振る舞おうとしている。

なんて強くて優しい子なのだろう。

彼女の希望は何でも叶えてあげたい気持ちになった。




+++



ザハンに戻ると、サザナさんの家に着く前に、奥さんが私たちの姿を見つけて駆け寄ってきた。

「あんたたち、ありがとう。
 うちの人帰ってきたんだよ!」

目には涙が浮かび、声も少し震えている。私たちの顔を見るなり、何度も頭を下げてくれた。

家の中に通されると、日焼けした大柄な男性が、片腕に包帯を巻いて椅子に座っていた。膝の上には小さな子どもがちょこんと乗っている。

きっとこの人がサザナさんだろう。

良かった……。

こうして家族のもとへ帰ってこられたのだ。隣にいる奥さんも、まだ興奮が冷めない様子で、「人魚に助けてもらったなんて信じられないよ」と何度も繰り返していた。

サザナさんは、あの日のことを思い出すように、ゆっくりと口を開いた。

「あの時。船が沈んでもう駄目だと思ったんだ。
 そしたら、海から彼女が……人魚が助けてくれてなあ。
 それから、起き上がれるようになるまでずっと看病してくれて。」

サザナさんの表情からは、人魚への深い感謝が伝わってきた。

「次に会うときは、お礼を持っていくって約束もしてるんだよ。」

何の悪気もなさそうな表情だが、私は言いにくそうに言った。

「……その人魚さんから、ことづてを預かってきました。」

ミリアから頼まれたことを伝えた。

お礼は持ってこなくていい。
せっかく無事に帰れたのだから、もう危険を冒してまで会いに来ないでほしい、と。

これが人魚の思いだと伝えると、サザナさんは少し残念そうにしながら静かに頷いた。

「そうかい……。本当に優しい子だな。
 お礼はしたかったんだが……でも、この腕じゃな。また遭難したら、元も子もない」
「そうだよ、あんた!
 今の海は、あんたには危険すぎる。」

家族を悲しませてまで、無理に航海へ出るわけにはいかないだろう。

「でも何もできないのも心苦しいよ。
 君たちは若いのに、本当に腕に覚えがある一行のようだ。
 なあ、俺の代わりに贈り物を届けてもらえないだろうか」

私が仲間たちの顔を見ると、誰も反対はしなかった。

「いいよ!
 あなたたちがすっごい感謝してたって、
 あたしも人魚さんに伝えてあげたいもん。」

マカロンが嬉しそうに頷いた。

「ありがとう。」

サザナさんはほっとしたように微笑み、私たちに頼みたいことを話してくれた。

贈り物というのは、西のほこらにある人魚の耳飾りだった。
その耳飾りのことは、先ほど航海仲間の男性からも聞いたばかりだ。人魚に魅入られた男が最後まで握りしめていた、いわくつきの品だと。

けれど、今となっては、それも人魚への誤解から生まれた話だったのかもしれない。

「人魚は人間の敵じゃなかったって、はっきり分かったろ。
 だから、あの人魚のものは人魚の手に返すのが良いと思うんだ。」

きっと、ミリアたちも喜んでくれるだろう。
それに、耳飾りを返すことができれば、人間と人魚の間にある誤解も少しは解けるかもしれない。

「人魚さんたちもよろこぶと思います。」

そういってクッキーも頷いた。

「ほこらなら、近いな。では行こう。」

ガレットが短く言って、先に外へ出ていった。


+++



西のほこらは魔物たちが巣くっていた。
狙いは何だろうか。彼らは紋章を探しているようだった。

「それは、あなた方が持っていても意味をなさないものです。」

私がそう告げると、魔物たちは敵意をむき出しにして、一斉に襲い掛かってきた。

「ぼくたちには必要な物なんだ。
 返してもらうよ!」

クッキーが横から魔物の腹を切りつけた。
危うく攻撃を受けるところだった私を、クッキーがとっさに助けてくれたのだ。

驚きに目を見開いたあと、胸の奥が小さく弾んだ。
……クッキーが、助けてくれた。

怯んだ魔物の隙を逃さず、ガレットが横から斬り込む。

「マカロン、援護だ!」
「任せて!」

マカロンの放った呪文が魔物たちの足を止める。私はその隙に呪文を放ち、残った魔物を一気に押し返した。

最後の一体が倒れると、ほこらの中に静けさが戻った。

「ふう……。これで片づいたわね」

私は息を整えながら、ほこらの奥へと目を向けた。
人魚の耳飾りは、なんとか守れたようだ。

これが人魚に魅入られた男性が最後まで持っていた耳飾り……。
その人が何を思ってこの耳飾りを持っていたのか、今となっては知る由もない。けれど、耳飾りにあしらわれた真珠は、長い年月を経た今も美しく輝いていた。

「よし、じゃあ早速その耳飾りを人魚さんに届けようよ!」

マカロンの声にハッとして、私は耳飾りを大事に布で包んだ。
確かに、思わず見とれてしまうような、不思議な魅力を持った耳飾りだった。


+++



人魚の岩場に辿り着いたのは、日が少し傾きかけたころだった。
ミリアとエレインは、今も岩場の近くで談笑していたようだった。

「あれ、また来てくれたんだ!
 嬉しいよ!」

顔なじみになった私たちに、人魚たちは親しげに手を振ってくれた。

「あの人に会えた?
 伝えてくれた? もうここに来なくていいし、お礼もいらないって。」
「ええ……。お伝えしました。
 あなたの配慮にとても感謝していましたよ。」

それは本当のことだ。
サザナさん夫妻は、人魚たちに心から感謝していた。

私はサザナさんから申し付かった耳飾りを人魚に手渡した。
エレインとミリアは、耳飾りを不思議そうに覗き込んだ。

「この真珠、不思議な色だね。
 女王様の真珠の色に似てるような……?」

ミリアがそうつぶやくと、エレインが耳飾りを少し天にすかして見上げた。

「女王様に見てもらおっか?」

どうやら、人魚の女王の真珠と似た耳飾りだったそうだ。
一体どういう由来の耳飾りだったのか、不思議に思った。

「お礼、要らないって言ったのに。
 ありがとうね。
 あの人……、そういうところ、ずるいね。」

ミリアは笑おうとして、口の端を少し震わせた。
愛おしそうに耳飾りに触れるミリアを見て、やはり彼女は、まだサザナさんへの思いを抱えているのだろうと思った。

余計な一言かもしれないが、私は言わずにはいられなかった。

「あの…っ、私たちのせいで、結果的にあなたを傷つけてしまって、ごめんなさい……。」

ミリアはきょとんとした顔をして、顔を赤くした。

「好きだったんでしょ?あの漁師さんの事。」

マカロンもミリアの恋をずっと気にかかっていたらしい。
私たちにそういわれてミリアは首を振った。

「ありがとう。
 そこまで気にしてくれて。
 でもあんたたちが謝ることじゃないでしょ?
 一番悪いのは、勝手に暴走した私……?って感じだし!」

自虐的に笑うミリアに私は思いを伝えた。

「そんなことないです。
 自分の気持ちより、相手の気持ちを思いやれるあなたは……
 とても素敵な方です……!」

「その通りだよ! かっこいいよ!
 好きな人のしあわせを一番に考えられるなんて!」

マカロンも、私の言葉に続いて声を上げた。

『好きな人の幸せを一番に考える』こと。

その言葉が、私の胸にも小さく刺さった。

クッキーの幸せを私は一番に考えられているのだろうか。

彼が笑っているだけで嬉しい。私まで幸せな気持ちになる。
それは、間違いなく本当の気持ちだった。

けれど、それだけじゃなく、私のことを見て欲しいと思う気持ちが、今はどうしてもあって。

彼が幸せならそれだけでいい。
そう思いたいのに。

ミリアは自分の恋心を胸にしまって、それでも好きな人の幸せを願っている。
私は彼女のように強い心を持てるだろうか。

好きな人の気持ちが、自分に向かないと分かった時。
それでも笑っていられるミリアのような強さが私にもあるだろうか。

そんなことを考えているうちに、ミリアの笑顔が滲んで見えた。
気がつけば、私の頬にも涙が伝っていた。

ミリアは一瞬、驚いたように私を見た。
けれど、彼女の笑顔も次第に崩れていく。

やがて顔をくしゃくしゃにして、泣き声を上げた。

「うう、うわああんっ!
 そんなこと言わないでよ! 泣かせないでよ!!」

きっと、彼女もずっと泣きたかったのだ。

明るく振る舞って、冗談めかして、自分の気持ちに蓋をしていたのかもしれない。

そんなミリアが、ようやく素直に涙を流せた。

「何度だって言います。
 あなたは本当に素敵な方です!」

私がそう言うと、マカロンまでつられて涙をこぼした。

「うう……なんだか、あたしまで泣けてきちゃった……」

エレインも、「私たちのために泣いてくれるの?」とほろりと涙をこぼしている。

「んもー!
 みんな泣き虫ばっかりなんだから!!」

ミリアは呆れたように、涙を流している。
本当にそうだ。泣き虫ばかりだ。

背後からクッキーとガレットの声が聞こえる。

「ど、どうして泣いてるの?」
「さあ?」
「ぼくたち仲間外れ?」
「さあ?」

女性陣がそろって泣きじゃくっているのだから、彼らにはさぞ不思議な光景に見えているのだろう。
私はそっと涙を拭った。

私が泣いている理由を、きっとクッキーは分からないんだろうな。

そう思うと、少しだけ胸が苦しくなった。




涙が落ち着いた頃、ミリアは耳飾りを胸に抱えたまま、ふっと表情を変えた。

「ねえ、人間さん。
 ひとつ聞いてもいい?」

ミリアとエレインが並んで、こちらを見上げた。

「妖精のみんなのこと、ずっと気になってるの。
 連絡が来なくなって、もうずいぶん経つから……。」

そういえばそんなことを言っていた。
妖精たちと連絡がつかなくなったため、寂しくて、一人で陸の近くまで遊びに行った途中でサザナさんたちの遭難に出くわしたのだと。

「……もし、どこかで会ったら、元気にしてるか聞いてほしくって。」

私たちは、アレフガルドの雨のほこらで、妖精たちに会ったことがあった。 そこで、紋章を探すよう教えてもらったのだ。

「ええ、もちろん。」

人魚たちと妖精が交流していたとは知らなかったけれど、伝えるのは難しい事ではないと思った。



そう答えた、その時だった。

遠くから風に乗ってくるような声が、かすかに脳裏に響いた。

――勇者の血を継ぐ者たちよ……。

ハッと顔をあげると、仲間たちも同じ声が聞こえたようだった。
この声は確か……。

――いそぎ、雨のほこらへきて。
  力を貸して……

「今の、こだまの妖精さんの声だよね?
 何かあったのかな。」

クッキーが心配そうに顔をあげた。
その声は、とても切羽詰まったように感じたのだ。

人魚が案じているように、妖精たちにも何かあったのかもしれない。

「行ってあげて、お願い。私たちのことはもういいから。あの子たちを助けてあげて。」

ミリアの真剣な表情に、私たちは力強く頷いた。



+++



岩場を離れるころには、もう太陽が水平線に沈もうとしていた。
ミリアたちは見えなくなるまで私たちに手を振ってくれていた。

また会えるといいな。

そう素直に思える、明るくて優しい人魚たちだった。

舵はガレットが取り、マカロンは船首で海を見守っている。
海面は、沈みかけた太陽の光で眩しいくらいに輝いていた。

私は船尾の縁に寄りかかって、何気なくその光を眺めていた。

「プリンちゃん。」

呼ばれて、驚いて振り返る。

クッキーが少し離れたところに立っていた。
少し浮かない表情をして、いつもと違う様子がした。

「あの、ちょっといいかな。」
「ええ。」

クッキーは私の隣に並ぶほど近づくこともなく、かといって声が届かないほど離れることもなく、微妙な距離を保ったまま足を止めた。

「さっきは、ごめん。
 ぼく、ずっと考えてたんだ。」
「さっき?」
「人魚さんたちのこと。ぼくが余計なことを言ったせいで、人魚さん泣かせてしまったでしょう?」

あのとき、どうしてみんなが泣いているのか分からないと言っていたのは、多分、本当だったのだろう。

それから、どうして泣いてしまったのか、真剣に考えたのだろうなと思う。
失言の多いクッキーだが、少しずつ変わろうとしているような気がした。

彼はうつむいたまま続けた。

「悪気はなかったんだよ。でも、あの場で言う事じゃないって、マカロンにも叱られた。
 いつもそうなんだ、思ったことをそのまま口にして後から気づく。」

彼に悪気があったなんて思う人は、きっと誰もいない。
ミリアも誰も悪くないと言っていた、それは本当だ。

「そのせいで、みんな泣かせちゃった。プリンちゃんまで、ぼくのせいで泣かせちゃったから……。
 ごめんって。」

私は、すぐには返事ができなかった。

半分は、彼の言う通りかもしれない。
確かにミリアが泣いたのはクッキーの一言がきっかけだったから。
あの一言によって、ミリアは自分の恋が叶わないことを思い知った。けれど、あの一言が無かったら、ミリアは何も知らずに奥さんのいるサザナさんを待ち続けたかもしれない。

「半分は、そうかもしれません。」

私はゆっくり言葉を選んだ。

「でも、私はミリアさんがちゃんと泣けて良かったと思ってるんです。
 彼女はずっと私たちに笑顔を見せて我慢してたから、やっと気持ちが解放されたと思うんです。」
「そう、かな。」
「ええ、だからクッキーが悪い訳じゃありません。」

クッキーはほっとしたように、少しだけ胸をなでおろした。
けれど、まだ納得しきれないようで、不思議そうに私を見た。

「じゃあ、あとの半分って何…?」

私は答えられないでいた。

「プリンちゃんは、どうして泣いていたの?」

少し胸がひやっとした。

どうして?
自分でも、うまく言葉にできなかった。

ミリアの気持ちに感情移入したから、というのもある。
でもそれだけではなかった。好きな人の気持ちが自分に向かないと分かったとき、それでも笑っていられる強さが私にはあるだろうか。そう思ったから。

そんなこと、今目の前にその人がいるのに、言えるはずがなかった。

「クッキーの、……言葉のせいでは、ないわ。」
「でも、泣いてたよね。」

クッキーは引かなかった。
遠慮がちに、一歩だけ私の方に近づいた。

「ぼく、プリンちゃんが泣いてた理由ちゃんと知りたい。
 ぼくに分かることなら、何かできることがあるかもしれないし。」

その声は、あんまりにもまっすぐで。
私は思わず目をそらした。クッキーと目をあわせることができなかった。

こういう人なのだ、きっと。
困っている人がいれば、自分にできることを考える。相手がだれであっても、そうなのだ。

あのとき、ベラヌールでペンダントを失くした私のために、クッキーはふらつく体で一緒に探し物をしてくれた。彼が優しい人だということは、私が一番よく知っている。

でも……。

「いえ、本当に大丈夫です。……クッキーは何も悪くありません。」
「悪いとか、そういうことじゃなくて……。何が……」

クッキーも、何か言おうとして、でもうまく言葉にできないようで口を開いたまま止まった。
自分でも何を言うべきなのか分からなくて考えているようだ。

話す代わりにクッキーの右手がぎこちなく持ち上がった。
私の頭の高さまで伸びた手は、髪に触れるほど近づいて、そこで止まった。

結局その手は私に触れることはなかった。彼はその手を握りしめると、そのまま自分の後ろ首をかいた。
何か言葉を探しているのだろうか。

きっと、困らせてしまっている。

今すぐ返事をしなくてもいい。そう言ったのは、私のほうなのに。

こうして泣いたり黙ったりして、彼に気を遣わせている。
そんな自分が、情けなかった。

「……うまく言えないの。ごめんなさい。」
「ううん。」

不自然な静寂の中で、波の音だけが流れていった。

「お兄ちゃーん、ちょっと来てー!」

ふいに、船首の方からマカロンの声がした。

「え……あ、ぼく……マカロンの様子、見てくるね。」
「ええ。」

クッキーは少しだけ躊躇したように足を止めて、それからパタパタと船首の方へと駆けていった。
いつもなら、軽い一言くらい残していくだろうに、こちらを振り向かずに行ってしまった。

やっぱり、この人は優しい。
そのやさしさは私だけに向いているものではない。

ミリアたちを気遣う言葉も、マカロンを案じて駆けていく背中も、同じ、彼らしい優しさなのだと思えた。

私は、胸元のペンダントをそっと触れて、もう一度水面の光を見つめた。

あとがき

第四章に入りましたが、こんなにゆっくりやってていいのでしょうか?不安しかないですが、とりあえず進みました。当然のように続き物になってしまいました(汗)

ザハンの人魚編です。あの辺、どういうストーリーで何をやっているのかもう一回原作確認しなおしました。で、流れに乗せながら、プリンちゃんがあの時大泣きした理由を深堀してみました。

前回告白したのになんかクキプリさんの関係が悪化している気がします。いわゆる、ぎくしゃく期だと思います。しっかりー。

2026.10.30

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