第27章終戦①



1.非2ch系トレーダー

三村雄太の損失を前章で紹介しましたが、2ch系以外のトレーダーのリーマンショックの動きを紹介します。
株之助(=HANABI)とDAIBOUCHOU、うり坊、降臨です。2chのコテハンだった三空と五月も紹介します。五月と降臨は次章で紹介します。

1-1.株之助(旧名HANABI)

株之助は2004年8月31日に「ガイアの夜明け」に出演した個人トレーダーです(第4章2ch復帰①参照)。
テレビに出た最初の億トレーダーと言われており、元祖・億トレーダーと言われることもあります。

株之助は2003年1月に300万円でデイトレードを始め、2004年10月には2億円にまで資産を増やします。
その後は運用資金を3000~5000万円にしてトレードをしていました。
2006年1月にライブドアショック、4月にクラスター爆弾があり、株之助はそのせいもあって運用資金を2000万円に減らします^12。
さらに2006年10月からは運用資金を300万円にまで減らします^13



運用資金だけを見れば平凡な個人トレーダーですが、株之助もトレードだけで2億円稼いだ実力者です。
その300万円の種銭を順調に増やし、2006年12月末に321万円^14、2007年12月末には702万円^15、リーマンショック直前の2008年8月末には977万円(出金分の100万円を加算した金額)にまでなっており^16、2年弱で3倍にまで増やしていました。

株之助のリーマンショックを見てみます。
リーマンショックの暴落が吹き荒れた2008年10月1日(水)から24日(金)までの損益です。



圧倒的勝率です。
13勝3敗1分で勝率81.25%です。
魔の1週間と言われ、三村雄太が大損した第2週でも大きな利益を上げています。
そこで迎えた10月27日(月)です。




https://finance.toremaga.com/inspecial/kabuday/7489_1.html

ここで株之助はここまでの月間利益を全て失う大損をしてしまいます。
急落銘柄のリバ取りは急落が止まらなかった時が問題です。

この日のソフトバンクのトレードはナンピンしてぶん投げており、三菱UFJや三井住友もストップ安まで持っていたようです。
スキャルでスマートに利益を上げているように見える株之助も実際はナンピンや塩漬けの危うい橋を渡っているのかもしれません。


日経平均現物:始値7,568.36 高値7,878.97 安値7,141.27 終値7,162.9(前日比-486.18、-6.36%)

10月27日は大損したものの、その後はなんとか月間利益+1.7万円を確保します。





cisやびびりおんですらマイナスだった2008年10月に利益を確保したのは見事です。
ただ、BNFやcisに比べれば、スケールの小ささは否めません。
2008年10月はBNFは18億円以上の利益を上げており、株之助はその10万分の1以下の利益にすぎません。
凡百のトレーダーに比べれば素晴らしい才能を持ったトレーダーなのでしょうが、この当時100億円を運用していたBNFや40億円を運用していたcisと比較すると、土俵が違う…と言ったところでしょうか。

なお、「ガイアの夜明け」に出た時に一緒にいた友人たちは



専業を続けている人もいれば、就職した人もいるということです。

cisは株之助(=HANABI)と会ったことがあります。



高額DVDを売っているため、商魂たくましい商材屋というイメージで語られることが多い株之助ですが、「悪意は無いよう」ということです。

引用
^12、とれまがブログ2006年12月29日。
^13、とれまがブログ2006年12月29日。
^14、とれまがブログ2006年12月29日。
^15、とれまがブログ2007年12月28日。
^16、とれまがブログ2008年8月29日。

1-2.DAIBOUCHOU(大膨張)

第11章背中の痛み②で紹介しましたが、DAIBOUCHOUは企業のファンダメンタルズをもとに長期投資を行う個人投資家です。
DAIBOUCHOUは2000年5月、200万円を元手に株式投資をはじめ、不動産関係へのレバレッジ投資で資産を増やします。
2005年末には11億円にまでなります。

絶好調だったDAIBOUCHOUですが、2006年1月のライブドアショックによって暗転します。
新興不動産にレバレッジ投資をしていたことが祟り、資産は5億円にまで半減します。
動揺したDAIBOUCHOUは不動産株を売却し、中国株に移行します。
その後ベトナム株にも進出します。

2007年秋ごろは中国株、ベトナム株ともに調子がよく、資産は6.5億円にまで回復します。
ところが2008年になってベトナム株のバブルが崩壊し、再び資産は減っていきます。
ベトナム株は買い手が見つからないぐらいひどい状況でしたが、なんとか2008年3月に売り逃げに成功します。
ベトナム株は1億円ぐらい投資し、7000万円程度になってしまったと言います。

中国株も同様に2008年3月に売却します。
中国株で利益が出たため外国株投資はトータルではプラスでした。

DAIBOUCHOUは日本株へ戻ろうとしますが、サブプライム問題ですでに日本株は下げ基調になっていました。
仕方なくDAIBOUCHOUは守りの投資に入ります。

インカムゲイン(配当収入)を狙ってREITに投資します。
トップリート投資法人(8982)やジャパンエクセレント投資法人(8987)です。

※その頃のDAIBOUCHOUを取材したエンスパ。
エンスパ2008年秋号(2008年9月19日発売)

ところが、これも目論見はハズれ、REITの方も下落が続きます。
ここでDAIBOUCHOUは決断します。
投資から撤退します。

「一度、投資をストップし、すべての資産を現金化することにしたのです」(P53)
「というわけで、世間がいわゆるリーマン・ショックで大騒ぎしている頃、私は株をまったくもっていない、ノーポジションの立場になっていました」(P53)

幸か不幸か、リーマンショックの前に投資から撤退したため、リーマンショックでの被害はありませんでした。
この時にDAIBOUCHOUの資産がいくらだったのか、DAIBOUCHOUははっきり言いませんが、5億円程度だったようです。







※註.ページ番号は「DAIBOUCHOU式新・サイクル投資法」のものになります。
この項のDAIBOUCHOUの投資遍歴は「DAIBOUCHOU式新・サイクル投資法」のP51~P53とエンスパ2008年秋号P136をもとに書いています。

1-3.うり坊(芸暴威)

うり坊はもともとパチプロをしていましたが、パチンコは儲けが頭打ちであることを考え、2004年3月デイトレーダーに転向します。
元手はスロットで儲けた100万円です。
うり坊は地合いの良さも手伝って、2005年10月には1億円に到達します。
わずか416営業日です。

BNFやcisですら損失を出したライブドアショックも無傷で過ごし、2006年2月には資産が2.4億円に到達します。

ここまで破竹の勢いで資産を伸ばしてきたうり坊ですが、2006年3月、ソフトバンクで2000万円の損切りをします。
さらに2006年4月、クラスター爆弾を被弾します。
ラクーン(3031)ハブ(3030)、ジェイテック(2479)、クラスターテクノロジー(4240)等のIPO銘柄が暴落し、 それに巻き込まれる形で、4月17日~21日の間に8900万円の損失を出します。

地合いは、ライブドアショック、クラスター爆弾を経て、新興から東証1部の大型株に移っていきます。
ところが、うり坊はそれでも新興市場でのトレードをやめません。

「成功したのが新興市場だから、他の市場を買うつもりはない。
やり方には自信があるから、それを変えるつもりもない。
特に、急落時、急騰時は、絶対取れる自信がある」(ダイヤモンドZAi2007年10月号)

と言っています。
2006年9月、うり坊は運用資金を1000万円に減らすこと決意します。

「8月中の時点から色々と考えていたのですが、1000万円から初心を取り戻すべく1億円をまた再度目指すことにしました」(とれまが2006年9月4日)

この時点でうり坊の総資産がいくらだったのか正確には不明ですが、5000万円前後だったようです(日経ビジネス2007年4月16日号より)。
この減資の後、うり坊はcisと会っています。

芸暴威(芸)はうり坊の2ch上のニックネームです。
由来は不明ですが、うり坊本人はおそらく好んでいないでしょう。



鱗(=三空)とますぷろは2007年4月cisとともに株式会社スペイロンを立ち上げるメンバーです。
エロゲヲタTはcisとともにBNF邸に美少女フィギュアを投下したことがありました。
D/Aはネットラジオをよくやっておりcisがそこに出演して美少女フィギュアの件を話したことがありました。



うり坊は2006年4月7日放送の「太田光の私が総理大臣になったら」に出演した時、「プロフェッショナルな僕にお金を預けて」と発言したことがありました。



うり坊は実家がかなりの資産家と言われています(著書によると父親は外資系の銀行マン、母親は国際線の客室乗務員のようだ)。
うり坊はトレードを始めた当初、

「1日1%の複利で計算すると470日くらいで1億円が達成できることがわかったので、それを目標に据えた」(ダイヤモンドZAi2007年10月号)

と言っており、実際に416日で1億に到達したため、一日1.5%ぐらいは稼げると思ったのかもしれません。





うり坊は2006年9月に運用資金を1千万円に減らしてからも苦戦は続きます。
基本的には勝ったり負けたりでしたが、10月30日に-232万円、11月20日に-241万円、12月12日に-136万円というように大きな損失を食らい、2006年末には681万円になっていました。
https://finance.toremaga.com/inspecial/uri/2240.html

2007年に入って百万円単位の損失こそなくなりましたが数十万円の損失を連日のように繰り返したりしており、一時は348万円にまで運用資産が減ります(2007年5月21日)。

2007年8月21日発売のダイヤモンドZAi2007年10月号です(大損しているのにどこか得意げな顔なのはなぜ?)。


※グラフの07年7月にうり坊の総資産が1500万となっているのは不明です(2007年4月16日発売の日経ビジネス2007年4月16日号ではうり坊の資産は5000万円となっている)。
※「06年8月ソフトバンク株で1日で3000万円の損!」というのは「06年3月」「1日で2000万円の損」の間違いです。

2007年5月には一時348万円にまで減った運用資金ですが、2007年8月のサブプライムショックの後、うまく盛り返し、年末には627万円にまでなります。
https://finance.toremaga.com/inspecial/uri/5447.html

上記リンクのコピペです。



2008年に入って空売りを多用し始めたことやシキボウやヤマタネの急騰に乗ったこともあり、8月末には869万円にまで増やします。

2008年9月13日、うり坊は友人の結婚式のため米国に旅立ちます。
ニュースは現地で知ります。





うり坊は日本に帰ってからブログを更新し続けますが、トレードの詳細や収支は分かりません。
10月11日になってようやく10月6日(月)~10日(金)の収支が書かれます。
暗黒の一週間と呼ばれ、三村雄太が大損し、日経先物にサーキットブレーカーが発動した週です。



350万円ほど損をしていました。
うり坊なりに慎重にトレードしていたらしく「気軽なINをしていたらもしかしていたらぶっ飛んでいたかもしれないので笑えない」と言っています。
その後も2銘柄を保有していたのですが、ついにそれも手放し、10月20日に「終戦」と題したブログを投稿します。
2銘柄はミクシィとアクセスだったようです。



「お休み予定」ということです。
その後もCFDのトレードを何度かやっていますが、遊び程度のようです。
トレーダーとしてのうり坊はもう終わっていたのかもしれません。
少し時間が飛びますが、2009年5月に「ビジネスマンデビュー」と題したブログを投稿します。







うり坊のブログの運営元でもあるサイトスコープの営業マンになったということです。

参考文献
https://plaza.rakuten.co.jp/uribou777/
https://ameblo.jp/uribou777/
https://finance.toremaga.com/inspecial/uri/
「デイトレで2億儲けた方法1億損した失敗」
「うり坊式デイトレ最強の法則」
「ダイヤモンドZAi2007年10月号」(2007年8月21日発売)


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