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旅路

第一章/使い

地平線の向こうから顔を出した朝日は金色の光を地上に降り注ぎながら、やがて空の天辺まで昇った。青い天井に真っ白な千切れ雲が漂うのを、夏季は馬の背に揺られながらぼんやり眺めていた。日よけのために頭まですっぽりかぶったマントが、ときおり顔をこすってむずがゆい。
夏季はしんがりで、前方にはやはり同じような粗い目のうす茶色のマントをかぶった俊と倫が並んでいる。そして、彼らの先頭を行くのは、艶のある馬に跨がるシエ・ラートンだった。彼は相変わらず、フードつきのマント、ズボン、ブーツと上から下まで黒尽くめである。見た目の上でも、そこから漂うぴりっとした空気も、四人の中では一人だけが別格だった。
旅の一行は急ぎもせず、止まりもせず、一定の早さで行程を進んでいた。城下街の門を出てから広がる風景は小石が転がる渇いた土地ばかり。皆の口数も少なく、単調な旅であった。
「はあ」
夏季は無意識に、ため息をついた。それに反応して倫が馬を進めたまま振り向いた。
「なに?」
倫はうるさげにマントを後ろへ払った。
「ちょっとおしりが」
夏季は臀部が少し痛かった。夜明けから昼近くまで休みなしで馬に乗っているのだから、それも当然である。
「わたしも」倫が目を細める。「あんたは?」
「少し」
俊は前方を向いたまま答えた。馬に慣れていないからか、振り向く余裕はないようだ。
「そんな姿勢で大丈夫? がっちがちじゃない。わたしらよりずっと疲れると思うんだけど」
倫が俊の姿を見て言った。確かに俊の身体は不自然なほどに揺れが少ない。馬の上でバランスを保つことに必死な様子だ。
「へ、平気だ」
俊が言った。
「ラートン隊長ー」
倫が先を行くラートンに呼びかけた。ラートンは返事の代わりに片手を上げた。
「少し休憩しない? わたしたちちょっと疲れたみたい。それに、そろそろ何かお腹に入れた方がいいと思うんだけど」
しばらくして、ラートンは馬の足を止めた。黒いマントの下から鼻先だけがちらちらと見える。
「仕方ないな」
その言い方は明らかに不満そうで、ついに音を上げた仲間に呆れている様子だった。

「目的地まで、あとどれくらいですか?」
夏季は倫が即席で育てた赤い実をかじりながら、ラートンに聞いた。彼はもの静かにパンを食べている。
「あと少し。目と鼻の先だ」
夏季の顔を見ずに言った。
夏季はどきりとした。あと少しで、敵と対面することになる。それも、自分と同じように水を道具として扱う特異な力を持つ化け物だ。果たして自分は戦うことなどできるのだろうか。夏季は不安でたまらなかった。相手は大切な仲間である哲を傷つけた悪者である。そう考えれば力をぶつけることはできるかもしれないが、しかし……。
「安心しろ。最初は俺が相手をする。君たちは後ろに下がっていればいい」
ラートンが夏季に黒い瞳を向けた。無表情だが、自信に満ちた言葉は頼もしかった。
わたしの気持ちを察したのだろうか? 気遣い……。この人にはあまり似合わない言葉だ……。
「ずいぶん自信があるようだけど、大丈夫なの?」
倫はお茶を啜って、彼に鋭い目線をぶつけていた。
「というと?」
「だってあなたの武器はその剣一本でしょう」倫はラートンの横に置かれた剣を指差した。「魔法とか魔術とか、すごい力じゃないの? それに対抗できるのかって、どうしても疑問に思ってしまうのよね」
「負ける気はしない」
ラートンははっきりと言った。
「そう言うのなら、言い返す言葉はないわ」
倫は顔を引きつらせて笑った。

ラートンは黒い肉の乾燥食を噛みながら馬にまたがった。
「少し固まろう。敵地が近い」
出発前にラートンは一言そう言った。
俊はラートンと並び、倫と夏季はその後ろに続いた。荒野では縦十メートルほどにばらばらと進んでいた四頭は小さくまとまった。それまで旅の仲間に無関心かと思われたラートンが、ときおり振り返り後続の者が付いているのを確かめるので、夏季は本当に敵が近いのだと知り、引き締まる思いがした。
「それでも、戦わなければならないのはわたしたちよ」
倫が小さな声で言った。
夏季は倫の方を見た。
「どういうこと?」
「彼が時間稼ぎをする間に、オミリアの技を見極めろということだと思う」
夏季は胃がずしりと重くなり、手で腹を押さえた。
時間稼ぎ、か。
「わたしは俊の炎や、あなたの水の龍を見た。あんなものに剣で勝てるわけがない。相手がオミリアならなおさらよ。相手を傷つけることになんのためらいもない奴なんだから……」
倫の顔に影が差した。
やっぱりそうだよね、と夏季は思った。ラートンの気遣いは、これまでの彼の横暴ぶりからすれば(かなり)うれしかったが、それは本当にただの励ましに過ぎないのかもしれない。倫の意見を聞いた後では、完璧な気休めにも思えた。言葉を掛けるのがラートンである場合、ふだんは決してしない気遣いなどをされるよりも、ふだん通りの氷の微笑と冷たい言葉を浴びせられる方が、今の状況ではまだましなのかもしれない。
ラートン隊長が勝てない相手に、自分たちが勝てるのか。確かに夏季たちは、今はもう、凡人ではない。本人たちも自覚せざるを得ない上に、証人は無数にいるだろう。そのような大きな事件をいくつも起こしてきた。どれもが人の命を危険にさらすような出来事だった。しかし、そのような力を持ちながらも勝てる気がしないのはなぜなのか。それは、経験がないからだ。彼らには実戦の経験が決定的に足りない。そして精神的な面でも、事が起きるのがあまりにも急すぎて、心の準備がまだ出来ていない。誰かを攻撃するということに対しては素人である。
わたしたち、負けたらどうなるのだろう。
殺される?
そりゃそうでしょう。哲をあんなにボロボロにしたんだから。相手が弱くても強くても、きっと容赦しない。いいや、相手が弱ければなおさら大きな力を使うかもしれない。オミリアにとってはそれが楽しみなのかも。蟻を踏みつぶすように……。ほんのひと捻りであっという間に、あっさり、はいさようなら……。
鋭い光線に消し飛ばされ、影も形もなくなる自分を想像して、気分が悪くなった。
「どうしたの? 夏季、顔色がよくない」
倫が横から覗き込んだ。
「大丈夫」
夏季は我に返るとともに、小さな声で言った。そして頭を振り、目を何度もしばたいた。手綱を握る両手は緩み、じっとりと汗をかいて冷たくなっていた。
やめよう。
やめた。
こんなのただの妄想だ。何がどうなるかなんてわたしに分かるわけがない。考えても分からないことを考えるのは、もうやめよう。
今、分かることを分かった上で思うのは、冗談じゃない! ってことだけだ。そう、冗談じゃない。こんな家族もいない国で、わたしの人生が終わるだなんて!
夏季は、怒りを感じて、クララの手綱を握りしめた。

ラートンはちらちらと、三人の使いの様子を観察していた。倫が締まった顔で何事かつぶやき、夏季が綱を強く握るのを見た。

彼らには気概を感じる。元々負けん気の強い連中のようだが、セボで起きた様々な出来事を通して、粘り気のある強さが生まれている。今日の戦いでもそう簡単には倒されないだろう。
少々不謹慎だが、楽しませてもらおう。見物だな。

やがて一行は荒野から草原に移り、草の丈がだんだん高くなり、いつの間にか木もまばらな森に入った。
水源が近い、と夏季は思った。耳の奥で水の流れを聞くことができる。
「感じるか?」
ラートンは夏季のように水の生命力を感じることはできなくても、近くにいる人間の変化を敏感に感じ取っていた。
「はい。この先にすごく大きな何かがあります」
懐かしい感覚が蘇っていた。初めて水の流れを耳の奥で感じたとき、それはテラの村の近くの森で湧き水の息吹を読み取った日のことだった。しかし今回の強いオーラは、どこか暗く、もやもやとしている。
「それがおそらく『水の洞窟』、魔物のすみかだろう。近いぞ」

ラートンの言う通り、ほどなくして木々はなくなり視界が開けた。その先には、天辺の見えない崖がそびえていた。 岩肌はほとんどが厚いコケに覆われていたが、ところどころにのぞく岩肌はごつごつとして不格好だった。
夏季は思わずクララの足を止め、その場から動けなくなってしまった。
デジャブのように、いつかの夢に出てきた洞窟の入り口を見ていることに気付いた。夢の中では荒野の真ん中だったが、場所は違っても洞窟は同じであると確信できた。

「今はまだ。でも、近いうちに。もう少し待つこと、いいわね?」

急に戻る記憶の激流の中で、あのときの声も思い出された。
ああ、あれはカイハの声だ。彼女はあのときわたしを救ってくれたに違いない。水の龍を手にしていなかったあのときはまだここに辿り着くのが早かった。でも、今こそ、今度こそ、この洞窟に踏み込むときなんだ。わたしを救おうとした、氷の洞窟のカイハ。彼女はいったい何者なのだろう?

「どうした」
ラートンが隣にいた。
「カイハという人を知っていますか?」
「知っている。氷の洞窟の住人だ」
「あの人は無事ですか?」
「心配することはない。彼女は強い人だ。自分の身を守るくらいの力は持っている」
「ならいいんです。よかった……」
夏季は大きく息を吸い込んで、吐いた。呪縛を解くように、クララの手綱を離し、馬からおりた。それを合図に、他の三人も馬からおりる。

「君には見張りと、馬の世話を頼む」
ラートンは愛馬の手綱を俊に差し出した。
俊は目を見開いた。
「なんで!?」
「忘れたか。相手は水使いだ。今回君の武器はなんの役にも立たない。大量の水を蒸発させるほどの火力を扱えるのならば話は別だがな」
シエが言った。
俊はシエをきっと睨みつけ、妬むような目つきで夏季と倫を見やった。
「仲間を想うことは素晴らしいことだ。だが、時と場合によっては自らの信念を譲らなければならない。君にはここで見張りをしていてもらいたい。オミリアの仲間がいないとは限らない。洞窟の中で挟み撃ちという最悪の事態は避けなければ」
俊は一瞬あっけに取られたような顔をし、それから、狼狽したように言った。
「もしも本当に追っ手が来たらどうする? 俺一人で、複数の相手をしろってか?」
「安心しろ。君の武器はうってつけだろう? 狂気の炎で虫けらどもをすべてを焼き払い、灰にしてしまえ」
シエはそう言って、にたりと冷酷な笑みを浮かべた。
夏季は隊長の笑みを見て身震いした。嫌でたまらなかった彼の氷の微笑が、今は渇ききった喉に落ちる一滴の水のようにありがたかった。
戦場に限っては、いつも通りのラートン隊長がいてこそ、安心できた。

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