クレハの声が出なくなった。
その日の朝は、
爽やかな晴天で、飯も美味かったのに、
ただ一つだけいつもと違った。
「おはよう。飯美味かったな。」
クレハは俺が声を掛けても、軽く会釈をするだけだった。
最初は特に気にしなかったが、徐々に変だなと思い始めた。
「なぁ、良い天気だな。
昨日の雨が嘘みたいだ。」
「…………。」
クレハは俺が何を言っても返事せずに
身振り手振りで応えようとする。
「?
なんか言えよ。」
さすがに変だと思って問い詰めると
クレハは観念したように、答えた。
ただし紙に書かれた文字で。
『声が出なくなってしまったのです』
「えっ!?」
紙に書かれた文字を読んで、俺は言葉を失った。
声が出ない。なんでだ?どうしたんだ?
『でも、大丈夫です。すぐに治りますので』
クレハは心配するなと言う。
『間もなく公使館より使者の方がいらっしゃいますので、
アレン様はそちらへ。』
今日は午前中いっぱい来客が立て込んでる予定だった。
「分かった。とりあえず俺は行ってくるけど、すぐ戻ってくる。
あとで詳しく話し聞くからな。」
『行ってらっしゃいませ』
そう言って別れたのが朝の事。
昼になって戻ってくると、クレハの出迎えは無かった。
きょろきょろとあちこちを見渡すが見当たらない。
「戻ったぞ。クレハ、どこ行った?」
右往左往している俺を見かねたのか母上が教えてくれた。
クレハは熱を出して別室で休んでいるらしい。
行ってみると、ベッドで横になって、顔を真っ赤にさせていた。
「風邪をこじらせちゃったかもしれないわね。
心配はいらないと思うけど……。
風邪は万病の元って言うし。」
「え……。熱があるのか?
ま、万病ってなんだ?」
「あなたそんな事も知らないの。
まぁ、あなたはいつも元気だものね。
あらゆる病気の元になってるから、油断してはならないってことよ。
安静にしなきゃね。」
その言葉に俺は真っ青になった。
クレハが変な病気なったらどうしたら良いんだ?
いや、実際声が出ないなんてとんでもない病気なんじゃないか!?
俺達の喧騒が耳に入ったのか、
クレハが起き上がった。
『おおげさです。
ただの風邪です。すぐに良くなりますので。』
相変わらず声が出ないようで、筆談だ。
「起きるな。寝てろ。
午後から俺暇なんだ。看病してやる。」
俺はクレハの額を押して、無理やり横にさせた。
クレハは慌てて首を振っている。
「アレンがそんな事しなくても大丈夫よ。
あなたは公務が立て込んでいるんじゃないの?」
母上が気遣わしげに口を挟んできた。
確かに遅れ気味で仕事は山積みだが、そんな事より。
「クレハの方が大事だ。
それにこんなんじゃ、仕事なんて身がはいらねえ。」
即座に答えた俺に母上は諦めたようにため息をついた。
そして侍従にその旨を伝えてくると、部屋を出た。
クレハはおろおろとした表情で見上げている。
そしてまた筆を取って何か書こうとするので
俺はそれを押し留めた。
「いいから、お前は何も気にしないでいいから寝てろ。」
そう言って、額をつめたい布で濡らしてやった。
確か看病ってこういう感じで……やるはず。
寝かされているクレハは筆も取れずに、
相変わらず申し訳なさそうにしている。
「寝ろ。」
病人が起きていては話にならない。
とりあえず俺はクレハを寝かせた。
しばらくすると眠ったのか、寝息が聞こえた。
無理をさせたかなあ。疲れていたのかなあ、と思う。
いつも公務が終わると必ず出迎えてくれて、
さらにその後に剣の稽古を始める俺に付き合って
寒空でも雨でも関係なく外で待たせていたのがまずかったか。
原因をあれこれ考えて悪い事をしたな、と思った。
しばらくすると、果物でもどうかと侍従から預かった。
ああ、なるほど。病人にも食べやすいものだろう。
こういうとき、カインだったら色々と気遣って色んなものを作るんだろう。
気持ちだけは何でもしてやりたいと思うものの、
俺には何をすれば良いのか分からない。
「…… っ …」
背後から物音がした。
扉の音に気付いて、クレハが起きたようだ。
「起きたのか。ちょうど良い。
果物でもどうだ?食べやすいんじゃないか。」
俺はクレハに受け取った果物を差し出した。
クレハは遠慮がちに首を振って、
身振り手振りで俺に食えと言って来る。
病人の食べ物まで俺が食うほど悪人じゃない。
「お前の分だよ。お前が食えって。」
と言っても手を伸ばさない。
このまま観賞用に置いておいても仕方がない。
「じゃあ、俺も食うからお前も食え。
これなら良いな?」
そう言うとクレハは妙に顔を真っ赤にしてこくりと頷いた。
ふう、手が掛かる。
でも何かこのリンゴみずみずしくて結構美味いな。もう一口。
などと思っていると、気が付くと一個丸々食べようとしていた。
はっ、いかんいかん。
だから、これはクレハのだって。
そんな俺の百面相を楽しげにクレハは見つめてみた。
「み、見てないで、食えってばーー!」
無理やりフォークをクレハに持たせて
ようやくリンゴを食べさせる事に成功した。
クレハは笑っているが、やっぱり声が出ない。
部屋の中に響くのは俺の声ばかりだ。
俺ばっかり喋っていても、詰まらないなと思った。
「食べ終わったら、また少し寝ろ。
早く良くなれ。」
その後またクレハが眠ると部屋は恐ろしく静かだった。
ただ、窓の奥からローレシアの兵が何か喋っている様子が聞こえる。
耳を澄ますと、鳥の鳴き声も聞こえる。
こんなに無音で過ごしている事はないため、
ローレシアってこんなに賑やかだったんだなと改めて気付いた。
でも、クレハの声だけが聞こえない。
夜、先ほどと同じように
クレハには消化に良さそうな食事が運ばれて
俺はそれを運んだり、クレハを起こしたり手伝った。
相変わらず無音の世界に、
俺の声だけが響く。
料理も作れないし、薬も用意できない。
俺はそれを運ぶだけで、出来る事なんて無いんだなと思った。
でも、申し訳なさそうな表情をするクレハに気を遣わせまいと
俺はなるべく明るく振舞った。
医者もすぐに治るだろうと言った。
熱は下がり始めていると。俺は安堵した。
きっと明日には元通りだと。
翌朝。
クレハの熱は下がっていた。
だけど安堵したのもつかの間。
クレハの声は戻っていなかった。
俺はてっきりクレハの「おはよう」って声が聞けるんだと思った。
それが聞けないと分かった時、何故だか分からないほど落ち込んだ。
今日も看病しようとしたが、
既にクレハは熱は下がっており、
その必要はないと言われた。
『アレン様、私は大丈夫です。
お仕事に行ってくださいませ。』
「でも、お前まだ治ってないじゃないか。
俺、お前が治るまで傍にいる!!」
なんか、自分でも子どもじみた事を言っていると思った。
ただの駄々っ子だ。
クレハの方が大人だった。
『私のせいでアレン様のお仕事が支障が出るなんて
許されないことです。
どうか行ってください。』
「で、でも!!」
『私の気持ちがお分かりならば、行ってください。
お願いします。』
懇願するような、命令するような、
逆らえない厳しい表情だった。
しぶしぶ俺は立ち上がって部屋を出た。
それからは表向き普段どおりの生活に戻った。
山盛りになっている仕事に、
無理やり手と体を動かしていると、
頭がそれでいっぱいになるかと思ったが、
そうでもなかった。
政務官や補佐官らの騒々しい声が飛び交っている。
こんなに騒々しいはずなのに、
俺はまだ一人無音の世界の中にいた。
クレハの声が聞こえない。
ほんの数日前まで聞いていたクレハの声が思い出せない。
何年も、十年以上聞いてきたはずなのに、
クレハの声が思い出せない。
どんな声をしていたんだっけ。
どんな声で俺に毎朝・毎晩挨拶をしてたんだっけ。
どんな声で俺に毎日叱咤激励してくれたんだっけ。
ずっと昔から当たり前の事でいたから、
それが大事だとも思っていなかった。
こんなに、物狂おしく寂しい思いをすると思わなかった。
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俺は後で思うと、小さな子どものようにうろたえていた。
高熱に伏せ、苦しそうな表情をするクレハの顔を思い出した。
風邪じゃなくて万病に掛かっていたらどうしたら良いんだ。
いや、こんなんじゃ駄目だ。
どうしたら良いんだ?じゃない。
何とか、何でもしてやるんだ。
世界を救ったくせに、人一人救えないなんて事があるか。
俺は知ってる。世界には人の命を救うアイテムだってあるんだ。
だから大丈夫。
それに、俺に足らない部分は仲間を頼ったって、良いんだ。
「アレン様、どこへ行かれるのですか!?」
政務官が席を立った俺に慌てた様子で声を掛けた。
「ちょっと……。所用でな。」
「所用……とは?」
サボり癖のある俺の性格をよく分かって詰め寄ってくる。
有能な政務官だ。
だが、俺も引き下がるつもりはない。
「下痢気味なんだよ。文句あるかよ。」
「…………。」
若干言いよどんで、政務官は引き下がった。
よしよし。
俺は城の屋上へ行って、
鳥を捕まえた。
こういう時はカインに聞くのが良いだろう。
対処法を教えてくれと手紙を書いた。
表に『大至急!』と書いて。
相手の都合も知らずに申し訳ないが。
羽ばたいた伝書鳩に俺は祈るように手を合わせた。
大至急と書いたんだから、返事が帰ってくるまで待っていよう。
何故かあいつが立て込んでいるかどうかなんか全く気にしてなかった。
後から思うとちょっと悪かったなと思う。
だが、思ったとおり、手紙はすぐに帰ってきた。
「来たぁ!」
俺は慌ててそれを受け取った。
封を開ける手ももどかしい。
手紙には、ありがたく簡潔にいくつかの対処法が書いてあった。
その対処に必要な物品を拝借しに、
俺はあちこちに立ち寄りながら、クレハの部屋に戻った。
「クレハー!」
突然扉を開けた俺に驚いてクレハは振り返った。
何か言いたそうだ。が、声はない。
恐らくお説教が言いたかったのかと思う。
今はその説教も懐かしい気分だ。
「この部屋寒いな。
まずそれが駄目だな。
よし、暖炉のある俺の部屋に移動だ。来い。」
俺はクレハの手を取って、部屋を移動する事にした。
クレハは何か言いたげだが、声が出ないのを良い事に
俺は強引に手を引いた。
俺の部屋に着くと、ソファに座らせた。
「喉元、暖かくしてた方が良いんだって。
これ巻いてろ。」
俺は拝借してきたマフラーをクレハの首に巻いてやった。
近づくとほんわりとクレハの体温を感じる。
「………っ……。」
「ん?なんだ?何か言いたいことがあるか?
あとで紙に書けな。
えーっと、それからこれ。」
といって俺が差し出したのは飲み物だ。
「えっとな、なんだっけ。
暖かい飲み物と、あと蜂蜜が良いんだって〜。
だから、ホットミルクに蜂蜜混ぜてみた。
俺もさっき飲んだが、結構うまい。飲め。」
「…………。」
「飲めって。」
俺はまたクレハに一口でも飲むように促した。
クレハは遠慮がちに口をつけるとゆっくりと飲み込んだ。
「な、美味いだろ?甘いのが良いよな。
疲れが取れる気がするぜー。」
「ええ……。ほん……とうに。」
「お前も気に入ったか?
さすがカインだよな。良いの知ってるよな〜。
って、お前!!声!」
最初、それがあんまり自然で普通だったので、
一瞬またそれが特別な事だと言う考えがまた頭からすっぽり抜けていた。
それくらい、やっぱりクレハの声は俺の中で当たり前になっていて、
こんなに愛おしく感じるなんて、自分でもおかしく思った。
「お前、声出るようになったのか!?」
「はい……。こんな、掠れ声…ですが……。」
確かにまだ少し掠れ気味で、いつもと同じ、とは言えないかもしれなかった。
でも俺はずっと忘れていたものをようやく見つけたような思いがした。
「また……、カイン様にお世話に、なったん…ですか?
お礼をしなきゃ……ですね。」
「え、ああ。色々教えてくれたんだぜ。
喉が炎症を?起こしてるのが、どうのこうので。
蜂蜜もカインが教えてくれた!
えーっと、他にはな。あ…やばい!」
再度手紙に視線を落とした俺は、
最後に書かれていたことを読み返して慌てた。
「どう、したんですか……?」
「わーー!!クレハ黙って!」
「!?」
突然口を押さえられて、クレハは驚いている。
あ、ちょっと乱暴だったかなと思ったが、仕方ない。
「手紙に書いてある!
そうやって掠れ声で無理すると、長引くからそれが一番駄目だって。
しーだ。しーー……。」
子どものような仕草の俺に少々目を丸くしながら、
クレハもちらっと手紙に視線を落とした。
本当に書かれていると中を見たんだろう。
これ以上心配を掛けないようにと、
筆を手に取ると、突然に政務官の声がした。
「アレン様!あ、部屋にお戻りではないですか!
いくらなんでもあんまり長いと思ったら。」
「あ、やべ、俺便秘だった……んだっけ?」
「下痢ではなかったのですか?」
「あ、違った……」
仕事をほったらかして出てきたんだった。
しかも下痢とか言って。
クレハが俺を見る目が途端に鋭くなる。
『アレン様、お仕事をさぼってはなりませんよ。』
怒られた。正論である。それはそうだ。
「俺、お前が心配だったから……!」
とか言ってみたが、クレハの厳しい表情は変わらない。
そう言えば、言っていたな。
クレハは自分が俺の足を引っ張るのが嫌なのだと。
『もう元気になりました。
私は、毅然として皆の前に立つアレン様が好きです。』
「…………。」
一瞬何と答えたら良いのかと思った。
が、確かに、小さな子どものようにうろたえる姿なんて
見ていて良い気持ちはしないだろう。
「わ〜かったよ。行くよ。」
しぶしぶ立ち上がった俺に、
補佐官も事情を察して、安堵したようだ。
どうやらこいつも困っていたのかもしれない。
「じゃ、行って来る。」
と言って振り返ったクレハは今度は厳しい表情はしていなかった。
穏やかで優しい笑みを浮かべていた。
そして深く一礼して言った。
「行ってらっしゃいませ…!」
と。
「…………!」
今しがた喋るなと無理するなと言ったばかりなのに、
いつものように張りのある元気なクレハの声は、
きっと無理してるんだろうと思った。
でもその声は、俺にとってもいつも元気の源だったんだなって思った。
仕事なんて、とっとと終わらせてやる。
俺はにやりと笑って、クレハの肩に手を回して言った。
「ああ。すぐ戻るからな、ここで待ってろ。」
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- 終 -
2015/10/21
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【後書き】
ふしぎるうさま差し上げ用のSSです。
リクエスト「アレクレでテンパってるアレン」でした。テンパると言うか、すごくおろおろするみたいですね、アレン。
万病に掛かってるかもしれないとか、素直に手紙の通りにしたりとか、アレンは素直です(笑)
って、あれ、このネタはどっかで見たような?って気もするけど(滝汗)、ワンパターン脳スイマセン。