金七十論2026年10月11日 | |
1. サーンキヤ哲学と『金七十論』サーンキヤ学派は、インド最古の哲学系統の一つであり、正統バラモン系統の六派哲学の一つに数えられる。その思想は、創造神を立てず、精緻な分析によって現実の構造と解脱の道を示そうとするものである。 伝承は次のとおりである。
イーシュヴァラクリシュナがまとめたものが『サーンキヤ・カーリカー』で、これが現存する最古のサーンキヤ哲学の原典である。その注釈書を陳の真諦が訳したものが『金七十論』である。 この記事は、サーンキヤ哲学の核心を、原典の論理的な流れに沿って紹介するものである。 前提論証が不要とされている前提を知らないと理解できない部分があるので、整理しておく。 まず、輪廻が前提になっている。アーリア人はもともと「死んだら楽園に行く」くらいの楽観的な死生観だったようだが、いつしか再死(楽園でも死にうる)の考えが出てきたようで、そこから輪廻(サンサーラ)の思想に至ったようである。 世界としては天界、人界、畜生道が想定されており、人界で功徳を積んだら天界に生まれ変わるが、そこで終わりではなくて、積んだ功徳が尽きたらまた人界に戻ってきてしまう。そうやっていろいろな世界に生まれ変わり続けるだけで終わりがない。当初の輪廻の思想には救いがないのである。そこから解脱(モークシャ)の思想が出てきた。 また、宇宙は展開と収縮を繰り返すものと想定されている。当初の『リグ・ヴェーダ』では創造だけのようだが、おそらく輪廻の思想と並行して宇宙の循環論が出てきたのだろう。 なお、「サーンキヤ」とは「智により解脱に至る道」を意味するようである。 2. なぜ解脱を求めるのか原典は問いから始まる。「人はそもそも、なぜ知を求めようとするのか」。 答えは明快である。三つの苦に迫られるからである。
この三つの苦に迫られて、人は苦を滅ぼす因を知りたくなる。これが知を求める動機である。 補足: 「風・熱・淡の三要素の不均衡による病」というのは、アーユルヴェーダの考え方らしい。ヴァータ(気・風) 、ピッタ(胆汁・熱)、カパ(粘液・淡)の3つのドーシャ(病素)のバランスが崩れると病気になる。病苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦は仏教にもある考え方だが、古代インドでは一般的な考え方だったらしい。 3. 他の道の限界医学の限界「医学で身体の苦を治し、塵(感覚対象)で心の苦を満足できれば、それで十分では」という問いに対して、サーンキヤは二つの過失を挙げる。
ヴェーダの限界「ヴェーダにソーマ(神酒)を飲めば不死が得られるとある」という主張に対して、サーンキヤは五つの過失を挙げる。
補足: 「施主は天上から退転する」というのは、ここでは祭祀的実践の話をしており、祭祀や布施の実践によって天上に生まれ変われるものの、その功徳が尽きたらまた地上に生まれ変わってしまうという思想のことを言っている。 サーンキヤの因は五つの徳を持つ医学やヴェーダと違い、サーンキヤが示す因は五つの徳を具える。
この因とは、根本原質(プラクリティ)と純粋精神(プルシャ)の関係であり、二十五の原理によって知られる。 4. 二十五の原理サーンキヤは、すべてを二十五の原理(二十五諦、タットヴァ)に分け、三つに大別する。
補足: 「プルシャ」は「本質的な自己」「意識・存在そのもの」を意味し、アートマンと同義的に使われることもあるが、サーンキヤではアートマン=ブラフマン説(梵我一如)は取らない(そのためにアートマンという語を避けたか)。サーンキヤでは、実質的には純粋精神と根本原質だけが存在し、二元論である。純粋精神は根本原質をただ見る観客であり、非活動的である。純粋精神自体は常住不変で純粋清浄であり、輪廻とは一切関係がない。一方、根本原質は物質的で活動的であり、輪廻と関係があるのはこちらである。 開展の順序graph LR
P[根本原質] --> M[覚]
M --> A[自我意識]
A --> K[五知根]
A --> W[五作根]
A --> Mn[意]
A --> T[五唯]
T --> E[五大]
P -.- WO[純粋精神]
補足: 根本原質から世界が生じていくことを世界の開展(パリナーマ)という。開展は純粋精神による観照を契機として起こる。 用語
二十五を知ることは解脱である原典はこう説く。
つまり、解脱とは、二十五の原理を正しい関係性の中で知ることなのである。 5. 三徳三つの要素根本原質は三つの根本的な徳(グナ、要素)から成っている。
変異の二十三はすべて、根本原質からこの三徳を継承している。 五つの相互関係三徳は静的ではない。五つの働き方がある。
たとえば、サットヴァが王女の美貌を生じさせるとき、三つの働きが同時に起る。彼女自身には喜び(サットヴァの働き)が与えられ、他の女性には嫉妬などの動揺(ラジャスの働き)が生まれ、使用人には心の曇りという暗さ(タマスの働き)が生まれる 6. 認識の三方式サーンキヤは、確かな知識の手段として三つの方式を認める。 現量(直接の知)根(感覚器官)と塵(感覚対象)が接触して生じる、まだ分別前の直接の知。耳が声を聞き、眼が色を見る、その段階である。 比量(推理)相(徴候)からまだ見えていない事を知る推理。三つの型がある。
比量には、相と相を持つものの間に不離の関係があることが条件である。この関係がなければ、推理は成立しない。 聖言量(信頼できる証言)現量・比量が届かない領域を、信頼できる者の言葉によって知る手段である。たとえば、感官の及ばない世界の存在は、聖者の言葉によってのみ知られる。 信頼できる者(聖者)とは、すべての惑いが消え去り、妄語を語らない者である。 7. 根本原質と純粋精神の存在を証する根本原質が存在する五つの根拠「根本原質は見えない。見えないものは存在しない。第二の頭や第三の手のように」という疑問に対して、五つの根拠を挙げる。
見えないことの八種「見えない」ことには八つの理由があり、すべてが「存在しない」を意味しない。
根本原質は見えないが、それは微細であるからであり(第五の理由)、存在しないからではない。 純粋精神が存在する五つの根拠
純粋精神は複数であるもし純粋精神が唯一であれば——
これらは実際に起きていない。よって、各身体に各々の純粋精神がある。 8. 根本原質と純粋精神の和合和合の二つの機能純粋精神と根本原質は根本的に異なる。それでは、なぜ和合するのか。 二つの目的によって和合が成立する。
この二つの目的によって和合が得られ、世界の開展が生じる。 補足: 離れること(解脱)が目的なら、なぜ和合するのだろうか。純粋精神にも根本原質にも意図や意向というものはなく、純粋精神は単に始まってしまった舞台を観客として見尽くすだけ、根本原質は単に始まってしまった舞台をメカニズムとして終わらせようとするだけである。 瞽跛の譬え生まれつきの盲者と、生まれつきの脚の不自由な者に譬える。 盲者は歩けても道が見えず、脚の不自由な者は見えても歩けない。二人はこう決める——脚の不自由な者は盲者の肩に乗って道を示し、盲者は彼を負って歩く。目的地に着くと、各々が別々に別れる。 純粋精神と根本原質の関係も同じである。目的のために和合し、目的が済んだら離れる。 生は「転変」である根本原質からの変異は、転変である——乳がチーズ状のものに変わるように。三徳が和合して変異を生じる——多くの糸が編まれて布になるように。 補足: 世界の開展の各段階でも三徳の不均衡が関わっている。 一つの根本原質が三世界を生む「根本原質が一であるなら、なぜ三つの異なる世界(天の楽・人の苦・畜生の癡)が生じるのか」 水と容器の譬え——同じ水が、金の器では最も甘く、地上では土の味を帯び、様々な容器で様々な味を持つ。 根本原質もまた、徳の偏重の違いによって——
を生じるのである。 9. 根と機能五知根
各知根は、自らの塵のみを見る。照らすことはできるが、分別はしない。 五作根
意(マナス)意(思考器官)の本分は分別である。知根について分別し、作根についても分別する。十根と同じように自我意識から生まれ、十根と共同して働く以上、「心根」と名付けられる。 心根の固有の働き:ある所に財と食があることを聞いて、「自分はそこへ行って美食と利養を得よう」と思う——この思いはかること(分別すること)が心根の機能である。 十三作具作具とは、純粋精神の意(意向)の方便を成就する働きを担うもの。 構成(十三)——五知根・五作根・意・自我意識・覚。 三つの役割(牽・執・照):
内具と外具
覚が真の作具である理由十二作具(五知根・五作根・意・自我意識)が塵を覚に渡し、覚が純粋精神に渡す。 国王と家来の譬え——国土の家来・民衆が国財を取り、すべて国王に納める。同様に、十二根が塵を取り、覚に渡し、覚が純粋精神に渡す。 解脱のとき、純粋精神が見るべきは——純粋精神と根本原質の異、三徳の異、覚の異、自我意識の異、十一根の異、五唯の異、五大の異、身体の異——であり、これらを純粋精神に知らせてくれるのが覚のみである。よって、覚だけが真の作具である。 補足: 二十五諦に加えて身体が入っているのは、「身体すら自己ではない」と強調しているのだろう。 五つの風五つの風は、十三作具が共に使う機能である。
10. 微細身と輪廻微細身(微細な身体)七つの成分から成る——覚・自我意識・五唯。
粗大身(粗い身体)十六の成分から成る——五大(空・風・火・水・地)+十一根(五知根・五作根・意)。
微細身と粗大身の相互依存微細身と粗大身は互いに依存する(能依・所依の関係)。
壁画は壁を離れて存在しない。影は対象を離れて存在しない。粗大身がなければ微細身は住む所を失うし、粗大身は微細身があって初めて成立する。 三有
この三有が微細身を薫習し(微細身に業の痕跡を残し)、輪廻を動かす。 補足: 八自在というのは修行で得られる八つの力らしいが、細かいので割愛。一見、「善いこと」が輪廻を動かすということに違和感を感じるかもしれないが、善いか悪いかは上昇するか下降するかの違いだけで、あくまで根本原質の領域であり輪廻することには違いはない。 因と依因質(因=原因)が輪廻の行き先(依因=結果)を決定する四つの因果関係。
補足: 四足・飛行・胸行・傍形・不行は生き物の種類で、四足動物、鳥類、胸で這うもの、横長のもの、歩かないもの。 11. 三つの縛り
12. 解脱縛られるのは純粋精神ではなく根本原質であるこれがサーンキヤの核心である。 純粋精神は縛られない。
よって、私は常に自由であり、縛られたこともなければ、輪廻したこともなければ、解かれることもない。 縛られ・解かれるのは根本原質である根本原質が、自らの徳・変異・施によって自らを縛る。正智が起ることで、根本原質の自縛が解かれる。 解脱のメカニズム
根本原質の隠離純粋精神の二つの目的——(一)諸塵の受用、(二)根本原質の観照——が究竟したとき(窮まったとき)、根本原質は去る。
独存(カイヴァリヤ)解脱は独存と呼ばれる。二つの側面がある。
この状態において、純粋精神は独り残り、二つとなくある。 智の働き
解脱のとき
参考文献
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