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宿場にて(中編)悪政の5年

第二章/ドクラエをめぐる冒険

夏季は手早くシャワーを済ませた。宿に泊まると聞いてまっさきに頭に浮かんだのは『風呂に入れる』という期待だったが、それを上回るのがラートンが語る彼の過去だった。本来なら溺れるまで浸かるはずだった浴槽は空のままにして、若干浮ついた足取りで、衣服や下着を手洗いして物干しに吊るしてから、哲とラートンの相部屋を訪ねた。ラートンは、ベッドに腰掛けて膝のあたりで手を組んでいる。哲は窓際の小さな机の前の椅子に腰掛けて背もたれをきいきいと鳴らしていた。彼らもまた就寝前の身支度は整えたようだった。部屋の中には二人分の洗濯物が干されている。夏季は哲のそばにある粗末な腰掛けに、行儀よく座った。
「当時俺はまだ幼かったから俺の両親やベラの両親……つまり国王と王妃が亡くなったことくらいしか認識していなかった。後々自分で調べたり、夜半悲しさや寂しさ、恐ろしさで眠れずオスロに泣きついたときに語ってもらったりして知り得たことばかり」
ラートンがとつとつと語り始めた
宿の外からはリズムに乗った笛の音と、民衆の息のあった掛け声が聞こえてくる。カーテン越しでも提灯のオレンジ色の光が上下に揺れているのがわかる。それから人々の笑い声。年に一度の祭がどれほどの盛り上がりを見せるものなのかは、よそ者の自分たちにはわからないが、熱気と浮き足立った明るさは十分に伝わってきた。
「セボでは俗に『悪政の5年』と呼ばれている期間がある。その『5年』から少し遡った頃から話した方がわかりやすいかもしれない」ラートンは目を伏せて、淡々と語った。外の喧騒をうるさがる様子はないが、そもそも一切関心が無いようだった。
「ベラ王女から2代前の王が重い病気にかかり死期が近づいた。王には2人の息子がいて、第一王子は大変な野心家だった。王が第二王子に王位を継承するつもりだと知った第一王子は王と第二王子の暗殺を画策し実行した。そもそもそういうことをする人物であったからこそ王は第二王子への継承を望んでいたのだろうというのが大方の意見だったらしい。おそらく派閥のようなもの。わたしの父は王と第二王子の派閥に属していて、第一王子の計画を知ったために殺されたようなのだ。そして、たまたま父と一緒にいた母も」
「なんて凄惨な権力争いなんだ……」ラートンが言葉を切ったタイミングで、哲が首を横に振り、眉間に皺を寄せて言った。
夏季は言葉もなく、膝の上で拳を固く握りしめた。このような内容の話を軽々しく尋ねられるほど親しいわけではない。それでもラートンがこうして口を開いているのは不思議なことで、夏季はあまりにも重いその内容よりも、それを語る人間の心情が気になり、ラートンの表情ばかりを見つめていた。
「ある人にとっては喉から手が出るほど手に入れたいものなのだろうな。俺にはよくわからないが」ラートンは再び口を開いた。「第二王子はそれを予期していたのか、遺言状をオスロ・ムスタに預けていた。王位は一人娘のベラ王女に継承するという内容だった。その後、暗殺を画策した第一王子はオスロ・ムスタを中心とした派閥の証言により、法によって裁かれ処刑された。国民からの非難の声も当然大きく、判決の後押しになったという」
血なまぐさい陰惨な出来事の羅列に夏季は唾をごくりと飲み込んだ。これほど死人が出ることは異常なのではないか? 王族周辺はよほど腐敗していたのか、それとも、別の何かしらの力が働いていたとしか……。
「王族の唯一の生存者であったベラ王女は当時まだ5歳だったため、幹部会議で政治を王権から切り離すことが決められた。それから3年ほどは混乱が続いたが、その間に規約を整え、王権に頼らない政務の仕組みを作り上げ、一応は安定するようになった。権力闘争が表面化して政治の混乱が始まってから安定するまでの5年間が、『悪政』でひどい有様だったということのようだ」
ラートンは顔を上げずに淡々と語り続けた。
「簡単に言えば王位継承がスムーズにいかなかったというだけの話なのだが、その飛び火はすさまじいものだった。王族に近い人間でいえばわたしの両親もそうであるし、下々ではパパス・ユエグの一家もまた巻き添えだった。今となっては騒動の発端となった張本人たちはことごとく死亡したり処刑されたりしたものだから、巻き込まれた人間の中で今を生きている者にとって、果たしてそのような結果は納得できるものなのかは大いに疑わしい……」
ラートンは言葉を切り、顔を上げた。
「わたしの両親が亡くなったいきさつを語ろうとするとこのように長くなってしまうんだ。すまないが」
ラートンはまっすぐ夏季の目を見て言った。彼の黒い瞳は穏やかで、凛としていた。あくまで夏季に尋ねられたからそれに答えたのだと言わんばかりだった。
夏季も、ラートンの瞳を見つめ返した。夏季の頬を一筋の涙が伝った。
哲は顎に手を添えて、考え深げに眉根を寄せている。
窓の外のお祭り騒ぎは、いよいよ最高潮に達しようとしているといわんばかりに、楽器の音と、歌のようなものの大合奏の真っ最中だった。しかし部屋の中の人間はまるで別の世界にでもいるように、身じろぎもせず静まり返っていた。
「おかしいよ」夏季は首を横に振りながら、声を絞り出した。「ふつうの人間がそんなことをできるわけがない」
発した言葉以上に頭は混乱していた。ラートンが終始無感情で語り終えたことが何よりも悲しみを誘った。涙を流さないことに固執しているとすら思えるのだった。
「夏季はいい人間に囲まれて育ったんだな」哲が、驚くほど明るい口調で言った。
「自分の欲望のためだけに他人を不幸にするなんてふつうじゃないよ。怖すぎる」夏季はそんな哲を恐ろしそうに見つめ返した。
「残念だけど、そういう人間だっているんだよ」哲は何かを悟ったような、落ち着き払った話しぶりだった。
「だって、殺すことないでしょう」夏季は眉を吊り上げて、信じられないというように、見当違いとは知っていながらも哲に怒りをぶつけた。
「欲に目が眩んで人の生き死になんかどうでもよくなる類の人間なら俺だって出会ったことがあるさ。……出会わないほうがいいよ、もちろん。その方が幸せだ」哲は最後に付け加えた一言で、急に悲しげな顔に変わった。
「自分の境遇を不幸だと思ったことはないんだがな」
ラートンが言った。
夏季と哲はハッとしてラートンの方を見た。彼は何とも言えない表情をしている。悲しみや怒りは読み取れないのだが、強い意思を感じさせる眉の下の黒い瞳はロウソクの炎を映して美しく、膝の上で組んだ手をじっと見つめ続けている。
ラートンと過ごしていると、そのような過去を感じさせない。しかし、同世代として周囲と一線を画した勇敢さや心身共に誰にも負けない強靭さ、それに時折見せる残忍とも思える冷徹さ。常人離れした「強さ」の背景には彼の特殊な過去がわずかならずとも影響しているのは、納得できることだった。想像に難くなく、幼少の頃に両親を無惨に殺された事実が彼の人格形成に与えた影響は決して小さくはないだろうことは、夏季も哲もラートンが語った『悪政の5年』にまつわる話を聞いた後では、なおさらわかる。
「当時は理解ができなかった。なぜ、と思っている間に俺自身が成長していった。いつまでも目に焼き付いて忘れられないのは魂の抜けた両親の瞳だ。つい数時間前まで一緒に笑って絵本を読んだり、剣の稽古をしていた愛しい人々が死人に変わってしまった。ふとした瞬間に思い出す恐ろしい光景だ。何よりも恐ろしい……荒野で体験した自分の死の恐怖よりも」
夏季は、身体の震えが止まらなかった。哲は、一瞬ためらってから、夏季の肩を抱いた。彼の横顔を見上げると、哲は涙を流していた。『なぜ』、それは自身も祖父の遺体を目撃した哲も体験したなぞかけなのだと夏季は察して、哲に頷いて見せた。哲は片手で目を覆い、肩を震わせた。
「不思議だな。こういった事実を人に話したことは何度もあるんだが、自分の心情まで話した相手は君たちが初めてだ」
そう言ってラートンは顔を上げた。予期せず目が合った夏季は胸が締め付けられた。なぜそう感じたのかはわからないのだが、美しい微笑には深い悲しみがにじんでおり、視線だけで心の深いところに棘を刺してくる……。

急に、ドアの外が騒がしくなり、ドタドタと複数の足音が近づいてきた。最初は祭の騒がしさの一部のように感じられたのだが、その物音は明らかに今いる部屋に向かっていた。
ドアがバンと勢いよく開かれた。
「お前らか、人の領地に入ろうとしているのは!」
黒い甲冑と兜のようなかぶりもの、屈強な男たちが5人ほどぞろぞろと部屋に入ってきた。
「なんだ?」哲が驚いて声を出した。そして袖で涙を乱暴に拭いた。夏季は咄嗟に哲の後ろに隠れたが、気付いた。彼らの甲冑にある紋章は、ラートンの長剣にあるものと同じだった。
ラートンは驚く様子はないが、そっと腰の剣に手を添えた。それに気づいた夏季も、ごくりと唾を飲み込み構えを取った。しかし、彼女の腰に剣はなかった。シャワーを浴びたタイミングで脱衣所に置いたまま、武器を手放したのだった。何が起きてもおかしくないはずなのに、油断してしまったことを恥じた。
「俺はトラル国跡地の首領! あの地に踏み込む前に通行料をよこせ!」
先頭のひときわ体格のがっちりとした男が怒鳴ると、周囲の男たちが一斉に剣を抜いた。
「通行料か」
ラートンは静かに立ち上がり、先頭の男の方へコツコツとブーツの踵を鳴らして歩いて行った。
「おうよ。そういう決まりになってんだ」大男も力強い一歩で歩み出た。
「その地の出身の者でもか?」ラートンが男の前でぴたりと立ち止まると、言った。
「お前、どこから来た?」相手の男が険しい顔で尋ねた。
「セボの国」ラートンは素っ気なく答えた。
それを聞いた男がにやりと笑った。
「ほお。そいつはいいことを聞いた。トラルの国の出身でセボの国に住んでいるっつーことは、国を見放して逃げ去った者たちの一味ということだな」
男がいい終わるや否や突然、ラートンが剣を抜き、一瞬で間合いを詰めると男の喉元すれすれに刃を突きつけた。
「何か言ったか?」
ラートンの口調は静かだが、暗い瞳の奥は燃え盛っていた。
相手の男は口を開いても、声が出てこない。周りの者も、威勢良く抜いた剣の行き場をなくし戸惑っている。
哲と夏季は息を殺して見守るしかなかった。ここで声を出したら今度はこちらに剣を向けられそうな予感がするほど、ラートンの全身から怒りがほとばしるのを感じていた。それはあながち間違いではなく、ラートンの剣の周りには、青白い炎のようなものが微かにまとわりついていた。ラートンの激しい怒りに呼応するかのように、ゆらりゆらりと緩急のある動きをしている。
「……なあお頭。あの光は、ひょっとして」手下は少しずつ後ずさりをはじめている。
「まさかそんな。国を捨てた奴が、今更なにをしにここへ?」大男が震える声で、喉元につきつけられた刃を見ようとしながら、言った。
「わたしは先人の意志を引き継ぎセボに仕える身。貴様らは眼中にない。用がある相手はセボの未来を脅かす魔女だけだ」
ラートンは相手に敵意と殺意をむき出しにして睨みつけ、陰鬱につぶやいた。
「そうか。そうなのか。やはり国王は俺たちを見捨てたのだな。自国を再建するよりも、己の身を守ることを優先したのだ」その場の誰もがそれ以上は喋るまいと思っていたのに、大男は言葉を続けた。震える口の端を無理やり引き上げて、笑っている。
相手の気概を認めたのか、ラートンがフッと全身の力を抜き、剣を下ろした。全身からほとばしっていた怒りのオーラと、長剣にまとわりつく青白い光もいつの間にか消え去っていた。
「お前は一体なんだ?」ラートンが剣を構え直して言った。
「俺はかつてトラル国王に仕えた兵隊長の血を引く者だ」大男は胸に拳をドンと当てて答えた。「まさかとは思うが、そちらは王族の血を引く者なのか? 『海と光の国』の『光』をつかさどるのを、先ほど眼にしたように思うのだが……」
ラートンは剣を鞘に納めると、両足を踏みしめて、男の目をしっかりと見据えた。黒い瞳には明るい光を宿している。
「わたしの名はシエ・トラル・ラートン。父であるエン・トラル・ラートンは祖父と共にトラルからセボに渡ったと伝え聞いている」
ラートンの背中を見ていた夏季は哲と顔を見合わせた。哲は口をぽかんと開けて驚いた顔をしている。自分も似たような間抜けな顔をしているのだろうと、夏季は思った。
トラルの国の出身だとしても、まさか王族の末裔その人だったとは。
「ご無礼をお許しください。彼の地への帰還、心から歓迎致します」
大男は跪いて首を垂れた。すると彼の取り巻きも同じように跪いた。鎧がこすれあうガチャガチャという音を立てて。

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