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告白

第一章/使い

病室の入り口でアレモが廊下の様子を窺っていた。ラートン、ハリル、倫、夏季が、哲の居る病室から出てくるのを見て、彼もそこに加わるためやってきた。
「哲はどうしたんだ?」
アレモが緊張した面持ちで言った。
「頭のおかしなやつの襲撃にあったの。隣で休んでいるわ」
倫が言った。
「なんてこった……気の毒に……」
「ええ」
「命に別状は?」
「そこそこの効力のある薬草が手に入ったから大丈夫だろう。胸の傷に関しては心配ない。予想よりも浅い傷で、内蔵に影響はなかった」
ラートンが落ち着いた口調で言った。
「そうですか……」
アレモは心から安心したようで、大きなため息を漏らした。
他の者たちが、ユニと俊の待つ病室に入ったのを見計らって、夏季はアレモに小声で話し掛けた。
「イルタさんは街に?」
「そうだろうな。ウォローが今日誕生日であることに感謝するべきだ。本当ならあいつが『裏門』の任に就くはずだった」
アレモが青白い顔で、すうっと息を吸い込んだ。
「街も騒ぎで、誕生祝いどころじゃないですよ、きっと」
夏季が覇気のない声で言った。
「それもそうだな……」
アレモは不安そうに、入り口から見える病室の窓に目をやった。

病室に入ると、ユニはしょぼくれた赤い目で窓の外を眺め、俊は傍らの椅子の上で、落ち着かなげに右足で床を踏んでいた。
夏季とアレモは揃ってユニの隣に並び、窓から街の様子を眺めた。遠くに見える煙は細くなっていたが、街は平日であるにも関わらず、静養日並に人の出が多い。同じ薄茶色の頭が見えるのは、彼らが軍の制帽をかぶっているせいだった。
「たくさんの兵士が出動してる。こんな風景、初めて見た」
アレモが窓の桟に手をかけて、外を見ながら言った。
「大変なことになっちまったな。けれど、いったい何が起きた? ついさっきまでここは軍隊と無縁の街だったのに。なあ、隊長さんよ……」
ラートンは腕を組んで下を向いていた。口を開くことを、じっと耐えているようだった。
「こう、次々といろいろな事が起こってしまってはな。状況を把握するのも難しいってもんだ」
ハリルが横目でラートンを見ながら言った。
ラートンが目を細めて、副隊長をじろりと見た。
「睨むなよ。従軍してからこんなことは初めてだろう? 分からなくても当然じゃないか。俺だって困ってるよ」
ハリルが少し腹立たしげに、しかし穏やかに言った。

「どうして」
夏季が唐突につぶやいた。
「哲が……こんな……風になってしまったのは、どうしてなの?」
夏季が喉を詰まらせるようにして言い終えると、俊が椅子の上でびくりと肩を震わせた。隣に座っているユニが、そんな隣人をちらりと横目で見る。
「悪いことが重なったのだ。まず、襲撃がたまたま今日だったこと。それにこれも偶然、彼が『裏門』に立っていたこと」
ラートンが腕組みしたまま、病室の中を革のブーツでこつこつ歩きながら言った。
「それから、幹部から部下たちへの情報伝達が行われなかったこと。わたしたち幹部が鈍臭い行動を取ったためだ」
「そして、君」
ラートンは歩みを止めて、倫を指差した。倫は驚いた様子で聞き返すように眉をひそめた。俊が再び椅子の上で肩を震わせる。夏季はそれを目撃して、怪訝な顔をした。俊は親の肩書きを誇りにして、これまで常に堂々としていたのに、なぜ今彼が怯える素振りを見せるのかが分からなかった。
街への急襲がそれほど怖かったのかな……。
「君は、知っていることを全て話していない。例の『声』について」
ラートンが言った。
「何の関係が……」
倫が口元を歪めた。
「そのことが直接関係あるかどうかはわたしにも分からない。ひょっとしたら、ということだ」
「自分たちのことを棚に上げてこっちのあら探し? 今回のことは明らかにそっちの、軍部の準備不足が原因じゃないの」
倫とラートンは睨み合った。
「ラートン隊長、続けてください」
夏季が少し力を込めて言った。今回ばかりは、倫にペースを譲るつもりはなかった。
「哲が酷い目に遭ったことを、傍観なんかしていられない。こんなことになった原因をちゃんと知りたい……どんな些細なことでも。きっと、わたしたちの中でも多い事実を知っているのは隊長ですよね。だから、わたしはまずあなたの意見を聞きたいです」
「あんたが知って気分が良くなることなんか一つもないと思うけど」倫が大きな黒い瞳を向けた。
「構わない。知らないままでもいい気分になれるとは思わないから」
夏季もしっかりと倫の目を見て言った。

「俺も、同じ意見だ」
それは、くぐもった涙声だった。
俊が大粒の涙をこぼして、鼻をすすっていた。俊は夏季よりも一回りも二回りも大きな身体をしている。夏季はそのような大人の男の人が、これほど激しく泣く姿を見たことがなかった。顔を真っ赤にして、大量の涙と鼻水を垂れ流し、手で隠した口元からは嗚咽とも取れる苦しげな声を漏らしている。隣に座っているユニは思わずというように、彼の背中に手を添えた。
「ぜんぶ、俺が悪いんだ」
俊はそう言って、顔を両手に埋めた。
ラートンがしばらく目をつむってから、顔を上げた。
「そうだな。君のしたことは結果的に、今回の出来事の中でも要となる役目を果たしたと言えるだろう。自分で皆に打ち明けるか?」
俊はぼろぼろと涙をこぼした。夏季は、ラートンが何を言っているのかが理解できず、横に居るアレモの顔を見上げた。彼も眉をひそめて、夏季に首を横に振って見せた。ユニは俊の背を撫でながらラートンを見て、それから夏季とアレモの方を見た。何のことだか分からないと、その目は言っている。倫とハリルは、ラートンを見つめている。
服の袖で涙を拭った後、俊が口を開いた。
「ああ。全部話す。そうしないと、哲の顔が見れない。見舞いに行けない」
膝の上で拳を固く握りしめた。顔は苦悶に歪んでいる。しかし、目には強い光が宿っていた。
「君」
ラートンが夏季を見る。
夏季が小さく頷いた。
「先ほど、わたしの意見を聞きたいと言ったが、わたしとしてはまずは彼の話を聞いてほしい。おそらく彼の体験は今回の襲撃と最も深い関わりがある」
「わかりました」
夏季は静かに言った。俊が体を震わせているのを見るとあまり気は進まないが、彼自身が話したいと言っている。そして夏季は全てを知りたい。拒む理由はなかった。
一度室内に居る者を見回して皆の顔を確かめると、ラートンは会釈しながら右手を差し出すという上品な仕草で、俊に話すよう、促した。

ときおり喉を詰まらせながら、俊が突然聞こえた「声」に従って起こした行動のあらましを語るのに、十分もかからなかった。
初めて耳にする、驚くべき事実だった。『裏門』の鍵が何者かに奪われたこと。そしてそれに手を貸したのが、束の間でも仲間だという意識を持った知人であること。
彼がこれほどまでに愚かな行動を取ったことを聞いて夏季の腹の底から沸いてきたのは、怒りと、悔しさだった。
「お、俺が。あの変なババアの言う事を聞かなければ、こんなことにはならなかったんだ……」
静かな一言で締めくくると、腰を折り、手の中に突っ伏した。
彼の頭にハリルの大きな手が乗った。
「そのババアってやつはな、少なからず人の心を操る力を持っているんだ。君がやつの言う事を聞いたのも、まあ、仕方なかったのかもしれない。しかしだ。あいつがつけ込んだのは、君のしょうもない心根だった。言っておくが、『裏門』の鍵を売ってまで君がなりたかった『リーダー』なんて、そんな華々しいものじゃない。なってみないと分からないかもしれないけどな」
ハリルは言いながら、夏季に目配せした。優しいが、とても厳しい目つきだった。許せと、その目が言っている。彼の手の下で、俊はしゃくり上げたまま、顔を上げられないようだった。
「ごめんな、哲……」
顔を真っ赤にして大粒の涙を落とす俊を、責めようとする者はいなかった。誰も口を開かない。夏季も、むせび泣く俊の大きな身体を複雑な気持ちで見つめるしかなかった。
「そうね」
しばらくして、倫が口を開いた。
「わたしが隊長にその変な『声』のことを聞かれたとき、正直に『はい』答えていたら、もしかしたら……もしかしたら、哲くんはこんなことにならなかったのかもしれない」
声も顔も、暗く沈んでいた。
「倫さんも、何か隠しているの?」
夏季は思わず口を挟んだ。倫は顔を向けず、夏季の問いかけには答えなかった。
「ほんの些細なことでも、人の命運を左右するには十分だもの」
「もちろんだ。それを分かっていながらなぜあの時我々に話さなかった?」
ハリルが険しい顔で倫を睨んだ。彼もオスロやラートンと同じく、激しい気性を秘めているようだった。
「ちょっとした自尊心。ただそれだけ。誰にだって少しはあるでしょう?」
怒りのこもったハリルの視線を真っすぐ受け止めている倫の目は、悲しげだった。
「ああ、そのような非常にくだらないものを人は持っている」
ラートンが静かに言う。
「今からじゃ遅いけれど、わたしも自分に起きたことを話すべきかしら?」
「遅いということはないだろう。これから役に立つ可能性もある」
ラートンの横で、ハリルが深くうなづいている。
「じゃあ、言うわ。わたしも俊と同じで、年寄りじみたしゃがれた『声』に話しかけられた。嘘ついてごめんなさい、ラートン隊長、ハリル副隊長」
ハリルが顔の緊張を緩め、頬をぽりぽりとかいた。
「そんな素直に謝られちゃあ、許すしかないじゃないか」
「だって自分が悪いと思ったんだもの」
倫は堂々と顔を掲げていた。非を認めた後の彼女は誇らしげだった。
夏季は、じっと下を向いていた。
わたしはそう簡単には許せない。
「姿が見えないなんて恐ろしいことがある? その怖さに負けずに『声』を退けるのは、けっこう大変だった。それでもわたしがそいつを即座に切り捨ててしまおうと決めたのは、そんな誰とも分からない『声』に従うなんて、正気の沙汰じゃないと思ったから。きっとろくなことにならないと、簡単に予想できたからよ」
倫は俊を見つめていた。俊も涙と鼻水にまみれた顔を上げ、倫を見返していた。いつもの挑戦的な空気は二人のどちらにも、微塵もない。
「ああ。俺は大バカだ。権力欲しさに目がくらんで、気付いて当然のことに気付けなかった。たとえあのババアに、人を操る力があったとしても、元は俺の考えがまずかったんだろ?」
俊がハリルの顔を見上げた。ハリルは、お世辞にもきれいとは言えない濡れそぼった俊の顔に、優しい微笑みを返した。
「よく分かったじゃないか。その通り、さっきまでの君は大バカ野郎だった。今はもう違うけどな。」
俊の喉から、声にならない音が漏れた。

ラートンは話の終わりの合図のように、組んでいた腕をほどき、腰に手を当てた。
「あと一つ、確かなことがある」
一息つくようにして、両目のまぶたをしばらく閉じてから開いた。そして体の向きを変える。
「君が役目を自覚していれば、『風使い』の彼がこのような目に遭う事はなかったかもしれない、ということだ」
ラートンは夏季の顔をまっすぐ見て言った。
夏季は不意を突かれた。何か言い返そうと口を半開きにしたが、自分の言葉は出てこなかった。言われた言葉を反芻しただけだった。
「役目……?」
わたしの、役目。
「ちょっと、ここまで来て夏季の責任にするなんてどういうつもり!?」
倫が大声を出した。
「全部俺が悪いんだ。嬢ちゃんは何も悪くない」
俊もラートンを睨みつけた。
「彼の」
ラートンが俊を顎で指した。「失態は君が『使い』の立場を認め先導していれば、防げたかもしれない。常に仲間に気を配り、それぞれの行動を把握する。人をまとめる立場というのはそういうものだ」
「あんたね、そんなの無理ってもんよ。ふつーの人だったら『リーダーですよ』と宣告されてすぐにその役目を全うできるわけがないわ……」
「君も」
ラートンが振り返り、今度は倫を指差した。
「他の三人より多くの事を知っていながら、それを分け与えようとしなかった。夏季が君をうまく取り込んでいれば知識の共有が出来ただろう」
「それはわたしのやり方よ。いちいち報告することに時間を割くよりは、一人でどんどん先へ進む方が効率がいいもの。仲の善し悪しは関係ない」
「倫さん」
夏季は頭をしっかり上げていた。目は真っ赤に充血し、鼻もうっすらと赤くなっている。しかし、友の変わり果てた姿を見て泣き崩れていたときの頼りなさは消えていた。立ち姿は凛としている。倫は夏季の変化に気付いて口を閉じた。ラートンは無表情のまま、夏季を観察している。
「わたし、あなたや俊がそんな不気味なことに巻き込まれていたなんて、全然知らなかった。みんなのリーダーなのに」
ラートンに一睨みされただけで、夏季は気付いた。哲がたった今伏していることには少なからず、自分にも責任があると。
「ラートン隊長」
夏季は黒尽くめの青年と向き合った。彼の黒い瞳はいつも通り涼しく、この一大事に見せるそのふだんと変わらない落ち着きが、夏季に安心感を与えた。
「これまでのことは水に流してください。次にやれと言われたことは、ちゃんとやり通すつもりです。わたしは何をすればいいんですか?」
わたしに与えられた役目は、出来ないで片付けられることじゃない。好むも好まないも関係ない。

驚いたことに、ラートンはふっと笑みをもらした。柔らかく優しいその微笑は、ベラ王女に見せていたものと似ているような気がした。しかしそれも一瞬のことで、すぐにまたいつもの無機質なポーカーフェイスに戻ってしまった。

「魔物を退治すること」
「え?」
「君の任務は、魔物退治だ」
何度聞き返しても同じ答えが返ってくるのだろう、そう思い、夏季は口を閉じた。
「彼に大けがを負わせたのは、『水使い』の力の一部を手に入れた魔物の端くれ。今休んでいる勇敢な『風使い』哲が語ってくれた人物像から推測すると、サビシア族という種族の生き残りの一人だろう。その種族についての詳しい説明は時間がかかるから、割愛させてもらう」
「サビシア族についての本ならだいぶ前に呼んだ覚えがあるわ」倫が口を挟んだのは無意識なようだ。
「ならば後ほど君の仲間に説明するがいい」ラートンは軽く受け流した。
「我らの予想では、水の洞窟に住み着いている、オミリアという女だ」彼は続けた。「本来は君が『水使い』としての力を全て引き継ぐはずだが……」涼しい目で夏季を見る。「なんらかの経緯があってその一部をオミリアが所有している」
「『水使い』の力を」
夏季が確かめるようにつぶやいた。
「そうだ。実質『水使い』が二人いることになる。今は、一つの力を二人で分け合っている状態で、これはあまり善くない」
「そうか……」倫が再び口を挟んだ。
「敵と味方に、『水使い』の力が分散しているのね」
「そうだ。こちら側になくてはならないモノが敵側にある。『使い』の力は黒い魔術を封じ込めるためにあるのに、敵側にそれが渡ってしまってはな」
ラートンは眉間に皺を寄せ渋い顔をした。若い顔に見合わない表情で滑稽だと夏季は思った。
「その力を取り戻す方法は?」
核心を突いたようで、再びラートンの横顔に微笑を見た気がした。しかしそれは先ほどとは違い、温かさはかけらもなく、むしろ悪という言葉が似合いそうだった。
「君がやれ、とは言わない」
疲労により窪んだ眼窩で、目が黒い光を放った。
「彼女を殺すことだ」

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