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オスロ師士

第一章/城

とある一室で。

「間一髪だったわ。まさか昼間に『黒いもの』が現れるなんて」
女には足がなかった。かといって車椅子に乗っているわけではなく、上半身が宙にぷかぷかと浮いている形だ。見慣れない者は、そんな彼女の姿を見て卒倒するかもしれない。
「うむ。しかし、無許可であの杖を使うのはよくない」
初老の男が言った。背が高く、口ひげを蓄え、制服のようなものに身を包んでいる。腰に、鞘に納めた剣を下げていることから、軍人のようだ。
「それなら、ほかにどうすればよかったんです?」
「しかたがないことは分かっているが、言わせてもらうぞ。あれには強い力が隠されている。危険な道具なのだ。だからこそあえて使い道を『呼び寄せ』のみに限定してある。他のことにも使えることを知っているのは、ごく限られた者だけ。であるから、軽々しく使うのは慎むこと。よいな」
ドアをノックする音。
「なんだね」
看護婦がドアを少し開き、顔を覗かせた。
「あの子が目を覚ましそうです」

夏季は目を開けた。白い天井が見える。部屋の中、ベッドの上だ。
「起きたわ」
誰かの声がする。
「夏季」
哲の気遣うような顔が覗き込んだ。
「哲……?」
「おはよう、お嬢ちゃん」
哲の隣りから俊が顔を出し、笑いかけた。
「……夏季だってば」
夏季の頭は朦朧としていたが、勘弁してというばかりに、とっさに切り返した。
体を起こすと、狭い部屋の様子が見えた。ログハウスのような、木が剥きだしの作りだが、ここは病室のようだ。白い布団とシーツ。開け放たれた窓からはそよそよと風が吹き込み、白いカーテンを揺らしている。窓辺には一輪挿しに赤い花が一本、生けられていた。
哲、俊、看護婦らしき、白い衣服に身を包んだ小柄な女性、そしてもう1人、知らない女の人がベッドの周りに集まっている。女は髪を頭のてっぺんで一つの団子にまとめていた。歯を見せずににっこりと笑っている。部屋の隅では、倫が丸椅子に腰掛け、本を読んでいる。扉のそばに初老の男が立ち、観察するように夏季を見ていた。
「ここはどこですか?」
夏季はそう言って、男をまっすぐ見つめ返した。

一行は部屋を移った。
看護婦はやっと用が済んだといわんばかりに、忙しなく廊下の奥に消えた。
部屋の面積はそれほど大きくはないが、皆が座れるだけの丸椅子が置いてある。1本の松明に照らされた部屋は薄暗く、窓はしめきられた上に黒いカーテンを閉められ、先ほどの明るく風通しのよい病室とは対照的だった。
夏季が寝ている間に、ほかの3人は何かしらの説明を受けたのだろう。そうでなければ、見ず知らずの場所でこれほど落ち着いていられるはずはない。夏季が物問いたげな目線を送ると、哲と俊が「大丈夫」と言うように頷き返した。今の状況がどうであれ、ともかく安全な場所には来られたらしい。あの森で最後に体験したような絶望的な気持ちになるのは、もうご免だった。
「わたしの名はオスロだ」
老人が言った。腰には革製と思われる鞘が吊るされ、長い剣が収まっている。
「私はセナ」
セナと名乗った女は相変わらず笑顔だが、腰から下がなく、上半身が宙に浮かんでいる。夏季が何度目をこすっても、腰から下にはかげろうのようなものが漂っているだけだった。
「ここはどこかと言われても答えようがないんだが、わしらが暮らしている国だ。名をセボという」
そんな国名、聞いたことがない、と夏季たちは思った。
「君たちに力を貸して欲しいのだ。大きな力を貸してもらいたい」
「そんなこと言われたって、俺、なにもできないぜ」
俊が言った。「さっきから、聞いてる話がさっぱり分からないんだけど」
「それができるのだ。我々は慎重に人材を選んだのだから」
「選んだ?」
「そう。何年もかけて。君たちを観察していた」
オスロの目は俊の顔を見つめ、微動だにしない。俊はオスロの眼光にひるんだ。
「きみたち4人それぞれが、特別な力を使うことができる」

夏季は意識を取り戻して間もなくぼうっとしていたため、男の言葉の断片を拾って聞いていた。
……この国……危機が……お告げ……即ち……助け……。
俊と哲が、オスロという男の話を聞きながらしょっちゅう訝しげな表情を交わし合っているのが目に入った。倫は聞いているのかいないのか、文庫本を片手に持ち、ページを繰っている。
「訓練は必要だがね」
「訓練!?」中途半端に声変わりした哲の声が裏返る。「何のことを言っているのか全く分からないな」
「わからなくて当然だ。ここへ来たのは君たちの意志ではないのだから」
「あたしたち、連れて来られたの?」
夏季が訊く。
「そうだ」
「それって誘拐じゃないの?」
哲が言った。
「そうも取れる。しかし君らがいないと、わしらが困る」
「じいさんたちがどうなろうと、知ったこっちゃない。家に帰りたいよ」
と俊。
「ママのところに帰りたいの?」
突然、これまで沈黙していたセナという女が口を開いた。「優しいママだものね。こんなところにいるのは怖いものね。そうでしょ、俊ちゃん?」
俊はぽかんと口を開け、心底驚いたという顔をしている。

「あんたら知り合い?」
哲が俊に訪ねる。
「そんなわけないだろう……」
そう言って、俊は黙ってしまう。セナは必死に笑いをこらえている。
「この国は、危機が迫ると外の者に力を求める。今回もお告げがあって、君たちは、『使い』の一員としてここへ来ることになったのだ」
「『使い』って、なに?」
哲が言った。
「兵士みたいなものだ」
「へ、兵士!?」
また、哲の声が裏返った。
「そこらにいる普通の兵士ではないぞ。特別なのだ」
3人は目配せする。
俺(私)たち、入隊するのか?
倫は読書に没頭していた。周囲の会話には、さも興味が湧かないといった様子だ。夏季はそんな倫の態度がまったく理解できなかった。
「こうして問答を続けていてはラチがあかない。できれば、だんだんと状況を飲み込んでいってほしい。今ここで私が『使い』について演説するよりも、その目で見て、その耳で聞いた方がよいだろう」
「あの、私たち、自分の家に帰れるんですか? ここは、なんというか、あたしが住んでいるところからは、ずいぶん離れているみたいなので……」
夏季は、人気のない静かな森を思い出しながら言った。オスロの話をぼんやり聞いているうちに、頭にはその、たった一つの疑問がはっきりと浮かび上がっていていた。オスロはしばらく、相手を試すかのように、夏季の目をじっと覗き込んだ。夏季はその間、目をそらすばかりか瞬きもしなかった。室内は重苦しい沈黙で満たされた。

やがて、オスロが口を開いた。
「いつかはな。ただ、君たちだけで帰ることは不可能だ。即ち、私たちが行ってよしと言うまで、帰すわけにはいかない」
オスロの口調は断固としていた。
俊は口をパクパクさせたが、言葉は出て来なかった。哲と倫は黙ったままである。夏季はオスロの顔を見つめたまま、もやのかかった頭で、簡潔に「帰ることはできない」ということを理解した。
そんな彼らをよそに、オスロは言葉を続ける。
「今から一人ずつ面接をする。そうだな……。じゃあ、君から。他の者は外に出てくれ」
オスロはそう言うと、「君から」という合図に、倫の肩を叩いた。

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