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鎖と足枷

第二章/目覚める力

高窓から朝日が照らし、いく筋もの白い光が斜めに差し込んでいた。
夏季と哲はラートンと共に群衆の前に登壇した。遠征の目的であったドクラエの収穫をパソン議長が発表すると、会場は拍手に包まれた。その過程で何が起きたかまではその場で語られることはないため皆通り一遍の拍手をするだけだが、頷いている者や、拳を天に挙げている者もいる。夏季は口元が緩むのを止められず、しまいには哲と顔を見合わせてくすりと笑い合った。セボに来てからというものの、朝礼は当たり前の行事となっていたはずだったが、数周期にわたる遠征を挟むことで新鮮さがよみがえって、朝日とともに夏季の胸にじわりと温かさが染み渡った。
玉座に座るベラ王女はやはり美しい。美少女は大人の女性に差し掛かり、色気すらにじませる。淡い水色の、綿菓子のような甘さのふわっとしたロングドレスは、年齢からすると少々幼い選択に思われたが。王女の前に整列して、3人で恭しく跪いて頭を下げた。ベラ王女も厳かに立ち上がり褒美の言葉を順に述べていった。ラートン隊長には小首を傾げて身体をしならせるのに、哲と夏季には素っ気なく徹底して形式的だった。夏季としてはもう慣れたことであまり気にならない。それに以前のような顕著な威圧感というか、あからさまな敵意で嫌な気持ちになることもない。夏季がラートンの補佐的な立場に抜擢されたときのベラ王女のほとばしる怒りに面食らったものだが、今となっては共に並ぶラートンや哲に太くて強い仲間意識があるのが心の支えとなっていた。
そういえば、ラートン隊長はベラ王女のわがままに辟易しているとう話を旅路で聞いた記憶があるが、遠征から帰還した後に二人は言葉を交わしたのだろうか?

朝礼が散会となり人々が散り散りに持ち場に帰っていく中で、夏季はラートンが王室棟の方へ向かうのが目に入った。
「ストーカーの元に自ら向かっていくなんて相当な物好きよね」倫が夏季に声を掛けた。
「ストーカー?」夏季が顔をしかめた。
「または小姑的メルヘンちゃん。ラートンが彼女の側にいない限り、彼の一挙手一投足に目くじら立てて文句ばかり言うらしいわよ。いつ誰とどこにいたのか。その誰かは男なのか、女なのか。そこで何をしていたのか。ふつうだったらノイローゼになって刺し殺してるわ」
「彼女でもないのに?」俊が口を挟んだ。
「びっくりした!」哲が肩をびくつかせて、背後を振り向いた。
「よお。久しぶりだな」俊がさわやかな笑みを浮かべて立っていた。
「あれ、俊。ちょっと太ったんじゃない?」夏季が俊の方を見て素直に言った。
「会合が多くてな。一昨日も出迎えに行けずに悪かったな」俊が意味ありげに眉を上げた。
「ぜんぜん構わない。なにやってるの? 飲み会?」夏季が言った。あからさまに気を引こうとしている相手には、あえて冷たい反応をしたくなる。
「ずいぶん素っ気ないな。少しは寂しがれよ」俊がガクッと肩を落とす真似をした。
「俊に期待しているものが違うっていうか。お出迎えってガラじゃないだろうな、って思っただけ」夏季が言った。
「ほお! しつこくて文句ばかりの女よりはよっぽどいい……」俊が夏季に暑苦しい視線を送った。
「会合ってなんだ?」うんざりして黙った夏季に代わり、哲が興味なさそうに聞いた。
「飲み会みたいなモンだけど中身はちゃんとあるんだぜ」俊がもったいぶるように、含みを持たせてニヤリとした。
「イルタの金魚のフンやってるだけでしょう」倫がボソッと言った。
「否定はできないな」俊がニヤリとした。
「あまり言い返してこないようになって、つまらないのよ、この男」倫がわざとらしくため息をついた。
哲と夏季が声を上げて笑った。
「夏季や哲、それに倫は上層部との仕事が多いだろ。俺が下町とのつなぎ役をやってやるさ」俊がやれやれと肩をすくめた。
「物は言いようだわね。……まあ、実際いい考えだと思うけど。そういえば、最近あなたの姿を宿舎で見かけないわね」倫が言った。
「そういう日も多いな。いろいろ落ち着いたら話すよ」何かを思い出すように、俊は天井を見上げた。
「わたしが知らないところで何か進められるとでも思っているわけ?」倫がキッと睨んだが、俊はとぼけるのをやめない。
「実際知らないだろ。倫、お前はさすがに手一杯だろう。いろいろ手を出しすぎなんだよ」
「気分転換に王室棟に行ってみようか」俊を無視して倫が唐突に言った。
夏季は、倫が言い返さずに終わった会話を聞いたのは、これが初めてのように思った。
「は? なんで?」哲が顔を歪める。
「ベラ王女とラートン隊長の気持ちの温度差を見たい」倫がハキハキと言った。
「おもしろい。ラートンの首には鎖がつながっているように見えるもんな」俊も、顔つきを変えた。先ほどよりもずっと熱意がこもっている。
「悪趣味すぎる。なにもおもしろくないんだけど」夏季が蔑むように俊から倫へと一瞥を投げた。
「俺と夏季ならまだわかるけどあんたら二人はただの野次馬だろ」哲はいつになく冷たく言った。
「ぜんぜん気にならないといえば嘘になるとしても」夏季が小さな声でポソっと言った。
「そうでしょう!?」倫がすかさず夏季の方へ乗り出した。
「だから、倫と俊の野次馬精神は厚かましいって言っているの」夏季が怒り顔で、倫と俊を睨みつけた。
凄まれた二人は揃って驚いた顔をして黙った。哲と夏季は二人をその場に残して、ラートンが向かった方向に揃って歩いて行った。
「小娘が、言ってくれるじゃないか」俊が苦々しい表情で言った。
「ますます観に行きたくなるわね」倫がニタリと笑った。
そして倫と俊は遠巻きに哲と夏季の後ろをついていくのだった。

朝礼の広間よりさらに明るいのは城の最も高い場所にあるからだった。王室棟の回廊で、ベラ王女はラートンの姿を見つけるなり、陽光に負けない明るさで、パッと顔を輝かせた。ドレスの裾を持ち上げると軽やかに駆け寄った。形式的な厳かさを取り払った笑顔は無邪気な少女そのものだった。ラートンに飛びつくと、腕を相手の首にしんなりと巻きつけた。
「よく帰ってきたわ。待ちわびていたのよ」
するとラートンはごく自然に、さわやかに笑いかけた。ベラ王女はうっとりとラートンに微笑み返した。
ラートンは首に掛かった王女の腕をそっと掴んで外した。
「お元気そうで」ラートンが言った。
「怪我の具合はどう?」ベラが悩ましげな顔になった。
「大したことはありませんよ。じきに治ります」ラートンは微笑んで答えた。
「もう外に行かなくていいようにわたしが掛け合ってみようかと思って」ベラがクスクスと笑った。
「それでは、遠征の間に溜まりに溜まった業務がありますので、本日はこれで失礼致します。……また来ます」
ラートンは唐突に会話を切り上げるなり、スッと頭を下げて、踵を返した。
おやと、王女は首を傾げた。

うつむき加減で歩いていたラートンは、向こう側から歩いてくる夏季、哲と鉢合わせた。夏季が軽く手を上げたのを見て、眉根に寄せていたシワが緩んだ。
「こんなところでなにを?」ラートンが口を開いた。さっさと書斎に戻って書類仕事にでも没頭したい。誰にも会いたくないし、話したくもない気分で、ましてやここは王室棟だった。
「余計なお世話だとは思いますが、ちょっと気になって」哲が言った。
「旅の途中で愚痴をこぼしていたでしょう。王女について」夏季も口を開いた。
「愚痴……ね」途端にラートンは目線を外して悩ましげに斜め下を向いてしまった。
「もしかして、悪いことをしたな、とか思っていません? ベラ王女のことを俺たちにこぼしたことを」哲がたたみかけるように、言った。
「そう……なのかもな」ラートンが自嘲気味に笑って言った。
「ほっときなよ、ラートン隊長。悩みすぎるとビョーキになっちゃうよ」柱の影から倫がひょっこりと身を乗り出してきた。
「街に出ようぜ。息抜きも大事さ」俊も、倫の後ろから顔を出した。「俺はむしろ息抜きしかしてないか」
ガハハと笑った俊を、夏季、哲、倫がギロリと睨んだ。
「お気遣いはありがたいが。君たちの手は煩わせるつもりはないから気にしないでくれ」
これで終わりと言わんばかりにラートンはフイと背中を向けて歩き出した。
「いつでも相談に乗るからね!」倫が囁くようにラートンの背中に向けて言った。
「今日はこのくらいで勘弁してやろう……」俊が不敵な笑みを浮かべている。
「何がしたいんだよあんたたち」哲が怒り気味に言った。
「引き時はわきまえているんだね。たぶん、もう少しで剣を抜くところだったよ」夏季が腰に手を当てて言った。
「なんか、簡単に心を開かない分、突っつき回してこじ開けたくなる。それに前よりずっとフレンドリーじゃない?」倫がにんまりと笑っていた。
「嫌味にしか聞こえないぞ」俊が倫の方を見て言った。「なんにせよ明日から『使い』と『元使い』合同の特別訓練がはじまるだろ。ずっとラートンが一緒だ。……その前に予習がしたい。旅の途中のラートンとの会話を一言一句残らず教えるんだ。ヒムラで飲むぞ!」
がっしりと肩に組まれた俊の腕を何度も払いのけようとして、哲が躍起になってもがいている。
ああ、そうか。彼も今や『使い』の一人という扱いだから、指導する立場ではなく共に切磋琢磨する立場になるのか。
夏季はぼんやりと思い出して、奥歯の根っこがかゆくなるのを感じた。

部屋の手前で窓際の花瓶を整えていた召使いのニッキが、部屋に戻ってきた王女に気付いた。今朝方部屋を出て行った王女の様子とだいぶ違い、表情が硬い。うつむき加減で自室に戻る王女の後を、追っていった。いつ何事を言いつけられても対応できるように。
部屋に入るなり、ニッキの横を皿がかすめて壁にぶつかり、粉々に砕け散った。
ニッキはヒイッと悲鳴をあげた。

ベラは動揺していた。皿をつかんで投げた自分の手を見ると、震えている。
会話もなにもない。本当に顔を見に来ただけのようだ。
婚約話の返事はどうなっているの?
角の向こうに歩き去るラートンが気になって、後をついて行った。曲がり角まで来ると、ラートンが男女に囲まれている。『水使い』がなにやら話しかけると、ラートンは彼らと話し始めた。そして皆でやんやと話し込んだあとで、ドッと笑い声が上がった。
何かがおかしい。一部始終を見ていたベラの顔は、次第に青ざめていった。
わたしだけのものだったはずの笑顔を、彼らにも見せるつもりなの?
「どういうことなの? シエはまるで別人のよう。それにわたしとの婚約はどうなっているの?」
ベラ王女の両手はわなわなと震えている。ニッキが何事もなかったかのように、静かに割れた皿のかけらを拾い集めている。
「あいつら絶対に許さない。なにかいらないことを吹き込んでいるに違いないわ」
ベラ王女は自分の考えに没頭するように、口元に手をやって、部屋の中を行ったり来たりしながら、ブツブツと呟き続けた。
誰にも渡さない、誰にも、と。

地下牢の、松明の暗がりの中で、囚人の足首の重たい枷が緩み、ごとりと鈍い音を立てて地面に落ちた。
「確かに本物の鍵だな。しかし本当にいいのか?」
囚人は訝しげに、しかし微笑んで言った。
「わたしは構わないさ。貴様がただのごろつきではないことはわかっているつもりだ。好きなタイミングで活用すればよいではないか」
キムは足枷を元に戻すと、自分で鍵穴に鍵を差して回して閉めた。そしてその小さな鍵をしばらく眺めた後、寝床のマットレスの下に隠した。

ピルツの提案によりキムは特殊な独房に入れられ、ベルナをはじめとした他の囚人とは空間を隔てられていた。
「ここは快適だろう。こうして秘密の会話も遠慮なくできる」ピルツは微笑んでいた。松明が照らす顔は、皺が深い。
「自信満々だな。絶対に尻尾を掴まれないと確信しているのか……」キムは笑わなかった。目の前の老人は、どこかがおかしいに違いないと、凝視してしまう。
「その代わり知りたいことがある」ピルツがパッと顔を上げてキムの目を見た。
「なんだぁ? そっちが知りたがっていることを、俺が知っているとは限らないぞ? しかも前払いとはずいぶん気前がいいな。俺が話すという保証もないのに」キムが薄ら笑いを浮かべた。
「だから先ほど言ったように、君はバカじゃないと思っているからだ。一見するとカルーの方が親玉に見えて、実のところ貴様の方が腹心だったらしいじゃないか」
「ふん。どうだかな」キムはベッドにどさりと身を横たえた。
「それに拷問が必要になるほどの大した内容ではないはずだ」ピルツは終始微笑んだままだ。
これほどまで「拷問」という言葉に釣り合わない穏やかさをキムはそれまでに見たことがなく、背中に寒気が走るのを感じた。
「魔女の力の源を知っているか?」ピルツが言った。
「さあな」キムが天井を見上げた。あきれているようだった。「あんた、大した内容じゃないとさっき言ったよな」
「質問を変えよう。彼女は何を所持している?」ピルツの目が少し光った。
「知らない。彼女の寝ぐらに行ったことがあるやつは今セボの中にはいないだろう。そこまで到達した人間は向こうに行ったきりで戻ってこないのがふつうだ」キムが言った。
「ならば君はどうやって魔女とやりとりをするんだ?」
「不思議なんだが……ヨコシマな考えを嗅ぎつけて、向こうから語りかけてくるんだ。なかなかおもしろいだろう?」キムがニヤリと笑った。「自ら魔女とつながりたいと願う者はなかなかいないと思うけどな。あんたならできるんじゃないか? なにやら魔女に用があるようだし」
「学者としての好奇心が疼くんだよ。『壺伝』にまつわる伝説的な部分が立証できれば名誉に与かれるからな。文官どもには野心がない。楽をして生きられればいいと考えている爺さんどもと甘ったればかりだ」ピルツがため息混じりで言った。「だからラートンみたいな野生児がのさばってしまうのだ。専門外のやからに茶々を入れられるのは許せないという……ここだけの話だ」
ピルツの顔は次第に険しくなり、今にも奥歯で軋んだ音を起こしそうだった。
その顔つきの変化のあまりの激しさに、キムは声を上げて笑った。
「要するにただの負けず嫌いなんだなあんたは。しかし、勉強熱心なヤツってのは厄介だな。俺は勉強嫌いで幸いだったと今確信できたよ」キムが呆れ顔で言った。「楽しませてもらったお礼に、ひとつ教えてやる。人づてに聞いた話だ……おそらく、魔女の住処で命を落としたものの何らかの形で言い伝えられたんだろう。魔女が大事にしているのは、何かはわからないが骨董品と、巨大な氷のカタマリだ」
突然降りてきたお告げを聞いたかのように、ピルツはしばらく天を仰ぎ、それからキムの方に向き直ると満足げに微笑んだ。
「興味深い。感謝するよ、キム。やはり君は使える。わたしの思ったとおりだ」
そしてピルツは独房の前から立ち去った。
「また何かあれば言ってくれ。俺もラートンは嫌いだから」キムはピルツの背中に向かってつぶやいた。

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