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釜の飯

第二章/目覚める力

「ドクラエの実はね、種を潰して実と混ぜることで最大の効果を発揮するの」
腰に手を当てた仁王立ちの倫に見下ろされ、ベッドに腰掛けた夏季は、言われたとおり小さな実をほおばって噛み締めた。実に続いて中にある小さな粒が割れるのがわかった。実は甘いが種は非常に苦い。しかめ面で、舌を使い潰れた実と種を混ぜ、そして飲み込んだ。
スッと、身体が軽くなった。
「どうなった?」禍々しい痣があるはずのうなじに手をやり、倫に尋ねた。
「ちょっと薄くなったわよ。あと5粒くらいじゃない?」
夏季は追加で手渡された黒くツヤツヤとした真ん丸の粒を口に放り込んだ。しかし5、6粒をいっぺんに口に入れたのは失敗だった。種がどこにあるのかわからなくなり噛み砕く前に実を先に飲み込んでしまう。
「ちゃんと言ったとおりに食べなさいよ」倫の声が1トーン低くなった。
「ごめんなさい……あと5粒ほどください……」すり鉢を持って来て調合してくれてもいいのにと首をかしげつつ、夏季がしょんぼりとして言った。倫がしぶしぶ手元の紙袋から実を取り出して、夏季に手渡した。夏季は緊張した面持ちで一粒ずつ実を口に入れて、今度は確実に種を噛み潰した。すべての実をほおばって背後を振り返ると、倫が満足げに頷いている。
「効果てきめん。こんなによく効くならさっさと採りにいけばよかったわね」倫が事も無げに言った。
「さすがに冗談だよね?」夏季が真顔で倫を見上げた。
「冗談だけど本音かな。もちろん、夏季やラートン隊長だったからこそこうして苗木を入手できたのはわかっているわよ。それにしても犠牲を覚悟してでも行く価値はあったのかなって。だってこれがあれば無敵じゃない。リカ・ルカの攻撃も怖くない」
「誰が犠牲になるのかって考えるとさ……」夏季は橋渡し役の船頭について考えていた。どうか、自警団に分け与えたドクラエが彼にも効いていますように。
「それもそうね」倫があっけらかんと言った。紙袋の口を雑に折りたたんで胸元のポケットに仕舞った。「しかし因果よね。ラートン隊長が同行したからこそ『闇使い』が現れたわけで、ドクラエに加えて『黒』に対抗する手段が一気に増えた。なるべくしてなったことだらけにも思えるわ。彼や夏季が行こうが行くまいがリカ・ルカはトラルの国跡地を張っていたわけだから、時期を早めて兵士を送りこんでいたとしても犠牲は免れなかったでしょうね。ほんと、タイミングよね。行方不明だったラートン隊長の帰還を待って正解だったってことでしょう」
「魔女ね……。あんなに回りくどいことしなくたって、ドクラエもろともトラルの地を燃やして全滅させてしまえばよかったのに。そう思わない?」夏季が首元をさすりながら言った。
「手出しができないってことかもよ。だって魔女の奇襲を受けたのだってトラルの手前だったんでしょう」倫が言った。「そうなると魔女の討伐を計画するならトラルの国を拠点とするべきだと、わたしは思うけどね」
夏季はうーんと唸った。倫の言うことはあながち間違っていないような気もした。思い返してみればそうなのだ。リカ・ルカが待ち伏せていたのはとても中途半端な場所だったように思える。
「また痣が出てくるようだったら言って。実を作るから」倫が夏季の頭の後ろを軽くポンと叩いた。
「ありがとう。少し休もうかな……」そう言って夏季は大きな欠伸をした。
「お疲れ様。寝てないの?」倫が言った。
「そんなことはないけど、ホッとしたら睡魔が」夏季がもごもごと言った。
「それ副作用かも。ドクラエの効能として呪い弱体化と『強制休息』」倫がハッとした様子で言った。
「なに……それ……」
夏季はそう言ったきりベッドに突っ伏してしまった。
倫は額に手をやってため息をついた。
「なかなか強烈な副作用ね」
そして無防備に寝息をたてる夏季に、ブランケットをかけてやった。

薄いオレンジ色、明るい色の土が特徴的で、歩みを進める足元が粘っこい。ぬかるみに近いような感触だ。
松明に照らされた洞穴のいちばん奥にあるキラキラと光る結晶のようなかたまりは、よく見ると氷のようだった。表面が粉をふいたように、霜のようなものが覆っている。うっすらと、中に何かが入っているのが確認できるが、それが何かまでははっきりとはわからない。

空を飛べる日がくるなんて思ってもみなかった。
想像以上にすてきな体験だ。
ただ少し、背中が痛むんだよね。
あっ、そうか。背中に生えている羽を動かしているからなんだ……。

ハッと目を覚ましたときには、部屋の中は薄暗くなっていた。今が夕刻なのか、明け方なのか。まぶたと同じくらいに重たい頭で考えた。出来立ての食事の匂いが漂っている。セボの城ではお馴染みの夕食、濃厚なブラウンシチューだ。これが朝食ならば、いつでも同じ、香ばしいパンの軽やかな香りのはず。
ゆっくりと起こした身体は、頭の中がはっきりとしてくるにつれて軽さを取り戻していった。
ドクラエの実の副作用のせいで、おかしな夢を見てしまったな。
夢の続きのように背中が少し痛いのは、寝落ちしたままの変な姿勢で寝てしまったせいだろう。
夏季は思い切り伸びをして、夕食を食べるために部屋を出て行った。一歩踏み出す毎に、身体が軽くなっていく。つい先ほど見ていた夢の中で、背中の羽根を動かして宙に浮いているような、フワフワとした感覚に近かった。

「さすがは二等兵隊長だな。そのうえ『闇使い』だったとは」夕食の席でパパス・ユエグはゴロゴロと地鳴りのような低音で言った。
「まだ確定したわけでは……。きっとなにかの間違いだ。わたしはただの一軍人にすぎない」
ラートンは怪訝な顔で言い返した。フォークにはシチューの肉が刺さったままだ。
シエ・ラートン隊長、「元・風使い」のパパス・ユエグと娘のカウジ、それにハリル副隊長と「氷使い」のカイハが同じテーブルを囲んでいた。カウジは大人用の腰掛けで両足をブラブラさせながら、夢中でシチューを口に運び、口の周りにあらゆる食べカスをくっつけている。
「俺は荒野でお前さんの手当てをしたときに少し怪しいと思っていたんだ」パパスはパンを手に、熱っぽく語っていた。「お前さん腹にどす黒い痣を抱えていただろう。あれは消えてしまったんだろう?」
「ああ」ラートンが短く答えた。「きっとそれほど強くない『黒』だったんだろう。『風使い』の哲もオミリアに嬲り殺されそうになったときに同じ状態だったはず」それからフォークを持っていることを思い出したように肉を口元に運んだ。
「彼は倫のケナヒーでなんとかなったんだよな、たしか」ハリル副隊長がそう言いながらパパスを見やった。
「なるほど? 少なくとも俺の手持ちにはケナヒーやそれに類する薬草はなかったし、乾燥ドクラエは貴重なうえに即効性がないのはわかっていたから、生傷については手当をしたが、黒い痣については特別何もしないで少し様子を見たんだ」パパスがにやにやしながらパンを頬張った。「そしたら、勝手に治っちまいやがった。ありえねえだろう。そりゃあ、あんたが身体の内側に持っている力のおかげなんじゃないのか?」
「わからない。それに、望んでもいない」ラートンが無表情で言った。
ハリルが堪えきれない様子で笑い声をあげた。ラートンはムッとした様子でハリルを睨んだ。
「いやいや。今のお前の言葉を聞いたら夏季たちがどんな顔をするだろうかと、ね。今まで散々ねちねちといびったりつらく当たったりやってきたのを見ていたからさ」ハリルが朗らかに、そしていたずらっぽい表情で言った。目尻にしわの寄った中年の風貌にそぐわず、明るい顔がまるで少年のようだった。
「それは、必要なことだったから。彼らが強くなるために」ラートンが眉根に皺を寄せて言った。
「隊長よ。あんたが『闇使い』であることだって『必要なこと』だろう?」ハリルはたたみかけるように言った。
「ただ、まだ、受け入れられないだけだ……」ラートンは苦々しい表情で、首を横に振りながら、やっとのことで言葉を発した。
「だったら、彼女たち4人は尊敬に値するわね。いろいろな経験を経て今ではもう受け入れているんだから」カイハが静かにぽつりと言った。
ラートンが滅入った気持ちで顔を上げると、ちょうど、離れたテーブルで夏季が夕食を口に運んでいる姿が目に入った。彼女は一人だった。黙々と味わっている様子だ。それからケータリングの長テーブルで大皿の入れ替えをしている料理長の方に視線を送っていた。相手もその視線に気づいて二人は視線を交わして何やらにこりと挨拶をしているように見えた。
ラートンは彼らを視線の端に捉えたままで、スプーンを口に運ぶ。
しばらくすると夏季のいるテーブルに哲がプレートを手に歩いてきた。ラートンの方をわずかに振り返ってから、夏季に声を掛けて会話を始めた。夏季が微笑を浮かべて、哲も微笑んでいる。二人でしばしの歓談を楽しんでいる様子だった。哲は先の一瞥以来こちらを気にかける様子はない。
彼の気持ちはわかる気がした。
彼が大切に想っている夏季に対するわたしの態度を考えれば当然のことだろう。
俺は何者なのだ?
彼らに俺が入り込む隙間はないだろう。
それについて俺が悲しんだり、寂しがる理由もないはずだ。それでも、今感じているのは一抹の寂しさとは言えないだろうか?
俺は今、きちんと自分の仲間と共にテーブルに座っているはずなのだが。
改めて思うが、俺は何者だ?
闇使い
二等兵隊長
トラル国の王族の末裔
俺は一体何なのだ?

突然夏季と目が合い、咄嗟に視線を逸らした。
なぜだか気まずい。少し遠慮がちに視線を戻すと、夏季がまだこちらを見ていて、小さく微笑んだ。
ラートンは表情を緩めた。

闇使い。
増える肩書きの中でひときわ厄介なモノ。
彼女も最初はそう感じたのだろう。
いちばん最初の兵士の訓練のときの彼女の表情を思い出せばそれは明らかだ。
自分は一体何者なのか。
わけのわからない世界に突然放り込まれて言い渡されたのは、身に覚えのないひたすらに重い使命。
今俺が感じている気持ちがまさにそれだろう。
それらを昇華するなど今の自分には想像もつかないことだ。
彼らは強い。あるいは強くなった。
認めるしかないだろう。

パパスとの会話の後は考え事に没頭しながら食事に集中したラートンは、談笑を続ける同じテーブルの誰よりも早く、皿をきれいにして席を立った。
「エン……じゃない、シエ。もう行っちゃうの?」カウジが心底残念そうに、颯爽と立ち去るラートンの背中に声を掛けた。ラートンは振り返らずに、控えめに手を振っただけだった。
カウジのふくれ面に見送られたラートンが、所定の場所に食器を片付けていると、すぐ横に夏季と哲がいることに気付いた。
「こんばんは」躊躇なく声を掛けたのは、トングを手にした夏季だった。その横で哲が少々不機嫌な顔で皿を重ねている。
「こんばんは。体調は?」ラートンが夏季の目を真っ直ぐ見た。夏季は気分が良さそうな、爽やかな笑みを浮かべていた。
「すこぶるいいです。さっそく倫がドクラエの実を量産してくれたので!」
「首の痣は?」
「とりあえずは消えたみたいです。それに、もしもぶり返したら倫がなんとかしてくれるっていう安心感がある」夏季は、こらえられないとでもいうように、目を細めて笑った。
「前向きにしかなれないというわけだな」つられるようにしてラートンがにこりと笑った。事実、彼女からは幸せといわんばかりのふわっとした空気が溢れている。夏季の向こう側で、哲がは我関せずというフリをしながらも、顔は穏やかだった。隣人の幸せが伝染したかのように。
「ラートン隊長も肩の傷は大丈夫ですか?」夏季がラートンの顔を見上げた。夏季の隣にいる哲がぎくりと目を泳がせた。
「……ああ。看護係に縫合してもらったので、心配ない」ラートンが気を遣ったのか、哲の方にも視線を送った。哲は気まずそうに、微かに頭を下げた。
「ちょっと楽しかったかも……です」夏季がぼそっと言った。
ラートンと哲が同時に夏季の方を見た。
「いろいろあったけど。こうして日常に戻ってきて初めて……なんだか……達成感があって」夏季が言葉を探しながら、言った。
「もっと長い旅路がわたしたちを待っている」ラートンが言った。笑顔ではないが怒っているわけでもない。彼の目線の先にはパン焼き器があるだけだが、そのはるか向こうの何かが彼には見えている様子だった。哲も夏季もそれを茶化そうとする気持ちはなく、再び旅路に踏み出す一歩を予感して、ラートンと同じ方向を見据えるのだった。

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