この感覚には覚えがあった。
海の中のにいるかのような不確かな感覚と、まるで胸を裂くような冷たい痛み。
ああ、とうとう、この時が来たのかと思う。
でも逆に、よくぞここまで持ってくれたとも思う。
もう今は何も気に掛かることはないのだから。
だから、大丈夫。
最後にこの平和で美しい景色を目に焼き付けて。
カインはゆっくりと目を瞑った。
その後、不思議な幻を見た。
それは……夢か、あるいは奇跡だったのだろうか。
+++
マリアとは、穏やかに別れの日が来た。
ずっと女王として重責を担ってきた彼女は、
若い頃からの無理が祟ったのか、ある頃から徐々に衰弱していった。
単なる過労による疲労とは明らかに違う衰弱。
カインは彼女の痛みを取り除くためにありとあらゆる治療を施した。
だが、何をしても駄目だった。
どんな治療も魔法も受け付けなかった。
か弱い女性の身でありながら、昔の過酷な旅の中で唱え続けた
極大魔法の反動ではないかとも考えられた。
むしろ、今まで何もなかったほうがおかしいのだ。
ここまで来て、一体自分は何の為にここにいるのかと悔やむカインは
せめて出来るだけマリアのそばに寄り添った。
それしか出来ないと分かっていても。
しかし徐々に苦痛に歪んでいたマリアの表情は穏やかになっていった。
これは決して快癒していった訳ではない。
ムーンブルクの国は、既に次代の女王として
長子が立派に成長していた。
あの赤子だった長女の成長に伴って、
同じようにこの国もどんどん成長を遂げた。
誠実なこの国柄を気に入って徐々に移民も増え、
賑やかな昔の様相を取り戻して行った。
そうして、国の成長につれて、
少しずつマリアは重責から解放されていった。
その様子はカインが見ていても分かった。
ときには、驚くほど純粋な明るい表情を見せることもあった。
アレンとの旅でマリアと出会った時から、
マリアはずっと長く重責を背負っていた。
そこからようやく解放されたのだ。
やっとマリアは本来の幼い頃のような天真爛漫な
笑顔を取り戻し始めたのだろう。
それを悟ると、どれだけ辛い別れだと思っていても、
小さな子どものように笑うマリアの前では、
カインは最期まで笑顔でいた。
不思議に、自然と穏やかな気持ちで。
+++
これは奇跡だろうか。
最期だと、もう二度と会えないのだと、
だから、あの別れの後みっともないほど泣いたのに……
今、目の前にマリアがいるのだ。
「ふふ、カイン。また、会えたわね。」
いたずらっぽく笑うマリアは、
本物かどうか分からない。
だけど、構わずカインは思わずマリアを抱きしめた。
「マリア!生きていたんだね!!」
「………」
その言葉にマリアの返事はなかった。
少し困ったように肩を竦めて、マリアは視線を動かした。
その視線を追ってみて、不思議な光景に、
この場所がどこなのか、俄かには分からなかった。
白くて何も見えない世界。
あれだけ明るかった太陽の光も、
美しい自然も立派な城も見慣れた景色も何もない。
現実感が無い、自分の足元さえもはっきりとしない世界。
「ここは…………」
何も分からないけど。
そっか、もう……きっとあの世界へは帰れないのだろうと
言う事だけは分かった。
「でも、良いんだ。また会えたもの。
マリアに会えたもの。
えへへ。すぐに会えて嬉しいよ。」
「私は……、
あなたに会えるのはもっと先の事だと……思っていたわ?」
少し頬を膨らませてマリアは怒っていた。
その様子が小さな子どものようでカインは笑った。
「笑い事じゃないのよ。
何も、こんなに……こんなに、すぐ来ること無いじゃない!」
怒っているかと思ったマリアは目からぽろっと涙を流した。
「マリア?」
急に泣き出したマリアを心配して顔を覗き込んだ。
「ごめんなさいカイン。
ずっと私はあなたを苦しめてばかりだったでしょう。」
「え?」
「あなたはずっと笑っていたけど、でもずっと苦しかったのでしょう?
あなたは一言も苦しいって言わなかった。言えなかったのよね。
ごめんなさい。」
涙ながらに懺悔するマリアだったが、
カインは少しきょとんとして首を振った。
「何を謝っているのマリア。
だって何も苦しくなんかなかったんだ。
本当だよ。」
「でも……じゃあ、どうして……こんなに早く…」
まだ何かを言おうとするマリアの口にそっと指を立てた。
「あのね……苦しいはずなんかないよ。
精一杯生きたんだもの。
精一杯愛したんだもの。
何一つ悔いる事はない。」
きっぱりとカインはそう言い切った。
そして笑った。
「マリアのそばにいて、幸せだった。
僕は沢山の幸せをもらったよ。」
「カイン………」
「だから何も後悔は無いよ。
マリアと一緒にいて、色んな事があったね。
子ども達も立派になって……
皆と一緒に、何度も笑って、楽しかったね。
マリアは違った?」
「…………。
楽しかった…わ。楽しくて幸せで、夢のような日々だった。
遠い遠い、忘れていた暖かさも思い出せたような気がする……。」
今までの様々な思い出が脳裏をよぎった。
「なら、良かった。」
「カイン、ありがとう。
あなたに会えて…本当に良かった。」
暖かい愛に包まれて、
かつての幼いときの幸せを思い出すことも出来たと思う。
その遠い日を思い出すようなマリアの様子に、思わずカインは目を細めた。
「ふふ、マリアはもう立派な大人のはずなのに、
なんだか小さい子どもみたいに可愛く笑うようになったよね。」
「え、えっ……。」
マリアは子どもみたいと言う言葉に、少し戸惑って顔を覆った。
「長く一緒にいたけど、
僕の知らない表情がまだあったんだなあって思ったよ。」
そう言ってカインは優しく笑った。
今、サマルトリアの国は妹のマイが親しみ深い女王となって治めている。
そんな中、ここ最近、長男のマナが何度もサマルトリアに行っている。
国民たちの覚えも目出度く、どうも親しくしている女性もいるようだ。
ゆくゆくはこの長男がサマルトリアを治める事になると認められ始めた。
カインとしても、安堵した。良かったなあと思う。
だから、もう心残りは無い……そう思おう、としたとき、
2人の背後から声が掛かった。
「おい、お前ら。
2人っきりでの幕切れなんて、ちょっと早いんじゃないか?」
もうずっと聞いていない懐かしく嬉しいその声は、
けれども一度も忘れた事はない。
「……アレン!!」
「アレン!」
そこにいたのは、2人が誰より信頼する大好きなもう1人の仲間だ。
心残りが無いと言おうとしていた、
欠けていた最後のピースが埋まったような気がする。
アレンの顔が見られた。
しかし、ここにいると言う事は……?
まさか、滅多な事があったというのであろうか。
信じられないことだった。
「アレン、どうしてここに…いるの……?」
「ここがどこなのか、それ俺、今来たばかりだからしらねえけど。
まぁ薄々分かってるさ。」
少し寂しいような顔をしている。
知らないと言いつつ、少し悟ったかのような。
「一体どうしたのよ、アレン?」
マリアも心配そうに尋ねた。
アレンは不精不精に答えた。
「まぁ……若くねえ体に鞭打って、ちょっと無茶な野駆けに出たら
足を踏みはずして、やらかしたみたいでな。」
「そ、そんな……嘘でしょう?」
信じられないがアレンが言うのだから、
その『無茶』と言うのは、言葉程度の事ではなく、
到底常人が出来ることではなかったのだろう。
「やれるだけの事はやったつもりだけど。
残された奴には……、これからもっとしっかりしてもらわないと。」
「アレン……。」
ぐっと歯を噛み締めるように言うアレンは、
カインと違って心残りが無いとは言えない様子だった。
だが……と後髪を引かれる思いを振りきって顔をあげた。
「それより!お前らだよ。
なんだ?しばらく会わないうちに、どうなったんだ?」
「ど、どうって。」
「さっき何も後悔は無いような事を言ってたけど。」
どうも先ほどの話をどこからか聞かれていたようだ。
誰もいない世界だと思ったのだが……。
でも、アレンとなら何でも話せる気がした。
3人は会えなかった空白の時間を埋めるように話し込んだ。
年月が流れ、時がうつろう中で色々な事があった。
それを思い出すように、懐かしむように。
そして、慈しむように。
「そっか。もうずっと立派にやってたんだな、お前らも。」
アレンはそう言ってうっすらと笑った。
「それを言うなら。アレンじゃないか。
ローレシアの国はアレンの即位の後から、
本当にずっと近隣の国の心の支柱として強く団結した国だったよね。
それは遠くムーンブルクまで聞こえてきてたよ。
アレンの人柄なんだろうなあ。さすがだったなあ。」
そんな風に言うカインを何故かアレンは睨んだ。
「何が、さすがだよ。」
「えっ……?」
「俺の何を知って、お前はそんな風に言うんだ?」
その言葉には何故か棘があるように感じた。
何かアレンは不満があるのだろうか。
「いつもお前は俺を祭り上げてさ。
お前は全然俺のことなんて見てないだろ?
俺だって色々悩んでたんだぞ。」
不貞腐れるようにアレンは愚痴た。
「それは……そうだろうけど。
でも僕は、アレンが元気で頑張ってるなって思うと
嬉しくなって僕はもっと強くならなきゃ、
もっと頑張らなきゃって思ったんだよ。」
「うん?」
何を言うのかと思った。
「何言ってんだよ。もう十分強いじゃないか。
お前は、すげえ奴じゃねえか。」
これは正直な気持ちだった。
するとアレンのその言葉を受けて、
なんとカインがぽろっと涙をこぼした。
その様子にぎょっとした。
「はあ!?なんでだよ。
何を泣く事があるんだよ!」
突然のことでアレンは戸惑った。
「アレンに……
アレンに、褒められて嬉しいんだよ。」
「え、いやいやいや。おかしいだろ。」
泣くとか意味わかんねえと言うアレンにマリアがそっと口ぞえした。
「カインったら、しょっちゅうあなたの事を言ってたのよ?
アレンだったらどうするかなとか、アレンだったらそんな事しないよとか。
カインの頭にはずっとあなたがいたんだから。」
「へ、ずっと?」
会わないから、すっかり忘れ去られているものかと思っていた。
「だって、アレンは太陽みたいで……、
僕の勇者さまだもんね。」
「は?何?」
子どものように、何をこいつは恥ずかしい事を言うのかと思った。
「ずっと僕はアレンに認めてもらいたいって思ってたんだよ。」
「な、なんでだ?なんだよそりゃ。」
「もしも僕が立派になったって
言ってもらえるとしたら、それはアレンのおかげだ。」
「んん?俺が何したんだよ。」
「弱かった僕を一人前にしてくれたのはアレンじゃないか。
アレンの方こそ、忘れちゃったの?」
「そんなの、大昔の事じゃねえか。」
確かにまだ剣が得意じゃなかった頃のカインとは
毎日のように稽古をしていたが、はるか前のことだ。
弱いなんて思ったのは最初だけだ。
もう随分前からカインは強くなっていた。
自分は剣には絶対の自信があったが、
それでも戦ったら負けるかもしれないと思うくらいだ。
それ以外でも、カインの心の強さやその生き様には
アレンの方がいつも目をみはっていたのに。
「いいや、それが始まりだよ。全部全部覚えてるよ。
アレンの背中に何度も助けられて、
僕はいつかアレンのようになりたいってずっと思っていた。」
カインの目はキラキラ輝いていた。
アレンはふっと笑った。
「なんだよ、それ。
せっかく立派になったって思ったのに、お前泣いたりしてさ。
馬鹿だなあ。本当子どもだなあ、カインは。」
まるで昔に戻ったようだ。
だが、呆れたように言いつつも、
アレンは
心のわだかまりもなくなり、カインの頭に手をぽんと置いた。
「アレン……?」
「ああ、お前はよく頑張ったよ。
な、カイン。」
小さな子どもに言うようにアレンは笑って言った。
既に壮年を迎えていたはずの3人は、
不思議なことに、今はあの世界中を旅していた頃のような姿になっていた。
アレンはその姿でうーんと背伸びをした。
「じゃあ、3人で、ちょっともっかい旅するか。」
「えっ……」
「旅?」
アレンの提案に一瞬2人は戸惑った。
「俺さ、もう一回世界を旅するのが夢だったんだ。
できれば、お前らと。
なのに、お前らずっと忙しそうだったからなあ。」
にひひと笑うその様子はアレンも子どもに戻ったようだ。
「そう……だね。
まだここがどこだか分かってないし。
なんかあっちは明るいけど、どうなってるんだろう。」
カインも冒険心が少し疼いてきたようだ。
マリアもそんな仲間達に少し呆れつつ。
「本当、しょうがないわね。」
そう言って楽しげに笑った。
本当に夢のような夢みたいな、奇跡だ。
また3人で一緒にいられるなんて。
「なんか俺、この下も気になるんだよな。
ふわふわして雲みたいに透けてるような……」
しゃがみこんで下を覗き込もうとしたアレンがその様子を見て、
一瞬息を飲んだ。
見たことのある光景が広がっていたのだ。
「どうかしたの?」
アレンの様子に、カインも肩越しに下の様子を覗き込んだ。
広がっていた光景はよく知ったローレシアのものだった。
おそらく偉大な王の急な訃報を受けて
皆悲しみに更けているのだろう。
中でも、その場で泣き崩れるように一際悲しみに暮れている女性がいた。
「あ…………。」
アレンはその様子に言葉もないようだった。
「クレハさん……。」
カインはクレハを思いやった。
急に愛する人を喪ったのだろう。
その悲しみはいかばかりだろうか。
泣きじゃくるクレハには誰も声もかけられないようだった。
しばらく悩んで、アレンはすっと手を伸ばした。
そうすると到底届かないかと思ったが、
なんと涙を流すクレハの頬に確かに触れることが出来たのだ。
「ごめんな……。ありがとうな。」
届きはしないだろうが、アレンはクレハに感謝の言葉を述べた。
そして、そっと耳元で何かを呟いた。
泣きじゃくるクレハにもたれるような格好で
アレンはその傍にいたが、
しばらくして名残惜しそうに意を決してアレンは立ち上がった。
「さ、行こうか。」
「え、良いの?もっとゆっくりしていても良いのよ?」
何も急ぐ旅ではないのだ。
きっとアレンにも思うところがあるだろう。
心置きなく思うまでずっとクレハの傍にいたって良いのだが……。
「もう大丈夫だよ。」
2人はアレンを心配してそう言ったのだが、
だがアレンはもう気持ちを決めていたようだ。
「で、でも……。」
「良いんだ。ってか、俺気付いた。」
「え?」
アレンは何か大発見したかのような風に言った。
「近づこうと思ったら、近づけるみたいだ。
だから、いつでも会いにいける。」
あんな遠くに見えたローレシアなのに、
すっと手を伸ばすだけでクレハに手が届いた。
「そ、そうなの……?」
「大丈夫だ。
ずっと見守ってる。だから、大丈夫だ。」
まるで何か言い聞かすようにアレンは何度も大丈夫だと言った。
そんなアレンに、カインは何か良い事をひらめいたという風に手を叩いた。
「もし、クレハさんがあの世界から離れる事があったら、
ここへ来てもらったら良いんだよ。
そしたらアレン、また一緒になれるもんね!」
カインの提案に、アレンは驚いた様子で少し笑った。
だが、違う事を言った。
「それより、お前らも行ってみたい場所あるんじゃないか?
どこへ行く?サマルトリアか?ムーンブルクか?」
アレンの提案に、カインとマリアは顔を見合わせた。
国の皆の事は確かに心配だ。
どこへ行こうか。
「それにしても便利だな。
どこでも行けてさ。
こうやってルビス様もずっと近くで俺たちを見守ってくれてたのかなー
なんて。」
その何気ない一言に2人もハッとした。
「もしかして、ここのどこかにルビス様いるのかな。」
「ここは……ひょっとして、天界…なの?」
2人は少しうろたえている。
実は、アレンには少し覚えがあるのだ。
シドーを倒した直後に行った真っ白いあの世界。
そこで、確かに、自分はルビス様と会ったのだ。
あの世界に、ここは似ている。
口には出さないが、そう思っていた。
「俺たちもさ、神になるのかな?
いつかの勇者ロトやアレフのように
伝説みたいな存在になるのかな。」
アレンはそう呟いて首を振った。
「なーんてな!!」
そう言って豪快に笑い飛ばした。
「アレン……。」
少しカインは不安そうな顔をしている。
これから一体どうなるのかと思っているようだ。
「ってか、ここがどこだか分かんないんだもんな。
まずはそこからだな。
また、果てしない世界を旅しようぜ!」
「アレン、あなたね…。」
アレンは少しウキウキし始めている。
アレンの一挙一動に振りまわされる。
そんな日々を、少し懐かしく思う。
そして、長い長い旅が始まる。
『それ』は奇跡としか思えなかったが、3人は少し心踊っていた。
だって、今度はきっとずっと一緒だから。
もう自分達には、時間の制限も何もない。
だから。
アレンは振り向いて、
いつかのようにカインとマリアに言った。
「さぁ……、行こうぜ!」
- 終 -
2016/01/23
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