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出発

第一章/使い

ユニは尋問を受けるため、病室を出て行った。残された四人はじっと黙していた。

今なら許されるだろうか。本心を打ち明けることを。みんなが気持ちを仕舞い込んだことでその結果哲があんな目に遭ったのなら、わたしは今ここでぶちまけた方がいいのかもしれない。甘えておいた方がいいのかもしれない。みんなで、大きな戦いへ出発する前に。
夏季の胸の鼓動は速くなっていった。しかし、一度深く息を吸うと、誰の顔も見ずに話しだした。
「さっきはオミリアが許せないって言ったけど……」
他の三人は、唐突に話し始めた夏季を見上げた。
「大事なことを秘密にしていた倫さんも許せない。哲を裏切ったのに、哲はまだ苦しんでいるのに、笑っている俊も許せない」
夏季は思っていることをそっくりそのまま口にした。
俊は再び沈んだ顔になり、椅子の上で肩を落とした。アレモは口をきっと結んで、床を見つめていた。夏季の心臓はますます速く鼓動を打った。

急に、倫が声を上げて笑い出した。他の三人が驚いて、彼女を見つめる。
この期に及んで責任のなすり付け合いなど誰が望むだろうか? しかし一丸となって敵を倒しに行くとなれば何か一つでもうやむやにしていては駄目だと、夏季は考えた。誰も愉快な思いをしない話になるはずだと思ったのだ。それにも関わらず、倫は顔を伏せ、声は立てずにくっくっと肩を震わせている。
「なんで笑うの?」
夏季は倫の反応にショックを受けていた。
「反省していないわけじゃない」苦しそうに倫が言った。「わたしも俊も切り替えが早いのかしらね。前向きと言えばいいのかな……」俊をちらりと見やった。「夏季も聞いたでしょう、わたしが反省したのを。俊が心から悔いた証拠にみんなの前で懺悔したのを見たよね。大の大人が、仮面を取っ払って泣きわめいたのを見たでしょう」
夏季はこくりと頷いた。
「だったらそれ以上何をしろと言うの?」
倫は急に真顔になり、美しい漆黒の瞳で夏季の目を見た。
「わたしや俊も哲と同じように痛めつけられればいい?」
「そんなことはない……」
「正直な気持ちを言ったつもりよ。悪いと思ったから謝った。それなのにまだうじうじしたって仕方ないでしょう。その辺は区切りをつけなきゃ。わたしたちを信用してもらわないと前には進めないじゃない」
夏季は倫の正論に圧され、椅子の上で縮こまった。
倫が顔をふっと緩め、目を細めて笑った。
「いじめようと思えばまだまだあんたをいじめられるけど、今はこんなことしている場合じゃないよね」
夏季は黙っていた。
「俊もわたしと同じ。みんなの前で全てぶちまけたら、一気に見通しがよくなったってところでしょ。そうよね?」
「まあな」俊が倫を睨みながら吐き捨てるように言った。やはり倫に上位に立たれるのは気が食わないらしい。「後悔の気持ちが溜まってたんだよ。俺が原因で『裏門』の鍵が盗まれた。そのせいで何か悪い事が起きたらどうしようって、日が過ぎる毎に心配が大きくなっていったんだ。今日打ち明けられて、本当にすっきりした」
「思わず顔が緩むってもんよね」倫が俊にウインクした。
「やめろよ気持ち悪い」
俊は照れたわけではなく、本気で嫌がっている。倫は余裕の表情で舌をひらひら出していた。
「わたしたちのずばぬけたポジティブに、夏季はついてこれないみたいね」
「まったくです」
それは性分の違いであって、倫の意見を聞いた後でも心の奥で燻る怒りに変わりはなかった。しかし、聞かないよりはましだった。
「ねえ、やっぱり倫さんがリーダーの方がいいよ」
夏季がぼそっと言った。
「わたしより前向きみたいだし」
夏季は皮肉を込めたつもりで言った。
「そう? わたしはあんたでいいと思う」
倫は屈託のない笑顔を見せてさらりと言った。夏季は皮肉をあっさりかわされて、自分の子供じみた部分に嫌悪を抱くだけで終わった。
彼女は一筋縄ではいかない策略家かもしれない。しかしそれ以上に、澄んだように真正直な面もある。倫の口からその言葉を聞くことができ、夏季は心から安心した。夏季自身がいくら固い決意をしても、周囲の賛成が得られないままではいずれ気持ちが揺らぐ。倫が差し出した手を感謝の気持ちを込めてぎゅっと握り返した。これほど意味のある握手をしたことがこれまでにあっただろうか。自分に問いかけてみたが、夏季は思い当たらなかった。
「わたしにはワイルドな部分が全くないのよ。頭だけ使ってても何か物足りない」
倫が残念そうにため息をついた。
「わたしってワイルドなの?」
夏季が聞き返すと、部屋の隅でアレモが吹き出した。
「俺も嬢ちゃんでいいと思う」
俊が照れくさそうに、しかし倫と同じように右手を差し出した。夏季が俊の大きな手を握ると、力強い握力が返ってきた。
「嬢ちゃんて呼ぶの、いい加減やめてくれる?」
夏季は良い機会だと思い切り出した。
「呼びやすいんだけどな。じゃあなんて呼べばいいんだ、リーダーか?」
「ふつうに夏季でいい」
「……わかった。よろしくな、夏季」
二人は再び手を握り合った。夏季は俊と出会ってから初めて心が通い合ったと確信できた。
「困ったときには助けてね」
不信はもはや消え去っていた。
「わかった。俺に出来ることなら手伝う」
力強い口調で、俊が答えた。
室内には、今までにない固い結束が生まれ始めていた。

「俺、哲の見舞いに行かないと」
俊は雨上がりのようにさわやかな顔で言った。
「一人で大丈夫?」
倫がにやにやした。
「何がだよ。じゃあな、行ってくる」
俊は倫に向かって眉毛を上げ、病室のドアに歩いていった。
「わたしたちはどうする?」
倫が夏季に言った。
「出発の準備をしないと」
と夏季。「厩舎のおじいさんが手伝ってくれるかも……」
「そうね。馬の準備でもしてましょうか。ちょっと、あんたもお見舞いが終わったら厩舎に来なさいよ」
倫が刺々しく声を掛けると、俊は去り際にさっと手を挙げて答えた。
「あなたはどうするの?」
倫が部屋の隅にちょこんと座っているアレモを振り返った。
「とりあえず仲間の兵士たちと情報交換だな。まあ、こっちはこっちで下っ端なりにやることがあるだろ」
アレモはうんざりした顔で言った。
「アレモさん、刺激が欲しいって言ってたじゃない」
夏季が苦笑いして言った。
「ええ、そうだっけ? ……ちょろっと言ったかもしれないけど、いざそうなると忙しくって嫌だな。やっぱり平穏無事が一番だ」
「……平和ボケね……」
倫が低い声でぼそっと言った。
アレモは聞こえなかったようで、首を左右に曲げてぽきぽき音を出していた。

厩舎の老人は事情を説明したときは目に見えて嫌な顔をしたが、夏季と倫、そして後から加わった俊の旅立ちの手伝いを始めると、てきぱきと指示を出した。
夏季の愛馬となりつつあるクララは、久々に会った夏季の頬に鼻頭を擦り付けて来た。夏季はクララの顔を撫でたりしてその相手をしながら、鞍を付け、鐙を吊るした。
「哲くん何か言ってた?」
倫が栗毛色の馬の背に毛布などの大荷物を結わえ付けながら、俊に話し掛けている。
「『行けなくて悪い』とかほざくから、お前みたいなチビはいてもいなくても大して変わりはないって言ってやったら……あいつ風を起こしやがった」
「病室で?」
倫が驚いて言った。
「布巾が舞ったところで逃げてきた」
「意外と元気そうね」
「ああ、もう大丈夫だろう。なんだろうな、あの回復力は」
「野生児っぽいもんね。冬でもランニングで外跳び回って遊んでそう」
「似合うな!」
俊がひいひい笑い出した。哲が聞いていたら竜巻十本くらい起こしてしまうだろうと、夏季も顔を歪めながら聞いていた。
出立前にしてはのどかだった。これから起こりえることに関して、運命を共にしているからだろうか。

三十分ほど馬の糞が散らばる足元やじいさんのぼやきと格闘した後で、ラートンとハリルが厩舎に顔を出した。
「やってるな」
ハリルが呑気に声を掛けた。
「覚悟は決まったか?」
「覚悟もなにも。嫌と言ったって、きっと引きずってでも連れていくんでしょ」
倫が、ところどころ毛並みの悪い栗毛色の馬の背に荷物を巻き付けながら、言った。
「まさにその通り」
倫の答えにハリルはご満悦だった。
「セボに来てからそんなことばかりだもの。もう慣れてきちゃった」
ハリルが高い声で笑っている。夏季が声のする方に振り返ると、彼が肩を震わせているのが目に入った。
ユニの尋問は終わったのだろうか。ずいぶん切り替えが上手な人なんだな。
そしてすぐ側ではラートン隊長が、毛並みのつやつやとした栗毛の馬の鼻の上を撫でている。
「隊長さんも馬を出すのかね」
じいさんが声を掛けた。
「ああ。こいつは出せる状態か?」
「いつでも来いだ。精悍な顔つきしてるじゃねえか。あんたと同じだ」
老人の軽口をラートンはしらっと受け流した。馬の小部屋の柵を外し、手綱を引いて厩舎の外に出て行った。
「あいつ、俺たちと一緒に行くのか」
俊が暗い顔でつぶやく。
「彼の方が荒地の地理に詳しいからな」
ハリルがあっけらかんと言った。
大変な旅になりそう、と夏季は思わず声に出して言いそうになったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。ハリルはおおいに受けてくれるだろうが、「大変な旅」の出発を前にして笑いを取ることよりも大事なのは、後ろ向きなことは出来る限り言わないことだった。

ハリルが厩舎の外に出ると、ラートンが毛並みの美しい馬の手綱をすぐ側の樹木に括りつけていた。
「みんなでワイワイやればいいじゃねえか」
「騒々しいのは好きじゃない」
ラートンは顔を向けないまま返事をした。
「またまた、年寄りみたいなこと言って」
ふーっとため息をついた。ラートンはまったく反応を示さない。背負っている頭陀袋から鐙を取り出し、馬に取り付ける作業を始めた。
「会議はどうする?」
ハリルが言った。
「もはや意味もない」
ラートンはさらりと返す。
「だな。事は起きたし、誰がなんと言おうとあんたは明日早くに発つ」
「相違ない」
「王女に会ってきたか?」
出し抜けにハリルが言った。
「いや……」
ラートンは打って変わってあいまいに返事をした。彼には滅多にないことだった。
「彼女は心配するぞ」
ハリルは呆れた声を出した。
「ああ。ベラには申し訳なく思っている。会う時間が取れなくて」
「ニッキや世話係が大変な目に遭うだろうな。申し訳なく思うなら彼らに対してだろう」
「すぐに仕事を済ませればいいことだ」
「これまでで一番大きな仕事だぞ」
「大丈夫だ。すぐに帰ってくる」
ラートンの目は強い光に満ちていた。顔立ちは若さに溢れているのに、黒い瞳には底知れない深みがあった。
「それより……」
ラートンは馬具から手を離すと、ハリルと真正面から向き合った。
「城を頼む。この混乱に乗じた狙いが他にある気がする」
「なんだって?」
ハリルは不意を突かれ、高い声を出した。
「腑に落ちないんだ」ラートンが考え深げに言う。
「『裏門』の鍵を盗んで、『裏門』の鍵を開ける……。そして風使いの彼を血祭りに上げた。ああ、大変なことが起きたとも。ここ何年も起こりえなかった出来事だろう。しかし、あれはただの見せびらかしだ。衝撃的だが中身がない。それよりもむしろ城の中にある鍵を盗めたのなら、他のものも盗めるかもしれないと考えるのが筋じゃないか?」
ラートンは言い終えると、ハリルの暗い灰色の瞳をじっと見つめた。寝起きに水を浴びたかのように、ハリルは驚きで目を大きく見開いた。
「侵入者か、それとも謎の『声』再びか」
「わからない。まだ何も……。しかし城の中で何かが起こると考えても不自然ではないだろう?」
「内野組の仕事が見つかったな」
ハリルはにやりと笑ったが、同時に頬には一筋の汗が流れた。
「兵隊ではなく、あなた自身が目を光らせていてくれ」
ハリルは口を固く結び、深く頷いた。
「それから、王女のことも頼む」
「分かったよ。みんなでご機嫌取りすればいいんだろう」
ハリルは茶化した。しかし、彼はラートンの真意も理解している。あるかもしれない城への襲撃に備えて王女の護衛を頼んだことだ。
そのことをラートンは知っている。だから、ハリルのおふざけをいつも通り受け流した。

夜明けが来た。
街の向こうで、強い黄色い光が溢れている。
シエ・ラートン、夏季、俊、倫は、馬の背に乗ってその景観に見入っていた。彼らの顔は一様に金色に染められ、陰影が濃く彫り起こされている。

「行くぞ」
ラートンが馬の歩を進めた。彼が一行を水の洞窟へと先導する。
「よっしゃ」
俊は大きな黒い馬に乗り、厳しい顔で馬の手綱を握った。
「初出陣、みんなで進めば怖くない!」
倫は毛並みの悪い馬の上で拳を掲げた。
夏季は、倫の言葉が標語に聞こえてならないと思いながら、背後の古城を振り返った。白いはずのそれは朝日に照らされて橙色に染まっている。背景の青紫色の空とはあいにくミスマッチだった。
わたしも何か一言セリフを言うべき?

「行ってくるよ、哲」
夏季は一言つぶやき、向かうべき方向へ馬の向きをくるりと変えた。
優しい瞳の先にあるのは、これからちょっとした旅路を共にする三人の茶色いシルエット。少しひねくれた人間ばかり。
それでも、彼らは仲間。
みんなで進めば怖くない。
倫の言う通りだった。

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