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闇より深く

第二章/ルゴシク山

「来るぞ!」
ラートンの掛け声に皆が馬の上で身構えた。
小柄な竜巻は砂をまとい、旅団にぶつかってきた。砂嵐の中はもみくちゃで、とても目を開けている余裕などない。
倫の悲鳴が聞こえる。それからカイハが皆を気遣う張りのある声も。
何よりも息が出来ないのが苦しい。永遠に続くかと思われた恐慌は、ふとした瞬間に、地面に溶け落ちるようにして消え去った。
「荒野の気候はどうにも読み切れない……」ラートンがブツブツと不満げに言った。
皆が茫然として辺りを見回している中で、哲が、目を瞑ったままだった。
「哲!」
俊が声を掛けた。
哲はハッとした様子で目を見開いて、皆が自分を見ていることに気付いた。
「さっきの嵐はお前が起こしたのか?」俊が眉を上げて言った。
「いや、違う」哲はすぐに首を横に振った。
「君が鎮めたのか?」ラートンが口を挟んだ。
「……そうだ」哲は静かに答えた。まっすぐ、ラートンの方を見つめ返している。
哲とラートン、二人はしばらく目線を外さずにいた。声を掛け難い雰囲気が漂った。
「助かった。礼を言おう」
ラートンが、そう言って、プイと前方に向き直った。
哲は少し驚いた様子で、しかめ面を緩めた。
「ラートンにあんなこと言わせるなんて、なかなかないわよ。やるじゃない」倫が通りすがりに声を掛ける。
「ああ……そうだな……」哲はまだポカンとした様子でつぶやいた。
「ただ畑仕事やってたわけじゃなかったんだな」俊が哲の肩を叩いていく。
「ありがとう、哲」夏季も声を掛けた。
「どういたしまして」哲が微笑んだ。
夏季は上空を見上げた。明らかにふつうではない分厚い雲が、すっかりどこかへ消えて青空が広がっていた。
ただ風を操るというだけでは嵐が止むはずはなく、ほんとうに哲がレベルアップを図ったのだと思い知らされる出来事だった。それに気づいているのは夏季だけではなく、だからこそラートンはほんのわずかではあるが労いの言葉をかけたのだろうと理解できた。

過去に辿ったはずの道のりは、以前と同じものとは思えなかった。
だらだらと続く雨から始まり、狙い定めたような小さな嵐、そして今度は猛暑だった。
夏季はたびたび水の龍を従えて、一団の上空に水しぶきを撒き散らしてやった。
カイハがそこに冷気を送り込んだ。
さらに哲が風を吹かせた。
倫は日陰を提供しようと、雨宿りに使った植物を再び活用して、今度は日傘として提供した。
俊は出番がない。
「あの暑苦しい能力ばかりか口を開けば情熱溢れる感じなのがうっとうしいのよ」倫が辛辣に言った。
倫と夏季は、カイハの冷気のタイミングに合わせようと懸命に風を起こしている哲に、まくしたてている俊を眺めていた。
「悲観しないところは見習いたいかな」夏季が言った。水の龍を働かせすぎるのも、今度は自分に負担になり、気怠さを感じているところだった。
俊を除いて、皆少し疲れが出ている。少し顔色が悪い六季にしても、従順に旅路をついてきているとはいえ、夏季からするとごくふつうの人間なのだ。「使い」たちが疲れを見せはじめているのだから当然負担も大きいだろうと、少し心配になる。夏季の視線に気付いた六季は弱く微笑むと、口を開いた。
「ラートン隊長。休憩にしませんか。そろそろ日も傾きはじめてきていますし」

「本音はもう少し先へ進みたかったんだが」
近くで野営できそうな場所を探すラートンが、ぽつりと言った。
「でも六季の言う通り、ここで止めて正解だったのでは? 皆疲れている」倫が言った。
「この辺りは賊が多い」ラートンが言った。
ドクラエ獲得の遠征のときも、ずいぶん早足で荒野を突っ切ったということを夏季は思い出し、ゾッと寒気を覚えた。
有無を言わせずあゆみを進めるのには理由があったのだ。
いや、シエ・ラートンはつねに考えているんだ。
どうするのが最善なのかを。

野営地を構えるために荷物を下ろしている最中、カイハの手がぴたりと止まった。夏季はカイハの顔を見上げた。
「何か近づいてくる」カイハが言った。大きな狐のような耳がピクピクと動いている。
「さっそくお出ましだ」ラートンがため息をついて、カイハと同じ方向を見た。

10頭ほどの馬が砂埃をあげながら駆けてきて、逃げる素振りを見せないラートンたちの一団をすっかり囲んでしまった。
「金を出せ」
いちばん豪華な飾りのついた帽子をかぶった男がラートンに向かって凄んだ。
「持っていない」ラートンが静かに言った。
「んなわけねーだろ。そんなご立派な馬に乗ってやがるくせに」あざ笑うように言った。賊たちは皆豪快に笑った。
夏季は、金持ちであろうと旅路で大金を持ち歩くとは限らないのでは? と言いたい気持ちでいっぱいだったが、成り行きを見守るべく黙っていた。
「こんな旅に大金なんか持ち歩かねーよ」俊の馬が一歩前に出てきた。
「なんだとう?」賊の顔つきが変わった。「これから確かめてやるよ」
賊たちが一斉に抜刀した。
六季と倫がちゃっかり夏季の背後に回った。
「ちょっと」夏季が慌てて片手で馬の手綱を握り、空いている手にはスルスルと水の剣が伸びていた。
ぎゃあっという声の方を見ると、ラートンが二人、カイハが一人を斬り伏せていた。俊は相手もろとも落馬して地面でもみあっている。夏季と哲は倫と六季を守るようにして囲んでいた……ふと、夏季は倫を盗み見た。
ほぼ一般人といえる六季は仕方がないとして、まさか、この後に及んで人を盾にするとは……?
いくら剣の訓練を受けていないとはいえ、その勇者らしからぬ行動に複雑な気持ちになった。
「気にしないで」倫がぼそっと夏季にささやいた。
「何が?」夏季が少し冷たい口調で言った。
「わたしのことは気にしないで」
倫の言葉は意味不明だが、そもそも気にしている余裕などなかった。一人の男が馬上で剣を振り上げて向かってきたので、辺りに鳴り響く金属音を響かせて、剣を交わらせた。激しく剣撃を繰り出すわけでもないので、ただの威嚇なのだろう。
あまり強い相手ではないな、と夏季は感じた。
今度は夏季が馬を前に進めて男たちに向かっていった。すると相手は驚いた様子で少し後退した。夏季はかまわず馬をけしかけて突っ込んでいき、白く輝き波紋を波打たせる剣を振り回した。その不思議な武器に相手はすっかり及び腰になった。夏季の横を、ヒュンと、六季の馬が駆けていく。夏季が驚いて振り返ると、六季は力強く剣を振った。相手は仰け反り、馬から落ちた。
そいつは夏季の背後に回って、攻撃の機会を伺っていたようだった。
「かっこいー」六季の一撃に倫が感嘆の声を上げた。
「ありがとうお母さん」夏季がほっと息をついて言った。
「望むところよ」六季の涼しい目元には、炎が宿っているように感じられた。

倫が馬の上から手をかざすと、ラートンになぎ倒されたリーダー格の男の足元から太いツルが伸びて足を捉えた。男は悲鳴を上げた。あっという間にツルが男を縛り上げた。仲間の男たちはそれを見るやいなや逃げ出した。馬に乗っている者はいちもくさんに馬を走らせ、落馬した者はそのまま馬を追いかけて走っていってしまった。
独りになった男が壊れたおもちゃのように何度も頭を下げて謝罪を始めた。倫がツルを緩めると、男は這うようにして逃げていった。
「雑魚」
六季が言い捨てた。
「いい腕。なまっちゃいないわね」カイハがすぐそばまで馬を走らせてきた。
「身体が勝手に動くってこういうことを言うんでしょうね」六季が品定めするように、剣の刃先をしげしげと眺めた。
賊たちがすっかり立ち去ったのを確認して、散り散りになった一行は集まって互いの無事を確認しあった。
「リカ・ルカの配下ってわけではなさそうだったけど」倫が手首をひねりながら言った。
「関係ないだろうな。純粋な追い剥ぎをはたらく賊は今となってはむしろ貴重かもしれないが」ラートンが言った。剣の刃をボロ布で拭いている。
「なるほど? ああいった小悪党はリカ・ルカの格好の餌食でしょうからね」カイハが言った。彼女の剣は氷でかたどられており、すでに地面の上で溶け始めていた。
「どういうこと?」夏季が言った。
「我々は今リカ・ルカ張本人と戦うために旅路を進めているわけだけれど、兵隊には兵隊をぶつけたいでしょうから。さすがに魔女一人で万単位の人間を相手にするのは、力の無駄と思うでしょうね」
「数には数をぶつけるってことか」哲が言った。
とたんに夏季はイルタやアレモたち二等兵の顔を思い浮かべた。彼らは兵士だから、敵襲があればもちろん対応しなければならない。自分たちは強大な力を持った魔女を相手にするために盛大に見送られたものだが、彼らだって危険なことには変わりないはずだった。
「なんか心配になってきたな」俊も同じように考えたようだった。
彼は先ほど賊と地面でもみあったために、全身砂まみれだった。
「なんにしてもあんなやつらなら怖くないから、ここで休もうぜ」
俊はそう言うとやれやれと肩をすくめた。
「確かに取るに足らないクズだが、ただ単純にいちいち相手をするのが面倒だろう」ラートンが気だるそうに言った。
「それもそうね。もう少しがんばれるかしら? 六季も元気が出たようだし」カイハがちらりと六季の方を見た。
「わたしは元気よ。むしろ何もない旅路で退屈していただけ」六季が腰に手を当てて、うーんと後ろに伸びをしていた。
気遣って損したと、夏季は少し頬を膨らませた。
「そうだな。ここはあまりにも隠れる場所がないから、最低限、岩場まで行ったらどうだろうか」
そう言ってラートンは少し先にポツンと見える岩を指差した。

「明日は一体何が起きる?」
俊は身震いしたが、怯えている様子はなく、瞳を輝かせていた。
俊が足を勢いよく投げ出すと、哲が悪態をついて、自分の腕にぶつかる俊の足を払いのけた。
「うれしそうね」倫が皮肉っぽく言った。
「まだあと3日ほどある。気が抜けないわ。とりあえずトラルのふもとの町に着くまでは」カイハがあぐらの上でコップを拭き上げながら言った。
六季が夜空を見上げている。夏季も上を見た。濃紺の空に無数の光がちりばめられている。光の大きさにはムラがあって、無限の奥行きを感じさせる。

今わたしたちがいる世界も、地球と同じ宇宙のどこか別の惑星なのだろうか。
それとも宇宙はほかにもあって、地球がある宇宙とは別の宇宙に来てしまっているのだろうか。
闇夜の深淵につられて思慮はどこまでも深くなっていく。闇より深く、底なしのブラックホールだ。幼い頃にはときおりこの底なしの暗闇に片足を突っ込み、死後の世界につながっていきそうな恐ろしい考えから必死で抜け出すために、人知れず頭を横に振ったものだった。

倫の高らかな笑い声で、夏季は現実に戻った。声の方を見ると、俊にちょっかいを出された哲がひじのあたりにあった水の入ったバケツをひっくり返したところで、仁王立ちのラートンが二人を見下ろし、カイハがあらまあとバケツを元に戻し、倫だけが笑っているというカオスな状況だった。
「きれいだね」夏季はごく自然に六季に話しかけていた。
「ほんとにね」六季が穏やかに微笑んだ。「外は静かでいい」
「わたしも嫌いじゃない。お風呂に入れないのは嫌だけど」
「あんた風呂入るのめちゃくちゃ早いじゃない」六季がぽつりと言った。
「早くたってちゃんと洗ってるよ!」夏季がムキになって言い返した。
六季が笑った。夏季もつられて、二人でしばらく笑っていた。
こんな時間がずっと続けばいいのに。
嵐に出くわしたり、賊が斬りかかってきたりでとても疲れていたが、心から出る笑いは幸せで、いつまでも母親と他愛のない話をしていられればいいのにと、夏季は思うのだった。

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