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王女

第一章/城

明くる日の早朝、夏季たちは仲間の兵隊たちの案内で王室棟へと向かった。昇ったばかりの太陽の光は橙色、長い廊下の窓という窓から差し込み、宙に舞う細かい塵や埃を浮き上がらせた。
朝礼に向かうのは夏季たちだけではない。こうして、二周期に一度、つまり十二日間に一度、城の住人全てが王室棟の大広間に集まるのだ。革製の靴やブーツで歩くコツコツという音と、それに合わせて床が軋むギシギシという音、それに加えてお喋りの声が混じり合い、早朝にも関わらず、城中がにぎやかである。

大広間に着くと、そこは縦にも横にも空間が大きく、夏季は高校の体育館を思い浮かべた。ただし、体育館の天井はパイプが剥き出しになっていたり、迷い込んだツバメが巣を作って糞だらけにした部分があったりするが、今いる大広間のそれにはなにもない。ただ白くてゆるやかな凹面が広がっているだけ。ここまで白い色を保つことは大変だろうと、夏季は感心した。装飾があれば汚れがあっても模様に紛れてしまうだろうが、まっさらなだけに、ごまかしは効かない。ため息が漏れそうなくらい清潔な白さだった。
広間のピカピカの床の中央には、鮮やかな青色をした幅の広いカーペットが長々と敷かれている。その絨毯の先にある壇の上には、黒い木材でできたずっしりとした大きな椅子が、一つだけぽつんと置かれている。人が座っていないそれは、大きさばかりが際立って寂しげだった。
椅子の後ろには、巨大な水色のカーテンが高い天井から吊るされている。窓から入るささやかな風に、ゆらゆらと揺れてさざ波のよう。人に開けられることを静かに待ち構えていた。
玉座の右手には、床に届きそうな丈の長い衣装を身につけた老齢の人々が、威厳を持たせるように胸を反らし、横一列にずらりと並ぶ。左手には、それよりも若い男女が同じように列を作っていて、夏季はその中にオスロ師士の姿を見つけた。王女が座るであろう玉座の両側に控えるのは、大臣や幹部の列と決まっているようだ。

掃除夫(婦)、コック、裁縫師など、人々は職業毎に縦列を作っているが、明らかに大所帯なのは兵隊たちである。広間の五分の一はそれらしい男たちで埋め尽くされた(ウォローをはじめとした女性の兵隊もその中にちらほらと確認できる)。夏季たちが兵隊の列に並んだとき、広間の話し声は八割方消えていた。残った遠慮がちなざわめきも、時間が経つにつれて次第に静まっていく。学校の朝礼のように、誰かが声を張り上げて黙らせる必要もなかった。
完全に物音が消滅すると、どこからか衣擦れの音がした。とても微かな音であったが、広間があまりにも静かなため、そこにいる誰もが聞き取ることができたに違いない。
側に控えていた兵隊二人が、両側から水色のカーテンをゆっくりと引いた。
二枚のカーテンの割れ目から、白いドレスを身にまとった、背の高い女性が現れた。裾が床に届く長さのドレスを床に擦り、腰まである豊かなブロンドの髪をわずかに揺らしながら、静かな足取りで前に進み出る。
王女は玉座に腰を下ろした。突然、夏季の周りの男たちが頭を下げたので、夏季もそれに倣い、軽く頭を前に傾げた。玉座右手の一番外側に立っている男が、列から一歩前に出て、静寂を破った。
「本日の式を始める。大臣、報告はありますか」
男の大音声が響いた。これまで厳粛に行われていたかに見えた朝の式だが、この声を合図にして大臣・幹部の列の者たちは肩の力を抜いたようだった。広間のところどころで囁き声が起こり、しだいに物音が戻ってきた。

ふんぞり返った年寄りの列の中から、一人が手を挙げた。
「財務部より……。兵隊たちに注意したいことがある。近頃、水道の無駄遣いが目立つ。一人ひとりの使う量では大したことがないかもしれないが、これが何千人となるとものすごい量になることを、忘れないでもらいたい」
兵隊たちの列から、忍び笑いが起きた。
「濡れ衣だ。財政圧迫の原因は王室の天井のせいだろ」
後ろの方で、イルタがつぶやくのが夏季の耳に入った。「これだけの面積を磨くのにどれだけのお金と時間がかかるのやら。」
「まあ、王女の目の前でそんなこと言う訳にはいかないよな。まったく、文官のボンクラどもめ。」
アレモが、小さな声で罵った。
「静粛に!」
司会の男は広間全体に響く太い声で怒鳴った。
「ほかには?」
オスロ師士が手を挙げた。
「四日前の逃亡兵について。現在追っ手を差し向けて追跡中だ。結果は分かり次第公表する。以上、経過報告」
「最近増えてるよな。そのおかげで隊長は城でゆっくり寝る暇もないってわけだ。お気の毒さま。」とアレモ。
「こんなに楽な兵隊はない、逃げ出す理由が分からないよ。どうしてだろう?」とイルタ。
二人は怪訝な顔で話し合っていた。兵隊たちのざわめきは、財務の報告のときよりも秘密めいた囁きとなった。
「ほかに。ありませんか?」
司会の男は大臣の列を見回し、反応がないことを確かめる。
「……それでは、師士。頼みます。」
男がそう言って一歩下がり、代わりにオスロ師士が前に出た。誓いの手順は昨夜、オスロ師士から教わっていた。師士が手を小さく挙げて合図をすると、夏季たちは一列になって兵隊の列から抜け出し、俊を先頭に青い絨毯の上を歩いた。広間は、王女の登場のときと同じくらい静まり返った。自分たちに視線が集中していることを、直接眼で確かめなくても、肌で感じることができる。夏季は軽く握った手に汗をかきながら、足がもつれないようにと足元にだけ集中した。前を歩く哲の頭を見つめながら歩いていると、あっという間に王女の姿が目の前に近づき、その容姿を間近で確かめることができた。

白い肌は白すぎるということがなく温もりが感じられた。王女の体の内から発せられる熱で、頬にほのかな紅がさしている。大きな眼に青い瞳。長く、奇麗にカールした人形のようなまつ毛。桜色のルージュを塗ったふっくらとした唇、豊かなブロンドの髪の毛は緩やかに波打つ。背は夏季よりも十センチメートルほど高く、背筋もピンと伸びている。顔つきにはまだ少女のあどけなさを残しているが、相手を威圧するような風格を備えようという努力は成功していた。彼女は異郷の三人を、澄んだ瞳でじっと観察していた。三人は玉座の真正面に、横一列で並んだ。

「もう一人いるはずではないのか? 呼び寄せられた『使い』は四人と聞いたが」
オスロが何か言おうとしたとき、王女が厳めしく発言した。女性らしいが、少し低めの声。
「体調不良で休んでおります」
オスロ師士の言葉に俊の腕がぴくりと動くのを、夏季は横目で捉えた。
王女は微かに頷き、了解の意思を表す。
王女の反応を確かめてからオスロ師士が言った。

「皆、承知の通り、他国から我が国に再び『使い』を迎え入れることになった。これはすべて我々のためでなければならない。異国の『使い』たちは今ここで、王女に忠誠を尽くすことを誓う。我々、セボの民を裏切ることのないように」
オスロは三人に向かって頷いた。王女が玉座から立ち上がる。三人は王女の前にひざまずいた。
「汝、我に忠誠を誓うか」
王女は俊の方を向き、言った。
俊がひざまずいたまま頭を垂れ、言った。
「誓います」
王女は哲に向かった。
「汝、我に忠誠を誓うか」
哲も頭を垂れ、
「誓います」
と言った。
夏季も二人と同じ事を繰り返した。
「汝、我に忠誠を誓うか」
「……誓います」

「気の抜けた王国だな。本当に、あんな儀式でみんな納得するのか?」
「だから、言っただろう。間抜けな文官が政治を牛耳るようになってから、セボは堕落の一途を辿っているのさ。上司があれなら部下もそれに倣うし、国民にだって伝染するだろう」
アレモが訳知り顔で言った。夏季たちは朝礼の後、訓練の前に一度宿舎へ帰るため、城の廊下を歩いていた。
「みんながあの朝礼に参加するのって、王女を見るのが目的なんじゃないの?」
夏季が言った。周りの男たちの中で、王女の姿を見て惚けている者があまりにも多いことにうんざりしていた。
「その意見、間違いではないよな。」
俊はぼんやりと宙を見ていた。
「確かに奇麗な人だけど、なんか、人間て感じがしないよなあ。まるで動く人形みたいだ」哲が言った。
「美しさの点では誰もがそんな表現をするね。この世にはあり得ない美しさだって。大きな声では言えないけどさ、容姿だけじゃあなくって、王女の役割だって人形と変わらないんだよ」
ウォローが言った。
「セボの国に、王権は存在しない。元々はあったんだけどね、数年前に崩壊してしまったんだ。このことは話したっけ?」イルタが言った。
聞いたような気がすると、夏季と哲は答えた。
「王権が最も強かった時代の惰性で王様っていうポジションだけが残っちゃってるのよね。名目上、セボは未だに王国だし。実際に政治を行っているのは大臣のじいさんばあさんたちだよ」
「王様はいないんですか? 王女様だけなんですか?」
「彼女は、王族でも最後の生き残りなの。ま、ちょっとした不幸があってね」
「不幸、ねえ……」
「内紛だよ。醜い王位継承争いさ。こう言っちゃなんだが、ベラ王女はそのとばっちりで、若くして王位を継承することになった。まだ遊びたい年頃なのに王室棟に閉じ込められちゃってさ、気の毒だとは思う」イルタが言う。
「あら、あたし以外の女の子を庇うわけ? 王女自身は王室生活を満喫しているはずよ。毎年、財務のやつらがはじき出す王室予算の桁を見て、目玉が飛び出そうになるもの」ウォローがイルタに眉を上げて見せる。
「女の子! 女の子だと!? ウォロー、お前は自分のことを『女の子』だと思っているのか? 笑っちゃうよ、その体型、どう見たって鎧だよな。シルエットがやばいって」イルタが反論する前に、アレモが割り込んだ。
「あんたこそ、あたしから見れば華奢すぎて心配になるわ。あんたほんとに男なの? どう、槍で勝負しない? あたしが勝ったらあんたのあだ名を『オカマ野郎』にしてやるから」
ウォローはそう言うと、握りこぶしから親指を突き出し、下に向けた。

「あ、ごめんなさい」
「おっと、失礼」
「おい、俊。ちゃんと前見てるか?」哲が言った。
「おぁ?」
俊は通行人にぶつかってばかりいた。
「奇麗な人だったな」俊がぼうっとしたままで言う。
「なんのこと?」夏季が言った。
「さっきの、王女だよ」
「おい。お前、まさか」哲が少しびっくりした顔をする。
「まさか、なんだよ」俊は、いくらか正気に戻ったような顔になった。
「王女に一目惚れとか……」
「それのどこが悪い。俺は美しいものが好きなんだ」
『とにかく女なら誰でも好きなんだ』の間違いではないかと言ってやりたい衝動に駆られたが、哲はやめておいた。数日前から、俊の言う事にいちいち反応するのを控えていた。毎日これではキリが無い。
夏季の意見を聞こうと思ったところ、彼女もまた何事か考えている様子で、話しかけるのは遠慮することにした。まったく、マイペースなやつばかりだと、哲はため息をついた。

夏季は王女の目つきが気に入らなかった。見えるもの全てを卑下するような目線。あの厳粛な雰囲気でなかったら、鼻でせせら笑っていたのではないかと思えるほど、夏季たちを小馬鹿にしていた。人の上に立つ者は、だいたいこんなものなのだろうか。王女なのだから仕方ないのか、とも思う。しかし、夏季はもちろん、これまでに王様や女王様、そういった類いの人間には会ったことがない。庶民に囲まれて約十六年間を生きて来たのだから、それなりの庶民を基準として判断すると、初めて会った人間にハナから馬鹿にされる筋合いはない、と腹が立った。
第一印象で、王女が苦手だという直感があった。

「なぁーーにが『使い』よ。年端の行かない子供ばかり。彼らが幹部並みの扱いを受けるというのは本当なの?」

両足はきっちりと揃えられ、両手は重ねて膝の上。物腰はあくまで上品であったが、王女は憤慨していた。縦にも横にも夏季たちの住む部屋の20倍はあると思われる自室で、巨大なベッドに腰掛ける。だだっ広い空間に、先ほどの朝礼のときよりも半オクターブほど高い少女の声がよく反響している。

「さようでございます。命を賭してセボの国を守る者としましては、当然受けるべき報酬でございましょう」
「だったらその辺にいる兵隊たちもそれくらいの待遇は当然でしょう? 私は特にあの、ちんちくりんの小娘が気に食わないわ」
「ベラ王女!」
「あんなに小さい子供に、いったい何ができるというの?」
「見かけで人を判断してはなりませんよ」
ニッキは「あなも夏季も年はさほど変わらないのですよ」と言ってやりたかった。しかし相手は王女、軽々しく反論して良いはずがない。

王女の付き人であるニッキは、王女の口の悪さにはほとほとうんざりしていた。幼くして両親を亡くしたことには同情するが、それにしても、あまりに放っておかれたためだろうか、このような生意気な小娘に育ってしまうとは……。王女の発言にしばしば神経を逆撫でされている彼は、心の中で嘆いていた。彼が王女から見えないところでため息をついていることなど、王女は知る由もない。
「シエは? シエはどこなの? 朝の式では見かけなかったけれど……」
それまでの剣幕はどこへやら、急に甘えた様子で尋ねる王女。
「ラートン様は遠征に出かけております。少なくともあと二日間はお戻りになられないかと」
「もう、またなの? ここのところほとんどお城にいないじゃない。あの人がいないと退屈でしょうがないわ」
王女はそう言って、深いため息をついた。
ニッキは、いっそのことこうして恋にかまけている方がどんなにかわいいか知れないと思い、願っていた。
シエ・ラートンよ、早く帰って来い。私の胃に穴が開く前に、王女の元へ帰って来い、と。

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