はじめに
本記事は、大乗仏教・瑜伽行派(瑜伽行唯識派)の根本論の一つである『摂大乗論』(無著菩薩造・玄奘訳)の要約である。 唯識(vijñapti-mātra)を初めて学ぶ人が、この論書の全体像と各章が何を言おうとしているかを把握できることを目的とする。
『摂大乗論』は、菩薩の修行道(大乗)を「摂する」(要約する)論書である。 瑜伽行派がどのように「識(心)」を分析し、それをどう修行・悟入に つなげ、果として何を証得(体得)するかを、体系立てて述べたものである。
本文は十一の「分(章)」からなり、その内容は十の主題(「十処」)に まとまる。この十処は、次のような流れを持つ。
- 依りどころ(阿頼耶識)
- 相(三自性)
- 悟入(唯識への入)
- 因(六波羅蜜多)
- 修(菩薩十地・三学)
- 果(無住涅槃・三身)
この流れに沿って、以下で各分を順に要約する。
第1部 『摂大乗論』とは
1-1 基本情報
- 題名: 摂大乗論(Mahāyānasaṃgraha)
- 作者: 無著(Asaṅga、4〜5世紀、インド)
- 漢訳: 玄奘(7世紀)
- 位置づけ: 大乗仏教・瑜伽行派(瑜伽行唯識派)の根本論の一つ
- 題名の意味: 「大乗(菩薩道)を摂す(要約する)」論
1-2 瑜伽行派とは
瑜伽行派は、インド大乗仏教の二大系統の一つである(もう一つは中観)。
- 「瑜伽(yoga)の実践者」 を意味し、瞑想・禅定と意識(識・vijñāna)の 分析を重視する。
- 代表的な概念は、唯識(vijñapti-mātra)・阿頼耶識・三自性・転依 である。
- 無著と世親が体系化し、弥勒に帰される伝統もある。
- 中心語は「空(śūnyatā)」ではなく「無自性(asvabhāva)」「二無我(人無我・法無我)」である。 空を否定するのではなく、三自性で空を説明する(遍計所執は真に空、 依他起は生起しても自性を持たない、円成実性は究極的には自性を持たない)。しかも「空は真の欠如として 実在する」と肯定するのが、中観との決定的な違いである。
1-3 本文の全体構造
『摂大乗論』は十一の「分(章)」で構成され、全体を貫く十の主題 (「十処」)がその中核である。
flowchart TD
T1["1 所知依 阿頼耶識"] --> T2["2 所知相 三自性"]
T2 --> T3["3 入所知相 唯識への悟入"]
T3 --> T4["4 彼入因果 六波羅蜜多"]
T4 --> T5["5 彼修差別 菩薩十地"]
T5 --> T6["6 増上戒"]
T5 --> T7["7 増上心"]
T5 --> T8["8 増上慧"]
T6 --> T9["9 果断 無住涅槃"]
T7 --> T9
T8 --> T9
T9 --> T10["10 果智 三身"]
この図は、瑜伽行派が「依りどころ(阿頼耶識)→ その相(三自性) → 悟入(唯識への入)→ 因(六波羅蜜多)→ 修(十地・三学)→ 果(涅槃・三身)」という一貫した道を描いていることを示す。
第2部 本文の要約(十一分順)
2-1 総標綱要分(全体の綱要)
この分は、全文を貫く「十処」を列挙し、その順序の理屈を示す。
- 十処(十の主題):
- 所知依(阿頼耶識)
- 所知相(三自性)
- 入所知相(唯識への悟入)
- 彼入因果(六波羅蜜多)
- 彼修差別(菩薩十地)
- 増上戒(菩薩戒)
- 増上心(増上心・定)
- 増上慧(無分別智)
- 果断(無住涅槃)
- 果智(三身)
- なぜ大乗が「真是仏語」(真に仏の言葉)か:
- この十処は声聞乗(hīnayāna、自身の解脱を目指す立場、「小乗」)には見られず、大乗にのみ随所に 見られる。
- 大菩提(大いなる悟り)を最もよく引き、善く成立し、一切智智(一切智の智) を証得させる。
- 十処の順序の理屈:
- 因があるから(阿頼耶識)
- 依って起こる相があるから(三自性)
- 知らねばならないから(所知)
- 通達(理解)すべきだから(悟入)
- 修すべきだから(六波羅蜜多・十地)
- 三学(戒・心・慧)を修すべきだから
- 果があるから(無住涅槃)
- 果を知らねばならないから(三身)
2-2 所知依分(阿頼耶識・所知の依りどころ)
「所知依」とは、一切の知られるものの依りどころ(根拠・基盤)を 指す。その核心は阿頼耶識である。
- 阿頼耶識の呼び名:
- 阿頼耶識(ālaya-vijñāna)— 摂持(取り留める)するので「蔵」と呼ばれる。
- 阿陀那識(ādāna-vijñāna)— 身を執受(つかむ)するので「執受」と呼ばれる。
- 心(citta)— 種子(bīja)を積集するので「心」と呼ばれる。
- 種子識・一切種子識 — 諸法の種子を持つ。
- 根本識(mūla-vijñāna)— 一切の法を根本とする。
- 異熟識(vipāka-vijñāna)— 業の果(異熟)である。
- 三つの相(三つの側面):
- 自相(svabhāva-lakṣaṇa): 種子を摂持して因になる側面。
- 因相(kāraṇa-lakṣaṇa): 雑染諸法(いろいろなけがれ)に現前して因になる側面。
- 果相(phala-lakṣaṇa): 薫習(vāsanā)によって生じる側面。
- 種子・薫習・異熟の仕組み:
- 薫習: 能薫(薫する方)と所薫(薫される方)の相互作用。 ごま(胡麻)の香りが布に移るような譬で、心の作用が「種子」として 阿頼耶識に蓄積され、それが後の心身の現起を条件づける。
- 種子(bīja): 過去・現在・未来に現起する力の潜在形態。
- 異熟(vipāka): 種子が熟して現起する果。
- なぜ阿頼耶識が必要か:
- 煩悩の雑染(心の染み)が成立しない。
- 業の雑染(業の連続)が成立しない。
- 生(再生)の雑染が成立しない。
- 世間の清浄(輪廻の安定)が成立しない。
- 出世間の清浄(解脱)が成立しない。
- つまり、六つの識(眼・耳・鼻・舌・身・意)だけでは、 生死相続と解脱の両方が説明できない。阿頼耶識は、その両方の 連続性と転換を担う依りどころである。
2-3 所知相分(三自性・知られるものの相)
「所知相」とは、知られるものの相(構造)である。瑜伽行派はこれを三自性で説明する。
- 三自性(tri-svabhāva):
- 「三自性」の「自性」は「固有の実体」ではなく「相(aspect)」を指す。 三つは別々の実体ではなく、一つの依他起を三つの角度から見たものである。
- 依他起性(paratantra-svabhāva): 阿頼耶識を種子とし、 虚妄分別(vikalpa)によって生じる諸識。依って起こること。因果の連鎖。
- 遍計所執性(parikalpita-svabhāva): 依他起の中に、 本来ない「我」や「法」を遍く計り執ること。誤認・投射。
- 円成実性(pariniṣpanna-svabhāva): 依他起において、 遍計所執が実体として存在しないこと。真実の性。円満に成就すること。
- 補足: 三自性は「空」の体系的説明になっている。原典では「依他起相」「依他起自性」などとなっている。無自性のはずなのに三自性とはどういうこっちゃと混乱するかもしれないが、(さらに混乱しそうなことに)三自性は無自性であり、円成実自性は無自性そのもの(空性そのもの)である。ここでの「自性」は相・様態と考えたほうがよい。
- 三自性は「非異・非不異」:
- 三自性は、完全に別物でも(非異)、同一なものでも(非不異)ない。 すなわち、一つの「依他起」を別の角度から見た三つの面である。
- 非異(別物ではない): 三つはすべて同じ依他起という土台の上に 成り立つ。土台を別の見方で見ると、遍計所執や円成実として現れる。
- 非不異(同一でもない): ただし、それぞれの面は別の基準で立つ。 依他起は「種子から生じる」ことで、遍計所執は「実在しないものを 実在と見なす」ことで、円成実は「その見なしが実はなかったこと」 によって成り立つ。一面がそのまま別の面にはならない。
- 例えるなら、一つの依他起を「土台そのもの」「土台に張り付いた 私・物の幻想」「幻想を取り除いた素の姿」として見る三つの面である。
- 能遍計・所遍計・遍計所執の関係:
- 能遍計(parikalpaka、遍く計る方)、所遍計(parikalpya、遍く計られる方)、 遍計所執(parikalpita、遍く計り執られたもの)。
- 「遍く計る」とは計度(parikalpa)、すなわち心が対象を 実在するかのように構想・想定する働きを指す。
- 総摂一切分別(十種)(vikalpa):
- 唯識の核心は「一切の経験は分別である」ことである。 分別は最底の阿頼耶識から菩薩の微細な心の動揺まで意識全体を貫くため、 「思考を止めればよい」では済まない。 それゆえ、どの形態がどこで働いているかを精密に列挙する (アビダルマ的な分析)ことで、それら全体を越える智=無分別智の 必要性を示す。
- 根本分別:阿頼耶識。
- 縁相分別:六識を「対象の側」から名づけたもの。 色・声・香・味・触・法など、各識が対象とするものを基準にする。
- 顕相分別:六識を「能顕(明らかにする手段)の側」から名づけたもの。 眼識・耳識などの能顕の識そのもので、さらに所依識(阿頼耶識)を含む。
- 縁相変異分別:老い・楽受・貪などの変遷、苦害の時節の交代、地獄などの諸趣の変遷、欲界などの諸界の変遷。
- 顕相変異分別:前述の変遷そのものの変遷。
- 他引分別:非正法類・正法類を聞いて起こる分別。
- 不如理分別:外道が非正法を聞いて起こる分別。
- 如理分別:正法中にて正法を聞いて起こる分別。
- 執著分別:不如理な作意の類、薩迦耶見(身見=「私(我)は実在する」と見る根本的な邪見)を本とする六十二の見趣。
- 散動分別:菩薩の十種散動——心が散って動じ、概念(分別)で惑う微細な心の動揺。
- 無相散動:「相がない(無相)」と捉えて心を動かす。
- 有相散動:「相がある(有相)」と捉えて心を動かす。
- 增益散動:実在にないものを足すこと(增益)で惑う。
- 損減散動:実在を取り減らすこと(損減)で惑う。
- 一性散動:「一である/否」で惑う。
- 異性散動:「異なる/否」で惑う。
- 自性散動:「自性がある/否」で惑う。
- 差別散動:「差別(違い)がある/否」で惑う。
- 如名取義散動:名(言葉)と義(意味)を混同して惑う。
- 如義取名散動:義(意味)と名(言葉)を混同して惑う。
- 三自性の理解のための譬:
- 夢・幻・陽炎・水月など、実体はないのに現れる現象の譬。
- 依他起は「幻」に、遍計所執は「陽炎を水と錯覚する」に、 円成実は「それらが本来存在しないこと」に譬える。
- 四清浄(catvāri viśuddhīḥ): 円成実性を顕す四つの清浄。 1番が前提(もとから清浄)、2〜4番はその前提の上に立つ。
- 自性清浄(svabhāva-viśuddhi): 円成実=真如・空・実際・無相・勝義・法界であり、 本来清浄であること (ここでの「自性」は真如そのものを指す)。
- 離垢清浄(vīta-mala-viśuddhi):一切の障垢(煩悩障・所知障)を離れて清浄になること。
- 道清浄(mārga-viśuddhi):菩提分法(八正道などの悟りに至る実践)・波羅蜜多などの道が清浄であること。
- 境清浄(viṣaya-viśuddhi):大乗の妙正法教(すばらしく正しい法)。円成実から流れてきた清浄な所縁境(対象)。
- 悟入の段階に応じて四つの清浄が開かれる。
2-4 入所知相分(唯識への悟入)
「入所知相」とは、唯識性(vijñāna-tā)に悟入すること、すなわち 「唯識」を実際に悟る道である。
- 悟入とは何か:
- 三自性をただ知るのではなく、唯識の本性に「入る」こと。
- 誰が・どこで・どうして悟入するか:
- 能入する者: 福・智の資糧を備えた菩薩。
- 入る場所: 勝解行地・見道・修道・究竟道。
- 入る方法: 三法で心を練磨し、四処を断じ、止観を修する。
- 三法(三種相):意楽(念願)で心を練磨する三つ。
- 無量の有情が刹那刹那に菩提(悟り)を証するのを見て感化される
- 「自分はすでにこの意楽を得た。よって波羅蜜多を円満にしよう」と励む
- 「自分は無障碍の妙善を持つ。どうして円満を得られまい」と自信を持つ
- 四処:悟入のために断じる四つ。
- 声聞・独覚の作意
- 大乗への疑
- 聞ずる・思う法の中の我・我所の執
- 現前に現住する一切の相への分別
- 四尋思と四如実遍智:
- 四尋思: 名(nāma、言葉)・義(artha、意味)・自性(svabhāva)・差別 (viśeṣa)を調べてみる。
- 四如実遍智: 似文(言葉を実在と思うこと)・似義(意味を実在と思うこと)の意言(citta-vikalpa、心の構成作用)を 「唯意言」(言葉・概念に過ぎない)「唯仮立」(名・義・自性・差別は すべて仮に立てられただけ=prajñāpta、実体を持たない)であると見極める智。
- 悟入の深まり:
- 唯意言 → 唯識 → 円成実(法界)。
- まず「意言(言葉・概念)」に過ぎないことを悟り、次いで 「唯識(意識のみに過ぎない)」を悟り、最後に円成実(法界) に悟入する。
- 見道と修道:
- 見道: 極喜地(pramuditā)への入。初めて唯識性を直接 現観する。
- 修道: 見道以降、さらに修して究竟道に至る。
- 四順決択分と四三摩地:
- 四順決択分: 煖・頂・忍・世第一法。見道に入る前の準備(加行)。
- 煖(ūṣma):真理に近づく「温かさ」。四尋思で仮立であることを 心に温める。
- 頂(mūrdha):加行の「頂点」。智慧が最も高まる。
- 忍(kṣānti):真理(唯識・空)を揺るがず受け容れる(忍可)。
- 世第一法(loka-śreṣṭha-dharma):見道以前の「最上の法」。見道に直結。
- 四三摩地(samādhi): 悟入のための四つの禅定。四順決択分と一対一で対応。
- 明得三摩地(光が初めて得られる)↔︎ 煖
- 明増三摩地(光が増す)↔︎ 頂
- 入真義一分三摩地(真義の一部に入る)↔︎ 忍
- 無間三摩地(間断なく)↔︎ 世第一法
- 菩薩現観と声聞現観の十一差別:
- 菩薩の現観は声聞の現観と、対象・方法・果等で十一点異なる。
2-5 彼入因果分(六波羅蜜多・悟入の因と果)
「彼入因果」とは、唯識への悟入の「因」である六波羅蜜多と、 その「果」を述べる。
- 六波羅蜜多(ṣaḍ pāramitā):
- 波羅蜜多(pāramitā)=「彼岸に到る(pāra=彼岸+ mita=到った)」 =円満・完成。輪廻の岸から解脱の岸へ渡る六つの円満な行。
- 施(dāna):慳貪・貧窮を破り、広大なる財位・福徳を生じさせる(与えることが得ることの因になる、ということ)。
- 戒(śīla):悪戒・悪趣(趣=意図)を息滅し、善趣・等持(一点集中、三昧)を取る。
- 忍(kṣānti):忿怒・怨讐を滅尽し、自他安穏に善く住する。
- 精進(vīrya):懈怠(怠ける)・悪不善法を離れ、無量の善法を生み育てる。
- 静慮(dhyāna):散動を消除し、内心安住を生じさせる。
- 般若(prajñā):一切の邪見・悪慧を除き、諸法を真実に分別して知る。
- なぜ六波羅蜜多で唯識に入れるか:
- 六波羅蜜多は、悟入の因(支え)であり、同時に悟入の果にも なる(清浄増上意楽)。
- なぜ「六」か:
- 六波羅蜜多は三組に配され、各組が特定の障を対治する(治療する):
- 施+戒:不発趣の因(財位・家庭生活への執着)を対治。
- 忍+精進:発趣(目標に向かって踏み出す)して再び退還(もとに戻る)するの因(生死の苦・長時修行の疲怠)を対治。
- 静慮+般若:発趣して再び退還しないのに失壊する(堕落する)の因(散動・邪悪慧)を対治。
- また、前四(施・戒・忍・精進)は不散動の因、次一(静慮)は 不散動の成就、六(般若)は諸法の真義を如実に覚ることで、 一切仏法を証得する。
- 総じて、対治所治障・諸仏法の所依・有情成熟の三つのためである。
- 六種最勝:
- 六波羅蜜多は、これら六つの点で最勝である。
- 所依:菩提心が依りどころである。
- 事:十分に実践される。
- 処:実践の場が一切有情の利益・安楽である。
- 方便善巧(upāya-kauśalya):衆生の機根(能力)に応じた巧妙な手段を使う技能。 ここでは「無分別智に導かれる」ことがその巧みの実体。
- 回向(pariṇāmanā):修行で積み上げた善根を、ある目的へ「回して向ける」こと。 ここでは無上の正等菩提(無上正等覚、悟り)に向ける。
- 清浄:煩悩障・所知障の二障が集起しない(清浄である)。
- 六波羅蜜多の修(五種)・意楽(七種):
- 修は五種に分かれる:
- 現起加行修:現前して加行(実践)する修。
- 勝解修:勝解(深い理解)に基づく修。
- 作意修:作意(心を境に向ける)による修。
- 方便善巧修:方便善巧を用いた修。
- 成所作事修:如来が任運に(自然に)仏事を成す修(円満後もさらに修する)。
- 意楽(清浄増上意楽・adhyāśaya、発心)は七種相に分かれる:
- 資糧:福智の資糧を積むこと。
- 堪忍:苦難・邪見に堪えること。
- 所縁:正しい所縁(対象)を取ること。
- 作意:正に作意すること。
- 自体:その本質が清浄であること。
- 瑞相:瑞相(吉祥の相)を顕すこと。
- 勝利:勝利(利益・果)を得ること。
- 六波羅蜜多の分類(各波羅蜜多は三品に分類される):
- 施(dāna):
- 法施:法(教え)を与える。
- 財施:財(物)を与える。
- 無畏施:恐れから守る。
- 戒(śīla):
- 律儀戒:戒律を守る。
- 摂善法戒:善法を取り集める。
- 饒益有情戒:有情を利益する。
- 忍(kṣānti):
- 耐怨害忍:怨み・害みに耐える。
- 安受苦忍:苦に安じて耐える。
- 諦察法忍:法(真理)を観察して忍ぶ。
- 精進(vīrya):
- 被甲精進:戦士が鎧をまとるように、修行の初めに不退転の志を立てる。
- 加行精進:加行において精進する。
- 無怯弱・無退転・無喜足精進:恐れず・退かず・中道に満足しない。
- 静慮(dhyāna):
- 安住静慮:安住して禅定する。
- 引発静慮:神通・智慧などを引発する。
- 成所作事静慮:所作(有情の利益事)を成す。
- 般若(prajñā):
- 無分別加行慧:加行(準備段階)における無分別智。
- 無分別慧:見道における根本無分別智。
- 無分別後得慧:根本智の後に得る後得智(分別ある智慧)。
- 所治・勝利・互決択:
- 所治(対治する雑染):雑染を相・因・果の三方面から対治する。
- 勝利(得られる利益):
- 生死において富貴・高貴な生まれ・多くの友・従者に恵まれる。
- 広大事業の加行を成就する。
- 苦しみも危害もなく、煩悩の垢が薄い。
- 一切の論議・道理をよく知る。
- 良い生まれから始まり、仏になってすべての有情を助ける。
- 互決択(相互の決択):六波羅蜜多は互相に助成し合う。 仏は場合によって施・戒・忍・勤・定・慧のいずれかで説かれるが、 実際には一切の波羅蜜多の加行中に、一切の波羅蜜多が互いに含まれる。
2-6 彼修差別分(菩薩十地・修行の分類)
「彼修差別」とは、菩薩の修行の分類、すなわち菩薩十地である。
- 十地の列挙と名づけの理由:
- 極喜地(pramuditā): 初めて唯識性を現観し大いに喜ぶ。
- 離垢地(viśuddhī): 戒の垢を離れ清浄である。
- 発光地(prabhākarī): 無相三昧の光を発する。
- 焰慧地(arciṣmatī): 慧の焰が明やかである。
- 極難勝地(duṣpratyudvartanī): 有相・無相を共に修し 極めて難しい。
- 現前地(abhimukhī): 因縁の法が現前する。
- 遠行地(dūragatā): 無相に遠く行きつく。
- 不動地(acala): 無功用(努力を要しない)で不動である。
- 善慧地(bahudhā-jñātā): 善く諸法を説く慧がある。
- 法雲地(dharmamegha): 法雲を現じ大法雨を降す。
- 十無明所治障と十相所知法界:
- 十地は十の無明所治障を対治するために安立されている(詳細は割愛)。
- ここでの無明は不染汚無明というもので、声聞・独覚には染汚しないが、菩薩には染汚する微細な無明である。 法界に十相として住み、各地がそれに対応する相(義)を開く。
- 諸地を得る四相:
- 勝解(adhimukti):各地に対する深信解(深く確信をもって理解している状態)を得ること。
- 正行(sādhana):各地に相応する十種の正法行を得ること。
- 通達(abhisambhava):初地で法界を達したとき、一切の地に通達する(貫き通して十分に理解する)こと。
- 成満(paripūrṇā):各地を修して究竟(最終地)に到ること。
- 五相の修と五果:
- 菩薩は各地で奢摩他(止)・毘鉢舎那(観)を五相で修し、五果を得る。
- 奢摩他(śamatha、止):心を一境に安住させて静寂にする修行。散乱を鎮める。いわゆるサマタ瞑想。
- 毘鉢舎那(vipaśyanā、観):法の実相を如実に観察する修行。無明を破る。いわゆるヴィパッサナー瞑想。
- 両者は互いに助け合う関係で、止があって観が立ち、観があって止が深まる。
- 五相(修し方):
- 集総修:広く善根を集めて修する。福智の資糧を広く集める。
- 無相修:相(対象・形相)に執着せず、空性を観て修する。
- 無功用修:努力を要せず自然に現前する。第八地以降の特徴。
- 熾盛修:旺盛に・力強く修する。怠りなく精進を続ける。
- 無喜足修:中道に満足せず、さらに上へ向けて修する。阿羅漢と異なる大乗の特徴。
- 五果(得られる果):
- 麁重依止の銷融:一念一念に、煩悩による心の粗さ・重さ・鈍さ(粗重)が消えていく。
- 法苑楽の得:種々の相を離れて、法の園における禅定の深い安楽を得る。
- 大法光明の了知:一切法に周遍する大乗の光明(智慧の光)を正に了知する。
- 無所分別・無相現行:清浄分に従って、分別なく相なく現前して現行(活動、機能)する。
- 後後勝因の摂受:法身を円満に成就するために、後々の勝れた因(資糧)を正に摂受する。
- 五相は積集→無相→無功用→熾盛→無喜足と、修行の深まりの段階を表す。
- 十地に別修する十波羅蜜多:
- 増勝(段階的に勝れていく)ため、十地中で十種の波羅蜜多を別々に修する。
- 前六地:六波羅蜜多(施・戒・忍・精進・静慮・般若)を主として修する。
- 後四地:四つの波羅蜜多を主として修する。
- 方便善巧波羅蜜多(upāya-kauśalya):前六度で集めた善根を、一切有情とともに無上正等菩提(仏の最高の悟り)に回向する。
- 願波羅蜜多(praṇidhāna):種々の微妙な大願を発し、将来の波羅蜜多の殊勝な縁を引摂する。
- 力波羅蜜多(bala):思択・修習の二力(考える力と実践する力)によって、前六度を無間に(途切れなく)現行させる。
- 智波羅蜜多(jñāna):前六度によって妙智を成立させ、法楽を享受し、有情を成熟させる。
- この四度は、般若波羅蜜多の無分別智・後得智に摂される(含まれる)。
- 各地で他の波羅蜜多を修さないわけではない。主とするものがあるだけである。
- 三無量大劫(trīṇi asaṃkhyeya-kalpa):
- 十地の修行は三無量大劫(数えられない長い期間)を要し、五位の補特伽羅(修行者)を 経て成仏する。
- 五位の補特伽羅(pudgala=人・個体):
- 勝解行:信解の段階(第一無量大劫)。
- 清浄増上意楽行:清浄な増上意楽を修する段階(第二無量大劫)。
- 有相行:相を伴って修する段階(第二無量大劫)。
- 無相行:無相に修する段階(第二無量大劫)。
- 無功用行:無功用的に修する段階(第三無量大劫)。
2-7 増上戒学分(菩薩戒)
「増上戒学」とは、菩薩の戒(菩薩律儀)の殊勝(特別に勝れたさま)を述べる。
- 菩薩律儀(菩薩戒)の四種殊勝:
- 差別殊勝: 三戒に分別する。
- 律儀戒(śīla-vinaya)— 非道を離れる。
- 摂善法戒(kuśala-saṃgraha-śīla)— 善法を摂集する。
- 饒益有情戒(sattvārtha-kāraṇa-śīla)— 有情を利する。
- 共不共学処殊勝: 声聞・菩薩に共通する学処(修行の項目)と、菩薩に 固有の学処。
- 広大殊勝: 四種(学処、福徳、意楽、仏果)の広大さ。
- 甚深殊勝: 方便善巧によって、殺生等の行為を行じても 罪にならない(衆生を利する目的の場合)。
2-8 増上心学分(増上心・定)
「増上心学」とは、増上心(静慮・定)の殊勝を述べる。
- 増上心(静慮・定)の六種差別:
- 所縁: 定の対象。
- 種種: 定の種々の相。
- 対治: 定が対治する障。
- 堪能: 定が成し得る力。
- 引発: 定が引発する功德。
- 作業: 定が為す業。
- 十難行(菩薩が成す十の難しい行い):
- 自誓難行:無上菩提の願を誓って受ける(自分が仏になることを誓う)。
- 不退難行:生死の衆苦によって退転しない。
- 不背難行:一切有情が邪行しても、捨てて去らない。
- 現前難行:怨みに満ちた有情に対しても、一切の利益事を行う。
- 不染難行:世間に生じても、世間法に染まらない。
- 勝解難行:大乗を完全に理解できていなくても、広大・甚深な法に信解を生じる。
- 通達難行:補特伽羅無我(人無我)・法無我を十分に通達する。
- 随覚難行:如来の説く甚深な秘密の言辞について、その深い意味に追随して悟りを得る。
- 不離不染難行:生死を捨てず、それでいて染まらない。
- 加行難行:諸仏のように解脱に安住し、一切の障礙を除き、生死の果まで無功用的に一切有情の義利を行う。
- 甚深仏法(一見矛盾するが、すべて仏の法であること):
- 常住:法身(dharmakāya、仏が完全に実現した悟りの本体、仏の一切法が自在に転ずる基盤)は常住するから。
- 断滅:一切の障が永く断滅されるから。
- 生起:変化身は生起を現じるから。
- 有所得:無数の有情のあらゆる性質と対処法を持っているから。
- 有貪:自ら誓い、貪りのある有情を自分のものとして受け入れるから。
- 有瞋:同上。
- 有癡:同上。
- 異生:同上。凡夫に生まれること。論理的には菩薩が普通のサラリーマンをやってる可能性もあるということ。
- 無染:成満した真如は一切の障垢に染まらないから。
- 無汚:世間に生じても世間法に汚されないから。
- 常と断、有と無、染と不染——これらが同時に仏の法であることが「甚深」である。
- 補足: 法身かつ空だが、「あり」かつ「ない」と言っていることになるので、不思議(甚深)だね、ということらしい。
2-9 増上慧学分(無分別智・般若)
「増上慧学」とは、無分別智(般若)の殊勝を述べる。
- 無分別智(nirvikalpa-jñāna)の自性:
- 「無分別」=分別(概念的な思考)を離れているが、無意識ではない。
- 五相を離れること(これらではないこと)で定義される:
- 無作意を離れる:無意識・無感覚ではない(意識は働いている)。
- 過有尋有伺地を離れる:尋・伺(粗い思考・分別)の段階を超えている。
- 想受滅寂靜を離れる:滅受想定(想・受の停止)のような無為の定ではない。
- 色自性を離れる:物質・形色ではない(心の機能である)。
- 真義異計度を離れる:真の意味を歪めて捉えていない(実相を正しく把握している)。
- 要するに:意識がありながら、概念的な思考を超え、実相をそのまま把握する智。
- 無分別智の多方面(原典は17面から論じる):
- 自性:五相を遠離。
- 所依:分別する心ではないが、智という心である(非心而是心)。
- 因縁:言聞・熏習・如理作意。
- 所縁:不可言の法性・真如。
- 行相:無相。
- 任持:後得の諸行を任じて持つ。
- 助伴:二種道(止観)・五波羅蜜多(般若以外の五つ)。
- 異熟:仏の二会(受用身・変化身が熟して現れる)。受用身=清浄な仏土で大乗の法を説く姿、変化身=釈迦のように生老病死を現じて教える姿。
- 等流:後々の生で自体が増勝。
- 出離:十地において成就する。
- 究竟:三身(自性身・受用身・変化身)・最上自在。
- 加行・無分別・後得:三段階(準備→直接体証→後続の智)。
- 差別:三差別(三種無分別智)。差別というのは区別される特徴・性質のこと。
- 譬喻:目を開けて見るが、空と知らない(無知)→目を閉じて見るように、対象を超えて見ている(無分別智)→目を開けて見るが、空と知った上で見る(後得智)。
- 無功用作事:無功用的に働く。
- 甚深:甚深な相。
- 三種無分別智:
- 加行無分別智(pratītya-nirvikalpa-jñāna): 悟入の準備(加行)の智。
- 三分類:
- 因縁:何の因・縁によって生ずるか。
- 引發:どのように生起させるか。
- 數習生:反復して修習して生じるか。
- 根本無分別智(mūla-nirvikalpa-jñāna): 唯識の本性を直接現観する智。
- 三分類:
- 喜足:満足・充足。
- 無顛倒:覆い(誤り)がない。
- 無戲論無分別:言説を超えた無分別。
- 後得無分別智(anularita-nirvikalpa-jñāna): 根本智に随って後から得られる智。
- 五分類:
- 通達:貫通・理解。
- 隨念:念ずるに従う。
- 安立:立てる・設定する。
- 和合:調和・結合。
- 如意思択:意のままに思惟する。
- 般若波羅蜜多と無分別智の関係:
- 般若波羅蜜多=無分別智(無有差別)。
- 非処相応(いかなる立場にも偏らない):五種の偏りを遠離する。
- 外道我執処:「私がある」と執る偏り。
- 未見真如菩薩分別処:真如を見ぬまま概念で捉える偏り。
- 生死涅槃二辺処:生死・涅槃のどちらかに偏る。
- 唯斷煩悩障生喜足処:煩悩を断つだけで満足(声聞的)。
- 不顧有情住無余依涅槃処:衆生を顧みず寂滅に入る(完全に消滅する)。
- それゆえに、般若以外の五波羅蜜多を円満に修することができる。
- 菩薩智と声聞智の五分類:
- 無分別:蘊などにおいて無分別であること。
- 非少分:真如に通達し、一切有情を度脱する(悟りに入らせる)こと(自分だけ解脱するのではない)。
- 無住:無住涅槃(生死を捨てず寂滅にも入らない)を所住とすること。
- 畢竟:無余依涅槃界(身体も余さずなくなる涅槃)において断尽しない(寂滅に入らず衆生を救い続ける)こと。
- 無上:これを超える乗がないこと。
2-10 果断分(無住涅槃・果の断)
「果断」とは、果の断、すなわち無住涅槃を述べる。
- 無住涅槃(nirupadhiśeṣa-nirvāṇa):
- 転依(āśraya-parāvṛtti):
- 依他起を雑染分から清浄分に転ずること。
- 生死=依他起の雑染分、涅槃=依他起の清浄分。
- 転依によって、雑染が清浄に転じ、涅槃を証する。
- 転依の六種:
- 損力益能転: 障の力を弱め、能を強める転依。
- 勝解・聞熏習(聞くことで心に刷り込む)によって善の力を増し、羞恥によって煩悩を弱める。
- 六種中の第一段階(部分的・初步的)。
- 通達転: 真如に通達して転じる(初地〜六地)。
- 修習転: 修習によって転じる(七地〜十地)。
- 果円満転: 果が円満になって完全に転じる(仏果)。
- 下劣転: 声聞の転依。生死を一向に背き(生死から一途に離れ)、寂滅に入る。
- 広大転: 菩薩の転依。生死を捨てず、衆生を利する。
- 下劣転の過失と広大転の功德:
- 声聞は生死を一向に背くがゆえに、衆生を利することができない (下劣転の過失)。
- 菩薩は生死を捨てず、衆生を利する(広大転の功德)。
2-11 彼果智分(三身・果の智)
「彼果智」とは、果の智、すなわち三身(三種仏身)を述べる。
- 三身(tri-kāya):
- 自性身(svabhāvika-kāya): 法身(dharmakāya)に即する。
- 受用身(saṃbhoga-kāya): 受用を現じて菩薩に示す。
- 変化身(nirmāṇa-kāya): 変じて現じて衆生に示す。
- 受用身・変化身は、自性身を依って示現するが、自性身そのものではなく、衆生に示すための方便である。
- 法身の五相:
- 転依為相: 転依を以て相とする。
- 白法所成為相: 六波羅蜜多を円満にすることで十自在を得る。
- 施→壽自在(寿命を自在に)・心自在(心を自在に)・資具自在(資具を自在に)
- 戒→業自在(業を自在に)・生自在(生まれを自在に)
- 忍→勝解自在(勝解を自在に)
- 精進→願自在(願を自在に)
- 静慮→神力自在(五通=五つの神通力による自在)
- 般若→智自在(智を自在に)・法自在(法を自在に)
- 無二為相: 有無・有為無為・異性一性を無二とする(空でありながら実在する・無為でありながら有為に現れる・一つでありながら無数に現れる)。
- 常住為相: 常住を以て相とする。
- 不可思議為相: 不可思議を以て相とする。
- 法身の最初証得:
- 大乗の教えを総じて、無分別智・後得智で捉え、五相を十分に修め、十地で資糧を積む。金剛のように強い定(金剛喻定)で、残りの微細な障を破り、転依を得る。
- 法身の五自在:
- 色蘊の転依→仏土・自身・相好・無辺音声・無見頂相の自在(物質的なものを自在に現す)
- 受蘊の転依→無罪無量広大楽住(清浄で限りなく広大な安楽)の自在
- 想蘊の転依→あらゆる有情に対して最適な語・文句・音で法を説く自在
- 行蘊の転依→仏が意志的に衆生を導き、善法を建立し、化現・変易を行う自在
- 識蘊の転依→円鏡・平等・観察・成所作智(のちの「八識」が転じて現れる四つの智)の自在
- 法身の依止(法身に依って成り立つもの、三処):
- 種種仏住(仏の住処)
- 種種受用身(菩薩を成熟させるため)
- 種種変化身(主に声聞などを成熟させるため)
- 法身の摂持(六種):
- 清浄(阿頼耶識を転じて法身を得る)
- 異熟(色根を転じて異熟智を得る)
- 安住(欲行等の住を転じて無量智住を得る)
- 自在(一切世界で神通を自在に使う智を得る)
- 言説(一切有情の心を喜ばせる弁説の智を得る)
- 抜済(一切有情をあらゆる災いから救済する智を得る)
- 法身の異・無異:
- 「すべての仏の法身は、同じなのか、ちがうのか?」という問いへの答え。
- 無異:すべての仏の法身は、依止・意楽・業に別がない → 同じ
- 有異:無数の仏がそれぞれ身体として現れている → ちがう
- つまり「法身という本質は仏を問わず一つだが、現れる姿は無数にある」
- 法身の諸徳:
- 法身の甚深(十二種):
- 生住業住:不生でありながら生じ、不住でありながら住し、無功用でありながら一切事を行ずる
- 安立数業:無異でありながら無量、無数量でありながら一業
- 現等覚:仏は悟りを「現じている」が、それは固定的な「あるもの」ではない。同時に、仏の一切智が「ないもの」でもない
- 離欲:染でも離染でもなく、欲の実相を見ることによって出離を得る
- 断蘊:諸蘊を超え、諸蘊中に住し、一でも異でもない
- 成熟:仏の事業は大海の水のごとく互いに交じり合い、「これ自分がやった」「あれは自分がやる」という思いがない
- 顕現:仏の法光は日のごとくすべての世界に届いているが、衆生自身の罪障が破れた器のごとく、その光を受け取れない
- 示現等覚涅槃:悟りも涅槃も火のごとく現ずるが、仏身(三身)は常住である
- 住:仏は清浄な場所だけでなく、人間の世界や地獄のような場所にも、最上の姿でいる
- 顕示自体:どこにでも現れ働きながら、どこかに固定しておらず、六根では捉えられない
- 断煩悩:煩悩は抑えても消えておらず(毒を呪で抑えたがごとく)、煩悩が生まれて消えるまでがすべて仏の智である
- 不可思議:煩悩が悟りの要素となり、生死が涅槃となる
- 念仏法身の七念:
- 「念」= 仏の法身の優れた性質を意識的に思い浮かべる修行。 仏の法身はすばらしいから、それをよく思い浮かべよ、という礼拝・観想の指導。
- 自在転:仏は神通を自在に使っている
- 常住:仏の身は永遠である
- 最勝無罪:仏には一切の汚れがない
- 無功用:仏は努力なしに自然に働いている
- 大富楽:仏は大いなる富と楽を持っている
- 離染汚:仏は世間に染まらない
- 能成大事:仏は衆生を救う大いなる仕事を成している
- 畢竟涅槃と不涅槃:
- 畢竟涅槃=最終的に涅槃に入る(二度と生死に戻らない完全な寂滅)。
- 仏は畢竟涅槃である:煩悩・障をすべて断じているから。
- 同時に畢竟不涅槃でもある:衆生を救う仕事に終わりがないから。
- 仏は「一切有情を利楽する」と発願している。その願が果たされないまま寂滅に入るのは、願が無意味になる。
- 変化身は永遠に現れるわけではない(非畢竟住)。理由は六つ:
- 衆生の救済が済んだら現れなくてよい
- 衆生が「涅槃に入らないでほしい」と思わせるため
- 衆生が仏を軽んじないようにするため
- 仏への敬愛を深めるため(いつも見られると飽きるから)
- 衆生が自分で努力するように促すため(教えを説く人は希少だということを知る)
- 衆生を早く成熟させるため
- 補足:「衆生救済の仕事が終わらない」(法身)と「化身が一時的に現れる」(変化身)は矛盾しない。全体的には法身が永遠に働き続けるが、個々の化身は担当範囲の衆生を済ませたら消えてよい。
- 受用身・変化身は無常だが、その依る法身は常住だから「如来の身は常」と言われる
参考文献
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