「アレン……」
アレンの腕を掴み、マリアが体を寄せて来る。
マリアは、アレンと同じくロトの血脈を継ぐ者だし、その魔法力たるや司祭や宮廷魔道士にも劣らない。だが、腕力に至っては、普通の女の子並の筈だ。だが……掴まれた手を、アレンは何故か振りほどけないでいた。
いや、振りほどけないどころか引き寄せられ、その耳元で囁かれた。
「アレン、カインは?」
「カイン……?」
金色の髪の、相棒。
優しくて、素直で、頑固で馬鹿な連れを、目で探す。
だが、アレンの眼に映ったのは、荒れたロンダルキアの大地と、そこに突如生み出された激しい光の渦のみだった。
カインは、言っていた。
アレンとマリアが避難する時間を稼いでくれる、と。
だから。
だからあの爆発は、きっとカインがやってくれたことなのだと。新しい魔法を身に着けたカインには、最初から勝算があったのだと、アレンは信じた。
いな。
信じようとしていた。ただ、そう思い込もうとしていた。
本当は、解っていた。あの爆発がただ事ではない事ぐらい。
カインに何か起こったのだろう。そんな気はしていた。だけど、アレンは「自己犠牲呪文」と呼ばれる呪文の事も知らなかった。
メガンテ。
自分の生命と引き換えに、敵を倒す超呪文。
知っていたら……。
(知っていた筈でしょう?)
耳元で囁くマリアの声に、慌てて顔を上げる。
周囲は、いつの間にか漆黒の闇に包まれていた。
慌てて周りを見回しても、何も見えない。耳を澄ましても何も聞こえない。手を伸ばしても……何にも触れない。
上下左右も、既に解らない。
ここは、何処だ? 俺はどうなってしまったんだ?
叫んだつもりだった言葉も、耳に届かない。
(知っていた筈よ。だって、アレンは私よりずっと長くカインと同じ時を過ごしていたのだから)
くすくすと、マリアの声が笑う。
(カインが、その呪文を使う覚悟を決めていた事を)
「知ってるわけがない! だって、俺はそんな呪文の存在すらも、知らなかった」
くぐもった笑い声が、耳元で聞こえた。
「いい加減にしろよ! 俺に何が出来たって言いたいんだ? お前は!! お前だって……あいつを失いたくなかった。そうだろう? お前こそ、あいつが使った魔法が何かを知っていて、俺に黙って……! そうだろう? マリア!」
くすくすという笑い声が、不意にすすり泣きに変わった。
「マリア?」
(酷い事、言うのね)
マリアは、泣いていた。
雪原で、志半ばで散った仲間の名を叫びながら。
そのマリアの手を掴んで、カインの元へ連れて行く。
「な、マリア。頼んだぜ――ザオリクだよ」
マリアは何を言われたのか解らないような顔をして、アレンを見た。
「え……? 私は、出来ないわ!!」
アレンが何度「出来る」と言っても、マリアは首を振り続けていた。
出来ないわけ、ないだろう? お前なら、出来るだろう?
お前は、魔法の天才なんだろう! だったら、出来ないなんて、簡単に言うな! やってみる前から、諦めるな。
あいつの命を、簡単に諦めるな!
お前ら、知らないだろう。この俺が……百回近くは願ったよ。
幼い頃は望まれる数だけ、旅に出てからは仲間が怪我をする度にそう思った。
この俺に、魔法が使えたらって。
アレンのそんな思いが伝わったのか、
「……解ったわ」
アレンを見上げて、マリアは、覚悟を決めたように頷いた。
(本当に、酷い。出来ないって言ったのに)
闇の中に浮かんだ光景。二度と見たくなかった光景をまざまざ見せつけられ、アレンが低く呻く。
だが、アレンは知っている。
あの後、マリアがザオリクを唱えて、そうして奇跡的にカインは生き返ったのだ。
生き返ったカインを殴った右手は、今でもうずいている。
闇の中で涙を流し続けるマリアの髪を、その右手でそっと撫でた。
「なんで、泣いてんだよ。ザオリクなら、成功した筈だろう? お前の力で、カインは生き返ったんだ」
マリアは、アレンを見てはいない。ただ、隣にある何かを見つめているようだ。
その視線の先を追い、アレンの身体は凍りついたような、気がした。
雪原の中で、倒れたままのカイン。その体を雪が覆って行く。
カインに触れても、解けない雪。それは、その体温が雪と同じ温度まで低下している事を意味する。
「うそ、嘘だろ? お前は、マリアのザオリクで生き返って。さっきまで、一緒にお茶とか飲んでいて……」
「だから」
冷たい雪原に手をついていたマリアが、ゆっくりと身を起こす。
その細い体が、アレンに迫った。
「出来ないって、言ったのに」
無表情な、マリアのおもて。まるで、蝋人形のようだ。
「だ、だったら。だったらさ、俺が、洞窟をもういっぺん抜けてさ、世界樹の葉を取って来る。マリアは、カインと一緒に待っていてくれ」
アレンの手を掴んだままのマリアの手に力が籠った。
「無理よ。手遅れだわ」
その言葉は、まるで最後の審判のように、アレンを打ちのめす。
「な、ん、で……」
「カインは、生き返らない。私が、失敗しちゃったから」
マリアの、赤い眼に在るのは、絶望。
「決めたのに。ずっと、傍に居るって決めていたのに。私が、失敗しちゃったから」
だから、カインは
その命を、投げ捨てた。
マリアが傍に居れば、カインを止める事が出来たかも知れない。だが、彼女はその時、意識が無かった。
傍に居たのは――
「お前のせい、か? でも、俺は……知らなかった。知らなかったんだ!」
アレンが叫んだと同時に、闇が深まる。
(ずっと一緒には居られない)
テパで、カインは言っていた。マリアの傍にも、アレンの傍にも一緒には居られないと。
何故そう思う? アレンは、問い詰めなかった。
あいつには、あいつの事情がある。そう思うようにした。
カインが出したサインを、二度も見落とした。
闇が、更に深まった。
「酷い人」
マリアの言葉に、
「そうだな」
と、答える。
「あなたのせいで」
「そうだ。俺のせいで……」
どこかで、何かが壊れた。
アレンの体をまさぐる、マリアの手に熱を感じる。だが、もう体が自由に動かない。
「あなたは、私たちからカインを奪ったわ」
「ああ、その通りだ」
「だから、代わりに。あなたを頂戴」
細い腕がアレンの体に絡みつく。
動けない。マリアを押しのける力すら、湧いて来ない。
ただ、絡みついて来るマリアの手を、眺めていると、不意に何かが閃いた。
マリアの左手の薬指……そこにはめられていた指輪がない。
不意に、呪縛から解き放たれた。力を込めて、マリアを押しのける。
「いきなり、何をするの? アレン」
妖艶な笑みを浮かべながら、マリアが告げる。
「お前は、マリアじゃない!」
稲妻の剣を抜き放つ。
「仲間を切るの? ロトの勇者である、あなたが」
「あいつは、俺の事をロトの勇者じゃないって、言ってた。ただの人でも、充分に強いって」
ぴくりと、マリアの姿をした何かが、身を震わせた。
「あいつは、マリアの幸せだけを願っていた。知っているか? お前がその姿で、俺の前に居るだけでさ、あいつに対する冒涜なんだ!」
振り下ろした剣は、マリアの姿をした何かを、一刀両断にすべく迫る。
だが、それはマリアの額の手前で不意に勢いを失って、止まった。
唇を噛みしめるアレンを前に、にぃとマリアの顔をした者が、上唇を釣り上げた。
「良い子ね、アレン。ご褒美に、二度と覚めない夢をあげるわ」
マリアの姿をした何かが、アレンの額に触れ――
不意に、光に包まれた。光の中でマリアの姿をしていたものが、悲鳴と共に掻き消える。
「起きないの? アレン、朝だよ?」
「ん――。何かお前ら、喋ってんなーって思ってたけど……」
途中から、変な夢を見ていた。
いや、夢と呼んでも良いものなのか……。
「なんか、頭いてぇ」
「ええ!? どうしたの? もしかして……ハーゴンの呪い?」
慌てて駆け寄って来たカインが、アレンの額に触れる。
それだけで、身体に残滓のように残っていた違和感が消えて行った。
心の闇に巣食う者は、その根源がなくなれば、霧散してしまうのだと、聞いた事がある。
「そんな大層な話じゃなくて、頭使いすぎて、頭いてーんだよ。解ってんのか、お前のせいだよっ!」
驚いたように「え? 僕のせい?」とか言いながらも心配げにアレンを覗くカインに、
「偉そうに言う事じゃないわよ。アレンってやっぱりお子様ね。それって知恵熱じゃない」
おかしそうに笑う、マリア。
まるで、天使の群れのように、キラキラと輝く、二人。
何故、間違えてしまったのだろう。今になって、アレンは思う。
マリアと、アレンを闇に引き込む者とを。
(酷い事を言うのね)
アレンの中で、誰かが呟いた、そんな気がした。
(心の闇は、誰にだってあるものよ。当然、あの二人にも、ね)
耳元で、いつまでも響き渡るくすくすという笑い声。
消えたわけではなかったのかと、アレンはばりばりと頭をかきむしる。
「とりあえず、どっかに行ってろ。目障りだ」
口にしたとたん、魔物の気配は去った。やはり、生きた「人間」が口にする言葉の方が、夢の世界でしか生きられない者よりも強いのだろう。
かつて。魔法の勉強をしていた時に文献で見た「夢魔」と呼ばれるもの。
心に闇を持つ人間に憑依し、その精と引き替えに望む夢を見せる魔物だと、書かれていたような気がする。
だとすれば、もしかしたら危ないところだったのか?
もう一発ぐらい、殴ってやっても良いかな。
「腹が減った」と騒ぐアレンの為に食事を作る為に部屋を出たカインに向け、物騒な事を考えるアレンだった。
2013/04/27
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