はじめに
ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」という物語をご存知でしょうか。
知能指数が劇的に上昇し、世界の理を掌握していく主人公チャーリー・ゴードンの運命。
私がWordPressという未知の世界に足を踏み入れた2022年、その歩みは図らずも彼と同じ軌跡を辿ることになりました。
かつては新鮮な驚きに満ちていたコードの海。
しかし、知を掌中に収めるほどに、私はある「残酷な真実」と向き合うことになったのです。
この記事では、私がCocoonと共に歩んだ3年間を振り返り、開発現場の構造と自らの決断についてお伝えします。
欠落がもたらした「黄金の年間」
2022年、7年前の知識さえ忘却の彼方にあったあの日、私の旅は「持たざる者」としての幸福の中にありました。
WordPressのフック、PHPの論理構造。
目に映る全てが輝き、フォーラムで回答を寄せるたびに自らの中の「知の地図」が広がる高揚感。
それはチャーリーが初めて「本物の知識」を掴んだ時の輝きそのものでした。
その情熱は、Cocoonスキン「メイド・イン・ヘブン」へと結実します。
時を加速させるその名の通り、SWELLの斬新さや優れたデザインをCocoonという土台の上で再定義し、圧倒的なスピードで進化させること。
それが私の3年間の集大成でした。
構造の歪み品質は「上流工程」で決まる
しかし、知識が深まるにつれ、技術者としての私の目は、表面のデザイン以上に「構造の脆さ」を捉えるようになりました。
ソフトウェア開発の鉄則は、品質は設計という根幹において作り込まれるべきものだということです。
デバッグとは下流における「ドブさらい」に過ぎません。
かつて住宅の構造計算書偽造が話題になり、近所の新築ビルが解体・再建されたように、土台が腐っていれば、どれだけ表面を繕っても無意味です。
一度完成したものを壊して作り直す工数は、最初から正しく作る場合の2倍、あるいはそれ以上に膨れ上がります。
私が関わってきたCocoonの不具合調査においても、この「手戻り」が繰り返されている現実がありました。
「善意」が招いた依存と甘えの構造
私が自身の勉強を兼ねて心血を注いできたバグ調査と対策。
それはいつしか、一ユーザーの範疇を超えた「実務」となっていました。
そこで私を襲ったのは、ある種の危念です。
私が提示した対策コードが、その本質を検証されることなくコピー&ペーストされ、根本的な確認が怠られてはいないか。
私が「手」となり、深い部分まで踏み込みすぎた結果、作者であるわいひら氏がその状況に甘んじ、本来の品質管理を損なわせてしまったのではないかと懸念しています。
私の「やり過ぎ」が、いつの間にか「当然調べてくれるもの」という甘えを生み、皮肉にも開発全体の健全性を損ねていたのかもしれません。
得るものがないという「静かなる苦痛」
3年を経て、自分が求めた技術的関心の範疇を掌中に収めたとき、世界の見え方は一変しました。
もちろん、WordPressという巨大なシステムの全貌からすれば、私の知識など氷山の一角に過ぎないのでしょう。
しかし、あくまで私が興味を抱いた範囲においては、もう何もない、開けるべき扉が残っていないと感じてしまったのです。
「知らない」という状態は、可能性という名の豊かさです。
それが失われた今、残っているのは、時が加速しすぎて宇宙が一巡し、全てが振り出しに戻ったかのような無機質な日常です。
得るものがないという苦痛は、無知ゆえの苦労よりもはるかに重く、心を削ります。
チャーリーが知能の衰退を予感したように、私もまた、無我夢中にコードを追いかけていた「知らなかった頃」の自分を、どこか羨ましく思ってしまうのです。
さいごに
知性はときに残酷な境界線を引き、人を孤独にします。
これまで泥を掬い、構造の歪みを指摘し続けてきましたが、今の私がすべきことは、代わりに泥を掬い続けることではなく、自ら一線を引くことだと確信しています。
WordPress 7.0のリリースをもって、私はCocoonに触れる日々に終止符を打ちます。
たとえ手に入れた知識がいつか色褪せ、チャーリーのように失われる運命にあったとしても、未知の扉を叩き、理解しようと足掻いた時間は無駄ではありません。
これからは、この「ドブさらい」に費やしてきた膨大なエネルギーを、自分の別の活動へと向けていきたいと思います。
これまでCocoonフォーラムで関わった皆様に深く感謝申し上げます。
誠に勝手ながら、Cocoonフォーラムにおける私からの回答は、これをもって終了とさせていただきます。



