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予感

第二章/はじまり

幹部会議で使用する大きな会議室ではあまりにも広すぎるからと、一行はロイ・パソン議長の書斎で円卓を囲んでいた。レナは書棚の前で宙に浮き、上下にゆったりと揺らいでいた。
「セナは?」パソンがレナに尋ねた。彼は自分の大きなデスクを前に、立派な椅子にゆったりと腰掛けている。
「地下で門番」レナがさらりと言った。
「お前さんはいいのか?」ハリルがあごの無精ひげを触りながら聞いた。
「おもしろそうだからついてきちゃった」レナが肩をすくめた。手には杖を握っている。
「さびしがりやだもんな」ハリルが憐れむような哀しげな表情で言った。
レナが笑顔でハリルの頭を杖で叩いた。ゴツッと重たい音が響く。
「そのような使い方があったとは……」パソンがふさふさの眉毛の下で、目を見開いた。
「そんなに気軽に持ち歩いたりして大丈夫なの?」六季が聞いた。
「大丈夫だよ。杖にはわかるみたい。よくないものが近づくのが。ちゃんと教えてくれるもの」レナは杖に頬ずりしている。
「よくできているのね」六季が頬杖をついて、いぶかしげに言った。
「どうせ信じていないんでしょ!」レナは口調とは裏腹にニコニコしてる。
「それで。ここに集まった理由はあるのか」周囲の雑談にたまりかねた様子のラートンが、固く組んでいる腕はそのままで、口を開いた。
「きちんとした会議でもあるまいし、少しくらい談笑したっていいだろうが」ハリルがあきれ顔で言った。
「今、セボに集まった『使い』は何人いるかな?」パソンがぽつりと言った。
「いち、に、さん」気を取り直した様子の六季が指折り数えている。赤みがかった濃いブラウンの古めかしいテーブルはよく磨かれ、微かに六季の手が白く映り込んでいる。「よん、ご。あれ。1人足りなくない? 『氷使い』のカイハ。『水使い』の夏季。『風使い』の哲。『成長の手』が倫。『炎使い』の俊。『闇使い』はどこに行ったの?」六季が皆の顔を見回して問いかけた。円卓を囲む椅子の形状は、背の高い背もたれであったり、こども用かと思えるほどに座面が小さめであったり、はたまた背もたれのないただの腰掛けだったりと、この書斎の主人の気まぐれな性格を表すかのようにバラバラだった。
「『呼び寄せ』に応じなかったらしいのう」パソンがのんびりと言った。
「なんで?」六季がぽかんとした顔でハリルに聞いた。
「知るか」なぜ俺に聞くと、ハリルは言いたげだった。
「前の『闇使い』が殺されたから?」レナが言った。
六季とラートンを除き皆がじろりとレナを睨んだ。
「本当のことじゃん」レナの頬がプーっとふくれた。
「別に気を使わなくてもいいわよ」六季があっけらかんと言った。「そういうところもいつもと違うってこと?」
「そうだのう。『呼び寄せ』に応じて『はじまりの部屋』に出現するのが通例だ」パソンがあご髭を触りながら言った。「今回、『前・氷使い』である君と『前・炎使い』の彼は同時に呼んだはずが、彼には断られておる。本人の意思じゃ。しかし、はじめて『呼び寄せ』される場合は断る余地などないだろうからな」パソンが淡々と話した。
「じゃあ『闇使い』がいないのはなんでだろうね」暇を持て余したレナは、くるくると宙返りをしている。
「恥ずかしがらずに出てくればいいのにな」ハリルが言った。
「まだわからないとか」レナは壁に頭をぶつけた。「いてっ」
「それこそわからんのう。待てば現れるのかどうかも不確か……」パソンは目をつむっている。
「でも『闇使い』は魔女の『黒』に対抗するのに不可欠な存在だと思うんだけど」六季が口元に手を当てて言った。
「それだから魔女は前回執拗にクロを狙ったんだもんな……。『黒』が効かない『闇使い』をな」ハリルがため息まじりに言った。
「とにかく、今、存在している『使い』たちを強化しなければならないということだな。わたしが不在にしていた間に強くなっているとは思うが」ラートンが口を開いた。
「それがだな……、ラートンよ、落ち着いて聞いてくれ」ハリルが芝居がかった調子でぼそぼそと言った。
「言い訳は聞きたくない」ラートンが即座に言った。
「まだ何も言ってねえぞ!」ハリルが唾を撒き散らして怒鳴った。
「思わせぶりな喋りをするからであろう」ハリルが目を閉じて言った。
レナと六季は顔を見合わせて笑った。
ハリルは深呼吸して、気持ちを落ち着けてから口を開いた。
「カイハはなんの問題もない。いますぐにでも魔女に特攻を仕掛けられるレベルだ。むしろこれ以上レベルを上げる余地がない。そのため他の4人の面倒を見てもらっている」
主に、ラートンを見て話す。
「『成長の手』の倫は……知識はすごい。歴代の『成長の手』と比べてもダントツだろう。ただし身体はいっさい使おうとしない。あ、乗馬とダンスは上手い。つまりいろいろひっくるめると、サポート専門のつもりなんだろうな。くわえて人の意見を聞かずに自分の思う道を突き進んでいて、それが吉と出るか凶と出るか、だ。吉に転ぶと見込んで周りが放置しているわけだが……へたに口出しするとうるさいし……」
「つまりは面倒だから放ったらかしにしているだけじゃないの」六季がため息混じりに言った。
「俺だけでなく、隊長だって手を焼いてるはずだぜ」ハリルがラートンを見やって言った。
「当初はな。今となっては役に立つことも多い」ラートンがぽつりと言う。
「へえー! この隊長が頭が上がらないとなっては俺がとやかく言う余地なしだ」ハリルは大げさに仰け反った。
「ごもっともね」六季も感心した様子で頷いた。
「次に、『風使い』の哲。さすが、実戦経験を積んでいるのもあって攻撃の手数が多い。ただし、思春期真っ只中だ。日によってのムラがすごい」あちこちからため息が聞こえてきた。ハリルは両手で顔を覆い、首を横に振った。
「夏季が拒否ったから?」レナが聞く。
「えっ。そうなの!?」六季が目を見開いた。「もー。とりあえずキープしてたぶらかしておけばいいのに」六季が天井を見て言った。
「夏季は、顔は似ておるが、性格まで似なくてよかったのう」ハリルがほがらかに笑った。ハリルとレナは苦笑いで、ラートンは腕を組み目を閉じていた。
「まだまだ子どもなんだからわからないわよ。これから成長していくんじゃない。ねえ、シエくん」六季がとつぜんラートンに話を振った。
「どうでもいい。とにかく『風使い』にしっかりしてもらわないと……」ラートンが眉間にしわを寄せて言い放った。
ハリルが笑いをこらえて肩を震わせる。パソンが口を歪めながらも、「これこれ」とハリルを軽くたしなめた。ラートンはもはやハリルに対してはケダモノを見るような冷たい視線を送っている。
「一方で、俊は調子がいい」気持ちを切り替えるかのように、ハリルが息を吐いて言った。「これは意外なんだが、人格が矯正されたのが大きい。一見ただのバカだが、バカで安定しているのが功を奏してだな」最後の方は、解せないというような、苦々しい顔つきになっていた。
「けなしてる? それって、いちおう、褒めているの?」六季が口を挟んだ。
「あとは実戦の機会を与えてやりたいくらいだ。敵と対峙したときに、どこまで愚直でいられるかが見もの、だな」ハリルは自分に言い聞かせるように頷いた。
「……で、問題は夏季なんだ。まともに訓練ができていない。あの首の痣を消さないことには難しい」ハリルは最後にそう言って、腕組みした。「こればっかりは彼女ががんばってどうにかするにも限界があるかと。現にじゅうぶんやっているように見えるがな。よりによって夏季が不調ときたもんで、あのたいそうな水の龍がすっかり鳴りを潜めてしまっている。乾燥ドクラエが手に入ったとはいえ期待したほどの即効性はないようだし」
「わかった。わたしも訓練で彼らの様子をこの目で確かめる」ラートンがもうたくさんとばかりに言った。
「これだよこれ。こわいこわい」ハリルが身震いする真似をした。
「そういうわけで」パソンが咳払いとともに言った。「新たな『使い』たちは順調に力をつけているものの、差が出てしまっている。そこでかつての『使い』にサポートをお願いしたい。元『炎使い』に断られてしまったのは残念であるし、もうこの世におらん者も数名いるため全員集合というわけにはいかんが、それでもこうして新旧の『使い』が出会える機会もそうそうないだろう。幸か不幸か、物は試しで新人たちへのアドバイスを請いたい。……というのが今回の『呼び寄せ』の意図、というわけだ」
「よくわかったわ、パソン議長。皆さん、お力になれるかわからないけれど、どうぞよろしく」
六季はにごりのないさわやかな笑顔を見せた。そのあまりの清々しさにパソン、ハリル、ラートンはかすかな違和感があったが、その場には不似合いな寒気を覚える理由がわかる者は、いなかった。

城の中はちょっとした騒ぎになっていた。
「聞いたか。昔の『使い』が呼び寄せされたんだとよ」
「なんでも魔女を倒した張本人らしい」
「どんな悪魔だよ……」
「それから各地に散っている『元・使い』も召集されているって話で……」
「悪魔だそうです。あなたのお母様」
倫が、満面の笑みで、前のめりに夏季の顔をのぞきこんでいる。
「否定はしないかな。乱暴でガサツだし、デリカシーもないから。暴言もひどいし。それに昔はかなりの問題児だったらしいよ。魔女を倒したっていうのもまああり得る話なんじゃない」夏季は適当に受け答えしていた。
「うそだろ……夏季のお母さんがそんな人間だなんて……」哲の顔が青ざめている。
「おい。真に受けるなよ」俊がうすら笑いを浮かべて言った。「夏季の顔を見てみろ。心底うんざりして諦めきったこの顔を。適当なこと言ってごまかしたいんだよ。要するに殺意が湧くほどめんどくさいんだ」
「よくわかってるじゃない」倫が拍手した。「そこまで他人の心を理解できるなんて、ずいぶん成長したのね」
「俺は元から大人だ」俊が力強く宣言した。それから夏季に優しく微笑んだ。「夏季も強くなったもんだな」
こんな時に褒められたところで夏季は微塵もうれしくなかった。正直なところ俊の笑顔も見当違いだとしか感じられない。耳元にまとわりつく噂話が自分の体調に少なからず影響することは明らかなので、とにかく夕食を早く終わらせて自室にこもろうと考えているだけで、周囲の言葉にもあまり深く考えすぎないように、可能なかぎり務めて適当な受け答えをしているのだった。冷静にふるまってはいるものの、内心はかなり必死。これも間接的ではあるが魔女への抵抗なのだ。こう言うと語弊があるし、大げさだと周りは言うだろうが、闘いは続いていた……。
昼間に会った感じだと、たぶんお母さんが部屋を訪ねてくる。
少し、二人だけで話をして落ち着きたいんだけどな。
食堂を見回すが、母親の姿はなかった。ラートンやハリルの姿もなく、上層部といっしょに食事をしているのかもしれないと夏季は思った。

寝巻きを着てベッドの上で髪を梳いていると、コンコンとノックの音がした。夏季は寝室から一旦書斎に出て、城の回廊に出る扉を開いた。
「こんばんは」ひょこっと部屋の中に飛び込んだ六季は若々しく、いたずらっぽい笑顔だった。
「えへへ。いらっしゃいませ」本来の母らしさを垣間見て、夏季が少し照れ臭くはにかんだ。「待ってたよ」
うっすらと埃の積もった大きな机、その背後にある天井まである書棚はほとんど空だった。机の手前にある簡素な椅子に座るよう、夏季が促した。
「いい部屋ね。さすが幹部棟」椅子に座った六季が、きょろきょろと部屋の中を見回した。
「お母さんの部屋は?」
「上の階で、バーツさんて人の隣」
「だったら似たような広い部屋なんじゃないの」
「もう少し、新しい部屋だったわ。改装したんでしょうね」
「え。ずるい」夏季の声が大きくなった。
「わたしは招待客なんだから当たり前でしょう」六季が顎を突き出して腕組みした。
「何しにはるばるセボまで来たのよ、ほんと……」夏季がため息をついた。
「ユニに会ってきたわ。あなたの話、たくさん聞かせてくれたわよ」
「それで食堂にいなかったんだね」
「ユニったら、おしゃべりが止まらなくなっちゃって。こんな時間になってしまった」
「さすがユニさん」夏季は笑って言った。
「それで。聞いたわよ。三角関係なんだって?」六季がとつぜん身を乗り出してきた。
「……誰から聞くの、そんな話」夏季はたじたじと、母親が前に出た分だけ、自分の体を後ろに引いた。いくらおしゃべりなユニでもそのような話までするとは思えない。
「さっき廊下で倫て子に会ったんだけど。あの子が『成長の手』なんでしょ。あいさつもそこそこに、『大事な話があるんですお母さん』と前置きしてから、まくし立ててくれたわよ」
夏季は、口から出そうになった罵り言葉を、グッと飲み込んだ。
「面白い子じゃない」六季が目を細めた。
周りからしてみれば面白いかもしれないが、当事者としてはたまったものではなく、『ゴシップ的に面白ければなんだって構わない』と強気で言い張るに違いない倫を、夏季はうらめしく思った。
「まあ、昼間にもレナから少し聞いて……」六季がブツブツと続けていた。
「そんなことどうでもいいの」夏季が怒り気味に言った。どいつもこいつも、と毒づきたいところであった。
「みんなそうは思っていないみたいよ」六季が笑い声をあげた。夏季が頬を膨らませている。「わかったわよ。どうでもいいのよね」
ようやく六季があきらめたのを確認すると、夏季は頭の片隅でずっと気になっていたことを尋ねた。
「元の世界で、わたしってどういう扱いになってるの? 突然いなくなったから、学校とかどうしているのかなって」
「ふつうに捜索願を出してあるわよ。学校の方はとりあえずは休学ということになっているわ」六季が淀みなく答える。
「へえ……」夏季は素直に驚いた。
「朝学校に出かけたきり行方知れず。まず学校から連絡があって、お宅の娘さん学校に来ていませんが遅刻が病欠ですか、と。ちゃんと朝見送りして登校したはずですと、ありのままを伝えたわ」
「お母さんはわたしがセボに行ったことを知っていたの?」
「なんとなくね。その前の晩にセナが夢に出てきたから。『迎えにいく』と」
「そうだったんだ……」
「しばらくは大変だったわよ。警察に行ったりとか、いろいろな人に心配されたりとか、あなたの友人も何人か尋ねてきたりしてね。わたしも悲劇の母親を演じたりしなきゃならなくて」六季は眉間にしわを寄せた。
「まあ確かに、子供が失踪して元気いっぱいだったらおかしいもんね」夏季はふむふむと頷いている。
「半年も経ったらずいぶん落ち着いたけどね」六季が肩をすくめる。
「……わたし、どんな顔して戻ればいいんだろう」夏季はふと視線をはずし、手を口元に持っていった。
「戻る?」六季が首を傾げた。
「……? 元の世界に、どんな顔して戻ればいいのかな、って」夏季は顔を上げた。
「ああ。そういうこと。戻ってくるんだ?」六季がいたってふつうの調子で言った。
今度は夏季が首を傾げた。
「帰るでしょう?」当たり前でしょう、という風に、夏季が言った。
「そうなの? 別にそれは当人の自由だと思うけど」六季は少し怪訝な顔になった。
「だってお母さんは用事が済んだら帰るでしょう」夏季が念を押すように言った。
「まあ、それもそうね」少し間を空けてから、六季が答えた。「あら? わたしの用事ってなんだったかしら?」
「……用が無いなら帰れば?」夏季は少し苛立ってきた。
「また冷たいことを。わたしがいて心強いでしょう」ふんぞる六季。
「心強いというか、照れ臭いというか……」夏季はふたたび視線を落とした。
「シャキッとしなさい」六季が夏季の肩をパンと叩いた。「さあ、明日から訓練なんでしょう。もう寝た方がいいんじゃない?」
「うん。もう寝るよ」
「見学に行こうかしら」六季が天井の方を見て言った。
「好きにしたら」夏季が息を吐いて言った。
就寝のあいさつをすると、六季は上の階へ向かった。夏季は静かに自室の扉を閉めた。部屋が静寂に包まれる。
「戻る」というフレーズのやりとりでなぜあんなにも噛み合わないのかと、夏季は困惑した。しかし、常日頃の母親とのやりとりでも、お互いに感覚がだいぶ違うのか、勘違いのすれ違いや若干ボケ気味なときは確かにあり、それほど特別に気にすることでもないかと、ベッドで考えながらまどろみ、眠りに落ちた。

鼻歌まじりで階段を一段ずつかみしめるようにゆっくりと上っていた。
そして肩を震わせて、小さなうめき声をもらし始めた。
こらえきれずにむせび泣いているのかと思われそうだが、口元は両端が裂けそうなくらいに笑っていた。
抑えきれないというように。
「うふふ。ふふふふ」
目からは静かに涙を流している。
待ち望んでいた異世界への帰還が泣き笑いするほどうれしいのであれば、「始まりの部屋」でもパソン議長の部屋でもなぜわざわざ平静を装って感情を抑えていたのかと、今の彼女の姿を見れば誰もが疑問に思っただろう。しかし夜も更けた今、めったなことでは起きている人間もおらず、人知れず感慨に耽るのみ。

ふと我に返ったように、格子の窓からはるか遠くを見やった。
回廊の隅にある小さな松明で、頬を伝った涙の跡がかすかに光っていた。
いつまでもいつまでも立ち尽くし、しかし目つきは鋭く、見えない目標を探しているかのようだった。

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