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閑話・とある文官の昼下がり

第二章/目覚める力

わたしの名前はネレー・ドゥーラ。優秀な若手の文官だ。書類の間違いなど一切ない。上司の指示も的確に理解して、任された職務を卒なくこなす。そんな天井を極めたような秀才のわたしであるが、尊敬できる相手として不足ない類い稀な人間が何人か存在するから、紹介しようと思う。

まずは、シエ・ラートン。彼は若くして二等兵隊長を務める手練れの剣士。しかもその上優れた容姿と明晰な頭脳まで与えられた奇跡のような人間だ。軍部としてはめずらしく文字や文章をきちんと理解できる人間で、文官との交流を持つ機会に恵まれたおかげだろう。政務部の人手が不足すれば助っ人として頼られることもあるくらいの、なかなかに才能豊かな人物だ。セボの宿舎には同じ頃に入舎したのもあり、わたしたちはお互いをライバルとして意識し合っている。まあ、向こうは少し恥ずかしがりやで、あまりわたしの顔を直視できないようだが。理解できる。自分が非常に優れていると、周囲の人間が同じ生き物のように思えない気持ちが。
このようにわたしたちは人間としてあらゆる面において拮抗しているわけだが、ひとつわたしより優れている面があるとすれば、彼は並外れて人望が厚い。人格的にはわたしの方がまともであるにも関わらずだ。最近やっと理解できるようになったのだが、彼はひたむきにセボを想い、国のためであれば何よりも強くあろうとする熱い人間だ。明るい感情に乏しく時に暴力的だというが、それもすべてはセボを想う気持ちが強いからこそ。だから彼は荒野から生還したのだ。そのような人間を尊敬しない人間などいない。わたしも例に漏れず。悔しいが、認めている。

次に、咲田倫。彼女は異世界からやってきた。異世界の人間は我々が扱う文字に疎いはずなのだが、いつの間にかセボの言語を完全にマスターしてあらゆる文書を読み漁っている。四六時中本を開いて読書を邪魔する人間に対してはひどく攻撃的になってしまうために、今は亡き人となってしまった軍師にすら恐れられていたのだが、すでに文官として周囲に認められている。文官としての仕事も完璧にこなしながら、時折ユニークな考え方で周囲の度肝を抜く。下手すれば奇抜な考えというだけで終わるのに彼女のアイディアは常に役に立つものばかりだ。こうも異質で優秀な人間というのはそうそう現れるものではない。我々政務部は貴重な人材を手に入れたと言えるだろう。

最後に、ピルツ財務大臣兼政務部長だ。
実質は文官たちの長であり、わたしの直属の上司でもある。わたしの仕事ぶりは彼から叩き込まれた。思えば新入りの頃からわたしの類いまれなる才能を見込んで早いうちから様々な仕事を経験させてくれた恩人だ。そして誰をも黙らせ丸めこむ話術。わたしはまだまだ彼から学ばなければならないことがたくさんある。
……しかしだ。わたしは近頃この方の態度を歯がゆく思う機会が増えた。それはおそらく、わたしがあまりにも優秀で、もはやピルツ氏をも追い越そうとしているからに違いない。出る杭は打たれるというから、この思惑を悟られまいと努力している。今この時も、ピルツ氏に頼まれた書類を持って彼の書斎に向かっている最中であるからして、わたしはできる限り謙虚に見えるように振舞わねばならないプレッシャーから、少しばかり緊張している。

「おい」
突然声を掛けられてネレーが振り返ると、そこには二等兵副隊長ハリルの姿があった。いつもと変わらず毎日剃らない無精髭でタバコをくわえた口元は少々だらしない。肝心のタバコはすでに火が消えており、噛みすぎてペシャンコだ。軍隊用の制帽は傾き、ズボンは少し下の位置にずらしてあり布地はクタクタ。一度だってアイロンをかけたことはあるのだろうか? そのような神器の存在すら知らないのかもしれない。
まあ無理もない。晩年独身をつらぬくと宣言した世にも珍しい宿舎の寄生虫のような男だからな……。
ネレーは、軍部と多少打ち解けたとはいえ、ハリルに対してはそのビシッと引き締まらない見た目から苦手意識を持っていた。
隊長であるシエとのこの雲泥の差はなんだ? まあ、シエ・ラートンのような人種が軍部にいることの方が奇跡なのだと思えば筋は通るのだが。
「何の用でしょうか?」
ネレーは顎を突き出して、目を細めて言い放った。
「そんな身構えるこたぁねえだろう。初対面じゃあるまいし」ハリルは苛立った様子で言った。「あのなあ。さっきから気になっていたんだけどよ……」
ハリルがずずいと間合いを詰めてネレーの顔を睨み上げた。タバコと酒の匂いに、ネレーはむせ返りそうになった。
「ボタン掛け違えてないか? 裾の長さが合ってねえぞ」
ハリルはそう言って、ネレーのシャツの裾を掴んでピンピンと引っ張った。
ネレーがうろたえ、後方に飛びのいてからシャツの裾を両手でつかんで、驚愕の表情を浮かべた。顔色は真っ青だった。
「あんたおもしれえなあ。ぜったいわざとだろう、そのリアクション」ハリルが大笑いした。
「ていうかさ。そんなにツンケンしてるから今ここで俺が言うまで誰も言い出せなかったと思うぜ。どうだ? 俺ともっと仲良くなろうぜ? 俺はそういうの気にしないでズケズケものを言えるタチだからさ、ダチになろうぜ」
取ってつけたように無駄に韻を踏んだ自分に、ハリルは大変満足そうに頷いている。
「か、感謝はするが、今日はここまでだ! 勘弁願う!」
うろたえた。よりにもよって身なりのだらしなさには定評のあるハリルという男から身だしなみについて指摘されたのは屈辱でしかない。ネレーは顔を赤くして、走り去った。
「あいつといい、ラートンといい、もうちょっと力抜けばいいのにな。俺みたいに。あ、力抜きすぎかな!?」
ハリルはがははとひとり笑い声をあげて立ち去った。

ネレー・ドゥーラは息も絶え絶えにピルツの書斎の前まで来ると、心を鎮めようと、ひとつ、深呼吸をした。
落ち着け。シャツの裾がなんだ。よりによってあのハリルに指摘されて動揺を隠せなかったが。
扉をノックしようと拳を上げたとき、書斎の中から話し声が聞こえてきた。
誰か先客がいるのか?
ピルツの笑い声と、老人の声? おじいさんというよりは、おばあさんのように思えるが……。
話し声は突然ぴたりと止んで、書斎の中からは声はおろか物音すら聞こえなくなった。
わたしが来たのに気付いて静かになったとしか思えない。
ネレーは背筋に寒気が走るのを感じた。
「誰だ?」
書斎の中からピルツの声がはっきりと聞こえた。
ネレーは少しためらってから、ドアをノックして、口を開いた。
「ネレーです。書類をお持ちしました」
「入れ」
ピルツの返事を聞いて、ネレーは書斎の扉をぎいいと開いた。
机の向こうにはピルツが一人、大臣に似つかわしく、磨かれて黒く光る重厚な椅子に座っていた。
「……誰かいますか?」ネレーが扉を閉めるなり言った。
「わたし一人だが。どうかしたかね?」ピルツははてと、首を傾げた。
「ご老人の声が聞こえたように思ったので」ネレーがごくりと唾を飲み込んだ。
「ご老人とはわたしのことであっているかな?」ピルツがにやりと笑った。
「決してそういうつもりでは……」ネレーがたじたじと手を振って否定した。
「まあよい。無意識の独り言がダダ漏れだったかもしれない。それで。それが書類かな?」
ネレーは、力んだ手の中で少しシワが寄った紙の束を差し出した。
「はい。仰せのとおりに揃えましたので」
「ほんとうに君の仕事は早くて正確で助かる。あまり軍部に肩入れしてこちらの仕事が疎かにならないようにな」
「もちろんです。わたしの誇りは第一にあなたの部下であることですから」
キッと口元を結んでネレーが言った。
しかし、心の中では僅かな疑問が頭をもたげる。
本当の第一は、わたしにとって最も大切な信念はなんだ? それは城に仕える者として、民のためになること。想いを同じにしているのなら、それは政務部とか軍部とかいう区分けは関係なくやっていくのがわたしの求める理想……。
「どうかしたのか?」ピルツが確かめるように、ネレーの顔を覗き込んでいる。
「いいえ。何も問題はありません。では、失礼致します」ネレーは丁寧に会釈して、きちっと踵を返し、書斎を出て行った。

それまで朗らかな微笑みを浮かべていたピルツは、ネレーが書斎を後にした途端に目を細めて、奥歯を噛み締めた。
「ふん。軍部にほだされおって。余計なことを考え始めたな」ピルツは眉間にしわを寄せてきっちり閉められた扉に向かって言い捨てた。「筋はよかったんだがな。信念まで操ることはできない」
「屈服させればいいではないか」姿はないが、はっきりとしたしゃがれ声が言った。
「品がない暴力は嫌いなのだよ」ピルツがフンを鼻を鳴らした。
「口から出まかせで人を操るのも決して上品な行いと言えないと思うが?」しゃがれ声が言った。
「人のことを言える立場か。貴様も似たようなものだろう」ピルツは天井のあたりを睨みつけた。
「言うねえ。否定はしないがね」しゃがれ声が明るく言った。「それで、地下牢のやつらは使える状態なのかな?」
「もちろんだ。わたしが至れり尽くせりで元気づけてやっているからな」ピルツが顎を突き出して言った。
「『軍部が生意気だ』という理由だけでわしに手を貸すなど正気でないな。おそろしい」次第に語尾がすぼまっていき、それきり声は聞こえなくなった。
「光栄だな。貴様のような悪魔に褒められるとは」
ピルツがなおも語りかけたが、返事はなかった。
「行ったか」
ピルツはそうつぶやいて、小さなため息をついた。

ネレーは下を向いて歩いていた。
「ネレーさん。どうしたの?」
ネレーは明るい声に顔を上げた。
「ああ。夏季さんじゃないか」
痩せ型の背の低い少女はサンドイッチを片手に食べ歩きの最中だったようだ。もぐもぐと口を動かして、よくよく見れば、口の周りは茶色のソースの類で汚れている。
「元気ないなあ。これ食べる?」
口をつけていない一切れのサンドを差し出してきた。
「あいにく腹はいっぱいなんだ」
ほんとうは、胃の中はちょうど良い具合だった。満腹でもないし、空腹でもない。
「じゃあ、一口だけ食べてみて。クコさんのまかない飯、貴重だよ」
ネレーははっと目を見開いた。
「それは確かにめったにありつけないな。夏季さんは特別扱いだもんな」
コックのクコは大変気難しいことで有名で、部下の調理人も定着するまでに何人も辞めていくのが通例なんだとか。それは幹部レベルの文官たちも似たような環境ではあるが、調理室の長の場合はとにかく口数が少ないところがネックであるようで、長の意図を汲み取ることはセボの城の中でも最難関とされるレベルなんだと聞く。なるほど、彼が監修する食事は非の打ち所がなく、食堂に集まる兵士や従者たちの顔の穏やかなこと。おいしい食事が保証されていて、1日の中で最も幸福な時間を過ごせることが約束されているからだ。それは、間違いなく、コックのクコの力量に依るところなのだ。
そんなクコからおいそれとまかないを分け与えられる夏季という人間はいったい?
「食べたらきっとびっくりするから。どうぞ」
夏季の押し売りを断りきれず、ネレーはサンドイッチを受け取って、一口ほおばった。
「美味しい……」
ネレーは感動した。思えば、忙しさにかまけてこうしてじっくりと食べ物を味わう機会も少ない。一口だけのつもりだったのが、もう一口、もう一口と、あっという間に平らげてしまった。
「わたしが分けてあげたこと、クコさんには秘密だからね」
「まいったな。食べ物がこんなに美味しかったこと、しばらくなかったような気がする」
「それよくないと思うけど。仕事のがんばりすぎじゃない? あまり無理しないでね」
そう言い残すと、夏季はさっさと立ち去った。

無理するな、か。確かに、がんばるのと無理をするのとではまったく違う。わたしはがんばっているだけて決して無理はしていないなどと思いがちではある。たまには彼女のような外野の人間の言葉も聞くべきなんだろうな。
小さな背中を見送って、ネレーはその後ろ姿をしばらく見つめていた。
尊敬するのとは違うが、とても気になる存在だった。
いちばん最初に幹部会議で目にしたときの彼女はとても『使い』のリーダーなど務まるように思えなかったのに。
ラートンのサポートがあったとはいえ、魔女の配下のオミリアを倒し、結果として受けた魔女の『黒』い呪いを耐え抜き、自らの手で『黒』を解く鍵となるドクラエを手に入れたという。
しかもあの堅物でひねくれ者の暴漢シエ・ラートンを手なずけているともっぱらの評判なのだ。確かに彼に意見できる者はそう多くないし、そんなことをしようと思う人間はほとんどいないだろう。彼女のパワーはいったいどこから湧いてくるのだろうか? 大して頭がいいようにも思えない。体つきなど、以前より身長が少し高くなったような気がするが、まだまだ幼く見えてしまう。
しかし頼もしい。
諦めない心の持ち主。
それでいてあの華奢な身体つきだから、つい応援したくなるんだろうな。
そういえばと、ネレーはふと思い出していた。
変な噂を聞いたことがある。彼女が『使い』のリーダーとして選ばれた頃に、こんな話を聞いた。
彼女の母親はリカ・ルカの縁者と近しい関係にあって、それで夏季が生まれたのだと。
そういう噂話があったからこそ最初は皆、彼女を好奇の目で見たり、後ろ指をさしたりしていたんだろうな。
そんな噂話も気にならないほどに、彼女は自分の意思をしっかりと持って、皆の信頼を得てきた。
彼女の出自の真実がどうであれ。
出会ったばかりの頃は『水使い』という立場にも関わらず、彼女の名前など気にもならずに「君」とかなんとか呼んでいた気がするが、今はせめてもの尊敬の想いを込めて「夏季さん」と呼ぶようになったのだ。
何よりも城でいちばん気難しいと目されるラートンやクコ料理長との仲を考えれば、彼女はただものではないわけだな……。
ネレーは一人でニヤニヤと笑っていた。
「さあ、もう一仕事!」
わたしも負けじとがんばらなければと、ネレーは踵を返して回廊を進んでいった。
顔をしっかりと上げて前を見ていた。

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