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母からの伝言

エピローグ

尋常でないノックの回数だったが一定でどこか虚ろな響きに悪意を感じなかったので、不思議に思い、怪訝な顔でドアを開けることになった。
「ああ、ごめんね夏季。こっちにおいで。休もう」
泣きじゃくる夏季の肩を抱えて部屋の奥に案内し、倫は一緒にソファに座った。
「黒」の呪いが残る夏季の身体について、気分の落ち込みと体調に相関が見られることは理解していたが、 これだけ狼狽する姿も珍しいと思いながら、夏季の怯えがおさまるまで待つことにした。
「オスロ師士の手紙」
やっとのことで夏季は言葉を絞り出した。
「遺言書ね。もう読んだの?」
「読めなかった」
それからしばらく意味のある言葉が発せられることはなく、倫は夏季の背中をさすった。
窓の外は日が翳りはじめていた。夕食の調理が始まっているようで香ばしい香りが漂ってくる。

「でも読まないといけない。オスロ師士が私に残したものだから大事なことが書いてあるはず」
夏季はうつむいたままで言った。
「そうかもね。それで手紙は今どこに?」倫が尋ねた。
「私の部屋」と夏季。
「何だ、てっきりトイレに流したかと思った。良かった」倫が夏季の肩をポンポン叩く。「一緒に読んでいい?」
「うん。お願い」
夏季は疲れ切った顔をようやく上げた。唇が真っ青だった。
「鍵は?」倫が聞く。
「閉めてない」夏季は首を横に振った。
「ダメじゃない」倫は思わず笑った。
倫は夏季を座らせたままにして、幹部棟の夏季の部屋に向かい彼女の部屋にそっと入った。床に無造作に落ちている手紙を拾い、中が見えないようにすぐに折り目通りに畳むと、すぐに自室に戻ってきた。夏季はすんすんと鼻をすすっていたが、少し落ち着いたようだった。
「急にごめんね」ぽそっと夏季が言った。
「まあいいんじゃない」急に目を覚ましたような夏季の様子に、倫はつい、にやけた。
「それじゃあ、見てみますか」倫は夏季の隣に腰を下ろした。
夏季が唾を飲み込み、頷いた。

君の父親は、『闇使い』のクロ・アルドであると言える一方で、魔女リカ・ルカの縁者ジョン・ルカであるとも言える。 これは非常に不運なことが重なった結果であり、君にとっては到底受け入れられない事実であろう。 こんな形で伝えることになってすまない。おそらく私はもうこの世にいないだろうから。

セボできみを一目見たときに、六季が無限の愛情をきみに注いできたことを確信した。 彼女にとってセボの国は忘れ去りたい事柄であっただろうから、父親の面影が見える瞳を持った君をここまで立派に育て上げるのに、どれだけ奮闘したのだろうと思い至り、 老齢に差し掛かり涙もろくなった私は溢れ出そうになる感情をグッとこらえたというのが正直なところだ。

夢の中で六季から伝言を預かったので、下記にしたためるが、私は上記の自分の浅はかな考えを恥じた。
まあ読んでみるがいい。
いや、読んだ方がいい。

「口の利き方に気をつけろよ」
「は?」

覚えている限りだと、それが私とパパの最初の会話だった。
いや、間違いない。だって気づいたときはあの部屋にいたんだから。あなただってそうだったでしょう?
「この国の軍師ともあろうお方への無礼、許すまじ…」
パパがわなわなと拳を震わせながら、私に向かって凄んで見せた。
何よこの武士、と言っていたら取っ組み合いになっていたのかしら。
「こっちだっていきなりこんなボロ小屋に拉致されて気が立ってんだよ。 そっちこそ口の利き方に気をつけな」
私は顎を突き出して若いパパに言い放った。
コホンという咳払い。
なかなかの整ったお顔のおじさん、黒髪は毛先が無造作に遊び、その無造作な前髪の下で、黒い瞳が見え隠れしている。彼が部屋にいる人間の顔を見回した。私がボロ小屋と形容した薄暗い部屋には、咳払いしたイケオジを含めて7人がいた。

先ほど私に文句を垂れた、私が言うのもなんだが生意気そうなイキった青年は、泥だらけの制服のようなものを身につけていた。癖が強くいろいろな方向にカールした焦げ茶色の髪の毛に、茶色の瞳。すらりと伸びた身体の割には少し幼く見えた。
その隣には背が低い細身のおっさんが椅子の上で小刻みに震えている。
次に、大男が槍を片手に仁王立ちしており、先ほどの青年と同じ服装だった。
それから、狐の耳の生えた背の高い女の人。全身淡いグレーの衣服で、瞳の色もグレーだ。私としては自分の口調についてよりもこの一風変わった一見人間ではない存在について突っ込みが必要であるように思えてならない。
最後に、よく見かける運送屋の制服を着た人の良さそうなお兄ちゃん。頭をかきかき、困ったような顔をして、腕には小さなダンボール箱を抱えている。おそらく配達途中の荷物だろう。
ちなみに私の服装は高校のジャージに部屋着のTシャツ。髪もボサボサ。

「君たちにお願いがある。この国を救ってほしい」

私はそこそこふつうの高校生だった。家は代々続く料亭で、私が幼い頃から両親は働きづめ。私の幼い頃の記憶はほぼ店内の内装や厨房の風景に占められている。でも私は家業に全く興味がなかった。小学校を卒業してからのちに手伝いはしたことがない。
5つ年上の、私と正反対の生きざまの姉がいて、家業については一身に背負ってくれていたおかげでやりたくもない家の手伝いをしなくても済み、助かっていたのだと思う。学業優秀で家業の手伝いもこなす、私はそんな優秀な姉の得体が知れなくて避け続けた。
私自身は決して頭は悪くなかったが、勉学に熱中することもなく、面接でよっぽど教師に逆らったりしなければ誰でも合格できるような近所の公立高校に進学し、適当な仲間と気ままに過ごすことに重きを置いて、家業の一切をシャットアウトした上でだらだらとした生活を送っていた。もちろん学費や生活費は両親がきちんとしてくれていて、私はそれが普通のことだと思って特別感謝もしていなかった。

そこへ異世界への呼び出しを喰らい、私は七転八倒したかと思いきや、それはそれで現実世界の煩わしさから解放されたのもありのびのびと楽しんだ。出会ったときから絶えることなくしょっちゅう起きた、パパとの喧嘩さえも、今となっては良い思い出の一つ。10代半ばの男女がまるで子供みたいに暴言を吐いて取っ組み合いの喧嘩をするものだから、見ている大人はみんな笑っていたっけ。パパが怒る理由が主にわたしのだらしない生活や目上の者に対する遠慮のない態度や言葉遣いについてだった。みんな優しかったから、オスロもラートンも生ぬるく見守ってくれていたのが、余計にパパは許せなかったんだろうね。
そりゃあそうだと、今ならわかる。

パパとの関係に変化があったのは、初めて二人きりで遠征したとき。
目的は簡単な偵察だったのだが、道中で魔女の手下に遭遇してしまった。自分が倒してやるといきがった割に私の氷使いとしての能力はその頃まだ中途半端で、苦戦した挙句に派手に地面に転がったところをとどめを刺されそうになる大ピンチ。
私が目を閉じると同時に派手に響いた剣の音。敵が思い切り振り上げた渾身の剣をパパが受け止めていた。
そこで初めて男女の腕力の差を思い知らされた。私はなんとか弱い生き物なのだろう、と。 パパが難なく敵を片付けてしまい、私は呆然と座り込んだままだった。
「大丈夫?」
パパは微笑んでいた。逆光だったけど汗が光っているのがはっきりと見えた。
「足に力が入らない…」
私は自分が情けなくなりわんわん泣いた。
どこかが痛いとか、怖いとかで泣いているんじゃない。大抵の場合女の涙は悔しいから溢れ出るものだと思うんだけど、 それなのにパパは大慌てで、まるで子供をあやすように慰めてくれたっけ……。

それ以来、私はパパに対して強がったり、口ごたえすることをやめたし、ラートン隊長やオスロ師士にもきちんとした言葉遣いで 接するようになった。すっかり素直になった私の振り幅に大抵の人は驚いてしばらく遠巻きにしていたけど、一方でパパは弱い一面を見せた私をからかいつつ、まんざらでもなかったようで、やがて私たちは恋仲になった。

魔女の恐ろしさは想像を超えていた。
パパは「闇使い」だった。闇を扱えるからこそ、光の力をコントロールできるのだという。闇と光の両面を併せ持つのだそうな。
「闇使い」はわたしたちの希望。だって唯一「黒」を受け付けない存在なんだから。だからこそ狙われたのだと思う。妥当リカ・ルカの象徴ともいえる「闇使い」のパパを、リカ・ルカは狙い定めていたんだろうね。わたしたちの高い志をくじくために。

魔女がパパを拉致して闇の一面を引き剥がし、足りない部分は自らの邪悪なパワーで補って、自分の手下、ひょっとしたら息子と言えるような存在を、作り上げてしまったのだ。
半分奪われた本来のパパは死んでしまった。
私は今までに抱いたことのない怒りの感情のままに、魔女への復讐を果たした。もちろん仲間の使いの力を借りて。 最初に、闇だけとなってしまったまがい物のパパを、氷の刃で切り裂いて殺した。
それを息子のように可愛がっていた魔女は怒り狂った。

魔女は死ぬとき笑っていた。凍りつき、投打されて粉々に砕け散る直前まで微笑んでいたのが恐ろしい。
復活するかもしれないと、私は直感したが、怒りと悲しみで疲れ果て、誰にも打ち明ける気にならなかった。
もし気力を振り絞って皆に話していたら、未来は……つまりあなたが生きている今の状況は、多少違っていたのだろうか?
今こそ過去を振り返ることもできるが、当時の私は忘れてしまいたい思い出に苦しんでおり、元の世界へ戻ることしか頭になかった。

元の世界に帰って1ヶ月後に実家を勘当された。
それも当たり前かもしれない。数年家出をしていた挙句、父親の正体を明かすことができない子供を身ごもっていたのだから。両親はついに私に愛想が尽きてしまったようだ。
パパのことを忘れたい一心で帰ってきても結局はそんなこと出来っこないことくらい本当はわかっていた。悲しすぎる出来事とは一生かけて付き合っていかなきゃいけない。もちろんセボに残るように引き止めてくれた人も何人かいたよ。いちばんはオスロの奥さんのユニだったかな。ずいぶん心配してくれて。だからきっとオスロも同じように気にしてくれていたと思う。
それでも、一緒に帰還した炎使いの元運送屋とか、これは意外だったけれど、優等生の姉が、かなり助けてくれたの。おじいちゃんおばあちゃんには会ったことがないと思うけど、おじちゃんとおばちゃんはなんとなく記憶にあるでしょう?
あとは夏季が知っているとおり。贅沢はできないけどなんとか生きてこられたよね。
夏季の目元とか、パパを思い出すくらい似ているところもあるけど、恐れていたほど悲しくはならなかった。だって赤ちゃん育てるのと自分が生きることでいっぱいいっぱいだったし、夏季は夏季で、パパとは違うんだから。勉強も料亭も興味なかったけど、セボでの暮らしと、夏季のいる生活が、私にとっての夢中になれた時間。

本当は、あなたがセボに出発する日に直接この話をするはずだったけど、私の決断がちょっと遅かったので、こんな形で 伝えることになってしまった。ちゃんと伝わっているかな。つまりはこういうことを言いたいんだけど……。

生まれてきてくれてありがとう。
これからもよろしく。

相変わらず夏季は涙をこぼしていたが、顔色は随分よくなっていた。
初めて知る母の心の中が、温かい飲み物のように胸の奥に染み渡っていく。
先ほどまでの震えるほどの恐怖は嘘のように消えていた。

倫も目に涙を溜めていた。
「お母さん。強いね」
「うん。大好き」夏季が湿った顔で微笑んだ。
「ちょっと羨ましい。愛されているのが」
「倫だってきっと愛されてる」
「どうだか」
倫はつっけんどんに言ったが、顔は微笑んでいた。
そして夏季を優しく抱きしめた。

「ジョンジョンジョーン。ジョンジョンジョーン」
ごつごつとした岩肌の横穴の奥で、上機嫌で大きな壺の中身をかき混ぜる老婆がいた。目をつむり、しなびたような素手で感触を確かめるように執拗な手つきでぬらぬらとした液体を撫で回している。
「俊ちゃんはお試しで使ったしもう用はない。夏季は……呪いの印は効いてはいるがなぜだか倒れない。母親ゆずりで頑固だな。倫はだめ。あいつはぜんぶ知ってる。哲ちゃんは……劣情に見込みあるからちょっと遊んでみたいのう、ヒヒヒ。チビラートンは身体的にしかダメージを受けない鋼のメンタル。王女はなかなかの上物なんだがラートンが怒ると面倒だからよしておこう。それがなくともさすがに扱いが難しい。大物狙いは策が必要だ。が、雑魚はいたるところに転がってる。これが王国とは笑わせてくれるわ……なんというザマ! 民の心を覗けば求心力の無さは一目瞭然よ……」
老婆は壺の中身を両手一杯にすくい取り口元に持っていくと口にふくんだ。すべては口の中に入りきらず、両手からぼたぼたとこぼれ落ちる。とたんに顔や手の皺が減り、折れ曲がった腰が少し直った。何かがみなぎった様子の魔女は両手を大きく広げた。
「見よ! わしを蘇らせるほどの黒い心! ひとつひとつは小さいが、数が集まればこんなにも強く、強く……」
感極まった様子の魔女は胸の前で腕を交差し、うっとりと天井を見つめた。
「来るんだろう六季? もう一度遊ぼうや。目の前で娘を殺してやる」
魔女は目を見開いた。
「わしの目の前でジョンを殺したようにな」

「Seventh」第一章 完
おまけ→あとがきに代えて「作品作りに関する30の質問」

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