静かな波の音と、アレンの寝息とにまぎらわせるように、カインがそっとため息をもらした。
気持ちが苛立って眠れない。
ベットの上で天井を見つめていると、昼間の戦闘のことがまた思い出される。
(アレンったら、どうして無謀な突撃ばかりするんだろう)
もう少し敵をひきつけてから斬りかかればいいのに、とカインは思った。アレンへの回復魔法だけでへとへとになったカインは、攻撃にほと んど貢献できなかったし、危うくマリアまでが重傷を負いそうになる場面が何度もあって肝を冷やした。
(そういえばマリアもこのごろ、どうもバギの命中率が落ちてるなあ)
モンスターたちに空しくかわされる真空の刃、それから魔導士の杖を使うタイミングを損なって危機に陥るマリアの姿が脳裏に浮かんだ。
旅を続けるにつれて強敵が増えてきたとはいえ、こう苦戦つづきでは先が思いやられる。
(僕たち、もっとレベルアップしなくちゃ・・・。このままじゃハーゴンを倒すことなんてとうてい無理だよ)
そんなじれったさはカインのみならずアレンもマリアも等しく抱いていたようで、夕食のときに、ちょっとした口論になってしまった。
最後は、
「まあ落ち着きなさいって、お三方。待てば海路の日和ありって昔から言うじゃないすか。今日はいやなこと全部忘れてぐっすり寝て、また 明日からがんばることにしましょうや」
という航海士ミゲルの仲裁で終わったのだが、
(でもなあ・・・いつ命を落とすか分からない毎日だっていうのに、また明日がんばろうってのんきに言われてもなあ)
カインはまたひとつため息をついた。もともとは自他ともに認めるのんびり屋のカインであったが、ハーゴンの軍勢に無残に打ち滅ぼされた ムーンブルク城のことや、今も魔物たちの恐怖に怯えているであろう世界中の人々の苦しみを想像すると、気が焦るのを抑えることができなかった。
まだしばらく眠れそうにないので、カインは寝室をそっと抜け出して甲板に上がってみた。
月の明るい夜だった。
甲板ではミゲルが一人で座っている。今夜はミゲルが見張り番をしていたのだ。
「・・・こんばんは」
「おっ、こりゃ王子さま、お散歩ですかい?」
折りしもいささか退屈気味だったミゲルは、カインの声にうれしそうに応じた。
「いやあ、ちょうどいいところに来てくれた。悪いけどちょっと呪文で火をつけてもらえないかね」
「え、火?」
カインはいつも調理のときに、ごく小さくギラを使って火種をおこしている。しかしここは甲板の上、調理道具はもちろんない。
ならばランプかろうそくにでも火をともすのかと思っていると、ミゲルはなにか親指ぐらいの太さの小さい棒を持っていて、その片側をナイ フで切り落としているところだった。
「ほら、こっち側、頼むよ」
ナイフで切り落としたのと反対側を指さすミゲルに、訳が分からぬままカインは従い、火をつけた。
「よしよし、いいあんばいだ。ありがとな緑の兄ちゃん。火打ち石よりもこっちのほうが手っ取りばやくていいや」
ミゲルは火のついた棒をおもむろに顔へ近づけて、先ほどナイフで切り落とした側に口をつけ、煙を軽く吸い込む。
そのまましばらく沈黙するミゲルに、カインは尋ねた。
「・・・それ、なに?」
「これはな、何年か前から船乗りの間で流行ってるんだ。葉巻っていうのさ、葉巻。まあ長い航海の気晴らしの道具さ」
語るミゲルの口と鼻から、ゆらゆらと煙が漏れてたちのぼる。そのさまがカインの目にはなんだか異様なものに映った。
煙の匂いは、薪や炭から出る煙の匂いとは少し違い、強い刺激臭がする。
「あんたも試してみるかい?」
「え・・・どうやって?」
「そうさな、うーんと、熱いスープを小さじ一杯、そうっとすするような感じかな。 煙を口の中に入れて、あとは自然にとろとろ吐き出せ ばいいのさ。 ああ、強く吸い込むとむせるから気をつけな」
どうしてわざわざ煙なんかを吸ったり吐いたりするのか、カインには意味が分からなかったが、もしかしたら一人前の海の男になるためのあ る種の通過儀礼みたいなものかも知れないと思い、一口だけ味わってみることにした。
手に持ってみると、棒は意外なほど軽い。まるでパイ生地で焼いたお菓子のようだ。
(大丈夫かな、これ)
こわごわ吸ってみたそのとたん、口腔から喉にかけて、さらには鼻の奥まで、まるで一気に黒焦げになったように感じて、カインはひどく咳 き込んだ。
+++
「な、なんというか、その・・・げほっ、大人の味だね・・・うえー、げほっ」
「俺も初めて吸ったときはそんな感じだったよ。ハハハ」
僕は煙突にはなれそうにないなと思いながら、カインは葉巻をミゲルに返した。
ミゲルは愉快そうにまた一口、煙を吸った。
「でもこりゃちょっとハズレだな。まだ若いよ。青臭い」
自分が子供あつかいされたのかと思い、カインは憮然とした。
「ああ違う違う、兄ちゃんのことじゃない。この葉巻がだよ。もうちょっと熟成させたかったな。でももう火つけちゃったからしょうがない か」
ニヤニヤ笑いながらミゲルは弁解した。
「船乗り同士の間でな、友情の証に葉巻を交換する習慣があるんだよ。俺もときどき、行った先々の港でやるんだ」
(こんな臭くて苦くてけむいもの、どこがいいんだろう・・・)
「で、そうやってあちこちに友達を作っとくと、なにか困ったときに人手を貸したり、修理部品を融通してもらえたり、お互い助け合えるの さ。なにしろ俺たちの仕事は、ひとたび海に出たら命がけ、波にもまれる木の葉みたいなもんだからな」
「そうだよね、友達は大事だよね」
ミゲルの葉巻の煙がいく筋ものリボンのようにたゆたいながら夜空に浮かんで消えていくのをカインは眺めていた。
「まあ僕だったら、クッキーの詰め合わせか、手作りプリンでもプレゼントするけどね」
(・・・そういえばここ数日、みんなにおやつを作ってあげてないなあ。食事のメニューもちょっとマンネリ気味だし)
ふと気づくと、先ほどまでにやついていたミゲルの表情は、おだやかで真面目な顔つきになっていた。
「火のついた葉っぱの束を、小一時間も口にくわえて煙を吸い込むんだ。この意味が分かるかい、兄ちゃん?」
ミゲルの声が少し低くなり、優しく諭すような口調になっていた。
葉巻の灰がポロリと折れて、甲板に落ち、どこかへ転がっていく。
「もしもだよ、悪意のあるやつがさ、葉巻の中に火薬でも仕込んで俺によこしたならば、さあどうなると思う?」
カインはミゲルが何を言いたいのか掴みかねて、横顔をじっと見ていた。
「火をつけたとたん顔も頭も血まみれの大やけど。ヘタしたら死ぬだろ」
「・・・考えただけでぞっとするね」
「それとかさ、少し毒を混ぜておくことだって考えられるだろ? 表面さえきっちり巻いてありゃ、中身がどうなってるかなんて分からないじゃないか」
「うん、確かに」
なんだかずいぶん物騒な話だなあと思いながら、カインはうなずいた。
「葉巻を交換して火をつけて吸うってのは、単なるプレゼントじゃない。『俺はお前を完全に信頼してるんだ』、『お前のためなら危険だって承知さ、安心しな』っていう、男同士の意思表示なのさ」
「ああ、そうなんだ・・・なるほどね・・・」
ミゲルがまた葉巻を口に運び、煙をくゆらせたとき、カインが不意に
「・・・あっ!」
と声をあげた。
+++
ミゲルの先ほどの言葉が、カインの心の中で残響のように鳴っている。
(僕は・・・アレンとマリアのことを完全に信頼できていたのかな?)
改めて昼間の戦闘の場面が脳裏をよぎった。
(マリアが危ないときは僕が盾になって守ろうと思ってたけど、よくよく考えてみれば・・・)
カインは口元に手を当てて考え込んだ。
(僕がむきになってマリアを守ろうとすればするほど、モンスターたちの攻勢が強まっていたようにも思える。もしかして、僕がマリアの動 きを妨げたりしてなかったかな・・・?)
「どうした、緑の兄ちゃん?」
ミゲルのいぶかしげな問いはカインには聞こえなかった。
(それにアレン・・・。未熟者の僕や、体力で劣るマリアのために、捨て身で斬り込んでいくアレンの気持ちを、僕は本当に理解できていた のかな・・・?)
回復魔法を使えば、確かに傷は癒される。しかし、傷を受けるときの恐怖と、回復するまでの間の苦痛までも消すことはできないのだ。
(傷だらけになったアレンが、それでもひるまずに無理を覚悟で戦っていたのに、それなのに、僕は・・・)
カインはぐっと唇を噛み締めた。
勝手に苛立って、そのあげく三人の連携を乱していた張本人は、じつは自分ではなかったのか。
「そうだ、僕は・・・このごろの僕は・・・自分の都合ばっかり考えていたんだ・・・二人のことを信頼できてなかったんだ・・・」
「は? 何が?」
唐突に声を震わせたカインに、ミゲルは戸惑った。
「あ、ありがとうミゲル!」
慌てたように甲板を駆けて船室へ下りていくカインを、ミゲルは呆然と見送った。
カインが昇降口を下りたところで、アレンとマリアにばったり出会った。
「あっ!?」
「おおカイン! 大丈夫か?」
月夜の薄明かりの下で、アレンが心配そうにカインの顔をのぞきこむ。
その横でマリアが苦笑を浮かべた。
「アレンがね、寝てたら急にカインがいなくなった!っ て騒ぎ出したのよ。それで、心配だから一緒に探してくれって私を呼びにきて・・・」
「あ、いや、そんな心配ってほどじゃないけど」
(昼間のこともあって、僕のことを心配してくれてたのか・・・。いつも夜は熟睡するアレンが、こんな夜中にマリアをたたき起こしてま で・・・)
カインは胸が熱くなった。
「ま、どうせ腹を壊してトイレにでも行ってるんだろうと思ったんだけどさ、一応探しに行ったほうがいいかなと思って」
「アレン・・・マリア・・・」
思わずカインはアレンとマリアの手をとり、強く握りしめていた。
「カイン・・・」
「ごめんね・・・二人とも・・・」
伏せられたカインのまつ毛に涙がにじむ。
「僕は、このごろ・・・」
握る両の手が震えて、言葉に詰まった。
すると、アレンはカインの手をぱっと振りほどいた。
+++
「やっぱ、そうか」
「・・・え?」
意外なアレンの言葉と、そして渋い顔つきに、カインは驚いた。
マリアもそーっと手をひっこめて、きまりが悪そうにもじもじしている。
「あなた、このごろずっと調子が悪かったのね。ごめんなさい、気づいてあげられなくて。 ・・・でも、それにしても変な匂いね。なんと いうか・・・馬小屋みたい」
「匂い? 馬小屋?」
「本当に大丈夫かよカイン。っていうか、アンモニア臭いぞ。もう一回、早くトイレ行って来いよ。ああ、俺も早く手を洗ったほうがいいな こりゃ」
手のひらをズボンでしきりにこすって拭いているアレンに対し、カインは面食らって二の句が継げない。
「そういえばキアリーって腹痛にも効くのかしら? カイン、試しにやってみる?」
「はあーっ?? ち、違うよーっ!!」
その異臭の正体が実はカインがさきほど一服した葉巻の匂いだということを、アレンとマリアはまだ知らないのだった。
あとがき:
最後までお読みいただきありがとうございました。
熟成が足りない葉巻って、本当に馬小屋のようなアンモニア臭がすることがあります。しかもちょっと吸っただけでも結構匂いが残ります。 未成年は絶対吸っちゃだめですよ。
真っ黒に日焼けしたしぶいおっちゃん、ミゲル。私はひそかに「松崎みげる」と呼んでます。(←よしなさい!!) 味のある良いキャラクターですよね。モンスターの襲来にはビビっちゃうけど、航海士としては実に頼もしい仕事っぷり、そして人情も滑稽味もある彼の存在 は、アレン・カイン・マリアにとってすごく大きな意味を持ってるんじゃないかと思います。もはや冒険の仲間といっても過言ではないでしょう。
私 はとくにカインとミゲルのやりとりがほほえましくて好きなので(ミゲルはアレンやマリアに対しては何かにつけ低姿勢だけど、カインとは割とざっくばらんに 話している印象があります) 、今回このような三次創作小説をものしてみました。 しかしこの二人に間接キスまでさせたのは少々やりすぎだったかなと反省 してます。
2015/06/18
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