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隊長

第一章/城

真夏の太陽を直に浴びているため、夏季の肌はすっかり日焼けして、もともと細い腕が小麦色となり、以前よりもさらに引き締まって見える。
静養日が明けて始めの二日間は、走って走って剣を振り、馬に乗り、夜になれば疲れ切った体は深い眠りに落ちた。夏季の夢に出て来る水の龍は日に日に大きくなっていくが、他は特別なこともなく過ぎ、気付けば三日目の朝を迎えていた。

夏季たちは週始めからもっぱら訓練に出席していたが、その間若いベテラン兵士たちは、各部署の手伝いや任務に駆り出され、パトロールからお城の門番や清掃、各種工事や農作業の手伝い、国境の見張りまで、様々な職種に従事した。体力自慢の兵士たちは国民たちに重宝され有り難がられるが、本来は戦闘を目的として訓練を受けている彼らの心の内は複雑だった。
「逃亡兵の追跡に行ってるやつらがうらやましい。ひょっとしたら何かに遭遇して、対決するかもしれないし。そういう危険がなかったとしても、城の中でこんな仕事をするよりはずーーっと、刺激的なことは確実だね。人間でも獣でもいいから攻めてくればいいのに。そしたら俺が相手してやっつけてやる」
城内清掃を割り当てられて窓拭きをしているアレモが無謀なことを言った。

先週は自分の不甲斐なさに落ち込み不機嫌だった俊だが、静養日が開けた後はマラソンにもだいぶ慣れた様子が見られた。元々体力はあるらしく、大学のぐーたら生活で鈍った勘を取り戻したようだ。
最後尾の集団にすら何度も追い抜かれる並外れた遅さだったのが、集団についていけるようになり、一人オスロに怒鳴られることもなくなった。剣の扱いも夏季や哲には及ばずとも様になってきて、乗馬に関しては初めから良い感覚を持っていて、こちらの方面では夏季と哲より一歩前進している。
そのせいか、哲をチビ呼ばわりするわ、夏季の世話を焼きたがるわ、誰かれ構わず愛想笑いを振りまき(哲は「気味が悪い」と陰口をたたく)、上機嫌丸出しだった。
彼の機嫌の上下の基準は誰の目にも明らかなほど、分かりやすい。落ちこぼれに見られることに我慢がならず、人の上にいられればよいのだ。そんな彼を見て、誰かがバカにしようものなら落ち込むどころか怒り狂うに違いないと、周囲の者は警戒し始めている。
本人はそのことに気付く様子はなく、セボの国でも自分がリーダーとなる新しいグループを作ろうと、躍起になっていた。夏季と哲は当然のようにそのメンバーに加えられていて、近づけば必ず、偉そうな顔の俊に手招きされるのだった。
「調子に乗られると、うるさくてしょうがない……」
哲が憂鬱そうに言った。
「別にいいじゃない」夏季は俊になんと呼ばれようが何も感じなくなっていた。彼の浅はかさがあまりにも阿呆らしく、正直どうでもよくて、いちいちそれに反応する哲の愚痴は聞き流した。
「そりゃあ誰だって、褒められたり順位が上がったりすればうれしいよ。だけど、二十一歳にもなってあれはないって。ママに褒められたいガキじゃあるまいし。そんっっなに、落ちこぼれが嫌なのか、あいつは?」
落ちこぼれていい気分になる者はいないが、俊の場合は特に敏感に反応する。彼の心根は青臭く、その上ひねくれていた。
カルーやイルタをはじめとした、数人の兵士たちといっしょに夕食を取ったときのこと、夏季と哲は数日前に、俊本人から「俺はイーブス建設社長の息子だ」と聞かされていた。それを語るときの俊の誇らしげな顔といったら、見ている方が恥ずかしくなるくらいだった。
元いた世界で胸を張るのなら分かるが、ここはセボの国である。「イーブス建設」や「小野田」の名前に無反応の人々の顔を見て何がうれしいのだろうと、夏季と哲は首を傾げた。
「あの根拠のない自信は父親の後ろ盾から来ているのかもな。でも当然、セボの国で小野田の名前は通用しない。ヤツ自身がそのことに気付いていないとしたら、相当のアホじゃないか」
「だから、アホだと思って放っておけばいいじゃない。うるさいのは哲も同じだと思うけど」夏季は哲の愚痴にうんざりし、俊が聞けば殴り掛かって来ること確実な一言を交えつつ、哲に反論した。
俊と比較されたことに面食らいカチンときた哲は、不機嫌に押し黙った。

静養日が明けて三日目は、曇天。ときおりうっすらと日が射すが、太陽が完全に顔を出すことはない。午前中の日程を終え、夏季は一人で昼食を取り、再びグラウンドに出ると、夏季の他に哲や俊を含めた数人の兵隊たちが、まばらに集まっていた。
「あたしの剣、剣」
夏季はいつも使っている剣を取ろうと男たちの中に割り込み、傘立てならぬ「剣立て」から、目的のものを引き抜いた。学校のテニスの授業で、ドラム缶にたくさん差し込まれたラケットから一本を引き抜くときと同じ感覚だった。
哲は夏季の反論されてからはむっつりと黙り込み、俊はアレモ、イルタと話している。
「だからさ、若い女の子集めて飲み会やろうって。今度の静養日までに声かけておけよ」
<のどかな訓練・午後の部>が始まろうとしていた。

「ずいぶん集まりが悪いな」
男が言った。
イルタが男に背を向けたまま応じる。
「オスロ師士、まだ昼休みですよ。みんな食堂で腹をならしている最中で、」
「午後の部が始まるまであと五分。十分前には集合という規則を忘れたのか?」
イルタをはじめ、夏季たちが振り向く。そこには若い男が立っていた。
「隊長だ」
「シエさん」
「ラートン隊長!」
まばらに集まった兵隊たちが、口々に叫んだ。
黒い衣服に身を包み、仁王立ちしている細身の男。
小さな顔は一目見るだけで、目鼻立ちのバランスが良いことが分かる。王女の華やかさとは違うが、美しいと言うのにふさわしい顔の持ち主だった。風に吹かれて揺れる真っ黒な前髪、その下からのぞく瞳は闇のように黒い。眼光鋭く、その若さには見合わない疲労が窺えた。
「剣を持って、さっさと並べ」隊長は素っ気なく言った。

規則通りの時刻に遅れた二等兵たちは、グラウンドに隊長の姿があるのを見るやいなや、顔から血の気が引いて真っ青になり、お喋りをやめ、全速力で走りだした。そうして集合し整列した彼らはきっちりと口を結び、朝礼でベラ王女が登場したときのように身動き一つせず、微かな音も立てなかった。
ずいぶん遅れて到着した一団の中に、副隊長の姿があった。
「おや、隊長じゃないですか。追跡遠征ご苦労様、お帰りなさい」
彼は愛想よく笑い、緊張感溢れるその場にはのどかすぎる口調で言った。
「ハリル、軍隊揃っての大遅刻の原因は、あんたにあるのかな」
「年上に『あんた』はまずいよ。階級は逆転してても最低限の敬意は払ってほしいもんだ」
ハリル副隊長がアゴの無精髭を撫でながら、困ったように言った。
「始めに」
ラートンが、副隊長には返事をせず、部下たちの方を見て言った。
「つい最近の訓練で一騒動あったようだが」
ラートン隊長は整列した兵士たちの目の前を行ったり来たりし始めた。「心当たりのある者は、出て来い。今すぐに」
夏季と哲は顔を見合わせ、目で疑問を交わした。
「私(俺)たちのことかな?」
イルタが列を抜けた。彼が出たのにじっとしているわけにも行かず、夏季と哲は兵士たちの合間を縫って軍隊の列から抜け出した。騒ぎを起こした張本人であるカルーも、ふだんより背筋を伸ばして進み出たが、態度が悪く見えることに変わりはなかった。
「名前は」
ラートンが静かに言う。
間近で見る隊長の顔はますます男前であると、夏季は思った。
「イルタ・ニトルス、二等兵!」イルタが急に大声で叫んだ。
「かるう・ねべろ、にとーへー」カルーは一応は大きな声を出したが、腹に力を入れないせいでその声は空中分解した。
「矢川哲、に、二等兵…?」吃った上、微かに語尾が上がった。
「喬松夏季、二等兵」少女の声がきんきん響く。
夏季は怒声が飛ぶものと思い、身構えた。
イルタとカルーが歯を食いしばったことには気付かない。

ラートン隊長が手を動かしたのを見た。
次の瞬間、頬に激痛が走り、夏季の軽い体は後方に吹っ飛び、どうと地面に落ちた。頬に手を当て、目に浮かぶ涙に視界が霞む。周囲を見渡すと、他の三人も地面に転がっており、ラートンはそれを淡々と眺めている。
彼の手には剣とそれをおさめる革製の鞘が握られている。おそらく鞘の革で四人の頬を張ったのだろう。そうに違いない。よくしなる革は鞭を振るうのにはうってつけだ。
「ネベロ。お前はグラウンド30週」
「なんで俺だけ、元はといえばそのチビが……」
「誰が悪いかなど関係ない。貴様は自分の名前くらいしっかりと言えないのか。黙って命令に従え」ラートンは顔の筋肉をほとんど動かさずに言った。真っ黒な瞳は冷たく光っている。ネベロは全速力で走り去り、マラソンを開始した。

この人、少しでも気を抜いたら次に何をするか分からない。
夏季は必死の思いで地面から立ち上がった。口の中には血の味が広っている。
頬の痛みは全く引かず、皮膚の奥で、外で、熱を持って暴れ回っていた。たった今鏡を見ることを許されれば、頬にうっすら血が滲んでいることが確認できるだろう。夏季の隣りで、哲も頬に手を当て、うつむき加減で立っている。
「君たち二人は『使い』だな」
「……はい」
夏季と哲は声を揃えて言った。二人とも、口が痺れてうまく動かなかった。
「学校の『体育』の時間ではないんだ。お遊びだと思って調子に乗ると、今みたいな痛い目を見ることを肝に銘じておけ。師士が何と言おうと、私の前で規律を乱すことは許さない。分かったな?」
今すぐ冷やしたい。たっぷりの氷を患部に当てて、少しでも痛みを和らげたい。
「返事は」
「分かりました!」夏季と哲は出来る限りの大声を出した。
「まだまだガキだな……」
ラートン隊長はそう言って笑った。
口元は両端を引き上げて形を作っているが、闇のように真っ黒な瞳からは、なんの表情も読み取れない。背筋が凍るような、冷たい笑顔だった。

張られた頬を冷やすことは許されず、訓練はそのまま続いた。ラートンは副隊長と共に兵隊一人ひとりの剣の指導に当たり、やがては夏季の番も回ってきた。
前の日までは勢いづいて振り回していたガムシャラな剣も、隊長の前ではなんの重みも持たないようだった。五回ほどめげずに挑戦し続けた夏季も、だんだん怖じ気づいて力を失っていく。
「やはり、噂より強いということはない」
座り込んだ夏季に、シエ・ラートンは無表情で言い捨てた。

「今日は運が悪い。あんなに機嫌が悪い彼を見たのは久しぶりだよ。さあ、いっしょに病棟に行こう。放っておくと一生顔が腫れたままになってしまうから」
ウォローがそう言って、座り込んだままの夏季の背中を叩き、腕を持ってその場に立たせた。
こっそり抜け出したことにラートンは気付いたかもしれないが、グラウンドを去っていく二人に鞭を振るうことはなかった。

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