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純白と漆黒

第二章/目覚める力

尋ねることができないでいた。
「何か話していないことがあるんじゃないの?」
そう質問することが怖かった。
ようやく魔女とオミリアの呪いを克服して晴れやかな気分になれたというのに。
気にしすぎだろうか? たかが「闇使い」初心者の、不器用な攻撃を受け止めた結果だ。数分もなかったわずかな間に、昏倒して幻覚を見させられただけなのだ。特別な意味などないに決まっている。
であれば、母のあの表情は何なのだ? 夏季が見た幻覚の内容を母が知るはずがない。ならばなぜあのような恐怖に満ちた視線でこちらを見ていた?
夏季の気分は沈んでいく一方だった。首の痣は消え失せているので暗闇に引きずり込まれるような苦しみに蝕まれることは、もうない。それだけが救いのように感じられたが、これでは痣があろうとなかろうとそう変わらないのではないだろうか。ドクラエの実を入手したことで全てが解決して幸せになれるかのような気持ちになっていたのだが、生きている限り、苦しみが無くなることはないのだと思い知らされたのだった……。
夏季が回廊で立ち尽くして、両手で顔を覆っていると、ポンと肩を叩かれた。振り返ると、倫がケロっとした顔で立っていた。
「あいつなんなの?」
開口一番、顔を歪め、因縁をつけるような口調だった。夏季は戸惑うよりも、自分の悩み事に夢中で「はぁ?」と聞き返すことさえしなかった。倫は夏季の反応には構わず、ここにはいない者に対する不満を述べた。
「あのスカした男の話よ。けっきょく訓練の時間の中で『闇使い』の力を制御しやがったでしょう。そんなに補習が嫌なわけ?」倫は奥歯をギリリと擦り合わせた。「ところで夏季は大丈夫なの? だいぶひどくやられていたじゃない」
「大丈夫……」
「そっか。それならよかった」
夏季は倫の言葉を反芻しただけなのだが、倫はそれを返答と受け取ったようだった。
「さすがね! あんたやっぱり丈夫だわ。最近までの痣の呪いだって、ふつうだったらメンタル病んでダメになるでしょ」
「大丈夫じゃない……」夏季は眉をひそめ、神妙な顔で、斜め下を見つめていた。
「大丈夫じゃないの?」倫が驚いたように言って、首をかしげた。「そういえばあの後上の空だったわね。何かあったっけ?」
「背中が」
「倒れるときに強く打ったんでしょう」
「そうじゃない!」
夏季は大きな声を出した。周囲の人々がチラチラと振り向いて通り過ぎていく。倫はあっけにとられた様子で夏季の顔をポカンと見つめていた。
「やだ。よっぽど何かあるってこと? 痣が消えたばかりなのに災難ね……」倫が眉をひそめた。
「わたし、呪われてるのかな」消え入りそうな声で夏季がつぶやいた。
「六季さん……お母さんの様子も変だったけど、なにが一体どういうこと?」
ただのゴシップ好きの不真面目な人間ならば六季の反応までは見ていなかっただろう。夏季は少しホッとした。倫は倫らしく気を配っているようだった。少しだけ寄りかかりたい気分になった。
「嫌な予感がするんだ。お母さんが動揺するとしたらいつでもお父さんのことだよ。わたし、もしかして……」
「ねえ、余計な悩みを増やすよりはさ、直接聞いた方がいいって。確かにお父さんは亡くなったかもしれないけど、お母さんは生きていてしかも今は幸い近くにいるんだよ。これはもう話をしなければバチが当たるくらいの巡り合わせだからさ!」
倫はノリノリで話しながら、目は真剣だった。
そうかもしれない。母はいい顔をしないかもしれないが、まずは本人に訊くことだ。その結果、母の機嫌を損ねようとも。

バルコニーの手すりに腰掛けて、遥か彼方の山々を見ていた。ずっと眺めていると、なんとなく見覚えのある景色のように思えなくもない。たったの2、3年くらいの期間しか滞在しなかったはずなのだが。
「お母さん」
そう呼ばれて振り向いた。
夏季と、隣には「雑草使い」の倫がいる。彼女はためらっている様子の夏季の背中に、そっと手を添えた。
本当に、頼りになるいい友人ができたようね。
六季は少し顔を緩めた。
「わたしになにか話していないことはない?」
夏季の声は小さくはなかったが、少し震えていた。顔つきも不安げで、恐れていた。まさか娘からそのような目を向けられるとは。いや、初めてではない。ずっと以前に、まだ幼く無邪気な娘の口から「パパ」という言葉を聞いたときに、「二度とその言葉を口にするな」とひどく声を荒げたときのことは、忘れられない。母の顔をポカンと見つめた後で、涙が溢れ出すままに大泣きした娘を、たまらず抱きしめて、何度も謝った。六季も涙をこぼした。母と娘の二人きりの1ルームのアパートで、娘の保護者は母である六季しかいない、そのことを思い出して懺悔した。存在しないと確信しているはずの神様に向かってめずらしく祈った。わたしを赦してください、と。
回想からふと顔を上げて、娘の顔を改めて見た。

六季は涼しい顔をしている。その目つきはあまりにも落ち着いていて、冷たさすら感じるくらいだった。真昼のおびえたような態度の方がまだ感情的で自然であった。夏季は逸らしたい目をぐっとこらえて母の目を見つめ続けた。
「ないといえば嘘になるけど、今ここでだらだらと話すつもりは毛頭ない」
六季が発した言葉も、その口調はとても落ち着いていて、有無を言わせない冷徹さがあった。
「あなたたち。リカ・ルカの山に行くでしょう? わたしももちろんついていくわ」
六季が言った。胸を張り、堂々としている。
夏季と倫は顔を見合わせた。
この人は何を言っているのだろう?
「六季」
深く、落ち着いた声が背後から発せられた。六季、夏季、倫は、声の主の方を同時に見た。
バルコニーの入り口にカイハが佇んでいた。
その姿に六季は身構えるように身じろぎして、顔を強張らせた。
「安心して。むげに止めようという気はない」
「そう。それは安心したわ」
そこは止めるべきでは?
夏季は眉を上げてカイハの方を見た。カイハは夏季の方を見ようとはせず、六季と見つめ合っていた。
「わたしが責任を持つと、パソンには伝えてある」カイハが小さなため息混じりに言った。
「そう」六季が短く答えた。
「下手な真似はしないことね。わたしがあなたを殺さなければならない羽目になる」
夏季はますますカイハの方に身を乗り出していたが、カイハは夏季の方を見ていなかった。
「なるほどね。どうぞよろしく」
六季は歩き去った。六季とカイハを交互に見てオロオロと戸惑っている夏季の横を、素通りした。
六季の背中が壁の向こうに消えると、夏季はカイハのもとに駆け寄った。カイハの腕に手をかけて揺さぶった。
「カイハさん! 何を言ってるの?」夏季は顔を歪めて言った。
「夏季。彼女は何かを企んでいる。それはパソンやラートンも把握していることよ」カイハはようやく夏季の方に顔を向けた。
「だったら……ルゴシク山に行かせなければいいじゃない!」
「今のところ、確たる証拠はないのよ。だから泳がせる」
「そんな……どうして……」
夏季はカイハの丈の長い衣服にすがったまま、その場でズルズルと膝をついた。
倫は何も言わず、夏季の震える両肩に手を置いた。
「彼女は誰にも止められやしない。ただごとではないのよ。聞いて、夏季」カイハが言葉に力を込めた。
「なに?」夏季は赤い目でカイハを見上げた。
カイハは夏季を真っ直ぐ見つめ返した。
「六季はかつての『氷使い』としての力をまだ使用している」
「なんですって?」倫が口を挟んだ。眉毛がつり上がっている。「なんのために?」
「それがわからないのよ」
夏季は両手で顔を覆った。
わたしは知っている。見たんだ。昼間の短い幻覚の内容は事細かに覚えている。橙色の土の山の上にある洞窟の奥。巨大な氷のかたまり……。
少しも意味をなさないことを望んでいたのだが、それは叶わないようだった。

「ほんとうに、いやらしいやつだな、おまえは」ハリルがタバコの煙をラートンの顔に吹きかけた。
「最善を尽くしたまでだ」ラートンは顔をしかめた。
「負けず嫌いなだけだろ。倫にあんなこと言われて火がついたクチだろ? えぇ?」
「関係ない」ラートンはかぶせるようにして、即答した。
「ほらな」ハリルが笑った。
二人は『使い』たちの訓練の後は、二等兵たちの訓練を一通り面倒を見て、昼食に向かう前に手洗い場に立ち寄ったところだった。
「ところで、どうして夏季が攻撃を受けたんだ?」ハリルが聞いた。
「わからない。わたしがあのとき発動したのは『漆黒』だったと思う」ラートンが首を横に振った。
「そりゃあえらいこっちゃ」ハリルはタバコを手からポロリと落とした。
「ああ。ここだけの話にしてくれ」ラートンがハリルの顔を見た。
「それに、あのときの六季の顔。見たか?」ハリルはタバコを拾い、吸殻入れに仕舞った。
「ああ」
「聞いたか? カイハがパソンに直談判したそうだ。六季の同行を」
ラートンがこくりと頷く。
「いよいよきな臭くなってきたぜ。カイハにしてみれば六季の一挙手一投足が怪しいんだとよ。ひょっとして魔女とつながっているのか?」
「あるいはそれ以上か」
「マジかよ」ハリルは腕を組んで、窓の外を見た。
「わたしもカイハとはずいぶん前から話をしている。それこそ荒野でゆき倒れる直前のことだ」ラートンも、窓の外を眺める。中庭では、城の従者たちがせわしなく往来している。
「そりゃあマジもんだな。そんなに前から匂っていたわけか」ハリルは視線を落とし、首を横に振った。
「『氷使い』の力を担保にされているようなものだ。泳がせるしかない。ヘタに手を出せばどう転ぶかわからないし」ラートンが言った。
「過去の『使い』に指導が仰げるとか言って喜んでる場合じゃなかったな。なんて厄介なんだ……」ハリルは制帽に手をやり、くしゃっと拳を握った。「夏季もタダでは済まないもんな」
ラートンは返事をしなかった。
「母親になにか起きて心が折れて戦線離脱というのは避けたいよな」ハリルがため息をもらした。
「果たして、彼女にとってはなにが最良なのか」ラートンがぼそっと言った。
「おや。優しいな」ラートンの方を向いたハリルの顔は、少し明るくなっていた。
「さすがに乗り越えるべき壁が多いような気がしてな」ラートンは相変わらず窓の外を眺めている。
「お前が言うか?」ハリルが少し笑った。
ラートンがフッと微笑んだ。
「一人で越えるのは難しくとも」ラートンが言った。
「仲間がいればなんとかなる。かな?」ハリルがウインクする。
ラートンが、冷たい視線を浴びせた。
「礼は要らないぜ」ハリルがラートンの前に手を差し出した。
「覚えがない」ラートンが眉をひそめてその手を見つめた。
「ユーモアの提供」ハリルがニカッと歯を出して笑った。
「おもしろいと思ったことは一度もない」
スタスタと歩き去るラートンの周りを、ハリルは蝿のようにまとわりついていった。

「あなたのような人を前にしたら、俺なんかが『風使い』だなんて……」
昼間の訓練のこともあり、哲はパパスの隣の席で食事をとっていた。パパス・ユエグが歴代最強クラスの「風使い」であったことを聞いていたし、いざ会ってみれば見た目だけでなく人間としての器も、その大きさに敵わないという想いを抱いたのだった。パパスが大口を開けて豪快に笑った。
「何を言っているやら。聞いた話だと、お前さん、たいそうな『黒』からこの城下街を救ったそうじゃないか。それだけの大きな仕事を成し遂げておいて自信が持てないなら、他の誰だって不可能だと思うが?」
「お兄ちゃんすごいんだね」パパスの隣でカウジが瞳を輝かせている。
カウジの羨望のまなざしにまんざらでもなく哲はへらへらと頭の後ろを掻いていた。しかし急に、哲の表情がこわばった。パパスが哲の視線を追うと、夏季と、ラートンが食事のトレーを手に何やら話している。昼間の決闘のことでラートンが夏季の体調を気遣ってのことだろうと、パパスには察しがついた。ラートンは夏季の顔色を伺うように、控えめに彼女の顔を覗き込んでいる。夏季は夏季でなにか心配事でもあるのかずいぶん暗い顔をして、あいさつもそこそこに、先に座った倫の近くへと立ち去った。同じテーブルにはカイハも着席していて、ラートンと目線を合わせて首を小さく横に振って見せていた。ラートンはしばらく夏季の背中を見つめてから、別の方向のテーブルに向かい、一人黙々と食事を始めるのだった。
「深入りするな。やめておけ」
パパスの声に、哲はハッとして振り向いた。
「ずいぶんおっかない顔してたぞ。気持ちはわかるけどな。痛いほどに」
パパスは暖かい微笑みを浮かべて哲を眺めていた。
哲はバツが悪そうに目線を外して、テーブルで握りしめている自分の拳を見下ろした。
「すまんとは思うが、誰が見ていたってわかる。君がどれだけ彼女に気持ちを傾けているのかは」
パパスのゴロゴロという低い声に、哲は頷くことはなかった。
「でもなあ。こっちが想っているだけじゃあ彼女は幸せになれんのだ」
「頭ではわかっているんです。それでも俺は……!」
苦しげな表情で、哲が言った。
今度はパパスの顔が険しくなった。
「だったらこれもわかるな。夏季の心は微塵も君に向いていない。残酷だが。諦めろ」
それから哲は不機嫌そうな顔で黙って食事を済ませ、パパスとカウジに軽く会釈をすると食堂を立ち去った。
「やれやれ。いい子なのはわかるが今の状況では危なっかしいな。遠征でも真っ先に操られたらしいからな……」
「『風使い』のお兄ちゃんもあたいと同じ片想いなんだね」
「うん? おう。仲間だな」パパスはカウジのふわふわの頭をぽんぽんと叩いた。「たいていの人間は片想いさ。想い合えるなんて奇跡みたいなもんだ」
「そうなの? がっかり」カウジが頬を膨らませて、デザートのゼリーを口に入れた。それから少し首を伸ばして、ラートンの方に熱い視線を送っていた。「それじゃあ、お父ちゃんとお母ちゃんが結婚したのは奇跡だったんだね」
「そうだな。そういうこった」パパスは低い声でつぶやくと、優しく微笑んだ。

「『純白』は黒いものを消し去る力。『漆黒』は黒い存在に攻撃する力。つまり『闇使い』の力はふつうの人間にはあまり意味がないのよ」
倫が食堂で語った知識の切れ端が頭の隅から離れない。
脱衣所の鏡には、青白い自分の顔と、衣服を脱ぎ捨てて現れた骨ばった鎖骨が映し出されている。
ラートン隊長の攻撃を受けたわたしはいったい何者?
夏季は自分の顔を睨みつけていた。
背中を手で探った。昼間にひどい痛みを感じた場所は、今でもはっきりと思い出せる。ふと、硬い発疹のようなものを探り当てた。虫刺されにしては固く突き出しているのが気になって、それを指先で探った。小さなイボのようにポロリと取れるものと予想したのだが、意に反して根のようなものを感じた。人差し指と、親指の爪の先でそれをつまんだ。ずるずると、何か細い糸のようなものが出てくるが、痛みは感じなかった。
引き抜いた細いモノをしげしげと眺めると、それは無数の毛羽をまとっている。小さくて繊細な毛羽をゆっくりと広げていくと、黒い羽の形になった。だらりと力を抜いた手から離れた羽は宙に舞い、ふわりふわりと左右にスイングしながら、やがて床に着地した。

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