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静養日・前編

第一章/城

セボの国の日付は六日周期で区切られ、それらは一般に一周期、二周期のように数えられる。
兵士の生活サイクルは、前半の二日間が農耕や土木関連など各部署の手伝い、後半の三日間が体力作りと乗馬や武器の鍛錬に充てられた。そして、五日間の活動を終えると一日の休日がやってくる。人々はこれを『静養日』と呼んだ。

訓練が始まってから一周期が過ぎ、異郷の四人にとって初めての静養日がやってきた。夏季と哲は城下街に出掛け、オスロ師士の妻であるユニの酒場を訪れた。
「いらっしゃい。あら、若い『使い』のお二人さん」
酒場の女主人であるユニは、大きな体と満面の笑みとで、周りの席に比べてずいぶん幼い客を迎えた。
店内は、前回来たときのように男たちでごった返していたが、なぜかカウンターだけ、席が空いているのも相変わらずだった。夏季と哲は選ぶ余地もなく、カウンター席に向かうことになった。
「大きいお兄さんはいらっしゃらないのね」
2人がカウンターの前に落ち着くと、ユニが騒がしい店内でもよく通る声で話しかけた。「2人でデート?」
「そんなんじゃありません」
哲が、強い口調で大げさに否定するので、夏季は吹き出してしまった。哲がムッとした顔をする。
「俊は筋肉痛がひどいから、部屋でダラダラすると言ってました」夏季が言った。
「あらそうなの、お気の毒に。オスロの訓練が効いたのね。あなたたちはどう? 見たところ、とても元気そう」
「思っていたよりは、ぜんぜん楽でした」と夏季。
「俺も、まあまあかな」哲も答えた。
俊がこの場にいたら、怒り狂って店の椅子を全て蹴り倒したかもしれない。
「でも、延々と走らされたでしょう? ここに来る兵隊さんたちは、あれがキツいって文句を言っていくの」ユニはそう言って、からからと笑った。
「走るのが好きなんです」
夏季が笑顔でそう言うのを、哲は黙って聞き、考えていた。

「高校の教室で椅子に座りじっとしているよりもずっと楽しい。楽しいことに、場所なんて関係ないよね?」
昨夜の夕飯の後、2人で城の廊下を歩いたときに、夏季はこう言った。しかし哲は、いくらなんでもそれは強がりだろうと思った。確かに訓練の課題をこなす夏季は楽しそうだが、それにしたって張り切り過ぎていると、哲には思えた。
聞いた話では、夏季は母親と2人暮らし。金銭的な余裕は皆無だが、2人で家事を分担し、強力して、これといった問題もなく仲良く暮らしてきたという。そんな密な関係の家族から急に切り離されて独りになるのは、どんな気分だろうか。
昨日の剣の一件も気になった。これまでに哲が受けた印象では、夏季は決して自分の力を他人に見せつけたり、自分の楽しみのためだけに行動するような性格の持ち主ではない。カルーに一杯食わせた後だからなおさら、みすみす仕返しのチャンスを与えるような真似をするのは、彼女らしくないと思った。もちろん、あくまで哲の印象だ。本当のところ彼女がどう思っているかなんてはっきり分かるわけがない、所詮は他人なのだから。

哲自身はどうかと言えば、知り合いがいないセボでの生活のほうが苦労がなくていいと、心から思っていた。あの最悪な葬儀で、偶然にも良いタイミングでレナに誘拐されていなかったらば、今頃うるさい親戚に囲まれて肩身の狭い生活を始めていただろう。今いる場所の方が平穏であることは目に見えている。それなのにどうして、元いた場所を懐かしむことがあるだろうか。
哲は夏季が母親と2人暮らしであると聞いて、自分と近い境遇だった彼女に親しみを持つと同時に、大切なものを失った痛みを実感することになった。数日前までのごく平穏な日常生活。喬松家と同じように金銭的な余裕はなかったが、のんびり者同士、祖父との相性は抜群で、二人の間で時間はゆっくりと流れた。タバコを吸う祖父と縁側に並んで座り、その日にあった出来事を話して過ごす一時は、間違いなく、いちばん大切な時間だった。物心つく前に亡くなった両親よりも身近だった祖父の死。覚めやらない悲しみを、「終わったことなんだから」と自分に言い聞かせ、昨夜はなんとか追い払った。
今日夏季を誘い出したのが、夏季の気分転換のためなのか、自分自身の気を紛らせるためなのか、分からなくなっていた。

哲が郷愁に浸っている一方で、夏季は昨日、厩舎の老人に言われたことが頭の隅っこの方で引っ掛かり、頭から離れなくなっていた。それは、歯の隙間に挟まったオレンジの筋のように、すっきりしないものだった。
『おや、きみ。どこかで見た顔だな』
カルーが言うように、老人の記憶違いと考えればどうでもいいことだが、もしも、そうでなかったら?
バカらしい考えだということは分かっている。しかし、考え出したらキリが無くなってしまった。
考えられるのは、老人が以前、夏季本人に会ったことがあるか、夏季にそっくりな人物に会ったことがあるかだ。すなわち、兄弟や親がそれにあたる。夏季に兄弟姉妹はいない。それならば、残るは両親だ。一人は家事と仕事に勤しみ健在、一人は行方知れずで、生死の判断さえできない状態である。
こんなことは、あり得るだろうか? ここに、この異国の地に、母や父が来たことがあるのかもしれない。特に父は怪しかった。母が父のことを話したがらなかったのも、このセボの国が関わっているとしたら、辻褄が合うような気がした。自分の父親が、おとぎ話に出てくるような不思議な国に住んでいるなどという話を、本気で聞こうとする人間がいるだろうか。
こんな疑問を一人で抱えても混乱するばかりだが、一体誰に相談したらいいのか分からなかった。会ったばかりの哲や俊にはとても話す気にはなれない。いや、これまでのところ、二人とはそこそこ仲良くやっているから、その気になれば話せるかもしれないが、遠慮が働いていた。もう一人の仲間であるはすの倫には、話しかけることさえもできないのが現状だ。
それとも、オスロ師士に? しかし、彼が何か知っているなら、とっくに話してくれていてもいいではないいか。何を隠す必要があるだろう。言い換えれば、彼がこれまで何も話したことはないのだから、やはり父と母はこの世界には関係ないと判断してもいいのかもしれない。
それ以前に、彼は自分のような子供の相談にいちいち付き合っている暇などないように思われた。

「運動が得意なんです」
そんな思考が駆け巡っていることはちっとも感じさせない口ぶりで、夏季が言った。
「『使い』はそうでなくっちゃ」ユニがカウンターに飲み物を出す。もはや、自分が「使い」と呼ばれることに慣れ始めていた。「剣を触るのが楽しくて」
「そう、剣が得意なのね。あなたはまるで……」
ここまで言うと急に、ユニは口をつぐんでしまった。
(まるで?)
夏季は続きを聞こうと耳を傾けたが、ユニは
「なんでもないわ」
と言って優しく微笑み、料理を作るために奥へ引っ込んだ。
「まるで……、なんだろう?」夏季が言った。
「『オスロみたい』とかそんなことじゃない?」
哲は上の空で答えた。彼もまた、悩むことには困らない様子だった。そうだ、こんなことになって、悩みがない人間はおかしいと、夏季は心の中で頷いた。
『あなたはまるで、お母さんみたい』
自分で考えた言葉がぴったり当てはまりすぎて、背筋に寒気を感じた。

「そうそう、あなたたちに渡したいものが……」
それぞれが物思いに耽っていた夏季と哲は、いつの間にかカウンターに戻ったユニの言葉で、我に返った。なんだろうと、二人は顔を見合わせた。ユニはエプロンのポケットの中をなにやらゴソゴソと探っている。そこから出て来たのは、4つの小さな封筒だった。そう、ちょうど、お年玉を入れるような小袋だ。
「はい、お小遣い」
「えええ!?」
夏季と哲は悲鳴に近い声を上げた。店の客が振り返る。
「そんな、悪いです。仮にも上司の奥さんから」
「彼にとって兵士は自分の息子や娘みたいなものよ。もちろん、あたしにとってもね」
ユニは遠くを見るかのように目を細め、言った。
「失礼ですけど、お子さんは……?」
夏季は悲劇の匂いを感じ取って、質問した。
「俺です」
空いたテーブルに布巾をかけている背の高い青年が手を上げて答えた。ユニがごほんと咳払いする。
「……あれが私たちの一人息子のスアン」
「息子さん、ちゃんといるじゃないですか」
てっきり「息子がいない」の類いの話が始まると思い込んだ哲が、苛立ちもあらわに言った。
「失礼、ちゃんと目の前にいたみたいね。ともかく、これは受け取ってちょうだい。ただし、オスロには黙っておいてね」
ユニはあっけらかんとそう言って退け、哲に4つの封を押しつけた。
ユニが店の料理の注文を受け、奥に引っ込んだときを見計らって、台布巾を持ったスアンが、カウンターに近づき話しかけてきた。
「母さん、返事に困るような笑えない冗談を平気で言うものだから、カウンター席を避ける客が多くてね。これからは君たちの特等席だ。いつでも空けておくよ……」

さっきのも、ユニの思わせぶりな冗談の一部だろうか。そう考えた夏季は、ユニの一言で昨夜の悩みをぶり返したことが、バカらしくなってしまった。
ここのところの一連の出来事のおかげで、頭がいっぱいになっていた。狂いかけていたのかもしれないと、夏季は思い、一度、深呼吸をした。急に、頭の中の霧が薄くなるようだった。
冷静になってみれば、厩舎の老人の一言で両親に思い当たるのは、あまりにも突拍子がなく、早合点な考え方である。母の六季に、昔からよく言われていた。一人で考え込むのはやめなさいと。夏季にはどうも、問題を一人で片付けたがる癖があるようで、どん詰まりになっては母親に泣きつくことが、よくあったものだ。
今日、街に誘ってくれたことで、哲に感謝しなくてはならないと思った。城を出たことで、少しは視界が明瞭になってきていた。このまま城に籠って静養日を過ごしていたら、一方的な悩みを頭の中に閉じ込めて、脳みそを食いつぶされてしまったかもしれない。セボに来て初めての静養日を迎え、取りあえず、一段落したような気がした。
気がついてみれば今、仲間の一人の男の子が座っている。たまには他人を頼りにしてみるのもいいのではないだろうか。視点が狭まった後でそれに気付き、改めて視野を広げてみると、意外に助けは自分の近くに転がっていたりするのかもしれない。
夏季は、少し、肩の力を抜いてみようと思った。
(明日から、ガムシャラに走るのはもう止めよう)

ユニお手製の料理を平らげ、2人はお礼を言いながら酒場を後にした。
「今度は夜にいらっしゃい。おいしい料理にはおいしいお酒よ。もちろん、筋肉痛のお兄さんもいっしょにね」
ユニは扉の前まで見送りに出ていた。
「俺たち未成年だよな?」
路地を歩きながら、哲が言った。
「心配無用。ここをどこだと思ってるの?」
夏季はそう言って、いたずらっぽく哲に笑いかけた。
セボに来てから、夏季のこのような自然な笑顔を見たのは初めてだった。急に親しくなったような気がして、哲はうれしくなった。

「ああ、危なかった。オスロに止められているのに、言ってしまうところだった。あんた、ナイスフォロー。ありがと」
「これだから、母さんからは目も耳も離せないよ。兵隊に行かずに店の手伝いしているのが正解だったろ?」
「まあ、憎たらしいわね。言い返せないのが悔しいけど……」
「しかし、話してもいいんじゃないかと俺は思うけど。父さんはなにをそんなに隠したがっているんだか」
「でもね、私たちが聞くのに比べたら、本人にとっては何倍もショックな話でしょう。せめて張本人に話させてやりたいというのが、オスロなりの気遣いなのよ」
「そんなもんかな……。うーん、いくら口止めしたって、今にどこかから漏れると思うけどね。だって彼女のこと知っている人、けっこういるんだろ。母さんだって友達なんだし。……あ、いらっしゃいませー。母さん、お客さんだよ。グラス用意して」

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