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吹きさらしの玉座

第二章/ドクラエをめぐる冒険

夏季が腕を哲の肩に回すと、哲が支えて立ち上がらせた。
「どうなるかと思ったけどなんとか倒したんだよね?」夏季が重いまぶたを閉じるまいと、眠たそうな目つきで話している。
「あれは実体じゃない」ラートンが言った。肩を布切れで抑えている。
「そうなの?」夏季が力の入らない声で言った。
「だからこそ助かった」ラートンは布についた自分の血と、傷の様子を見ている。
「実体はもっと強いってこと?」夏季が念押しした。
ラートンは静かに頷いた。
「それじゃあ俺はその魔女の幻影に簡単に操られていたってことか」哲が残念そうに首を横に振って言った。
「君の心の隙間を見つけたんだろう。君たちは大丈夫と見込んで指名したんだがな」
夏季と哲は顔を見合わせて、お互いに気まずい表情になった。
そんな2人にラートンは眉間にしわを寄せ、まるで部下の失敗を責めるような顔だった。非常に微妙で繊細な間柄となっている二人はいたたまれない気持ちで、しかし弁解をする気力もない。
「ところで、ラートン隊長は何か特別な力を持っているんですか? 魔女の力が消える前に、あなたがなにか光を発したように見えたんだけど……。あれもご先祖様から受け継いだおまじないの類ですか?」ラートンの気を逸らしたい夏季が口を開いた。
「よくわからないんだ」ラートンは少し困ったような顔で手のひらを眺めている。「夢中だったから」
ラートンでも我を忘れるようなことがあるんだなと、哲の目が言っているのがわかったし、夏季もそう思った。常に冷静で周りがよく見えている彼のイメージからすると、らしくない。
「君こそあの土壇場でよく『水の龍』を出せたな。尊敬に値する」
ラートンがさらりと褒めたので、夏季は驚いてしばらく言葉が出てこなかった。最上級の褒め言葉ではないだろうか? 彼から直接そのような言葉を掛けられることなど、天と地がひっくり返ってもなさそうなことだった。
「……なんというか。この場所が、よかったのかな、と。水に囲まれているじゃないですか」どぎまぎしながら夏季がぽつりと答えた。「それでも大した『龍』は出せなかったし」
「それは仕方がないことだ。痣が消えて本調子に戻るのが楽しみだな」ラートンは無表情で言った。
本当に楽しみなのか? と哲と夏季は同時に思った。以前よりだいぶ口数が増えてはいるが、表情が乏しいために会話のキャッチボールが難しい。
「ありがとうございます」微妙な笑みを浮かべて夏季はお礼を言っておいた。

魔女リカ・ルカの幻影が消えると同時に次第に霧も晴れて日差しが明るくなっていった。
リカ・ルカが実体でなかったせいか重症に思われた夏季はすぐに回復し哲からは早々に離れて自分の足で歩いた。
石畳に沿って歩いていくと、かつて人々が暮らしていた無数の建物の気配がそこにはあった。屋根や壁は一切見当たらないが、ひざのあたりの高さまで積まれたいびつなブロックが、角ばった区画の名残を感じさせた。城下街の跡地から城跡の方に向かうにつれて人工物の隙間から生える植物の丈が高くなっていく。ところどころで野草が小さな花を咲かせており、海風にそよそよとなびいていた。かすかに聞こえる波の音が心地よく、夏季は自然と耳をすませていた。
かつて栄えた王国の、無残に壊されたまま復興することなく打ち捨てられた姿は、とても静かで、物悲しい。宿場で祭の騒音の合間に小耳に挟んだ昔語りでは、海の波が牙をむき、王国をまるごと飲み込んだのだという。自然の脅威であれば「使い」が居ようが居まいが関係ないだろう。それとも、と夏季は思う。
その出来事はどの年代のことだったのか?
どこからともなく「使い」が呼び寄せられて悪いものを退治するのは50年に一度のタイミングだという。もしもトラルの国が滅びたときがその年代に合致していたとしたら?
「使い」は負けた?
今回だってわからないではないか。勝つのか、負けるのか。
夏季はそれ以上は考えまいと首を横に振った。
「どうかしたのか?」
顔を上げると、先頭を歩くラートンが立ち止まってこちらを向いていた。思いがけず声を掛けられた相手に驚き、少し相手の顔を見つめた後で、重い口を開いた。
「トラルの国が滅んだのには何か特別な理由があったのでしょうか」
「ない、とわたしは思っている。なぜなら『使い』を呼び寄せるタイミングとは合致していないようだから」
ラートンの返答を聞いて、夏季はふっと肩の力を抜いた。
ラートンは心を見透かすような瞳で夏季をまっすぐ見つめている。
それを哲が明からさまに訝しんで、夏季とラートンの顔を交互に見ている。
ラートンは夏季から視線を外して前方に向き直った。
「どちらがマシなんだろうな。運悪く大災害に襲われるのと、明らかな悪意を持った相手に攻め込まれることと」
ラートンは誰の顔も見ずに言った。
「たとえ俺の祖先がこの地を治めていたとしても俺に実感は無い。しかしだ。セボを滅ぼそうとするのは黙って見ていられない。セボこそが故郷。俺の大切な居場所に対して悪意を持つやからを討伐することはわたしの使命。亡国を憂うよりは現存する国を守ることを優先したいところだな」
最後は鼻をフンと鳴らして言い捨てるようだった。
「あの自警団の団長に言ってやれよ」哲がブツブツと言った。
「確かに、帰路であまりうるさいようだったらはっきりと言ってやるさ」
ラートンは心当たりのない苛立ちをぶつけてくる相手に対して、半ば睨みつけるようにして哲の方を見た。
哲の横を歩いていた夏季が額に手を当ててよろめいた。
哲が慌てて夏季の肩を持って支える。
夏季は体調がよくなっていくのをじわじわと感じていたのだが、二人の男の間に流れる空気が殺伐としてきたのを感じて哲の気をそらすためにわざと哲に寄りかかったのだった。このような気の使い方は煩わしいが、無事でセボに帰りたいのだから仕方がない。仲間割れで事故を起こすことなど最も避けたい事態ではないか。
哲はこのところ夏季がラートンと長時間視線を交わしていると目に見えて不機嫌になる。意思の疎通のために致し方ないこともあるのだが、夏季としてはまんざらでもないのがまた厄介なのだ。少しずつ形を帯びてきたばかりの三角関係を、魔女が見逃さなかったとしたら、気味が悪いとしか言いようがない。どのような方法なのかはわからないが、常に人の心の動きを監視しているのではないだろうかと思わされる。

左右に鎮座する切り株のような石の塊が、城門を思わせた。それらを横目に奥へ、奥へと歩みを進めていく。今にも崩れ落ちそうな城壁は見るからにもろい。頭上にそびえる短いトンネルのようなアーチの下を通る時など、建造物に反響する波の音が、アーチが崩れてくる音にも思われて時おり夏季はぎくりと肩をびくつかせた。リカ・ルカの幻影との邂逅が海辺近くの城下街の入り口でなく、今ここで戦いを挑まれていたらどうなっていたのだろうかなどと想像して、ぞっとするのだった。
ここは中庭なのだと、夏季は連想した。もろい城壁に囲まれた空間はセボの城でいう花庭のような場所と思われた。
「さあ。当初の目的を果たそう」ラートンがつぶやいた。少しだけ、疲労の色が見えるものの、厳しい顔つきに変わりはない。
「それで。どれがドクラエなんだ?」哲がきょろきょろと辺りを見回している。
人の手が入らない場所にはありとあらゆる植物が生えているようだった。一体どうやってドクラエの苗を見つけるのだろう?
ラートンが腰に下げた頭陀袋の中をごそごそと探り、小さな紙切れを取り出して広げた。夏季と哲が覗き込んだ。
「古書から破ってきたんですか?」夏季がまさかというような顔で聞いた。
「倫が書き写したものだ」
紙には植物の絵と特徴が記されていた。親切に、間違えやすい類似の植物まで網羅している。
「あとはこれもヒントになるのかな」
夏季は自分の頭陀袋から乾燥されたドクラエの実を一粒つまみ上げた。
遺跡のいたるところでドクラエの実は自生しており、いくつか株を持って帰ることにした。貴重な植物ではあるが、場所が場所だけに人が寄り付かない間に株を増やしたものと思われた。土にまみれながら地面を掘り起こし、文字通り根こそぎ株を確保して目の粗い布地で根っこを絡まる土ごと覆った。持てるだけのドクラエの苗を哲とラートンが背負う。
今回の遠征の最大の目標物を確保した哲と夏季は顔を見合わせて、両の手の平を打ち合わせて雄叫びを上げた。ラートンはそれを見て一旦は怪訝な顔をしたが、フンと鼻を鳴らしてから、しぶしぶ、掲げられた二人の右手を順番に叩いていった。

周囲で最も高い場所にも何かしらの建造物があるのを確認できた。冒険の目的を達成して大はしゃぎの夏季と哲は勇んで頂上を目指そうとした。哲は背負っていたドクラエの苗を地面に下ろした。
「展望台じゃないのかな」夏季はすっかり笑顔を取り戻していた。
「あんな場所から海を眺めたら気持ちがいいだろうな……」哲が期待に胸を膨らませている。
目的は果たしたのだから体力を温存しさっさと立ち去るべきだと考えていたラートンは、厳しい顔つきで後をついてきた。
「だって、隊長のゆかりある場所なんでしょう?」夏季は気分良く、ラートンに話しかけた。
「わたしの生まれはセボだから、大して思い入れはないんだがな。何度も言っているが……」ラートンがムスッとしている。
勇み足で登りはじめた夏季の足は時おり少しふらついた。今度ばかりは演技ではなく、足に力が入りきらない。段差のある場所は何度か哲に引っ張り上げてもらった。頂上に近づいたとき、哲が、力強く握った夏季の手を勢いよく引き寄せた。風が強い。よろめいた夏季の身体を哲が支えた。照れ臭さを感じられるほどに、哲としっかりと視線が合った。哲が真剣な眼差しで見つめ、夏季の手を握りしめたままだ。
「ありがとう」受け止めきれない相手の熱い視線に困惑しながら、夏季は言った。「でもね、わたしももう不用意に落ちたりしないから」
「頼もしいね」哲がふっと全身の力を抜き、にやりと笑って首を横に振った。夏季も笑った。
二人の様子がちらっと目に入ったラートンは、なぜそこに魔女が入り込む隙があるのかが理解できなかった。仲が良いだけではだめなのか? 二人は信頼し合っているように見えるのだが。人間とは難解な生き物だななどと考えて、ますます難しい顔をしていた。
「……ねえ。ラートンがわたしたちを睨みつけているけど、まだ怒ってるのかな?」夏季はラートンの視線に気づき、哲に耳打ちした。
「気にするなよ。とにかく生きていればなんだっていいや」哲は、今ここで二人きりだったなら思い切り夏季を抱きしめられたかもしれないのにと、ラートンの存在を少々疎ましく感じた。しかしラートンがいなければ生き残れなかったのも事実で、すぐに自分の身勝手な本能を嫌悪した。

「見て!」夏季は陽が射す方を指差した。海風が容赦なく吹き付けるが、潮の香りと湿度をまとってやわらかい。
大きな水溜りは静かに波打ち、深さを感じさせる黒に近い濃い青色だった。
「思ったとおり、良い景色だな」哲が両腕を広げて深く息を吸い込んだ。
「来てよかった。ねえ、ラートン隊長?」夏季がラートンに声を掛けた。
「海だ」ラートンがつぶやいた。
ラートンの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「不思議だな。初めて来る場所のはずなのに」実は夢を見たのだと言わなかったのは、まさか夢で見た景色とまったく一緒だとは予想しておらず、驚きのあまり言葉に出来なかったからだ。
ぼろぼろになった石材製の椅子があった。おそらくは王が座る玉座であったのかもしれない。背もたれには紋章が大きくかたどられている。
「このマーク、ラートン隊長の剣と同じね」夏季がラートンの腰に差さっている、長剣をちらりと見た。それから彼が袖で目元をぬぐうのも見逃さなかった。
「『海と光』を表す紋章。トラルの国がここにあった証拠だ」
そう言ってラートンは玉座の前で跪いた。
哲と夏季も彼に倣い跪いた。
三人はあるじのいない玉座にこうべを垂れた。

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