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ルゴシク山

第二章/ルゴシク山

一行の姿が見えなくなるまで船上で見送るシーマの姿は、霞の中で心細そうにも見えた。やがて彼の姿はもやの中に消えていった。
「シーマを先に帰してやるのは彼の命を優先して考えれば名案だと思うが、どうやって帰るつもりだ?」俊がラートンに向かって眉を上げた。
「先のことは気にしなくてもいい。生きて帰れるとは限らないのだから」ラートンが、落ち着いた口調で言った。
「マジかよ」俊の声が裏返った。
「ほんとお気楽よね。どんな脳みそだったらそんな前向きになれるのよ。真っ先に死にそうなくせに」倫がズケズケと言った。
「縁起でもないことを言うなよ……」俊は落ち込んだ様子で言った。
一行は口数も少なく、草むらを掻き分けるようにして進んで行った。ひたすらに目指したのは、少し変わった形のビルのような様相でそびえ立つルゴシク山。「山」と呼ぶにしてはあまりにも、垂直な形をしているように思われた。少し息を切らして到着したのは、切り立った崖の前だった。赤茶色の土と呼ぶべきか、岩と呼ぶべきか、いずれにせよこれから登るにしては異様な形と色の壁だった。
「これを登るんだよな?」俊が半笑いで言った。
「そうみたいね。ちょっとがんばらないと難しそうね」倫が腕組みをして言った。
「どうがんばるっていうんだ」俊が笑顔を引っ込めた。
「まったく。ぐだぐだ言わないでよ。その特殊な能力は一体いつ活かされるわけ?」たった今はじまったことではないが倫は俊に辛辣だった。「わたしにできることといえばハシゴを掛けることくらいだけど、君と一緒にされたくないからとりあえずやってみるわ」
倫はそう言って、ずんずんと前に進み出た。崖の根元に向かって手をかざした。力を込める様子で少し手を震わせると、地面から、にょろにょろと太いツタのような植物が伸びてきた。それらの成長具合に合わせて倫は手を上の方に向けていった。植物は岩肌を少しずつ覆っていきながら、はるか頭上まで伸びていった。
「足場の足しになるかしら?」倫が額の汗をぬぐった。
「さすが倫さん」哲が、目元に手をかざして、崖を見上げながら言った。「俺も、風の力で勢いをつけてやることはできるかもだけど……」
「それはだいぶスリリングな体験になりそうね」六季が愉快そうに、口を挟んだ。
「お母さんが登ったときはどうやったの?」夏季がすかさず六季に聞いた。
「正面玄関から堂々と登っていったわ。参道があるのよ。入り口はここではないみたいだけどね」
「参道の方がいいよ」俊がボソッと言った。
「正々堂々と回り道をするのもいいんだけど、何かしらの罠があることは明白だからねえ」倫がやれやれと、ため息をついた。
「魔女の手下や幻影と闘いながら行くにしても、この崖をロッククライミングするにしても、どっちにしろ地獄だろうな」哲が噛みしめるように言った。魔女の力にはすでにうんざりしているようだった。
「崖を登る方が少しマシかもしれない、という程度だろう」ラートンが正直に言った。
俊、哲、夏季、倫は顔を見合わせた。一様に不安な表情だが、怖がってはいない。やってみるしかない。頷きあう四人は、目に光を宿していた。

常に宙ぶらりんのクライミングというわけではなく、それなりに足場もあり、時には岩肌に沿って狭い参道のようなフチを辿ることで道程を進めることができた。それにしても、どうしても倫のツタを頼りに壁から壁へ渡らないといけない場所がいくつかあった。その度に祈るような決意をして、下を見ないようにして宙をまたぐのだった。
空いている手で次につかまるべき壁のくぼみか、あるいは倫が作った丈夫なツタを掴む。踏み込む脚をバネにしながら、手元に上体をぐっと引き寄せる。目星を付けておいた足場につま先をひっかけると、フーッと息を吐いた。あまり下を見ないようにしてはいるが、ちらちらと確認する。それから上方も確認した。道程の半分くらいまで来ているのではないだろうか? 夏季は次の一手をしかける場所を探して周囲を見回した。少し向こう側に、僅かに先へ進んでいるラートンの姿があった。自分の足場を確保しつつ、カイハの方に手を伸ばしていた。倫はよっぽど腕力に自信がないと見え、自分の身体にもツタを巻きつけて、極力ラクができるようにしていた。
登り始めたとたん、雲行きが怪しくなってきていた。急に現れた分厚い雲が黒いだけならばよいのだが、それはどうも薄く紫色がかっている。
「気づいているんだよ……俺たちがこの崖っぷちを登っていることに」夏季の足元のあたりにいる俊が、歪んだ笑みを浮かべて、ヒソヒソ声で言った。

大人二人が余裕で収まりそうな巨大な割れ目を、順番に飛び越えているところだった。ラートン、カイハ、倫と続き、夏季が跳んだ。残るのは、哲と、俊、そして六季だった。
夏季は頭に小石が落ちてきたのに気付いた。
「何だろう?」
上を見上げると、ぱらぱらと赤茶色の土が、少しだけ落ちてきているのが目に入った。
「崩れたりはしないよね?」倫が不安げに、上を見上げている。
夏季の肩に、鋭い痛みが走った。肩を確かめると、服が小さくやぶれ、切り傷に血が滲んでいた。
「痛い!」倫の悲鳴が聞こえた。脚をかばっている。
俊が叫び声を上げ、ツタを握っていない方の手で、自分の肩を必死で払っていた。
「なんだよこいつ!」
何かが夏季の頭に当たり、それから足元に落ちてきた。
カニ?
セミくらいの大きさで、一見して昆虫のようだが、目に止まったのはカニのハサミのようなものだった。
肩にこいつが当たったのかな。
シャキンと、音を立てて、夏季のブーツをハサミで挟んでいた。咄嗟に夏季はそいつを蹴り、奈落の底に払い落とした。
「うわっ」
声のする方を見ると、哲の身体がスローモーションで岩壁から離れていくところだった。彼の周りにはハサミの虫がうじゃうじゃといて、狙い定めたように、彼が掴むツタを何箇所も何箇所も、切断したようだった。
哲は驚いたような顔で、足場を踏み外し、両腕を振り回して、無数の虫と一緒に、下へ下へと落ちていった。
夏季は悲鳴を上げた。
「ウソでしょ……」倫の声が震えていた。
皆、哲が落ちていったはるか下の方を見ていた。

頭上から豪快なしゃがれた笑い声がふってきた。
「貴様らは大業な力を大地から借りているはずだが、わしの前では揃いも揃って無力だのう。
火をつければ水をかけてやる。
草でロープをつなげばぶった切ってやるのさ。
なぜならわしは魔女で、すべてが思いのまま!
悔しいか?
登ってこい。
頂上まで来たらわしに恨みを晴らせばよい!
待っててやる。
夏季と六季。
親子ともども始末してやるからな!」

「ちくしょーーー!」
叫び声とともに周囲が急に熱を帯びるのを夏季は感じた。それから自分の身体がぐらついて、咄嗟にツタを握り直して身体を引き寄せると、手近な窪みに手を引っ掛けた。息をつく間も無く必死で壁にしがみつき、どうにか落下しないことを確認すると周りを見回した。倫はわずかな足場で壁にしがみつき、額に玉のような汗を浮かべてツタを生成している様子だった。六季がカイハの手を掴んで宙ぶらりんになっているが、太いツタがカイハもろとも六季まで絡めとり、次第に二人を支えていった。
俊が叫んでいた。
怒りに任せて炎でハサミを持った虫を焼き払っている。炎は青く、虫は一瞬で灰色のカタマリとなり消し飛んでいるようだった。その強力な火力は皆の命綱となっているツタをもぶつ切りにしていた。俊が掴まっているツタも壁から離れて宙に浮いているが、倫が俊の身体をツタで絡め取っているために、落ちないでいられるようだった。
「お願い!」
夏季は、なんとかしなければという想いから倫のツタや、枯れ果てたような色の山壁に、水の動きを読み取ろうとした。しかしこころもとない水のつぶてでは、俊の炎の勢いを止めることは不可能だった。
辺りには魔女のものと思われるかすれた高笑いが響いていた。
「訂正しよう!
火をつけたら水をかけると言ったが必要なさそうだ……
このまま放っておけば勝手に自滅してくれそうだな……」

俊の足元のあたりにラートンがいるのに、夏季は気付いた。その目は怒りに燃えている。ラートンが華麗な身のこなしでツタからツタへ飛び移るなり、拳で思い切り俊の頬を殴った。
急に炎と俊の叫び声は止み、辺りは静かになった。
「倫がいなければ皆死んでいるところだ」ラートンが俊の胸ぐらを掴んだ。頼りない足場に二人の身体が揺れて、今にも落下するのではないかと、夏季は恐怖で足元から力が抜けそうになった。
俊は肩で息をして、獣のようにフーッフーッと鼻を鳴らし、興奮している様子だった。
「……哲は死んだ」俊が顔を歪めて言った。語尾は絞り出すようで、やがて彼の目から涙が溢れ出した。
夏季は俊の言葉を聞いて、頭をドンと殴られたように感じた。足が震えていた。真っ逆さまに落ちていった哲の姿が目に焼き付いて消えない。
『人から大切なものを奪っていくのよ』
母の言葉が頭の中でエコーのように響いている。
大粒の涙が止まらなくなった。声も出せず、頭を横に振っていた。
「進むんだ。進むしかない」ラートンが力強く言った。掴んでいた俊の服を乱暴に離した。
「そのとおりだわ」倫が震える声で、言った。「進みましょう。ただ、今は、上に登る、だけどね」
目を真っ赤にして、少し消耗している様子だが、俊を罵りはしなかった。
「行きましょう。今は哲のためになにも出来ない。残念だけど」カイハがぽつりと言った。
「ちくしょう……ちくしょう……」俊が壁を拳で叩き、肩を震わせている。
「俊、行くわよ。さっきのは貸しだからね」倫が、俊の肩を叩くと、鼻を手の甲でぬぐい、さっさとツタを掴んで一歩先へ足を踏み込んで行った。
俊が顔を上げて、しばらく倫を目で追っていた。それから鼻をすすると、倫の後に続いた。
「夏季。行くわよ。カイハの言うとおり。逆に何か出来ることがあるなら、提案するべきよ」六季が強い口調で言った。
わかっていた。何が起きても進むしかないのだと。そして魔女を討伐しなければならない。今するべきことは、それしかない。
幸い、しわがれ声の主であるはずの魔女の姿は、目の届く限りでは確認できなかった。しかし、トドメを刺さずにじわじわと削り、すり減らそうとしている意図は明らかだった。それはまるでひょっこり顔を出してはちょっかいを仕掛けてくる少年のようで、相手が嫌がることを楽しんでいる。そのこざかしさへの苛立ちは、募る一方だった。
夏季はぶんぶんと乱暴に頭を横に振ってキッと目を見開いた。涙と鼻水を流しながら、それでも一歩、また一歩と、しっかりと足を踏みしめて、登っていった。

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