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火蓋

第二章/目覚める力

心のどこかにかすかな不安はあったし、それは決して消えることなく淀みのように奥底にこぞんでいたが、日々の何気ない暮らしは優しくて、明るくて、忘れそうになるくらいに表面上は平和な日々が続いていた。だから突然のことに、誰もが驚いて、慌てふためいて、悲鳴をあげた。
巨大な雷がセボの城下町に落ちたとき、自警団の何人かは日課で決められたパトロールの最中だったため、街の異変に気付いて直ちに情報伝達を行なった。被害があった場所は2箇所だった。雷は街の人が待ち合わせや約束事、憩いのために集う小さな広場の噴水のあたりに落ちた。吹っ飛んだ彫像の頭部が直撃した商店が半壊した。
街を見渡せる高い建物で壁の補修をしていた者の証言では、巨大な爪の長い手のような形が、その一帯を覆い掴むように見えたということだった。その本人も爆風に煽られて足場から落ちたのだが、落ちた場所が幸い草地であったために重症ではあったが命に別状はなかったのだという。しかし広場にいた幾人かが命を落とした。

「なんのためにいるんだろう、俺」
落命した人々の家族や友人たちが泣き叫ぶ姿を横目で見た哲が陰鬱な顔でつぶやいた。
恰幅のよいパパスが、隣にいる哲とカウジの頭に、大きな手を置いた。
「根本を断つためだ。こういうことを企む奴を倒すためさ」
もしもあの雷がユエグの家に落ちていたら?
一瞬でユエグ一家の誰かが命を落としていたら?
そんなことが起きてはならない。
恐ろしい考えから、足元が地面についている感覚が消えていく。
遠のきそうになる意識の中で、走り寄る足音が耳に入って、哲は我に返った。
「哲! 無事だったか……」俊だった。「明日にでも発つとラートンが息巻いてるぞ」
「俺だってそのつもりだ」哲は悔しさに顔を歪めていた。
「倫は魔女の思う壺だと言ってゴネているんが、たぶんラートンが押し切る。城に来てくれ。準備をしよう」
「『使い』としての準備は十分さ。あとは旅支度を抜かりなく、だな」パパスが言った。
哲がパパスの顔を見上げると、パパスが穏やかな顔で見下ろしていた。
兵士の訓練の賜物で日に焼けていたのだが、哲はさらに艶やかによく日に焼けていた。体つきも少し、たくましくなったようで、まるでパパス・ユエグの小型版だった。
「交通整理のアルバイトでもしていたみたいだな」俊が哲を頭の上からつま先の下までじろじろ見ながら言った。
「似たようなものかも」哲が答えた。「毎日毎日、畑仕事を手伝っていたから」
パパスは本気で鋤の手ほどきをしていたのだったのだ。
しかし果たしてそれで『風使い』としての力はついたのだろうか?
「もちろんそればかりじゃないよ。畑が終わった後とか、手が空いたときにはちゃんと稽古をつけてもらったさ」哲が困り顔で笑った。「あとはカウジの遊び相手か」

「お兄ちゃん……」カウジが泣きそうな顔で哲を見上げている。哲は優しく微笑んだ。
「行ってくるよ」引き止めたい気持ちを隠そうとしない少女の素直な様子に、少しだけ後ろめたさを感じながら、哲は言った。
「負けないでよ」カウジは眉を上げて威勢良く言ったが、目に溜めた涙と赤い鼻、かすれた声が、余計に健気な強がりだと思わせた。
「ありがとう、カウジ」哲はさわやかに笑った。
「城のことは任せておけ」パパスがごろごろと地鳴りのような声で言った。
「パパスさんがいれば安心ですね」哲が言った。
「気をつけて行ってこい。お前さんは大丈夫だ」パパスが深く頷いた。
「ありがとうございます」哲は屈託のない笑顔でそう言うと、俊と共に城へ向かって歩いて行った。

高鳴る心臓の音を意識しながら、夏季は黙々と荷を整えた。
すぐ隣では倫が頭陀袋をいくつも整理していたし、そのまた向こう側では母親の六季がブーツの具合を確かめている。カイハがぶつぶつと六季に話しかけているが、六季は気の無い返事をするばかり、といった様子だった。そのうちつかつかとカイハが夏季の方に歩いてやってきた。
「ついにこの時が来てしまったわね。彼女も……六季も、満を持して付いていくらしいわ」
カイハなりに六季についてこないよう語りかけているようなのだが、聞く耳を持たないようでカイハはお手上げな様子だった。
夏季は、母親のことを引き止めることはとうに諦めていたのだが、カイハの気遣いには応えたいという想いから、六季と言葉を交わすために近くまで歩いて行った。
「お母さん」
六季が無言で、夏季の方を向いた。とても冷めた目つきだが、それは機嫌に左右されるものというわけでなく、ふつうのことだった。
「無理しないでね」夏季が遠慮がちにぽつりと言った。
六季が、突然表情を和らげた。
「あなたらしい言葉だわ」六季は夏季の頬に手を添えた。「言っとくけど、わたしがついていくことで、あなたになにかを後悔させたりしないから」
夏季は唇をキュッと噛んだ。
久々に交わした会話らしい会話だった。たとえ短い言葉でも、母親は相変わらずはっきりとした物言いで、それでいて何にも代えがたい愛情が確かにそこにあることを感じさせる。夏季に有無を言わせない。
夏季は時間をかけて言葉を探したが、決して母親から目線を外さなかった。
「後悔もしたくないし、悲しみたくない。怒りたくない。わたしを困らせる相手は魔女だけで十分だからね」
少し声が大きくなり、倫やカイハも顔を向けたが、すぐに自分たちの支度の作業に戻った。
「さすが『リーダー』。頼りにしてるわよ」
六季はニヤリと笑い、夏季の肩に手を置いた。

「ねえ、返事はまだなの?」
「それよりも。これからもっと被害が出る可能性が高い。予算を上げる方針ですのでご了承ください」
ラートンは書類の束を持ってベラ王女の居室を行ったり来たりしている。
「ねえったら!!」
ベラの声が大きくなった。ラートンはピタリと立ち止まった。
「いいかげんにしてください。差し迫っている状況だと何度言ったらわかっていただけるのですか」
ラートンの口調に怒りが滲んでいた。
「きちんとした返事をしない方が悪いのよ。王女の求婚をなんだと思っているの。軽んじてただで済むとお思いなの?」
「煮るなり焼くなり好きにしてください。いずれにせよ危機を乗り越えなければ婚約どころの話ではなくなるということがわからないのですか?」
「つまり。断るわけではないということなのね?」ベラの顔が華やいだ。無邪気だった。
ラートンは書類で顔を覆って大きなため息をついた。
わかってもらえない。
「例えば今ここでイエスなりノーなりの返事をしたとしましょう。あなたは何をされますか? イエスの場合、結婚の準備だと国の危機をそっちのけで家来たちを総動員する。またはノーの場合……怒りにまかせてわたしを幽閉や軟禁しかねない」
「さすがシエだわ。わたくしのことをよくわかっていらっしゃること。それで?」
「どう答えたとしても任務に支障が出る。だから答えられないのです」
「ふうん。仕方がないわね。返事を待つしかなさそうね」
「そうしてください。では、予算の件は了解していただけましたね」
「ええ。好きにしてちょうだい」
ネレーたちをはじめとして王女と直接話をしたがらない大臣や補佐は多い。ラートンがよく交渉を頼まれるのだった。
しかし今日は特に日が悪く、魔女の思惑が読みきれないままでセボを出立しなければならない危機的状況であることと、王女の一方的な想いを受け止めきれずにごまかすしかない苛立ちの掛け合わせで、ふだんであれば多少のわがままでも笑顔のままでかわすところがまるで痴話喧嘩のようだった。
「いつ出立するの?」ご立腹の様子の頬を膨らませたベラ王女が腕を組み、ちらりと横目でラートンの様子を伺っていた。
「もう間も無くです。仲間全員の準備の具合と、天候を見ながら決めます」ラートンが不機嫌そうに答えた。
「すべて『使い』たちにまかせて、生き残って還ってきて。行方知れずはもう嫌よ」王女は声音を変えて、両手に顔を沈めた。
俺も『使い』の一人となったわけだが、気のせいだったのだろうか? まあ、王女には関心のないことなのだろう。
ラートンは王女の仕草に納得がいかなかった。それまでに感じたことがない違和感だった。相手の顔色を伺って、気を引くためにそうしているとしか思えなかった。
「すべてというわけにはいきませんが、彼らは頼りになりますので、大丈夫かと」
ラートンは素っ気なく答えた。

ラートンを先頭に、夏季たち『使い』が後に続いた。持ちきれない食料などを背負わせる馬を一頭余計に連れてきて、俊が手綱を握っている。
「ほんとにあんたで大丈夫なの? 途中で手綱を放したりしたらみんな飢え死になんだからね」倫が俊の隣で詰問している。
「あたりまえだ! 俺が飲んで食って寝てただけだと思ってるんだろ!」俊が自信満々で唾を飛ばしながら倫に答えている。
「違うの?」倫がこれ見よがしに真面目くさった顔で言った。
「お母さんマジで付いてくるのか?」哲がおびえた様子で涼しい顔をした六季の方をチラチラと見ている。
「好きにさせてあげて」夏季が面倒くさそうに言った。
いざという時はカイハが制御してくれるはず。
それができない状況になったら?
夏季は首を横に振った。
わたしが自分で言ったんだ。困る相手は魔女だけで十分だと。信頼するしかない……。
「気を引き締めろよ。未だに遠足気分とは大した度胸だな」
ラートンが大きな声で言った。
にぎやかな隊列は、急に静まりかえった。
ラートン隊長の機嫌はとても良いとは言えず、振り返ろうという素ぶりすら見せないその背中だけで皆を黙らせるには十分だった。
城下街を出る門までの道には多くの人々が見送りに出ていた。
門のそばまで来ると、見知った顔が増えてきた。
「頼んだぞ」イルタが手を振っている。そのそばにはアレモやウォローの姿もある。それに酒場のユニをはじめとした自警団のメンバーの顔も見える。
「夏季、六季を頼んだわよ!」ユニがよく通る声で声援を送っている。夏季は驚いてから、笑った。ふと母親の方を見ると、困ったように笑っていた。夏季は母親の自然な笑顔を見て、ホッとした。
「ユニさんも、街を頼みますね」夏季が負けじと、ユニの方に声を掛けた。
「安心して行ってきてくれ」アレモが手を振っている。
「まあ、ここには大勢いるからな。なんとかなるだろ」ハリル副隊長が呑気につぶやいている。

喧騒を尻目に、ラートンは王室棟の方に目を向けた。
窓辺でベラ王女がじっとこちらを見つめている。
窓に添えられた手は名残惜しそうにガラスの表面に触れている。
ラートンはしばらくそんな王女と目線を合わせていたが、やがて何かを振り切るように、前を向いて歩みを進めた。

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