空にふたりで


最近、マリアはほとんど部屋にいなかった。

城の廊下を歩けば、どこかで彼女の名前が呼ばれている。
執務室を覗けば、いつだって机に向かったままペンを走らせている。いつも書類の山と向き合う日々だった。

二日前。
珍しく早く戻ってきたと思ったら、顔色が悪かった。
声をかける間もなく、そのままベッドに倒れ込み、熱を出した。

今朝は熱は下がったからとまた忙しそうに走り回っている。

カインもマリアの負担を減らそうと動いていたが、それでも追いつかないのだろう。城にいると侍従たちがすぐに指示を仰ぎに来るし、夜に なってもマリアは終わらない書類と向き合っていた。

少しゆっくり二人で話をしたかった。
誰もいない場所に逃避したい。

そう思い浮かべたとき、自然と浮かぶのはひとつしかなかった。
空だ。

時折、2人で空に逃避行をしていたのだが、最近はその時間も持てないでいた。

執務室から出てきたマリアを捕まえて、カインは空の散歩に行こうと誘った。

「空……へ?」

ほんのわずか、間があった。

マリアの視線が揺れる。
考え事をしている顔だった。

何かあるのかもしれない。
忙しさか、悩みか。
どちらでもいい。話を聞きたいと思った。

「たまには気分転換にさ。」

重ねて誘うとマリアは小さく頷いた。


++

ふわり、と足元が浮く。
城の屋根を越えて、ムーンブルクからも少し離れた。

「マリア、どこに行こうか?」
「そうね……どこでもいいわよ。」

どこでもいいと言われると逆に悩ましい。
城で公務に追われているなら、景色の開けた場所がいいだろうか。

「海の方へ行こうか。」
「分かったわ。」

空気が少しだけ冷たくなる。
一度だけ、浅く息を整える。

「寒くない?」
「ええ、大丈夫よ。」

景色はゆっくりと変わっていく。
城下町が遠ざかり、やがて海が眼前に広がり始めた。

少しでも気分が変わればと思ってきたのだけれど、マリアはあまり景色を見ている様子がない。

というか、自分を見ている。
それも、ただ見ているというより、何かを確かめているような。

「……マリア、何? 僕の顔、何かついている?」

少し焦って顔に触れてみる。無意識に指先が頬をなぞる。
米粒でもつけておかしなことになっているのかと思ったのだ。

「いいえ、何も」

それでも、視線は外れない。
少し気恥ずかしくなって、カインは苦笑した。

「何か、僕に言いたいこと、ある感じ……かな? 最近忙しそうだったし……あまり力になれてなくて、ごめん。」
「えっ、違うわ」

即座に否定する声。

「そんなことない」

少し強い調子だった。

でも、カインは確信を持って言った。

「この間も、疲れ果てて、熱を出してたでしょう。
 頑張りすぎてるんじゃないかって心配で…。」
「違うの、あ、あれはね……。」

言葉が続かない。
カインはそれ以上踏み込まず、穏やかに続けた。

「手伝えることがあったら言って。今日はマリアの話を聞こうと思って誘ったんだよ。」
「………… 」

マリアはどう答えるべきか少し悩みながら、もう一度違うの、と言った。
そしてカインを見た。

「心配かけてごめんなさい。分かった…言うわ。きっとカイン呆れて怒ると思うわよ。」

マリアは観念したようにそう言った。

「何でも言ってよ。」

そう答えると、今度はマリアの視線がゆっくりと動いた。
カインの足元を見たり、腕を見たり、全身不思議そうに見ている。カインはますます分からなくなった。

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「マリア……、何? どしたの?」
「ねえ、あなた今、どこに力を入れている?」

思いもよらない質問に、カインの目が一瞬点になった。

「え? 力?」

今度はカインが自分の身体を見下ろした。

「特に……入れてないけど」
「じゃあ、どこを見てるの?」
「どこって……今はマリアを見てるけど。」
「それじゃあおかしいと思うのよ……」
「おかしい…、って何が?」

話が見えない。
マリアが何か支離滅裂なことを言いだしたから、カインの方が不思議そうな顔になった。

「ルーラをするときに対象物を見つめていたら、そこに向かって飛んでっちゃうでしょう?」
「……………」

まだ言われていることがよく分からず、カインは咀嚼しながら考えた。

「えーっと、ルーラ?」
「ねえ、カイン言ってたじゃない。これってルーラなのよね?ルーラの応用で空を飛んでるんだって。」
「あ、これ?」

カインは軽く旋回してみせた。

「そう、これ!どうしてこんなことができるの?」

そこでようやく、カインは話が繋がった。

「マリア、もしかして飛んでみようとしていた?」

ほんの少し、気まずそうに、こくりと頷いた。

「練習してみたの。何度も。
 工夫も……ルーラを途中で止めればいいのかしらとか目的地を空にすればいいのかしらとか。」
「えっ、そんなことできる?」

逆にカインに驚かれてしまった。どうやらやり方が違うようだ。

「どうしても、できなかったわ。
 近くへ飛ぼうとしてもすごい勢いで庭に飛んだわ。」
「それは普通のルーラだよ」
「分かってるわよ」

マリアの声に珍しくとげがあった。

「だから改良しようとして、ルーラを途中で止めようとしたら、全然知らない場所に飛んだわ。
 次に目的地を空にしたら、上空に出て、そのまま落ちた。」
「ええええーーーーー!!」

思わず声が裏返る。

「危ないよ!大丈夫だったの!?怪我とかしなかった?」
「まぁ、大事はないわよ。」

こともなげに言う。
だが、明らかに無茶だ。

「要するに、座標が定まらないの。あなたの唱えているルーラがなんなのか分からなくなってきて、それで一昨日色々試行錯誤してんだけど、 うまくいかなくって。」

一昨日と言えば、マリアが熱を出していた日だ。
どうやら、何度も何度も試行錯誤を繰り返した結果の疲労での発熱だったようだ。

カインはしばらく何も言えなかった。

「ほら、さすがに怒るでしょう?」

マリアがぽつりと呟く。

「馬鹿だなって」
 
カインはゆっくり首を振る。

「怒らないよ、でも無茶をするのはやめて欲しい。」

それでさっきからずっと自分を見ていたのだとやっと分かった。

「僕のこれはね、たぶんそれで言うとルーラとは違うんだ」
「違う?」
「目的地を持たないんだ。
 ……持っちゃいけない、という方が近いかな」

マリアの眉が寄る。

「目的地を持たない……?」
「うん。どこにも行かない、っていう感覚」

自分で言いながら、少し苦笑する。

「その感覚が、どうしても掴めない」
「うん」
「多分そうだろうと思ったの。概念は分かるのよ。でも唱えるたびに別の場所に飛んでしまうの。魔法の制御ならだれにも負けないと思ってい たけれど」

少し口早にそこまで言って、ことばが止まった。
悔しそうな顔をしていた。唇をわずかに噛んで、視線をほんの少しだけそらした。
マリアは魔法に絶対の自信があるのに、それがここ数日で削られて行ってしまったようで。

「マリア」
「何?」

怪訝そうな声で聴き返すマリアに、カインもどう答えようかと少し考えながら口を開いた。

「ルーラって、目的地に飛ぶでしょう。だから、目的地を鮮明に描くほど精度が上がる。マリアは魔法の制御が上手いから、だからこそ目的地 を描く力がすごく強い。それで余計に、どこかに飛んでしまうんだと思う」

マリアが少し眉を寄せた。

「どうしたらいいの?」
「どこにも行かないという事を、体に覚えさせるという感じかな。
 うーん。自分で言ってておかしいと気づいたよ。これってルーラの基本と真逆だもんね。だから、マリアには余計難しいんだと思う。」

「どこにも行かないルーラ?」
「うん。行先じゃなくて、今いる場所だけを思い浮かべて、あとは魔法力を体に乗せるような感覚かな。そしたら自由に動ける。」

マリアは少し考えた。

「それは、魔法云々というより……感覚の世界ね。」
「そう、だね。僕も言葉にしたのは初めてだよ。何言ってんだって感じだね。」

カインはおかしそうに笑った。

「……一朝一夕だと無理ね。」

マリアは少しだけ黙って、それから静かに言った。

「悔しいわ」
「………… 」

カインはすぐには答えなかった。
しばらくして、静かに言った。

「でも、マリアにできないとは思わないよ。マリアは天才だもの。」
「私、ルーラもギラも苦手よ。」
「苦手でもできちゃうでしょ。あのザオリクだってできちゃったんだもの。マリアに使えない魔法はないよ。」

カインはいつも手放しでマリアの魔法の才能を褒めてくれる。
マリアからしたら、カインの工夫をこらした魔法の才の方が真似ができないと思う。

「すぐにはできないかもしれない。」
「時間がかかってもいいじゃない。ゆっくりやっていこうよ。
 あ、でも練習するなら僕を呼んで。
 マリアが空から落ちるのは見たくないもの。」

散々な話を聞かされて、さすがに肝を冷やしたらしい。

その言葉に、マリアは小さく笑った。

「……分かったわ」

少しだけ、空気がほどける。

「でもおかしいな、あの日は僕何度か執務室覗いたけど、マリアは部屋にいたでしょ?いつそんな練習してたの?」
「そりゃあ、ルーラは瞬間移動だもの。すぐに戻ってこれるのよ。」

こともなげにそんなことを言うマリアに、カインは少々げんなりした様子だった。

「……マイもびっくりなお転婆ぶりに驚いたよ。」
「知らなかったかしら、私はこう見てもお転婆でお父さまの手をやいてた実績があるのよ。」
「どうしてそこまでして飛びたかったの?」

その問いに、マリアは少し答えが詰まった。
夕日が少し傾いてきた。オレンジ色の光が二人を柔らかく照らしていた。
カインに向かって言葉が紡げなかった。

分かって欲しいのは、決してカインへの嫉妬や羨望で練習していたわけじゃないこと。
ただ、大事な二人だけのこの時間を、少しでも長く守れるようにと思って。

でもそれは、言葉にしてしまうと、大切な何かが壊れる気がした。

いつでもここに来られるとは限らない。
だから、自分でも練習しないといけないと思った。
それだけは本当だ。

「カインが見ている景色を私も見たかったの。」
「景色?」
「ここに来るといつも、カインに連れてきてもらうでしょう。」
「うん。」
「それが嫌なわけじゃないの。ただ……私は……」

言葉が続かなかった。
カインもしばらく何も言わなかった。
風だけが二人の間を通り過ぎた。それから、少しだけ視線を空に向けてー

「……そっか」

とだけ言った。
聞き返さなかった。
どういう意味、とも、なぜとも言わなかった。ただそっかと言って少し空を見た。

「いつでも言って。マリアのためなら、いつだって飛ぶから。」
「……いつでも?」

確認したかった。もう一度聞きたかった。

「いつでも。」

迷いのない声だった。
事も無げに当たり前でしょうという風にカインは答えてくれた。

その答えを聞いたあと、
マリアは少し言いづらそうに言った。

「……カインの方こそ、無茶はしないでね」

ぽつりとこぼれた言葉だった。

「しないよ」

あまりにもあっさりとした返事に、
マリアはそれ以上、何も言えなかった。

そして、カインはぴたっと飛行を止めた。
それからマリアの顔を見てふふっと笑った。

「ねえ、僕の顔ばっかり見てないでさ。景色を見に来たんでしょう。」

そういわれて、マリアはようやく眼前に広がる景色に視線を向けた。

息を呑んだ。
水平線に沈みかけた太陽が世界をまるごとオレンジに染めていた。
海面が夕日を受けてキラキラと輝いていた。雲の端まで今は金色に縁どられている。

それは、日が沈む前の最後の一瞬の美しさだ。

目が覚めるような光景をマリアは目に焼き付けようとして、視界が滲んだ。
知らず涙がこぼれていた。

その涙にカインはぎょっとして、あわてて謝った。

「ごめん、泣かせるつもりじゃ。付き合うよ練習!いつでも付き合うから!」

その慌てぶりがおかしくてマリアは少し笑った。

「ふふっ。
 ありがとう、カイン。お願いね。」

言葉にできなかった思いは、言葉にならないままでいい。
この忘れられな景色を、今日も一緒に見られた。
今はそれだけで十分だった。








。
 

- 終わり-


2026/04/18

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【後書き】
クリア後のカイマリです。
空飛ぶシチュエーションが好きな私がふいに書きたくなって書いた話。
ルーラのうんちくは当然ですが、捏造100%ですので、雰囲気だけくみ取っていただければ。

内容も深く考えないで良いと思います。
ふわっと、とある夕方の日の、あーでもないこーでもないと話しているカイマリという事で。

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