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亡人の志し

第二章/亡人の志し

軋む扉をそっと開けると、暗がりの中からヒソヒソという話し声が聞き取れた。ロイ・パソン議長、カイハ、それからレナとセナだった。一本の松明の光だけに照らされた彼らの感情は、近くに寄らなければわからなかった。
<はじまりの部屋>
幾多の『使い』が召喚され、還された場所だ。もっとも、夏季、哲、倫、俊の4人は、レナの手違いによって<沈黙の森>に吹っ飛ばされたわけだが。
不思議だった。部屋に入れば城の喧騒は締め出され、とても静かだった。窓がないせいだろうか。
「待っていたよ、夏季。はて、わしはここに来るようにきちんと言ったかな?」
パソンが思いのほかとぼけた調子で口を開いた。それはどこかほっとする光景でもあった。階下では、誰も彼もが、混乱し、怒り、悲しみ、疲れ果てている。自分自身も含めてのことだ。ようやく、日常を見たような、安心感があった。
「いいえ」夏季は無理に笑顔をつくって見せた。
「疲れただろう。その様子でもちゃんとここにたどり着くとは、さすが、『使い』を束ねるリーダーだのう。ラートンも誇らしいだろう」
夏季はレナとセナ、二人の前に行き、軽い抱擁を交わした。二人は明るく微笑んでいる。
「無事で」カイハが短く言った。夏季がカイハの顔を見上げると、その深く穏やかな微笑みは夏季を労わるようで、胸に沁みた。
「夏季」レナがにこりと笑った。
「お疲れ様」セナが言った。
二人はずいぶんおとなびた。さほど変わらない年頃という雰囲気だったはずが、一気に10年ほど歳を重ねたかのような落ち着きを感じさせた。背丈も伸びて、夏季を追い越していた。そもそも彼女たちに足はなく、プカプカと宙に浮いて、自在に相手の視線に合わせられるのが、彼女らの特技でもあった。今やすらりとした両脚を持ち、夏季をやや見下ろしている。二人の足には包帯が巻かれていた。夏季の視線に気付いてレナが口を開いた。
「どう? ついに脚が生えたの。あんまりうれしかったから、素足で歩きすぎちゃった」
「痛みすら愛おしくてがれきだらけの道を歩いていたら、血まみれになってしまったわ」セナが舌ベロを出した。
「夏季。疲れているところすまないが、実は今レナとセナから事情を聞いて、整理しているところなのじゃ。ラートンがあの状態なので、代理で君を呼んだわけだ」
「彼の代理など、わたしなんかに務まるとは思えませんけどね」夏季が口を尖らせた。
夏季はあくまで『使い』のリーダーとして呼び出されたものと考えており、まさか軍部のトップに近い立場であるラートン隊長の代理といった扱いなど、想定外だった。
「そう言いなさるな。彼は君を認めている。ハリルよりもよっぽど信頼しているのでは? おっと、ハリルも床に倒れていて幸いじゃった。彼がこれを聞いたら起き上がれなくなるかもしれぬ」
「ウッソだあ。ハリルは何聞いたってヘラヘラするだけでしょ」レナが元気よく言った。
「そう思うじゃろう? ところがこれが意外と繊細な面もあってだな……」
「ねえロイ。話を脱線させるほどみんな、心に余裕がないと思うわ」カイハがため息混じりに言った。
「すまない、すまない。なにしろ魔女が消えて、晴れ晴れとした気分でのう。正直に言うとだな……わしは今、調子に乗っている」
「本当に、魔女は消えたんですか?」すこぶる上向きなパソン議長の機嫌を無視して夏季が言った。
「間違いなく。レナとセナの目の前でのう」
「オスロに誓って」レナとセナが同時に言った。
なぜ今オスロ師士の名前が出るのだろう? 夏季の疲れ切った頭でも、ふわっとその名前だけ浮き上がった。久しく聞いていない名前だった。なぜなら彼は既に故人だ。魔女の謀略の犠牲者だったはず。
「すべてオスロの嘘だったと」パソンが、話を続けようとばかりに、レナとセナの方に向き直って言った。
「そうなんです。実は杖の持ち主は、主人となる代わりに杖に邪な心を預けるのです」セナが言った。
「それが杖を悪用されないために定められた杖の意志です」レナが言った。
「魔女リカ・ルカの場合は身体を構成しているものの100%近くが邪なものだったため、杖に触れた瞬間に消し飛んでしまったのです。一度六季に殺されてから、ひたすら恨みと憎しみのために復活した魔女は、以前よりもさらに濃密な、邪悪のかたまりだった」
「わたしたちは幼少の頃に父が大金を手に入れることを条件に杖の主人として差し出されました。一人ではなく二人だったのは寂しい思いをさせないようにという父の優しさから」
「邪な心を持つには幼すぎたわたしたちは杖に預けるものがない代わりに足を奪われました」
「リカ・ルカが杖を手にし、そのあるじとなった瞬間、私たちは止められていた時間を少しだけ取り戻し、どうやら多少の邪な心を手に入れたようなのです。しかし即刻魔女は滅びて、わたしたちが再び杖のあるじとなった」
レナとセナは、代わる代わる言葉をつないだ。
「だからあなたたちは杖に邪な心を預け、代わりに脚が戻されたと」カイハが相槌を打った。
「ほんとうれしいよね。これでふつうの人間みたいに動けるからさ」レナはその場でくるりと周り、傷がいたむのか、顔をしかめて足をかばった。
「『誰でも杖の主人になれる。杖には身体の一部を差し出せば良い』と嘘をつき、魔女にそう思い込ませることができたのは、オスロ師士が嘘をつけないくらいの真面目な人間だったから。まさか魔女もあの実直なオスロが嘘をつくとは思っていなかったのでしょう。すべてはオスロの作戦勝ちです」セナがおっとりと喋った。
「過酷だったな。オスロよ。死してなお闘うとは、そなたは誠のセボの兵士であった。惜しい人間を亡くしたものよ……。その忠誠が一点の曇りなくホンモノであったと、証明されたぞ」
「オスロ師士の手紙にはなんて書いてあったんですか?」夏季がふと、ピンときて尋ねた。
「『魔女に杖を渡せ』と」パソンが答えた。
「みんな同じ内容だった?」夏季が言った。腕がぞわっと粟立った。
「そうだと思う」カイハが答えた。「おそらく、ラートン隊長も、ハリル副隊長も」
「手紙の内容については誰も口にしなかった。魔女への対策としては有効だったはずだ。オスロの手紙の意味のわからなさにもやもやとするだけだったのだから。仮に手紙が、我々の悲しみを煽るような情動的な内容であったとしたら、魔女への憎しみが強くなり、逆に魔女に付け込まれたのではないだろうか?」
「『魔女に杖を渡す』この言葉が頭にもやもやと反芻されるのは魔女にとっては不自然なことではない。なぜなら魔女が望んでいたことで、常に我々に『杖を渡せ』と呪いをかけていただろうから、その効果なのだと誤認したはずだ」
そこでパソンは言葉を切り、夏季の方に向き直った。
「なぜそれを聞く? 君にもオスロからの手紙があっただろう」
「唯一別のことを書いてあったのがわたしだったんです」夏季がうつむき加減で、つぶやくように言った。
皆、一斉に夏季の方を見た。
「ええ。そうです。わたし宛の手紙には、父のことばかりが書かれていました」
「これは推測にしかならないが、夏季が魔女の血縁者である可能性があったからあえてそうしたのかもしれない」
パソンが、それまでの快活さを引っ込めて、遠慮がちに言った。
「そしてそれは事実だった」夏季の顔が陰った。
「悲観することはない。君はその力をセボのために役立てた。ラートンの力を借りて」
そうだった。ラートン隊長の制御があったからこそ、自分を見失わずに、魔女と同じ翼を使うことが出来たのだった。たとえ望まない力だったとしても。
「オスロもきっと君を信じて事実を告げたのだろう。君ならば、その力を制御して使いこなすだろうと」
「それにね、夏季」レナが明るく言った。
「杖の力であなたは消し飛んだりしなかった」セナが優しく微笑みかける。
「魔女をはじめとした悪いやつは塵となって消えてしまったわ」
「あなたはちゃんとここにいる」
夏季は顔を上げた。
「ありがとう、レナ、セナ」
夏季は唇を噛み、両手を差し出した。レナとセナがそれぞれ夏季の手を握った。
しばらくして、夏季はキリッと前を向いた。
「その杖で、みんなの心を鎮めることはできないの?」
夏季は杖の力が万能であることを知り、その力を使ってセボの国の混乱を解決したらどうだろうかと考えた。
「できないこともないけど、めっちゃ疲れるんだよね。人数多すぎるし」レナが頭を掻いた。
「人間が人間らしく物事を解決しているうちは杖の出番はないじゃろう。それに」
パソンが夏季の方をちらりと見た。
「いよいよ君たちが使命を果たした。元の世界に戻りたい場合、再び杖の力を使わねばならないからな。セナ、レナ。力を溜めておかねばなるまいな」

階段を下るにつれて大きくなる喧騒で、現実に戻っていく心地がした。
再び大広間に足を踏み入れると、夜も更けた今、走り回る者や怒りや哀しみに叫ぶ者はもういなかった。
夏季は出入り口付近でぼーっと座っている、腕に包帯を巻いた男の前にひざまずくと、話しかけた。
「わたしになにかできることはありますか」
「『水使い』夏季。お言葉に甘えて、水をくれないか。おいしい水を、ぜひ」
男が親しげに返事をしたことに、夏季は驚いた。
そうだ。わたしは『水使い』だ。水は、人が生きていくうえで欠かせないもののひとつ。わたしはそれを自在に操ることができる。
夏季は両手を差し出した。両手いっぱいの水がどこからともなく湧き出して小さな渦を巻いた。容れ物がないので、水でコップをかたどった。相手は不思議そうな顔で、怪我をしていない方の手でそれを受け取った。ゴクゴクと喉を鳴らし、水のコップまで残らず飲み干した。
男はお酒でも堪能するように深く息を吐き出した。
「ちょうど喉が渇いていたんだ。ありがとう」
お礼の言葉を聞いた途端、夏季の目から涙が溢れ出した。
一人一人に水を配った。皆、お礼を言ってくれた。
「お疲れ様」
「がんばろうね」
「クコが飯ばっか配るから、ちょうど水が欲しかったんだ」

夏季は城の混沌とした状態が朝までずっと続くのではと恐れていたのだが、人々はだんだんと体力も尽きて、ばたばたと、折り重なるようにして眠りに落ちていった。
疲れ切った様子でいびきをかいて眠る母親の横で薄い毛布にくるまり、いつまでも天井を見つめていた。とても自室に戻る気にはなれなかった。今夜だけは、雑魚寝も悪くない。一人になるのが怖い、そう思った人間が多かったのだろう、大広間は合宿所の様相だった。
「ユニが喜ぶだろう」
はじまりの部屋で締めくくりにパソン議長が発した言葉が、何度も何度も頭の中で繰り返された。
ユニは夫を信じた。そして今も信じ続けているだろう。ついにその想いが報われるのだ。あきれ半分でユニを見ていた者たちはきっと恐れ入ってひれ伏すだろう。
隣ですやすやと寝ている母親も、父を信じていた。盲目的に信じて、ついに異世界を超えて『氷使い』の力を行使していたらしい。
わたしはあのように愛した相手を信じ続けることが出来るのだろうか。相手が死してもなお。
人を本気で愛する心はそれほどまでに強いのかと、胸に熱い気持ちが広がっていった。
意中の人がいるとしても、そこまでの愛を貫ける自信はない。
何かが決定的に違う。
片想いだからなのだろうか?
想いが通じ合ったときに、変わるのだろうか?
今のところ自分の想いを伝える予定もなく、そのような機会が来るとも思えない夏季には、その先にあるものについて、見当もつかなかった。
このまま元の世界に戻って、二度と意中の人と会うこともなくなる。
もう会えない?
夏季の目からとめどなく涙が溢れた。
「そんなの、いやだ」
夏季は歯を食いしばり、涙を止めようとしたが、うまくいかなかった。
挙句にはしゃくり上げ、身体を丸めた。泣き疲れて眠りに落ちるまで、涙が止まることはなかった。

翌朝からもざわざわと、城はやはり激しい人の出入りは止まなかったが、2、3日のうちにそれも落ち着いていった。少しずつ睡眠をとって自身の回復を感じる夏季も、けが人の介助など皆を手伝い、励ましあった。ようやく見知った仲間とすれ違うときにはお互いに肩を叩き合い、拳をぶつけ合って苦笑いを交わした。
レナとセナは希望の象徴となり、人々が握手を交わしたがった。二人は照れ臭そうに人々の要求に応じた。皆はそれで表情が明るくなり、まるで日が昇るように、気持ちが上向いていくようだった。怒りと悲しみが大半を占めていた空気は、だんだんと、明るさを取り戻していく。下を向いていた人々は、徐々に希望と喜びを噛み締めて、顔を上げていった。

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