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荒野に七人

第二章/ルゴシク山

こんなはずではなかったのに。
倒れ込んだ地面の砂利に擦れる脚や握りしめる土の感触が妙にはっきりと感じられるのが不愉快だった。
土煙の向こう側に、自分と同じように何人かが倒れているのがわかる。
かすかに動いている者もあればぴくりとも動かない人間もいるようだった。
夏季は心を決めた。
やるしかない。
爆風で地面に叩きつけられた鋭い痛みとは別に、チクチクと針を刺すような背中の痛みはずっと続いていた。
それまで顔を背けて蓋をしようとしていたものに向き合う時が来ていた。

小雨が降っていた。
マントのフードをかぶっているシルエットがたくさん揺れているのは見慣れない光景だった。旅の一団はゆるやかにまとまって、道程を進めていた。
列の後方では、夏季とカイハが馬を並べていた。
その少し前の方に、六季が乗る馬がいる。六季は誰とも話さずに、黙々と前方を見据えている。
「浮かない顔ね」カイハが顔を見せないままで言った。
「そうかな?」夏季も前を向いたままでぽつりと答えた。隣の人の顔つきなど、フードに隠れてほとんど見えないはずなのだけれど。
「無理もないわね。六季があんな態度では。それに雨も降っていることだし」
「そうだね」夏季は弱く微笑んだ。
フードの先から一粒の水滴がもたりと落ちる様子が、目に近すぎる場所なのでピンボケして見える。濡れた前髪もちらちらと視界に入った。それから横目でカイハの方をちらりと見やると、彼女もまた前を向いたままで、白く通った鼻筋だけが、フードの向こうに見え隠れしていた。
しばらく二人は馬の背に揺られて黙っていた。
「それだけじゃないでしょう?」カイハがフードの中から顔を覗かせた。カラッと晴れた日よりも、薄曇りの空気で灰色の瞳が際立って美しい。
夏季はしばらく無言でいたが、やがて口を開いた。
「こんなこと言うと笑われそうだからみんなの前では言わないけど、わたしって誰なんだろう……って考えはじめたらわからなくなってしまって」
「誰だってそうじゃないかしら」カイハは笑ったり、驚いたりせずに、言った。
夏季が顔を上げて、目を見開いた。
「そうなの? カイハもそう思うの?」
「ええ。わたしの場合は、人間ではないから夏季の気持ちとは少し違うかもしれないけれど」
カイハは少し微笑んでいた。ずしりと淀んだ夏季の心情からするとカイハの笑みは信じがたいものだった。
人間ではない。
そう聞いて夏季は、カイハの人並外れて白い肌について考え、それから頭の上に凛と生えている狐のような耳があるはずの場所に目をやった。今はその耳もフードの中でぺたりと寝ているようだったが。
カイハの周囲の人間は、カイハをそのように別の生き物であるかのように扱ったりしない。ごく自然に接している。だから、カイハの口からそのような言葉を聞くことは意外だった。
「今はそれほど意識しなくてもよくなったのよ。でもね、小さい頃のことを思い出すことはときどきあるから」
「小さい頃って?」
夏季が興味津々で言った。

「簡単に言うとね、『魔法』と呼ぶのにいちばんふさわしいのが『闇使い』の力なんじゃないのかな」倫があごに手をやって、言った。
俊と倫はしゃべり通していた。ひとしきりセボの自警団について話した後で、話題は移ってラートンの力についてあれこれ話し始めた。議論をしたいというよりは、とにかく話していないと落ち着かないのだった。気持ちの高ぶりを彼らなりに昇華しようとした結果だ。
「その魔法は、攻撃ができて守りもできる。加えて武器も扱える……つまりは赤魔道士みたいなやつってことか……」俊がブツブツと物知り顔で言った。
「『光の壁』はそのまま残してあるってわけ。少しはお城の防御のための役に立つはず」倫がふふふとほくそ笑んだ。
「あれ、すごいよな。どういう仕組みなんだ?」俊は素直に感嘆している様子で言った。
「ダクマンというツタ植物なんだけど、ツタの中が空洞になっているの。ダクマンで壁を作って、ラートンに『純白』の力を流し込んでもらうというわけ」
「おもしれえ。他のものを流し込めばいろいろできるんだな?」俊の鼻息が荒くなっていた。
「そのとおり。今度油を吸わせてみようかと思うんだ」倫が明るく言った。
「そこに俺が火をつければ……ドカンだな!!」
「点火する程度ならマッチで足りるからあんたじゃなくてもいいけど」倫が笑顔のままで言った。
「なにーー!!?」 俊の叫びに驚いた荷を運ぶ馬が、ブルルと鼻を鳴らした。

先頭にはラートン、その少し後ろに哲が続いていた。
「うるさいな、あいつら」哲は後方の喧騒に顔をしかめた。
ラートンは気にする様子もなく、姿勢良く淡々と前方を見据えていた。
「なあ、ラートン隊長。この前と同じ道順で行くんだよな? 宿場に立ち寄って峠を越えて、トラルの国へ?」
「宿場からは海上を行こうと思う。シーマ・バトルスから伝言があった」
「シーマからの伝言?」
「旅の助言に使者を寄越したんだ。海上を進めば道程をかなり省くことができるそうだ」
「船があるのか?」
「俺たちのために修繕した漁船があるらしい」
「ほお」
「トラルはもともと海の近くの国だから。そういう文化も多少は引き継がれているのだろう」
「まあ、あの峠を越えなくて済むとわかれば少しは気が楽になるよな」
「ルゴシク山を登ることを考えれば出来る限りラクをしておきたいものだ。彼らには頭が上がらない」
「そうか……そもそものゴールが山なんだったよな……」哲が何かを思い出すように言った。
哲はユエグ家に滞在中に、酒に酔ったパパスからルゴシク山までの道順を聞かされていた。いよいよ魔女の住処に来たというところで、切り立った崖のようなところを登っていったという武勇伝を、上機嫌で話すのだった。

足元が見えなくなる前に、一行は野営地を決めた。荒野の真ん中で雨をしのげる場所はあるはずもない。枯れ果てた木々が数本立ち尽くしている場所で馬を降り、綱を木々や地面に打った杭に繋ぎ止めた。小雨はずっと続いており、しばらく止みそうになかった。
「屋根は?」俊が真顔で、倫の顔をまっすぐに見て言った。
「なに? わたしが作るわけ?」倫が強い口調で言った。
「そうそう」俊が頷いている。
「なんでもできると思わないでよ……と、言いたいところだけど」
倫が少し気合いを入れるように、息を吸い込んでから両手を地面にかざした。大きな芽がぴょこぴょこと地面から飛び出して、にょきにょきと太い茎を伸ばし、倫の背の高さを過ぎると巨大な葉を揺らした。
「これでどう?」倫はすまし顔であごを突き出した。
夏季はその植物と、その大きな葉の下にいる倫から、雨宿りをするカエルのイラストを連想した。このような植物が描かれていたような……?
「さすがだな。でも少し頼りなくないか? 立っている分にはいいけど寝られないだろ」俊が首を傾げて、ためらいもなく倫に不満を漏らした。
「ふざけるんじゃないわよ。少しは手伝ってちょうだい。なんのために木がある場所を選んだのよ!」
そうまくし立てる倫の後ろでツタ植物がにょろにょろと成長して、枯れた木にからみついて、先ほどの大きな葉の植物を巻き込みながら木の上の方まで伸びていった。
「すごいわねー」六季が呆気にとられた様子でそれらを見上げて言った。「少し手を加えるだけで十分なんじゃない?」
「本当ね。ほら、こことここをつないでやれば……」背の高いカイハが大きな葉の隙間に別の葉を引っ張ってきて、ツタをからませ、隙間を埋めた。それを見て皆がそれぞれ屋根の隙間を埋めていき、倫は足りない場所にさらに植物を生やし、なんとか屋根らしいものを完成させた。多少の雨漏りには目をつむることにした。風はしのげないが、幸いその日に防ぐべきは小雨だけだった。
「地面が湿ってる」俊が懲りずに文句を垂れていた。それから、倫が口を開く前に腕まくりをして、言った。「俺の出番か? 地面を乾かしてやるよ」
「せっかく作った屋根を燃やされたらかなわないから、あっちで食事用の火を起こしてくれば?」
倫は屋根のないあたりを鋭く指差しながら言った。
「よし、わかった。哲、手伝えよ」それもそうだな、という調子で、俊が鼻を鳴らして哲を誘った。
「はいはい」哲は仕方がないな、という風に肩をすくめて、俊の後について行った。
「俊くんはすっかり下僕ね」六季が感想を述べた。
「わかります? 単純で扱いやすいからつい命令しちゃう」倫が愛おしそうに微笑んで言った。夏季はその笑顔の奥に意地の悪い目の輝きを感じ取った。
「嫌ではなさそうだからいいんじゃないかしら」俊に邪悪な視線を送る六季と倫を諭すように、カイハが言った。
「ねえ倫。これも倫が出してくれたの?」夏季がふかふかの苔の上に座って足を伸ばしていた。
「もちろんよ。俊が余計なことをする前にね」倫がウインクして言った。
「気持ちいい……眠れる……」夏季はごろんと寝そべった。
「そのまま休んでくれても結構だが、もう少し隅に寄ってくれないか」ラートンが、寝床を占領することを本気で心配する様子で、夏季にぴしゃりと言った。
慌てて起き上がる夏季を見て、倫、カイハ、六季が笑った。夏季は恨めしそうにラートンを横目で見た。ラートンはにこりともせずに、馬の荷を下ろしていた。

俊の「ファイヤー!」の掛け声で無駄に大きな火が起こされたため、火が小さくなるまで少し待ったものの、ささやかな煮込み料理を皆で食べた。
夏季とカイハは隣り合って腰を下ろしていた。哲が馬たちに餌をやっているところを眺めた。
「オミリアが辿った運命にも関係あることだけれど」カイハがとつとつと語り出した。
「わたしはサビシア族という種族なの。生物学的には女性しか生まれない」
「それならどうやって……」夏季は続きを言い淀んだ。
「子孫を残すのか? 人間との交わりが必要なの。わたしたちサビシア族は絶対優性で、サビシア族と人間が交尾をしてもサビシアの子しか生まれないのよ」
夏季はスープをすすった。味付けを六季が行なったため、少しエキセントリックな舌触りだった。何を入れたらこんな味になるのだろう? 夏季が早々に料理を覚えた理由のひとつが六季の味付け音痴であることに思い至った。
「ある時代、その性質を人間たちはとても恐れてね。人間の脅威としてわたしたちを迫害したわ」カイハもスープに少し顔をしかめたが、話し続けた。
「その結果、サビシア族は絶滅危惧種となった。わたしはその末裔で、この世界中を探してももう数人しか見つからないはずよ」
夏季は足元から血の気がひくのを感じた。もしも人間が世界に残り数人になって、周りにいる生き物がすべて人間以外だったとしたら……。世界の終わりと感じるに違いない。
「オミリアもわたしもそんな世界で育ったわ。仲間が息絶えていく場面を何度も目撃した。何度もね……。トラル国付近の人々にはずいぶん助けられた。彼らもまた国としてはほぼ滅亡していて、わたしたちに情が湧いたんでしょうね」
カイハとラートンは昔からの知り合いであるように思われたが、夏季は今、そのつながりを垣間見たような気がした。おそらくラートンの父親かまたその親の世代がサビシア族と関わり合っている。少し口を挟みたい気持ちになったが、今はカイハの語りを聞くことにした。
「それでもオミリアの心は救われなかった。常に人間への憎しみを抱いて、年頃になるとサビシア族増殖のためのおぞましい計画を企てていたわ。それを知られてオミリアは追放された。情けをかけたわたしは彼女をセボの近くの洞窟にかくまった。面倒を見るために。でもわたしは『水使い』に抜擢されたことでオミリアに構っていられなくなった。その隙に彼女は洞窟を出て行き行方知れずになった。『水使い』としての役目を果たしたわたしはオミリアがどこかで生き延びていることを願い、おろかなことに、『水使い』の力がオミリアの生き抜く力の足しになるようにと願った」
カイハは自分の語りに熱中しているのか、刺激的な味付けを気にする様子もなく、残っているスープを一気に飲み干した。
「そして次にわたしの前に現れたときには、彼女はすっかり『水使い』の力を使いこなしていたわ。ただし、かつてわたしが使っていたような明るく生き生きとした力ではなく、じめっぽく陰鬱な力に染まってしまっていた。生きていたのは幸いだったけれど、わたしの情けは少しも役にも立たず、彼女は見事に悪に染まってしまっていた。自分を責めたわ。見る目がなかったのだと」
それまで自分の語りに没頭するかのように、何もない場所を見据えて話していたオミリアが、顔を上げて夏季と目を合わせた。
「でもね、夏季、あなたがわたしを救ってくれたのよ。オミリアに勇敢にまっすぐ立ち向かってくれた。『水使い』本来の力を彼女に見せつけてくれたわね。彼女は間違っていたのだと示してくれた。だからわたしはためらいを捨ててオミリアに引導を渡すことができた」
陰鬱なじめっとした水の洞窟の中で、もうダメだと思った時に颯爽と現れたカイハは、圧倒的な力でオミリアの心臓を凍らせた。
そしてラートンにけしかけられたわたしが、偽物の『水使い』だったオミリアを砕いた。
『水使い』の力が自分の身体中に流れ込んだときの、あの高揚感。
忘れられない。
でもそれも一瞬の出来事だった。
その直後にわたしはオミリアの怨念のような呪いに苦しむことになり、それをやっと消し去ったと思っていたら……。
今度は背中に黒い羽が生えた。
こんなこと誰にも言えない。
きっとみんな驚く。
軽蔑の目で見る。
「ごめんなさい。自分のことばかり話してしまって」カイハが微笑んだ。そして心配そうに、眉を下げて、夏季の顔を覗き込んだ。「でも。あなたは今日はまだ話す気にならないようね」
「そんなこと……」夏季はつぶやきながら、顔を上げなかった。
「わたしでなくても、誰かに話せることを願っているわ」
誰かに、か。
……おや?
そういえば、ラートン隊長には話したんだっけ。
話すばかりか、背中を見せて……。
急に顔が熱くなり、顔をぶんぶん振った。
「どうしたの? よくわからないけれど、元気が出てきた?」カイハがおかしそうに笑っている。
「元気は、あまり出ないけど、ちょっと変なことを思い出してしまって」夏季は火照った顔の温度を確かめるように、手を頬に添えた。片方の手にあるスープの器はもう冷め切っていて、自分の体温の方が勝ってしまっているように感じられた。
「可笑しいわね、夏季。さあ、皆もう寝支度を始めているわ。わたしたちも寝ましょう」

決して広くはないキャンプで雑魚寝に近いので、少し見回せば全員の姿が目に入るのだが、寝転んで横向きになった視線の先にはちょうどラートンの背中が目に入った。胸の高鳴りを感じているといつまでも寝られそうにない心地がしたが、終日歩みを進めた疲労により自然にまぶたが落ちた。

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