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反旗

第一章/使い

ラートンが胸ポケットから取り出したマッチで松明に火をつけた。窓の無い大部屋は、一瞬で明るくなった。
「訓練をさぼっておきながら人を使ってわたしを呼び出すとは、いい度胸だな」
夏季、ユニ、ラートン隊長、ハリル副隊長、それにアレモと俊は、会議室に集まっていた。夏季が出席した幹部会議が行われた部屋である。訓練中のグラウンドでアレモが隊長に夏季とユニの急用を伝えたとき、ハリルは自分も行くと言って譲らず、アレモは隊長を呼ぶ役目を負ったとして事情を聞く権利を主張し、俊も気になる様子で誰に言うともなく皆の後ろから着いて来た。六人は誰も席に着かず、立ったままでユニと夏季を囲んでいる。
「急いでいたんです。……すぐにでも隊長に伝えなければいけないことだと思って。それに、あのグラウンドの真ん中で話すには、あまりに突拍子もないことだし」
「それで、用件は」
強張った顔の夏季と赤い目をした軍師の妻を交互に見ながら、ラートンが話を促した。
「これです」
夏季は少し震える手で、青い封筒を差し出した。ラートンが黙って封筒を受け取る。するとユニは、再び声を上げて泣き出した。
「開けるぞ」
ユニが狼狽するのにも構わずラートンが封の中身を取り出すのを、他の五人は黙って見守った。
厚手の紙を広げたラートンの目が、次第に見開かれていった。
「なぜ君がこのようなものを持っている?」
ラートンが夏季に言った。
「わたしの持ち物ではないです。……でも」
夏季は慌てて否定してから、言葉を濁した。
「オスロの、書斎で、見つけ、ました」
ユニがハンカチで口を抑えながら言った。しゃっくりで言葉が切れ切れになっている。
「確かですか?」
ラートンが静かに言った。
「ええ。本と本の間に挟まっていたんです」
「そんな……」
ハリルの顔が険しくなり、口元を手で覆った。
ラートン隊長、ハリル副隊長、ユニ、アレモ。以前からオスロ師士を知る者は、ラートンの手の中にある青い封筒を、一様に信じられないようだった。沈黙する彼らの顔が松明の明かりに揺れている。
「師士から連絡は?」
ラートンがハリルに言った。
「ない。遣いをやってからずいぶん経つ。そろそろ来てもいい頃だと思うが」
「遣いをやったって、なにかあったんですか?」
赤い目をしたユニが、はっとしたように言った。ユニの食い入るような目線に、ラートンとハリルが顔を見合わせた。
「教えてください。この封筒と何か関わりがあるのかもしれないでしょう? オスロが、関わっているかもしれない!」
ユニは声高に叫んだ。
「落ち着いてください。自分を保って」
ラートンは腰をかがめて、ユニと目線を合わせた。彼女の両肩を持ち、語りかける。
「まだ分からないことだらけです。セボで何かが起き始めていることは事実だ。しかしあなたはまず、自分自身の心の整理をつけなければならない」
「認めろと……オスロが、魔女の手下であると……?」
「それを考えるのもあなた自身です」
「そんなの、つらすぎる……」
「一人にはしない。彼らがついていてくれる」
ラートンは、夏季、アレモ、俊に目で合図をした。三人はそれに気付き目線を交わした。
悲劇の最中にいる婦人をわたし(俺)たちに預けるつもり?
互いにそう思っているのが分かる。
「あなたは静かな場所に移った方がいい。君たち、彼女を病棟に案内してくれ」
「分かりました」
アレモがはきはきと返事をした。
「はい」
夏季もつられて小さな声で言った。
俊はうなづいただけだった。
「君……。『水使い』」
ラートンが呼ぶのを聞いて、部屋を出ようとしていた夏季は振り返った。
「ご苦労だった」
ラートンの労いの言葉に驚いた。
「わたしの名前は『水使い』じゃなくて、夏季です」
少し考えた末に言って、夏季は部屋を出た。

ユニと夏季たちが出て行ったのを確認して、ハリルが頭を抱えた。
「わけわかんねえ……。なんでおやっさんの部屋にあんなものが……」
ラートンも黙ったまま、口に手を当てて考え込んでいる。
「確かに、遠征中は城の外でなんだって出来たな。冷静に考えると、そういうときに魔女のところへ報告だのなんだのしていたとも考えられる。スパイってわけだ。だけどよ、もっと冷静になってみると、そもそもなんであの人が魔女の手先になるのかが分からない」
ハリルは両手でごしごし顔をこすった。
「そしてそれ以前に、魔女が生きているのかどうかだ」
ラートンはテーブルの上に置いた青い封筒を睨んでいる。
「兆候はあった。黒い力に似たものが荒れ地に現れたり。俺自身遠征のときにいかがわしい輩を目にしている。しかしそれも雑魚ばかりだった。剣を抜いただけで逃げて行くような取るに足らないやつら」
「脱走兵もそうだ。まさか死んだはずの悪どい魔女には結びつかなくて、見過ごしていたのか……」
二人はしばし沈黙し、それぞれ考えを巡らせた。
「今夜だ。軍部、政務部に関わらず、会議ですべて打ち明ける。事態が差し迫っていることを示さないと。文官のやつらにも隠し事はさせない」

ふと、二人は同時に扉へ目を向けた。会議室の外が騒がしい。扉にいちばん近いところにいたハリルが、一旦部屋の外へ出て行った。ラートンは微動だにせず、考えていた。
今夜で間に合うのだろうか。今すぐにでも招集をかけなければ遅いのかもしれない。しかしオスロがいない今、俺の力でそれができる自信は……。文官のニッキですら扱えない文官の老いぼれどもを、軍部の俺が動かすことなど、とても出来ないだろう……。
「シエ!」
会議室に戻ったハリルの顔には緊張と、僅かに恐れが張り付いていた。
「街がえらい騒ぎになってる」

悪いことは同時に起こる。
昔誰かに言われた言葉を、シエ・ラートンは頭の中でつぶやいていた。

「リカ・ルカ様ばんざい!」
黒いマントの客二人が叫ぶのを、イルタとウォローは目撃した。
「お客様、他の方の迷惑になりますので……」
ウェイターのスアンが声を張り上げるのにも構わず、黒いマントの彼らは同じ言葉を叫び続けていた。
「リカ・ルカ様の復活だ」
「リカ・ルカさま!」
「いいかげんにしろっ。つまみ出すぞ!」
耐えかねた様子のスアンは客の持つビールジョッキを取り上げた。店はただならぬ険悪な空気に包まれ、二、三の客が席を立った。
「なによあれ。昼間から飲んだくれるなんて、ろくなことないわね」
ウォローがもみ合う客とスアンを睨みつけていた。
「リカ・ルカ……」
イルタは騒ぎを起こしている連中を見やりながら、ぽつりとつぶやいた。
「どうかした?」
ウォローはぼーっとしているイルタに、少し苛立った様子だ。
「なんか、聞き覚えのある名前だ」
「酔っぱらいのうわ言じゃないの?」
「うーん……」

店内がざわめいている。酒場「ヒムラ」内での出来事が理由のざわめきだとイルタは思っていたが、ふと見回すと客の半数は窓から店の外を見て、何かを指差している。
「ウォロー。何かあったみたいだ。外に出て見て来てくれ」
「イルタ、あんたは?」
「あいつらを止めるよ。ただの酔っぱらいじゃなさそうだ」
イルタが指差す先を見て、ウォローははっと息を呑んだ。黒いマントの連中は二人がスアンをつかみあげて、残りの一人が懐から何かを出そうと探っている。
「一人で大丈夫?」
「ああ。そっちも頼む」
イルタがもみ合う四人に突進し、ウォローは振り返りもせず店の扉に向かった。

「リカ・ルカ様」
の声は酔っぱらいのうわ言ではなく、揃いも揃って黒いマントを羽織った連中の決まり文句のようだった。店を出た ウォローにはそのように聞こえた。どこの通りを歩いても、必ず三人から五人の黒マントたちがその言葉を叫び、手を叩き、待ち行く人々をおびえさせている。
ウォローは黒いマントの中に見知った顔を見つけ、狂ったように「リカ・ルカ」の名を叫んでいるのにも構わず、肩を掴み力づくで振り向かせた。
「岩女のウォロー」
女の赤っぽい茶色の瞳が、黒い前髪の下から覗いた。
「ベルナ。何をしているの?」
「あんたには分からないことよ」
「街の人が怖がっているでしょう。今すぐにやめさせて。こんなの二等兵がすることじゃないわ」
「どうでもいい。わたしたちはセボを出て行くの……」
女は在らぬ方を見上げて力なく笑った。
「リカ・ルカ様! 我らはあなたのシモベとなります! セボに死を!」
ウォローは大きな平手で女の頬を張った。
「何を言っているのか分かってるの?」
「親しくもないあなたが、なぜ泣くのかが分からない」 ベルナはクックッと可笑しげに笑った。ウォローは唇を震わせて立っていることしか出来なかった。
そうよ、この女はカルーの取り巻きの一人で、率先して人を馬鹿にするような性悪だった。でも、それでも、同じ指導者の元で働いてきた仲間であることには変わりない。
「よかったわね、あなたの大切な彼。寸でのところで難を逃れたわよ。『風使い』のあの子に感謝しなさい」
ベルナは真顔でぼそっとつぶやいた。
「なんのこと?」
ウォローの顔が一瞬で青ざめた。
ベルナは黒いマントを書け直し、背中を見せた。少し向こうで彼女を待つ黒尽くめの仲間が立っている。
「なんのことか言いなさい!!」
しかしベルナは二度と振り返らなかった。

惚けたまま立っていると、どこか遠くの方から、轟音が響いた。
「誕生日が台無し……」
ウォローは音のした方角を見てつぶやいた。

街の騒ぎを聞きつけたラートンとハリルは、城に残っている兵士を集めて街へ出て、暴れている黒いマントの連中を片っ端から取り押さえた。
「こいつら揃いも揃って見知った顔だぜ」
ハリルが、地面にねじ伏せてもなお叫び続ける男の顔にツバを吐いた。
ラートンは剣の入った鞘で相手の腹を突き上げた。黒尽くめの男はうっと言って膝から崩れ、口から唾液を滴らせた。
「カルーを探そう。この面々を見る限り、あいつが中心にいることは間違いない」

しかし、カルーが見つかる前に発見されたのは、街のはずれで粉々に破壊された二軒の家屋と、一人の少年の変わり果てた姿だった。
がれきの中で仰向けに横たわった少年は目を閉じ、口は半開きで、胸は真っ赤に染まっている。衣服は薄汚れ、ほころびほつれ、ぼろぼろだった。動かなくなった後も地面を引き回されたことに、ラートンやハリルは気付いた。哲が横たわっていた場所から「裏門」の方角にかけて擦り付けたような血の跡が続いている。

ラートンが哲の首筋に手を触れた。
「脈はある」
「生きてるのか」
ハリルが驚いて目を見開くと共に、ほっとため息を漏らした。
「医療班はいるか!?」
ラートンが腹から出した声は一帯に響き渡った。既に周辺には街の住人たちも集まり、女たちは口元に手を当て、興味本位で覗き込もうとする子供の目を覆った。男たちはやるせなさを滲ませた悪態をつき、俯いていた。
三十人ほどの兵士の中から、一人の男が手を上げて、人混みを掻き分け進み出た。彼は青白くなった哲の前に跪き、血まみれの胸に手を当て、それからかがみ込み、耳を胸に当てた。そしてまぶたを持ち上げて観察してから、言った。
「よくない。すぐにでも傷口を塞がないと死にます」
「最寄りの酒場で旅人の馬を借りよう」
ラートンが即座に言った。
「馬で運ぶんですか。患者への負担が大きすぎます」
哲を診察した兵士が言った。
「俺が背負って揺れを軽減させる。手段は選んでいられない、急ぐんだ。早く手当を」
ラートンはにべも言わさない厳しい口調で言った。
ハリルは一度うなづくと、来た道を走っていった。
「それに、傷だけじゃないです。菌のようなものに感染しているようです」
「菌?」
「これを見てください」
哲の手を持ち上げて、手の平をラートンに見せた。そこには小さな黒い斑点が無数に散っている。

ラートンは、大きめの斑点がうっすらと浮かぶ哲の顔に手を這わせた。
「それは……菌ではない」
焦げ茶色の髪をかきあげると、斑点は頭皮にまで及んでいるのが目に入った。
「魔女の呪いだ」
その場にいる者は皆、ラートンに注目していた。彼が発する言葉が冗談であったことなど今までに一度も無い。しかし、その口が今口にした言葉は多くの者にとって信じ難いことだった。

魔女の呪い。
魔女の。

一つの病室を借りて、夏季、ユニ、アレモ、俊は椅子に腰掛けていた。
夏季は窓から青い空を見つめている。街で起きている騒ぎは城の中にも伝わっていた。建物の群れのはるか向こうで立ち上る煙のようなものが、夏季を不安にさせていた。

ユニは少し落ち着きを取り戻したようで、俯き加減でじっとしている。
俊は貧乏揺すりをしながら落ち着かない様子で窓の外を眺めている。アレモもやはり窓の外を見ていたが、ときおり俊に目をやっては顔をしかめていた。

夏季の耳の奥で、水から気泡が上がるようなごぼごぼという音がした。そして女の、勝ち誇ったような高笑いが、頭の中に響いたような気がした。

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