第5章2ch離脱②
2.2005年2月
時間を2005年1月に戻します。
2005年1月26日(水)

2005年1月27日(木)

2005年1月28日(金)

2005年1月31日(月)

2005年2月1日(火)

2005年2月2日(水)


2005年2月3日(木)


2005年2月4日(金)

2005年2月7日(月)

2005年2月8日(火)
フジテレビ(4676)について説明しておきます。
フジテレビ(時価総額約5990億円)の親会社はニッポン放送(時価総額約2230億円)でした(時価総額は2005年2月8日終値)。
小さい会社(ニッポン放送)が大きな会社(フジテレビ)を支配するといういびつな資本構成をしていました。
そこに目を付けた村上世彰率いる村上ファンドです。
「私は、コーポレート・ガバナンスを追求するファンドとして、株主の立場からこの資本関係の「おかしさ」を正したかった。
提案した選択肢のひとつは、フジテレビをニッポン放送の親会社とすること。これまでの関係を逆転させるわけだ」(村上世彰「生涯投資家」P115)
2004年3月、村上ファンドはニッポン放送の筆頭株主となります。
2004年夏ごろより村上世彰は、プロキシーファイト(株主の委任状争奪戦)に備え、各所に協力を要請して回ります。
相手は経営者や投資ファンドです。
その一人がライブドアの堀江貴文社長でした。
村上世彰は2004年9月15日と11月8日、ライブドア幹部と会合を開きます。
この当時からライブドア側はニッポン放送株の取得に積極的な姿勢だったと言います(この2回の会合で村上世彰がライブドア側から何を聞いたか、後々大きな問題になってきます。これは第10章で紹介します)。
2005年1月には村上ファンドは16.6%までニッポン放送株の保有を増やします。
2005年1月17日、フジテレビは村上世彰の意向に沿うようにニッポン放送のTOB(公開買い付け)を発表します。
フジテレビはニッポン放送株の50%以上の取得し、資本の「おかしさ」を解消することを目指したのです。
“05年1月17日、村上一流の読みが的中する。フジテレビがTOBを発表し、買い取り価格を1株当たり5950円に設定した。
最低でも5950円で売却することができる。村上ファンドの六本木ヒルズのオフィスでは、祝杯が上げられた。だが、TOB価格の低さに最も納得がいかなかったのが、当の村上だったようだ”(東京新聞特別取材班「検証国策逮捕」P238)
“間もなくして(中略)ライブドア取締役の熊谷史人から「同放送の外国人株主の状況を教えてほしい」という1本の電話が村上に入った。
ここで、村上は、ライブドアが本当に経営権取得に乗り出すことを実感する” (東京新聞特別取材班「検証国策逮捕」P238)
“2月に入るとすぐ、ライブドア側は村上に、「時間外取引で買いをかけたら売ってもらえますか」と株の売却を要請した。
(中略)村上は「高い方に売る。それがファンドマネジャーだ」とつぶやいたという” (東京新聞特別取材班「検証国策逮捕」P238)
「高い方」というのはフジテレビとライブドアのニッポン放送株の買取価格のことです。
2005年2月8日(火)午前8時20分、東京証券取引所でライブドアの適時情報開示が発表されます。
ライブドアがニッポン放送株175万6760株、発行済株数の5.4%を買い付けたというものです。
その直後、ライブドアのニッポン放送株に対する時間外取引が始まります。
8時22分、348万3220株
8時23分、135万7050株
8時24分、125万株
8時36分、90万9360株
8時46分、237万640株
8時50分、35万株
ライブドアは子会社のライブドアパートナーズを通じて972万270株、発行済株数の29.6%を買い付けます。
わずか28分間の出来事でした。
これでライブドアは適時情報開示で発表した5.4%と合わせて35.0%を持つ筆頭株主になります。
この時にライブドアに売った株主は米国系投資ファンド「サウス・イースタン・アセットマネジメント」等の外資系ファンドでした。
ライブドアはニッポン放送株の買収にあたり、リーマンブラザーズを引受人とするMSCBを発行して800億円を調達していました。

この日(2月8日)、ニッポン放送は一時ストップ高の6990円にまで行きます(終値は6800円(前日比+850円))。





2005年2月9日(水)
ニッポン放送(4660)の株価は大きく上昇します。
終値は7800円(前日比+1000円)です。

2005年2月10日(木)
ニッポン放送は大きくGUして始まり、一時8800円まで行きますが、大陰線を引いて7840円(前日比+40円)で終えます。
この大陰線はフジテレビがTOBの取得目標を50%超から25%超へ引き下げたことによります。
フジテレビの狙いはニッポン放送の持つフジテレビ株の議決権を失わせることでした。
会社法308条(当時は商法)によると、A会社(この場合はフジテレビ)が25%以上の株式を持つB会社(この場合はニッポン放送)は、A会社の株を持っていたとしても議決権を行使できません。
A会社がB会社を通じてA会社の意図した議決権を行使することになるからです。


2005年2月11日(金・祝)
祝日のため休場
2005年2月14日(月)

BNFは前営業日の大陰線で逃げそこないますが、「思ったより高く売れ」たということです。
これでニッポン放送は一相場終わったという感じだったのではないでしょうか。

https://www.tez.com/blog/archives/post370.html より
ニッポン放送株をめぐるライブドアとフジテレビの顛末を書いておきます。
前述のように2月10日(木)にTOBの目標を50%超以上から25%超以上へ変更します。
2月23日(水)、ニッポン放送はフジテレビに対して4,720万株の新株予約権を発行すると発表します。
既存の株式を希釈化し、ライブドアを排除しようとしているのが明らかです。


2月24日(木)、ライブドアはニッポン放送の新株予約権の発行は現在の会社法210条(当時は商法)の不公正発行に当たるとして、発行を差し止める仮処分を東京地方裁判所に申請します。
3月7日(月)、フジテレビのTOBが締め切られ、フジテレビはニッポン放送の発行済株式の36.47%を取得します。
これでニッポン放送はフジテレビに対する議決権を失います。
3月11日(金)、東京地方裁判所はライブドアが申請していた新株予約権の発行差し止めの仮処分を認める決定をします。
3月23日(水)、東京高等裁判所は、ニッポン放送の抗告を棄却し、地裁の仮処分決定を支持します。
ニッポン放送は新株予約権の発行を断念し、最高裁への特別抗告は行いませんでした。
3月24日(木)、ニッポン放送がSBIにフジテレビ株を貸し出すことを発表します。
これによりニッポン放送のフジテレビ株は0%となります。
SBIが突如フジテレビの救世主として現れたのは「義憤に駆られた」(東京新聞特別取材班「検証国策逮捕」P263)とSBI最高経営責任者・北尾吉孝は言っています。
北尾吉孝は堀江貴文のことを「資本市場を汚した」(同P263)と批判しています。
ニッポン放送にフジテレビ株が無くなり、手詰まり感のあったライブドアはフジテレビと和解協議に入ります。
4月18日(月)、ライブドアとフジテレビの和解が成立します。
ライブドアの持つニッポン放送株全てをフジテレビに譲渡することで一応決着がつきます。
事の発端とも言うべき村上ファンドはニッポン放送株が急騰したところで売り抜けていました。
村上世彰が言っていたように「高い方に売る」というのを実践したのでしょう。
http://www.kabupro.jp/edp/20050315/005GA2AG.pdf
ライブドアはニッポン放送株のフジテレビへの譲渡でおよそ400億円の利益をあげました。
「企業価値」「コーポレート・ガバナンス」「義憤」「次世代のメディア」…様々な綺麗事が並べられましたが、どこか保身や虚栄心と言ったエゴイズムが見え隠れする争いでした。
参考文献
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2005-02-10/IBOPV20D9L35
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニッポン放送の経営権問題(2024年2月14日閲覧)
2005年2月15日(火)
BNFの話に戻ります。
2月15日はBNFの書き込みはありませんでした。
2005年2月16日(水)

2005年2月17日(水)

2005年2月18日(木)







この日、後々まで語られる議論がありました。

1億円まで行ったら2chに報告しないで欲しい…。
当時4000万円以上の資産を持ち、勝ち組のますぷろ◆383VTXE4Agからの意見だったので勝ち組トレーダーには動揺があったかもしれません(億トレーダーが増えるのは2005年末からであり当時は4000万円でもかなり勝ち組だった)。
ますぷろは2chから出て行けと言ったわけでは無いのですが、そのように歪曲されて伝えられることになります。
なお、仁志敏久(にしとしひさ)は当時巨人で活躍していた内野手です。
足が速く1,2番を打つことが多かった。
2005年2月21日(月)


2005年2月22日(火)


2005年2月23日(水)


2005年2月24日(木)


2005年2月25日(金)

2005年2月28日(月)
BNFの投稿無し。
2005年3月1日(火)

2005年3月2日(水)

2005年3月3日(木)

2005年3月4日(金)

2005年3月7日(月)

2005年3月8日(火)

2005年3月11日(金)


2005年3月18日(金)
一週間ぶりの投稿です。

2005年3月26日(土)
再び一週間開けての投稿です。
月曜日(3月21日)は春分の日の振替休日です。

2005年4月1日(金)
再度一週間後の投稿です。

この日はエイプリルフールです。
cisは自分のスレで2chの書き込みを止めるという顎芝居です。


cisはエイプリルフールの冗談で盛り上がっていましたが、BNFの書き込みは本当にこの2005年4月1日が最後になりました。
バーチャ、証券会社の人間、つまらない、嫌味、ルール違反…。
ああ言えばこう言うで批判され、さすがに馬鹿々々しくなったのでしょうか。
BNFが2chに戻ってくることはありませんでした。

一カ月余りたった2005年5月11日(水)、東海アルミ箔(5756、後に上場廃止)が適時情報開示を発表しました。
その第8位株主にとある個人投資家の名前が載っていましたが、この時は注目する人はいませんでした。

※註.第3章~5章でBNFの2ch上の発言は全て取り上げています。
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