今日は昼から行っていた会議が中々まとまらず、そのあとに書類仕事をしているとすっかり夜になってしまった。
廊下を歩いていると、厨房の灯りが灯っているのに気づいた。
こんな時間に誰かいるんだろうと覗いてみると、そこにいるのは料理人ではなくて娘のアリスだった。
「アリス、あなたこんな時間まで何をしているの?」
「あ、お母さま。お母さまこそこんな夜更けまでお仕事お疲れさまでした〜。」
アリスは一瞬驚いた顔をしてこちらを見た。
「あなたも明日は早いんでしょう?ローレシアへのご用をお任せしているんだから。
忘れてないわよね?」
「はい、もちろんそれはお任せください。もうすぐ終わります。そしたら寝るからお母さまもおやすみなさいませ。」
最近は息子のマナがサマルトリアへ行くことが増えている。だからアリスにも少し国外への公務を任せようということで、
明日は女王の名代としてローレシア国への訪問予定があるのだ。
「その忙しいアリスが何をしているのよ。」
「んもう、お母さま、明日はバレンタインじゃない?
だから、ちょっと贈り物でも作ろうかなって思っただけ。」
バレンタイン…?
多忙繁多でそんなのすっかり忘れていた。
「それで、アリスは甘いものが好きなアレンのためにお菓子を作っているの?
それはきっと喜ぶと思うわよ。」
そういうと、アリスはすごく変な顔になった。
「アレン様?へえ、アレン様甘いものが好きなんですか?」
アリスはううーんと腕を組んで、「じゃあ、この大きい焼き菓子を切り分けようか」とつぶやいている。
ローレシアに行くのにアレン用ではないということは…。
「違うの?まさか…カレルくんに作ってるの?」
そういうと、アリスは「うん」と頷いて耳まで真っ赤になっている。
カレルとはローレシアのアレンの長男だ。アリスより2歳年上で友達のように仲が良かったのだが、いつの間にそんなことになっていたとは。
これはちょっとカインに報告をしなければならないと思うと同時にはたと硬直した。
「バレンタイン?明日…?」
「そう。お母さまはお父さまに何か用意しているの?」
用意なんてしていない。
すっかり今の今までそんなこと忘れてたのだから。
「忙しいから、そういうことは私はしないのよ…。」
と言いつつ、こんなだから、迫力はあるけど、女性らしさがないなどとアレンに言われるのだと思った。
「まぁ確かにお母さま忙しいもんねー。じゃあ、手伝おうか?一緒に作る?」
アリスをずっとおしゃべりしながらもてきぱきとお菓子作りをしている。
焼き菓子を作っているようだ。
「ねえ、これちょっと焼き色が付いた方がいいかしら?」
などと言いながら、ポッと掌に火の玉を作り出すと、表面をあぶりだした。
バターの香ばしい匂いが広がる。
この子の料理上手は完全にカインの才能が遺伝している。
大体今のはなんだ、お菓子作りに魔法まで使ったりして。
「見てこれー!おいしそうにできたわ。
沢山作ったから、お父さまとマナにもおすそ分けできそう。」
なんて器用なのだろう。
お店の商品のような仕上がりだ。
「お母さまは本当にいいの?私、手伝うわよー。」
「私はいいのよ。」
「……なんで?お母さまからって言ったら、お父さま喜ぶよ?」
「あなたがカインたちにもあげるなら、もうそれで喜ぶに違いないわ。充分よ。」
アリスはちょっと釈然としない表情をしている。
「変なお母さま。」
カインに料理やお菓子の贈り物をしたことは、私にだって何度かはある。
私にはカインやアリスのように料理の才能もなく経験もないので、大体は必死になって作っても残念な仕上がりになる。
結局カインが作ったものと見比べたときに悲しい気持ちになる、という結末が多い。
アリスがこんなにおいしそうなお菓子が作れるのだから、カインの喜ぶ表情が目に浮かぶ。
それで十分だろう。
+++
翌日。
実は今日は家族が皆あちこちに遠出する一日でもあった。
アリスはローレシアに公用で出るが、マナもサマルトリアに勉強をしに、そしてカインは何かクナ達ムーンブルク兵団と海岸の見回りに行くのだという。
私は一人寂しくムーンブルク城で留守番だ。
だが家族の不在を寂しがるような暇もなく、今日も今日で多忙な公務に忙殺されていた。
一番にムーンブルクに帰ってきたのは、マナだった。
マナは最近留学に近い形でサマルトリアに行っていて、様々なことを学んでいる。
「母さまただいま帰りましたー。」
マナは両手にいっぱいの荷物を持っていた。
「どうしたの?その荷物は。」
「マイちゃんからもらったんだよ。今日はバレンタインでしょ?
これは僕の、こっちの大きいのは父さまの分。いいでしょー」
そういってマナは嬉しそうだ。
「マイさんから?マイさんも忙しいだろうに申し訳ないわね。」
「見てみて。母さまの分もちゃんとあるよー。これ、姉さまと食べてって。良かったねえ。」
「ありがとう…。」
私は笑顔を見せたが、反省していた。
女王は多忙だからバレンタインの贈り物をしないなどという私なんかとは違う。
マイさんだってサマルトリアの女王という立場なのに、皆に贈り物を用意しているじゃないか。
さすがに少し心苦しくなってきた。
しばらくするとアリスも帰ってきた。
「お母さま、ただいま。聞いて聞いて。」
どうやらアリスの手作りお菓子は好評だったようだ。
「お母さま、アレン様の甘いもの好きって本当だったわ。
すごく喜んでくれたの。」
「そう、良かったわね。まぁアレンが好きなのは甘いものだけじゃなくて食べ物全般なのよ。
カレルくんも喜んでた?」
「え?うん。まあね!」
少し頬を赤らめて、でもアリスは嬉しそうに笑っている。
そこには淡い恋心があるのかもしれないが。
「良かったわね。」
私はそういった。
心を込めた贈り物はきっと相手にも伝わる。もらって嫌な人なんてきっといない。
そう思ってはいるのに。
「お母さまは、本当に何もしないの?」
アリスのその言葉が鋭く心に突き刺さった。
「え、母さまは父さまに何もしないの?」
マナの純粋な言葉がさらに傷口を広げてくる。
「もう、大人をからかうんじゃないわ。
あなた方も今日は疲れたでしょう?早く夕食をとって休みなさい。」
「はーい。」
子どもたちにそう言って送り出すと、廊下からバタバタと騒がしい物音が聞こえた。
クナ達が帰ってきたのだと思った。
だが、そこにカインの姿はなかった。
「ああ、マリア様こちらにいらっしゃいましたか!」
「ええ、お帰りなさい。遠くまで大変だったわね。…何かあったの?」
クナ達は最近ムーンブルク近海の治安が悪いというので海岸の方へと調査に向かっていたのだ。
「それが……」
クナは言い出しにくそうに口を開いた。
治安の悪化は最近近海に現れたという海賊たちの仕業だったそうだ。ムーンブルクの兵たちとは話し合いの形にすらならずに、船から降りた海賊たちは襲い掛かってきたのだそうだ。
そして、そんな海賊たちから兵を守ろうとしてカインが断崖絶壁の岸壁から海へと落ちたのだという。
「そ、そんな…!!それで、カインはどうしてるの!?まさか……」
私の剣幕にクナは一瞬ひるんだようだが、安心するように言った。
「大丈夫ですよ、あのカイン様ですよ?カイン様は空を飛べるのですから。
勝利を確信してたやつらのあの驚いた様子といったらなかったです。」
どうやら、落ちて死んだと思ったカインが空から反撃をするものだから、恐怖に逃げ帰っていったようだ。
「それは良かったわ。それで、カインは今どこに?」
そうやって勝利に貢献をしたカインであったが、落ちたときに足を痛めたのだという。
それで別動隊の馬を借りて、それに乗って帰ってくるのだという。
クナはマリアが心配しているだろうからと先駆けに帰ってきたのだ。
「ですから、ご安心ください。あと数時間もしたら帰還されると思います。」
「そ、そう…分かったわ。報告ありがとう。」
報告を聞いて、私は肝を冷やした。
断崖絶壁から落ちた?
足を怪我した?
ああ、私が一緒にいっていたら、どんな怪我でもすぐに治すのに…!
怪我の程度が分からずに、私は居ても立っても居られない気持ちになった。
カインが帰ってこなかった可能性もあったのかもしれないと思うと、われながら情けないのだが震えが止まらなくなるのだ。
私はここで何もできずに待つしかできないなんて…。
「お母さま、大丈夫?」
部屋に戻ってたはずのアリスとマナがひょこっと顔をだした。
「アリス…、ええ。大丈夫よ。ごめんなさいね、心配をかけて。」
「ううん。お父さま心配だなあ。せっかくバレンタインなのにね。
私の作ったお菓子食べて欲しいなあ。」
「うん。マイちゃんの作ったケーキもあるもん。
これ食べたらきっと元気になるよ。」
そうだ。
もし、カインが帰ってこなかったら、私はずっとあのバレンタインの日に何もできなかったと悔やむのかもしれない。もしそうなったら、後から後悔したってもう何にもならないのに。
今なら……まだ間に合うのではないか?
「……ねえ、アリス。今からでも何か作れるかしら?」
今頃何を言っているのかと言われるかと思ったが、アリスはパッと表情を明るくした。
「うん!できるよ!数時間って言ってたもんね。それくらいあればできるよ!でもどうして?」
かたくなに作らないと言っていたのに、どういう心変わりかと思っているのだろう。確かに自分でもおかしな心境の変化だと思うのだが。
いつまでこうやって日々が過ごせるかなんて誰にもわからないのだ。
「いつか、会えなくなる日が来たとしたら、ずっと諦めて何もしなかった事を後悔しそうだもの。」
そんなことを言うとキョトンとした顔をしてアリスがぶるぶると首を振った。
「お母さま、重い重い。」
「母さまも何か作るの?きっと父さま一番喜ぶよ!」
「そう、ほんとそれ。それだけのこと。
お父さまなんて、私よりマイさまより、お母さまからのチョコを一番喜ぶにきまってんだから。」
「そ、そうかしら……」
笑顔の子どもたちを見ると自分が考えすぎていることが馬鹿らしくなる。
「ありがとう。」
アリスと相談して、結局私が作ったのはチョコレートを使ったカップケーキだった。
それほど難しくもなく簡単なものであるが、よくカインが私が疲れたときに作ってくれるものだ。
時間もあまりかからず作れるので、カインの帰還に無事間に合った。
「マリア様、カイン様が帰ってこられたようです!」
城門を上から覗き込んで、カインの帰還を待っていたクナが教えに来てくれた。
足を怪我しているといっていたから、歩くのが大変かもしれない。
私が城門の方に向かうと、馬から降りたカインがいた。
「おかえりなさい!カイン、大丈夫?」
「あ、マリア。ただいま。ごめんね、遅くなって。」
思わず飛びつきそうになって、やめた。
左足に包帯がぐるぐる巻きになっていたし、カインはこちらに歩いてこようとするが、壁に手をついているような状態だった。
「いっ、た……」
「だ、大丈夫?クナから報告は受けてるのだけど。」
私が体を支えると、カインはポリポリと気恥ずかしそうに頭をかいた。
「皆の前で盛大にやらかして、色々迷惑かけてきちゃった……ごめん。」
「え、そんな!クナはカインが空から海賊をやっつけたんだって言ってたわよ?」
「違う。そんなかっこいい話じゃないよ。」
どうやら、岸壁から落下して海に落ちたカインは、当然もう死んだものと思われていたようだ。だから、ふわふわ浮かんできたカインを見て海賊は相当恐怖を覚えたようで、空から二三度剣を振るったら、それだけで逃げて行ってしまったという。
「すごいじゃない」
「足、ぽっきり折れたみたいで、空からじゃないと攻撃できなかっただけだよ…。
おかげで服も借りちゃったし、皆と一緒に帰れなかったし。マリアにも心配かけてごめんよ。」
申し訳なさそうにカインは言った。
「謝らないで。あなたが皆を守ってくれたってクナは言ってた。おかげで兵たちは他に怪我人もいないんだから。」
しかし足が折れたって?大変じゃないか。それに行きと服装が変わっているのは海に落ちたからだそうだ。体も冷えてるかもしれない。こんな夜更けまで大変だったに違いない。
クナ達兵は私たちのことを何か人を越えた存在だと盲信している気がするが実際はそんなことは無い。
剣や魔法で魔物と戦う時は確かに常人のそれとは違うかもしれないが、身体そのものが規格外に頑強にできている訳ではない。
怪我をする時は怪我をするし、病気になる時は病気にもなるのだ。
無事で帰って来れて本当に良かった。海に落ちて、帰れなかった可能性も実際あったかと思うと恐ろしい。
落下したときの怪我だろうか。額からも血が流れていたし、足だけじゃなく、きっとあちこち痛めているのだろう。
「ベホマ…!」
私は完全回復魔法を唱えた。
怪我はこれで治るはずだ。
「もう大丈夫かしら?痛いところはない?」
「ありがとう。マリアの魔法はすごいなあ。」
カインは左足のつま先でトントン地面を蹴ってみた。
「全然痛くない。」
そういってやっと笑顔を見せてくれたカインに今度こそ私は抱きついた。
「無事に帰ってきてくれて良かった……。」
しばらくそうしていたかったが、それは許されなかった。
「もーー!ほんとだよー!僕ら心配したんだよ。」
「お父さま、一人だけ海に落ちるなんて、なんでそんなにどんくさいのー。」
子どもたちがひょこっとやってきていた。
「あ、あなたたち……!寝てなさいって言ったじゃない!」
「えー、僕たちだって父さまの心配してたんだもん。」
「ずっと待ってたんだよ。」
それはそうだろう。子どもたちだってずっと心配して、眠れと言われても眠れなかったのだろう。
「ありがとう。アリスもマナも。ほら、もう全然大丈夫。
だから、もう寝ておいで。」
「んもう、二人でラブシーンしたいかもしれないけど、ちょっとくらいいいじゃない。」
そういうとぷーっとアリスが唇を尖らせた。
「アリス何を言うの。」
「今日はバレンタインなんだよ。お菓子渡させてよ。これ、私が作ったマドレーヌだよ。」
「あ、こっちはマイちゃんからもらったケーキだよ。
チョコペンで『たまにはサマルトリアに帰ってきてね』って書いてある。」
「わわ、2人ともありがとう。嬉しいよ。」
カインが一層嬉しそうな表情になって子どもたちからお菓子を受け取った。
「ほら、お母さま。なんでこの流れで出さないの?」
「え、マリアからもあるの?」
カインが驚いた顔をした。そうなのだ、ここ数年私からお菓子をあげる、なんてことは…できないでいた。
だから、例年、バレンタインなんていつもの日常と何の変りもない日だった。
「慌ててきたからここには持ってきてないけど、カップケーキを作ったの。
疲れたときにはカインがいつも作ってくれるじゃない?温かいから冷えた体にもちょうどいいかもしれない。」
「本当?ありがとう!疲れなんて吹っ飛ぶよ!」
きっと自分が作った方が上手だろうに、そんなことはおくびにも出さずカインは喜んでくれた。
「んもう。お母さまってば、何から何まで世話がかかるんだから。部屋に置いてきちゃったの?皆で取りに行こう。」
「何から何までって……」
自分の娘にここまで言われるのも情けない。しかし実際アリスは呆れているだろうし、世話になった。
「マナも手伝ったんだよ。まーぜまぜって。」
「アリスもマナもありがとう。」
二人は今日行ってきたローレシアやサマルトリアの話も聞いてもらいたいとカインの手を引いていこうとする。
おいて行かないでよ。私だってカインと話したいのに、そんな事、当然言えずにいると、カインが不意にこちらを向いた。
「あとでね。」
驚いた。どうしてだろう。カインは私の心が読めるのだろうか。
私はこくりと頷いた。
今は、家族と一緒にいられるこの日常の光景を目に焼き付けよう。そうすると私は改めて幸せを感じることができた。
- 終わり -
2025/02/16
