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晩餐

第一章/城

なんだ、あの人は。あんなに怒鳴らなくてもいいじゃない……。
夏季は倫の態度に混乱しながら、鍵を取り出し、鍵を回し、部屋に入った。

「わ」

思っていたよりはいい。むしろ上出来だった。城全体の古さに比べて、宿舎はまだ新しいようである。少なくとも、夏季が母親と暮らす、畳が毛羽だっているようなボロアパートよりはずっと立派で、ホテルにでも来たような気分になった。ベッド、机、クローゼット、その他必要なものは全て揃っている。ただ、やはり俊が言ったようにキッチンはないし、バスルームもない。
夏季は皺のないシーツをかけられたベッドに倒れ込むと、そこで初めて、体の疲労が激しいことに気付いた。うつ伏せに寝転んでいるうちに眠りに落ちていた。

コツッコツッ

なにかの物音に目を覚ました。いつの間にか日は沈み、部屋が暗くなってる。夏季はのそっと起き上がった。

コツッコツッ
ドアをノックする音だった。

「夏季、いる?」
誰だろう?聞き覚えのない声だった。ベッドから降り、重い足で体を運び、恐る恐る、扉を半開きにすると……
「こんばんは!」
女の上半身は宙に浮いていた。
はて……?
先ほど会ったばかりなのに、名前を覚えていなかった。
「あたしはレナよ。はじめまして!」
はじめましてとはどういうことだろう。昼間、オスロといっしょにいたのはレナじゃなかったっけ。セナ、ソナ、ソナタ、冬ソナ……。あーもう、わかんないや。
目を覚ましたばかりの夏季の思考は混乱していた。
「どうも、夏季です……」
「最初に謝っておくわ。あなたたち4人を森に吹っ飛ばしたのはあたしのせいなの。集中力が足りなくて。ごめんね!」
「いえ、お気になさらずに」
寝ぼけて、そんな返事をしていた。許すから、もう少し寝かせてほしいと思った。
「お腹すいたでしょう?食堂に案内するわ」
気付けば、空腹は吐き気がするほどになっていた。

「男の子はセナが案内してるの。あなたの相棒、部屋にいないみたいだけど、どこにいるか知ってる?」
「うーん。たぶん、図書館かな」
倫が相棒というのは疑わしいが、答えた。
「そう。まあ、後で呼びに行くとして、先にあなたを案内するわね。ついて来て!」
夏季はだんだん目が覚めてきた。目の前に浮かんでいる団子頭の少女を見ながら、あと何人くらいが、こうやって宙に浮いているのだろう、と大きな欠伸をしながら考えた。

松明に照らされた階段を降り、どこぞの廊下を歩き、厨房の前を通り過ぎ、やがて大部屋に着いた。木目の浮き出た粗末な作りの机と椅子が、無数に並んでいる。食欲をそそる、いいにおいが立ちこめていた。
「ここが食堂。お腹がすいたらここに来ればよし」
「どうも、ありがとう」
料理のにおいをかいだことで、夏季の空腹は限界に達した。
「男の子たちは、ほら、あそこにいるから」
レナが指し示す先には、哲と俊が席に着いていた。2人の、知らない男が一緒に座っている。
「じゃ、あたしはもう1人の子を呼んでくるね!」
レナは手を振り、ふわふわと去っていった。
食堂に入って、まっすぐ哲たちのところに歩いて行った。周囲の目線が痛い。夏季の服はやはり、注目の的である。
「よう。あんたいい加減に着替えたらどうだ? ずいぶん目立ちたがりなんだな」
俊がニヤニヤしながら言う。彼が着ているのは黒いTシャツのようなものに、生成りのやわらかそうな生地のズボン、足元は革の編み上げショートブーツだった。似合う、似合わないは別として、周りに溶け込んでいた。
「着替えるって言ったって。服ないじゃん」
「クローゼットに何着か入ってるよ」
哲が言った。
彼はまだ着替えていないが、白いYシャツにネクタイ、学校の制服だろう、紺のズボンだった。夏季のチェック柄のプリーツスカートよりはまだましである。
「クローゼットの中見てないよ」
「何してたんだ?」俊。
「寝てた」夏季は正直に答えた。
哲が笑う。
「ほら、夏季の分」
哲が食事の載った盆を夏季の目の前に押す。
「ありがとう」
盆に載っているのは赤い色をしたなにかのスープの椀と、ジャガイモのような物体(ただし緑色)が盛られた皿だった。
「昼寝くらい、無理ないよな。俺らの中で今日、一番苦労したのはあんただし」
俊が言った。
「ほんと、よく寝た」
夏季が眠そうに言う。できればあのまま寝かせておいてほしかったのだが。
「おい、まさかこの子も『使い』なのか?」
若く、赤毛で、がたいのいい男が喋った。少しも遠慮せずに、夏季を上から下までじろじろと見ている。
「まあ、そうらしいな」俊が答える。
「へえ、そりゃ驚きだ。こんなに小さい子が。はじめまして、アレモだ」
赤毛の男が手を差し出す。
「はじめまして、夏季です」
夏季は男と握手した。私は何歳だと思われているのだろう、と気になった。
「俺はイルタ」
もう1人、黒髪で猫背、ひょろっとした男とも握手した。
2人は小麦色に日焼けしている。年は俊と同じくらいだろうか。
「2人とも二等兵で、俺たちといっしょに訓練を受けるんだとさ」
俊が説明する。
「まあ、受ける訓練も途中で変わってくるだろうよ、もちろん」赤毛のアレモが言った。
「なにせ、あんたらは『使い』なんだからな」のっぽのイルタが言った。
「その『使い』ってやつ。いったいなんのことなのか、誰かにうまく説明してもらいたいな。あたしたちに関係あることみたいなのに、よく分からないんだよね」
夏季が鼻を鳴らす。
「『使い』っつったらなあ。エラい人たちだよな。なにせ国を救うんだから。どうやって救うのかは知らんけど。確か前の使いが現れたのは俺が生まれるちょっと前だったかな」
アレモが言った。
「俺たちの前に何人くらいいるんだ?」
哲が言った。
「さあね。ずいぶん昔からやってるらしいよ、この『呼び寄せ』ってやつは」
「ふーん。ねえ、あたしたちの他にもいるの?」
「『呼び寄せ』はこれで終わりなんじゃないのかな」
「どういうこと?」
「『呼び寄せ』でほかの国から来るのと別に、もともとこの国で暮らしているやつらも何人か『使い』として選ばれるんだ。あんたらは、4人だっけ?だからあと何人かはこっちの人間が選ばれているはずだ」アレモが、自分の夕食を口に運びながら言った。
「へえ、そうなんだ」
アレモという男に興味本位で質問した夏季にとっては、『国を救う』だとか『選ばれる』という言葉がうっとうしかった。
「その誰かってのはいつ分かるんだろう」俊が言った。
「さあな。上層部のエラい人が勝手にやってることだから、俺たちみたいな下っ端にはあまり情報が下りて来ない」
「オスロさんなら知ってるかな」
哲が、アレモの顔を見ずにぽつりと言った。今話している内容よりは、目の前に出された新種の食べ物をフォークでつつくことのほうが楽しい、といった様子だ。
「そりゃ知ってるだろ。軍部を仕切ってるのはあの人なんだから」
アレモの言葉に、イルタが力強く頷いている。
「そんなにエラい人だったんだ、あのじいさん」
哲は素直に驚いた。

「やあ、君たち」
噂をすれば、だった。
声をかけたのはオスロ師士だった。夏季たちのテーブルに近づいてくる。
「いっしょにいいかね」
オスロは自分の食事が載った盆を持って、やって来た。
アレモとイルタは軍師が同席することに明らかにびびっている。
反対に、夏季たちは昼間の穏やかな面接があったので、リラックスしている。たまたま会ったおじいさんと、これまた偶然再会したような気分だった。
「まず、今日はご苦労だった」
「ほんとに」と夏季。
「みんな、お疲れ」哲。
「やれやれだな」俊。
「宿舎はどうだね」オスロが真面目な顔で言う。
「文句ないです」哲が言った。
「キッチンが欲しかったかな」
夏季が自分の皿の上のものをフォークでつつきながら、ぼそっと言った。
「おや、もう1人はどこへ行った?レナを呼びに遣ったんだが」
「たぶん図書館です。レナさんにそう言ったら、そっちに呼びに行きました」
夏季が答えた。

そのとき、広間にいる全員が振り返るような音を立てながら、ものすごい勢いで食堂の扉が開いた。ほこりをまき散らしながら派手に登場したのは倫だった。周りの兵士はカビ臭さに顔をしかめている。倫は夏季たちが座っているテーブルにまっすぐやって来て、オスロの目の前で立ち止まった。
「図書館で寝てもいい?」
一言目がこれだった。真っ黒な瞳には危険な光を帯びている。
「……まあ、別にいいと思うが、わたしに訊かんでくれ」
「今、『いい』って言ったわね」倫の目が光る。
「ああ、言ったな」オスロは困惑した様子で答えた。
倫は夏季の食べかけの盆を持つと、脇目もふらずに食堂を出て行った。
嵐のようにやって来て、去って行った倫の行動に、食堂全体が騒然としている。
「おい、まさか、あれも『使い』なのか?」
アレモが驚いて言った。
「まあ、そうらしいな。目がイっちゃってるけど」
俊は呆れた様子で答えた。「あいつの名前は『本の虫』だ。よく覚えておけ」
「覚えとくよ」イルタがニヤニヤしながら言った。
「あれ、あたしのご飯だったのに」
夏季は諦めて、新しい盆を取りに行った。
食堂が平穏を取り戻した頃、今度は倫を呼びに行ったはずのレナが、泣き顔でオスロのところにやって来た。
「あの子、私の顔を見るなり『あんたの顔は見たくもない!』って怒鳴ったんですよ。目つきが怖いし、なんだか嫌な感じ……」
「まあ、無理もないだろう。倫を『寄せ』たのは君だからな。彼女はしっかり覚えていたようだ。相手に顔を見せるでないと言ってるのに、お前ときたら。自分をさらった犯人の顔を見て喜ぶ人間がどこにおる?」
「あっ! あんたは、あのときの!」
急に哲が大きな声を出した。手に持ったフォークでレナを指している。
「レナ、君はこの子の『寄せ』でも顔を見せたのか?」
「……すみません」
「まあ、傘はありがとうね」
哲がフォローするように言った。
「傘?」夏季にはなんのことだか分からなかった。
「まあ、どうでもいいことだよ」哲が夏季に耳打ちする。

「さて、昼間も話した訓練のことだが、明日は休みとして明後日から始める。それまで城と城下町を自由に探検してよいぞ。あまり遠くに行き過ぎないようにな」
「訓練」の言葉が出たところで、夏季と哲と俊は顔を見合わせた。
やはりこのじいさんは本気のようだ。4人を入隊させるつもりなのだ。
「その点『本の虫』さんは心配ないよな。あの様子じゃ図書館から一歩も出ないだろ」
イルタの突然の言葉に、夏季と哲はくすくすと笑った。俊は倫の名前を聞いただけで顔をしかめた。

食事の後、夏季、哲、俊の3人は連れ立って宿舎に向かった。
「明日はどうする?」
哲が言った。
「俺、ちょっと街に出てみるよ」
俊が言った。
「あたしは、わかんない」
「俺もどうしようかな」
「おいおい、有意義に使えよ。明後日からは地獄が待っているんだから」
「地獄かどうかはわからないだろ」
「だって兵士の訓練だぞ」
「ねえ、倫さんに言っておいた方がいいかな。明後日から訓練だってこと」
「言ったとしても、あの様子じゃ噛み付くだけだろ。ほっとけよ」
俊は、どうでもいいといった態度。
また怒鳴られるのは嫌だし、放っておくのが一番かな、と夏季は思った。

「あ、そういえば。今日の昼の『面接』だけど、あなたたちは何を訊かれた?」
夏季がふと思い出して言った。
「『夢を見たか』。で、見たって言ったら内容を詳しく話せだと。面接だって?入隊するための尋問かと思ったのに、ふざけてる」
俊が言った。
「俺も同じようなところかな。いったい何を知りたかったんだろう?」
「そうね、やっぱりそうよね。あたしも同じことを訊かれた」
夏季たちはしばらく頭をひねったが、結局、昼間の面接がなんのためであったのかは分からなかった。
「あと、俺はなんだか褒められたぜ。森に吹っ飛ばされたところで4人のまとめ役になってくれてありがとうとかなんとか」
俊がニヤけた顔で言った。面接の後で俊がうれしそうだったのは、ひょっとしてそのせいだったのか、と夏季は思い当たった。
「はあ? 誰がまとめ役だって? その辺ちょっと歩いてみようとか言い出したのはあんただ。おかげで夏季がひどい目に遭ったじゃないか」
哲が語気を強めて言った。
「まあまあ、それはあたしが勝手に道を外れたんだし……」
哲の怒る様を見て、夏季が慌てて言った。
「ああ、その通り。その件に関して俺に責任はない」
俊はきっぱりと言った。

男子棟と女子棟が別れる階段の下に着くと、俊はおやすみを言って、さっさと階段を上がっていく。
夏季は俊の言動に少し腹が立った。
責任がないってことは、ないんじゃない?
「褒められたって言ってもそれだけだろ。なにを調子に乗ってるんだか。あいつちょっとおかしいよ。誰も頼んでないのに仕切りだすタイプだ」
哲は、俊が消えていった階段の奥の闇を見上げた。
夏季はなにも言わなかったが、頭で考えていることは哲と似たり寄ったりだった。
「その、昼間は助けられなくて悪かった」
急に、哲が情けない顔をして言った。
「そんな、あなたが謝るようなことじゃない。ほんとに、悪いのはあたしなんだし」
夏季は慌てて事実を言った。
「どうして、道をはずれたんだ?」
「ああ、あのね。人の声みたいなのを聞いたような気がしたんだ。なにかなーって思って」
「ふうん。声、ねえ。一人で行かなくても、言ってくれればよかったのに」
「うん。ごめん」
夏季は、そういえばあの声はなんだったのだろうと思った。洞窟の住人カイハが何かを呼んでいたようだが。
「じゃあ明後日にな。明日も、どこかで見かけたら声かけろよ」
「うん、そっちもね。おやすみ」
「おやすみ」
2人は別々の階段を上っていった。

夏季は服も着替えずに、風呂にも入らずに(レナはバスルームの場所を教えるのを忘れたに違いない)、そのままベッドに転がり込んで眠りに落ちた。

深い眠りにもかかわらず、夢を見た。

巨大な水柱が天に昇っていくのを、夏季は口を開けて眺めていた。

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