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水の龍・前編

第一章/使い

風よけのフードにマント。
ゆったりと歩を進めるクララの背に揺られながら、夏季は旅人然とした姿で荒野を走っていた。ときおり同じような格好をした男女とすれ違い、小さく会釈をしたり、軽い挨拶をかわす。

クララが軽やかな足取りで進むのは一見、土と石と、まばらに生えるほんの少しの樹木以外、なにもない荒野だが、人や馬が何度も通った跡は自然に窪んで道となり、道行く人を迷わせることなく、正しく導いてくれる。
夏季が目指す村は城下街からそれほど遠いこともなく、道は二回進路変更するだけ、実に単純な道のりである。オスロ師士の言う通り、簡単なお遣いだと夏季は思った。

夜明け前に出発し、朝食も取らず、ぶっ通しで歩を進めた。馬を止めて休息を取るタイミングが分からず、なんとなくそのまま走り続けたのだ。
昼を過ぎる頃、ついに、夏季の目線の先に、集落らしきものが現れた。
それこそ目指している村だという確信を持って、夏季は馬の腹を蹴り、速度を上げた。
生暖かい風が、心地よく頬をなでる。厩が用意してくれたマントは風通しが良くて快適だった。腹が痛くなるほどの空腹も、気にしなければ気にならなかった。

クララの横腹に、セボの城にはためくのと同じ青い旗をはためかせているため、村人にはすぐに城の者ということが伝わった。
村人たちは皆笑顔で小さなお遣いを出迎えた。
「おやおや、ご苦労だねえ。軍師様の言いつけかね?」一人の老婆が、腰を曲げたまま顔を上げ、まぶしそうに笑った。
「ええ、そうです」夏季は笑顔を返した。
「何か、よい知らせだといいねえ」
「ばあちゃん、待ってな。今に村長から発表されるからよ」
誰かが何か言えば笑い声が起きる。陽気で、穏やかな村人たち。
温かい歓迎を受けながら、村のアーチをくぐった。馬の背から降ると、すぐさま馬番がやって来て、クララを預かってくれた。段取り良く、すぐに村長の家まで案内される。
村人たちは、城からの遣いの扱いに、かなり慣れているようだった。

村長宅は他の家々同様質素な作りで、大きさを見てもこれといった主張はなかった。
案内人が玄関のすだれを持ち上げて夏季を中に招き入れると、そこには既に食事が用意されていた。夏季が村に着いてから十五分程度しか経っていないことを考えれば、とてつもない早業である。
「ちょうど、お昼時ですからね。余り物で済まないが、私が先ほど口にしたものと比べても、味に変わりはないはずですよ。どうぞ、召し上がってください」
そう言って夏季に座る席を示した村長は、あぐらをかき、夏季のために用意された食事と、麻のようなごわごわした素材で出来た座布団の向こうでタバコをくゆらせていた。夏季としては、食事の時は禁煙席を希望したかったが、今ここでそのような要望を言えるわけがない。そもそも、セボに禁煙という習慣はあるのだろうか?

「はじめまして。喬松夏季といいます。オスロ師士からご用を預かってきました」
「そうかね、そうかね。まあ、食べなさい。この時間に着いたということは、昼飯はまだだろう?」村長は目尻に皺を寄せ、ふっふっと笑った。
挨拶もそこそこに、夏季ははやる気持ちを抑えつつ、それでもかなりの勢いで芋の揚げ物を口に放り込んだ。頭では平気だと思っていた空腹も、体は正直に限界を訴えていたのだ。口の中に、土の香りが広がったが、自然の食物を丸ごと味わえる気がして、悪い気はしなかった。
「おいしい」
少女の素直な反応を見て、村長は声を立てて笑い、煙を長々と吐き出した。

食事を続けながら、巻物を手渡すと、長いあご髭を生やした村長が、ゆっくりとした口調で言った。
「ご苦労様です。今か、今かと、待っておりました。水不足もそろそろ限界で、早く解決策を、とお願いして参りましたので……」
夏季は「そうですか」と言うしかなかった。何しろ、村長が今紐解いている巻物に、水不足の解決策が書かれていることなどは知らずにやって来てしまったのだから。
村長は慣れた手つきで、巻物をするすると広げ始めた。中身はやはり文書らしく、熱心な様子でそれを読んでいる。手持ち無沙汰の夏季は、食事に手を付けつつ、見守るしかなかった。

城では今頃、自分のことで哲が心配しているかもしれない。俊はどうだろう。金髪女との合コンのことで頭がいっぱいで、私のことなんか忘れてるだろうな。
……倫は? 今、どこにいるのかな。私なんかより、ずっと遠いところに行ってしまったのかもしれない。道すがら、ばったり出くわすことはないだろうか。ちょっとくらい、期待してもいいよね……。

おいしい食事で言いつかった仕事を忘れかけ、思いに耽り始めた頃。突然、巻物を眺めていた村長の細い目が目一杯に見開かれたが、村長の声を聞くまで、夏季はそのことに気付かなかった。
「な、なんと」
急に村長が顔を上げ、夏季の顔をじろじろと観察した。
「そなた、『水使い』か!」
「はい?」
夏季の両目も、村長に負けず劣らず、大きく見開かれた。
ギョロ目が二人。側に控えていた案内人が、不謹慎にも小さく吹き出した。しかし当の本人たちはそれを咎めるどころではなく、お互いの顔を凝視し合っている。村長は続けた。
「ここに書かれておる。『水使い』を遣るから干ばつをなんとかしてもらえと。これこそまさしく解決策。救いの手じゃ。皆の衆に伝えなければ!」
村長はそう言うと、巻物を放り出し、老人とは思えない速さで、部屋を走り出て行った。
案内人は大急ぎで、村長の杖と思われるまっすぐな木の棒を持って、後を追う。
「村長! 杖、忘れてます。転びますよ……」

後に残された夏季は村長の顔があったところを見つめたまま、口を閉じられずにいた。まばたきも出来なかった。

今、なんて言った?

『そなた、<水使い>か』

<水使い>って、なんのことよ……。

呆然とした夏季は、音を立てず、そろそろと立ち上がり、おそるおそる、部屋の外に出た。
なぜ、音を立ててはいけないのか、自分でも分からなかったが、そうしなければいけないような気がした。

外では、予想通りのことが起きていた。村は大騒ぎである。
村長宅を出るなり、大勢の人間に囲まれた。
「『水使い』ってぇのはあんたか」
「お願いします、助けて下さい。もう十六周期も雨が降らないのですよ」
「なんとか飲み繋いでいるが、そろそろ限界……」
「そもそも、水の減る量が異常で……」
「…ちょっと待って…」
「こんなこと前代未聞……」
「おかしいんです……」
「お母さん、ノド乾いた……」

「ちょっと、待ってください!!!」

夏季が大声で言うと、村人たちの騒ぎはぴたりと止んだ。
突然の沈黙が重苦しい。夏季は慎重に、言葉を選んだ。まず、咳払いを一つ。
「ごほん。その……私がここに来たのは、巻物を村長さんに渡すためであって。オスロ師士にはそう言われて来ました」
ここまで言って夏季は、巻物を直接渡したのがオスロ師士ではないことに思い当たった。

夏季に巻物を手渡したのは、レナだ。
何かとそそっかしい彼女のこと、大事なことを、言い忘れたということはないだろうか。
そんな考えが頭をよぎり、急に気分が悪くなった。

「しかし、その巻物には書かれておる」
村長が、人だかりの後ろの方から、よく通る大きな声で言った。
「君が、かの高名な『水使い』であると。オスロ師士が言う事だ、間違いなどありえない」
そうだ、そうだと、民衆の間から声が上がった。

確かに、オスロ師士が人選を間違えるということはないだろう。しかし、レナならばあり得る。これまでの彼女の仕事ぶりを考えると、お遣いを頼む相手を間違えるということが、無いとは言い切れない。夏季は返答に困ってしまった。

村長が人だかりを掻き分け、今や民衆の見せ物となっている夏季の横に立ち、肩に手を掛け、皆に聞こえる大きな声で言った。
「謙遜なさるな。『水使い』なら、自由自在に水を操るはず。今ここで手始めに、その小さな手の平から、ひょいと噴水を出して見せて下さればよい。今日はそれだけで充分じゃ。君が『水使い』である証拠を見せて、我々を安心させてくれれば、それだけでよいのだ。今晩、干ばつの終焉を祝う宴に、君を招待する。そして明日にでも、盛大に雨を降らせておくれ」
村長が夏季の肩をポンと叩くと、演説を聞いていた群衆が、わっと歓声を上げた。
村長は夏季の耳元で「さあ、どうぞ」と囁き、群衆の中に戻った。

人の良さそうな村長を含めた、大勢の刺すような視線を浴び、期待に満ちた囁き声を聞きながら、夏季はただ茫然と、立ち尽くしていた。
何もできないでいるまま、時間がゆっくりと過ぎていく。
期待に沸き立っていた人々も、なんの行動も起こそうとしない少女の姿を見ているうち、次第に静まり返っていった。皆、頭の上にクエスチョンマークが浮かびそうな顔で、首をひねっている。
どうした、君は水使いなんだろ。ちぃっとでいいから、手品を見せておくれ……。

夏季が顔を伏せたままでいると、ついに村長がしびれを切らした。
「ほれ、なんと遠慮深い『使い』様だ。ほんの少しでいいのだよ。余興になれば」
「できません……」夏季の小さな声が、村長の言葉をさえぎった。
「なんと?」村長が、再び、目玉をひんむいた。
「できないんです。どうしたらいいのか、さっぱり分かりません。」

だんだんと、民衆の間から、非難の声が上がり始めた。夏季は、自分に向けられる野次を聞きながら、なぜ、私がこんな目に遭っているのだろうと、悲しくなった。

「……さすがの『水使い』様も、今日は調子がよろしくないようだ。旅疲れもあるに違いない。今日はゆっくり休んでください」
村長の、目を細めた笑顔は悲しげで、落胆の程度が目に見えるようだった。
「村長、あっしの家には泊まらせませんぜ。本物の『使い』かどうか、怪しいもんだ。どこぞの目立ちたがり屋が、その巻物をねつ造したのかもしれない」
「うちも、ただでさえ飲み水やら何やらが不足しているんだ。赤の他人を泊めるなんて……」
「『使い』じゃないなら、泊める義理はないわよね……」
そんな声があちこちから上がり始め、野次馬はだんだん散っていった。村人たちは自宅に入ると、音を立てて扉を閉じ、何軒かの家は大げさに、鍵を掛ける音まで響かせた。

村長宅の前に残されたのは、夏季と村長だけになった。
夏季はうつむいたまま、同じ位置から動こうとしなかった。
どちらも言葉を発しないまま、数分が経ったと思われる頃、村長が口を開いた。
「率直に聞こう。君は、本物の『水使い』かね。それとも、さっきの男がいうように、ただの目立ちたがり屋なのかね」
彼の口調は相変わらずゆっくりで、怒りや苛立ちは微塵も感じさせなかった。夏季は救われる思いで顔を上げ、口を開いた。
「オスロ師士には、あの巻物をあなたに届けるようにと頼まれました。巻物の中に何が書いてあるかは、全く知らなかったんです」
「私はオスロ師士を信頼している。ここのような、小さな集落の水不足問題に、真剣に取り組んでくれるのは、彼くらいだ。彼が君を寄越したのなら、信じてみる価値はありそうだ」
「私が『水使い』かなんて、分かりませんよ。本当に、何かの手違いなのかもしれないんです」
「様子を見よう。みんな、期待してるよ……」

月が昇る頃、夏季は村のはずれの森に籠り、丈夫そうな木にクララの手綱をしっかりと縛り付け、焚き火の準備をしていた。

村長が宿場を申し出たが、丁重に断り、野宿を選んだ。あの、村人たちの豹変した態度を見せつけられてなお、社交辞令に乗っかって甘える訳にはいかないと思った。
食料は城からたっぷり持って来ている。クララに縛り付けた荷からフライパンを取り出し、何かの肉を、食堂から選んできた調味料らしき粉で味付けし、炒めた。気分が落ち込み、味見をする気も起きず、分量も焼き加減もすべて勘で済ませた。
出来上がったソテーらしきものは、やけに酸っぱかった。セボの調味料を一から学ばなければならないな、と思いながら、つぶつぶの星たちがきらきらと輝く濃紺の空を見上げる。
風通しの良いマントに冷気が忍び込むので、毛布を体に巻き付けた。

『使い』なんて、馬鹿げてる。
どうして私に特別な力があり得るの。私は運動が大好きな、ふつうの人間なんだから。家から引き離されてただでさえホームシックなのに、こんな嫌な目に遭うなんて、あんまりだ。
城に帰ったら、オスロ師士に抗議してやる。
城に帰ったら、兵隊なんかやめて、コックさんに弟子入りしてやる。

……城に帰ったら……か。
私は明日、どうなるのかな?

消えない不安も、一日溜めた疲労と睡魔には勝てない。
毛布にくるまった少女は、すぐさま眠りに落ちた……。

夏季は独り、荒野の真ん中にぽつんと立っていた。
地面は乾き、ひび割れている。一本の枯れ木も立たない、不毛の地である。
また、この夢かと、夢の中でさえ思うほど、毎晩見る同じ風景にいい加減うんざりしていた。
しかし、いつもと違うのは、少しむこうに目をやると、洞穴らしきものが、ぽっかりと口を開けていることだった。ここのところ、毎日同じ夢を見ていたが、このような展開は初めてだった。
夏季は吸い寄せられるように、洞窟に向かって歩いていく。

「行ってはだめ」

背後で、女の声がした。夏季は振り向く。
そこに女の姿は無く、目の前で、直径十メートルはありそうな巨大な水柱が、固い地面を破り、天に昇り、厚い雲を突き抜けていった。目鼻がどこにあるかも分からないが、龍の形をしているように、夏季の目には映った。
夏季は首が痛くなるまで、空の向こうを見つめていた。

いつもと同じ、水の龍。今日も相変わらず大きいのね。あなたは一体どこまで昇っていくの?

地面の下から、途切れることなく吹き出し続ける巨大な水の龍に呆れながら、夏季は先ほどの洞窟のことが気になり、再び振り返った。

洞窟の入り口は、消えていた。

すると、背後からさっきと同じ、女性の声がした。
「今はまだ。でも、近いうちに。もう少し待つこと、いいわね?」

あなたの声、聞き覚えがある。
夏季は思ったが、それが誰だか思い出せない。
ぜひとも振り向いて、女の姿を確かめたいのに、首が動かなかった。

夢っていつも、こうだよね。
夏季は少し、がっかりした。

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