ムーティ指揮ウィーン・フィル(8回公演の4回目)
○2008年9月18日(木) 19:00〜21:10
○サントリーホール
○2階P7列8番(2階ステージ後方最後列上手端から8席目)
○ヴェルディ「ジョヴァンナ・ダルコ」序曲
 同「シチリア島の夕べの祈り」よりバレエ音楽「四季」
 ニーノ・ロータ「トロンボーン協奏曲」(Tb=イアン・バウスフィールド)(12-10-8-6-5)
 同「交響的管弦楽組曲『山猫』」(�機.織ぅ肇襦´供.疋鵐淵侫�ータへの旅 �掘.▲鵐献Д螢�とタンクレディ �検仝�爵の夢 �后.織鵐�レディの出発 �此[�と野心 �察“鯑饅蠅砲董´次.侫�ナーレ)
+プッチーニ「マノン・レスコー」間奏曲
 (16-16-12-10-9)(下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVaの後方)
 (首席奏者:コンマス=キュッヘル、Va=コル、Vc=バルトロメイ、Cb=ギュルトラー、Fl=シュルツ、Ob=ホラーク、Cl=シュミードル、Fg=ミュラー、Hr=トムベック、Tp=シュー)

師匠への最高の恩返し
 
 今回のウィーン・フィル来日公演の予定プログラムにニーノ・ロータの名を見つけて驚いた人は多いだろう。彼自身は「映画音楽の作曲家」と片付けられることには不満だったようだが、彼の音楽で誰しも真っ先に思い浮かべるのが「ロメオとジュリエット」「ゴッドファーザー」といった映画音楽であるのは否定できない。
 そんな彼の作品の中で純クラシックと言うべきトロンボーン協奏曲と映画「山猫」の音楽をあのウィーン・フィルが取り上げようというのだ。僕のような物好きクラシック・オタクには願ってもないプログラム。おそらく最初で最後のチャンスだろう。
 客席はそんなプログラムの妙には全く関係ないかのように、いつものようにほぼ満席。

 「ジョヴァンナ・ダルコ」はヴェルディ7作目のオペラ。初期の作品らしく荒削りだが直線的なエネルギーに満ちたメロディで、「ナブッコ」序曲に少し感じが似ている。それがウィーン・フィルの音色で演奏されるとおとなしめと言うか、ずいぶん整った曲のように聴こえる。つい2週間前同じサントリーで聴いたスカラ・フィルの「運命の力」を思い出し、「そんなに生真面目に弾かんでもええのに」と思ってしまう。
 続く「シチリア島の夕べの祈り」のバレエ音楽は第3幕第2場、総督の大広間の場で演奏される。総督暗殺未遂という緊迫した場面に先立ち一息入れる音楽である。たぶん「山猫」もシチリアが舞台なので選んだのだろう。「冬」に始まり「春」「夏」「秋」と続く。「冬」が始まってしばらくは霧の朝のような暗い響きが流れ、「春」の冒頭はクラリネットがモーツァルト「交響曲第39番」第3楽章トリオに似たソロを聴かせる。「夏」では弦がトレモロをしたままグリッサンドするところが面白い。「秋」では明るく軽快な音楽が多い。だが、いずれも様々なテンポの短い舞曲が数曲ずつつなぎ合わされているので、曲間の切れ目がわかりにくく、特に今年の気候のように「夏」がいつ「秋」になったのか、よくわからなかった。今までウィーン・フィルの生演奏には何回も接しているが、この時ほど力を抜いて聴いたことはなかったかも。とにかく後半のために集中力を温存しておかねばならない。

 トロンボーン協奏曲では、バウスフィールドが指揮者の上手側に立つ。譜面台を奏者の右側に置かないと見にくいからである。ところが指揮台に立ってオケの方を向いたムーティが突然小走りで退場するので、客席がざわつく。眼鏡を忘れたのだ。頭の上にかざして聴衆に見せながら再登場。ムーティを「永遠の青年」と崇めるファンにとって最も見たくない光景だったかもしれない。
 第1楽章、単純なメロディにちょっとひねった音階進行や不協和音を混ぜる。シャープの調とフラットの調との間で転調を繰り返すような所はショスタコーヴィチを少し連想させる。もっともこのような作風を「新古典主義的」と表現すると、プログラムによれば「この作曲家を正しく理解していないことの証」になるらしい。第2楽章、ソロは静かで落ち着いた感じだが、終盤の弦楽合奏にうっとり。第3楽章、ソロは陽気でリズミカルな音型をしつこく繰り返す。バウスフィールドは軽めの音色でリラックスした様子で吹いている。これで朝ドラ「瞳」のオープニングをアンコールでやってくれたら最高だったのだが(そんなアホな)。

 「山猫」でムーティは振り向きざま拍手が鳴り終わらぬうちに演奏を始める。一挙に映画の冒頭シーンが眼前に浮かんでくる。これをウィーン・フィルの極上の響きで聴かされるだけでもう身体がウキウキしてくる。続く「�供.疋鵐淵侫�ータへの旅」は義勇軍の戦闘シーンの音楽。「�掘.▲鵐献Д螢�とタンクレディ」はおそらく統一戦争から戻ってきたタンクレディがアンジェリカと再会するシーン、「�検仝�爵の夢」はおそらく公爵と司祭のやり取りの後公爵がシチリアの自然を称えるシーンにそれぞれ流れる音楽だろう。「�后.織鵐�レディの出発」はたぶんそれより遡って、タンクレディが義勇軍に志願して公爵に暇を告げて出て行くシーンだと思う。「�此[�と野心」「�察“鯑饅蠅砲董廚呂匹両賁未�よくわからなかった。「�次.侫�ナーレ」はもちろん最後に流れるもの。
 ロータは「山猫」の音楽から組曲を2つ作ったそうだ。1つは有名な舞踏会の場面に出てくる舞曲を集めたもの、もう1つはそれ以外の音楽を集めたもの、つまりこの日演奏された組曲である。あの映画音楽の中から舞曲が除かれると、タイトルに出てくるメロディが大体他の曲でも繰り返されることになる。しかし、その合い間にフルート、クラリネット、イングリッシュ・ホルンなどが聴かせるソロがこれまた素敵で、もう聴き惚れるばかり。
 一つだけ気になったのは調性。映画の背景に聴こえる演奏より生は半音低い。おそらくフィルムに録音させる時の技術的問題だろう。
 さて、なぜムーティがロータを取り上げたのかが疑問として残る。しかし、プログラムのプロフィールを見ると、彼の才能を見出したのが、少年時代に住んでいた町の音楽院の院長だったロータだったというのである。この話は例えばソニー・BMGのサイトにおける彼の経歴にも出てこない。そうか、彼がウィーン・フィルを振ってロータの音楽を聴かせるというのは、師匠に対する最高の恩返しだったのだ。

 アンコールは「マノン・レスコー」間奏曲。チェロとヴィオラのソロが男女の肌の触れ合いのように始まり、燃え上がるデグリューの愛の炎のような弦の響きが破滅に向かって盛り上がってゆく。ムーティはあまりプッチーニを振らないイメージがあっただけに、ここまで濃密な演奏を聴かせるとはこれまた驚き。
 団員たちが解散した後も拍手は続き、ムーティが呼び出される。オール・イタリア物でしかも彼のやりたい音楽をやり通したこの夜の演奏会は、ウィーン・フィルの数多くの来日公演の中でも一際異彩を放つものとして日本のクラシック・ファンの記憶に刻まれることだろう。

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